12RENAISSANCE  WEB SITE  2010/1/28
                061
EUCLID
                            ME1    ME2    ME3    ME4    ME5    ME6    ME7    ME8

 
                                                                                         2012/5/8 
 フォックス博士の講演
 
  過去の歴史によって作り上げられた概念の中に人間は生きていると換言してもよく、それは人間社会の一定の方向性を示すという点では大切な要素ともいえる。

 樹木になった果実から人が生まれ、神オフルマズドによってそこに与えられた人間の種子、そして世界の父母は原始の神話である。その浩瀚なアラビア哲学の体系の中にアリストテレス注解とともに霊魂説などの神秘性が語られていることに傾注すべきかも知れない。

 現象を超越し、またその背後に在るものの真の本質にせまり、存在の根本原理や絶対存在を純粋思惟により或いは人間の直観によってより深く探究しようとする学問。
 その主要問題が神や世界、そして霊魂などである。時間、空間の感性形式を採る経験的現象として存在することなく、それ自身超自然的であって純粋な意味の理性的思惟による、または独特な直観によって捉えられる。
 それら究極的な対象である非物質的な事物や形式を離れた無形なものを指す意味、それが形而上学。

 ギリシア語の「後」と「自然学」を結合してヨーロッパ語の形而上学が出来上った。アリストテレス自身による形而上学の中の神学は、もともと宗教的意味は含まれていなかった。
 中世の神学・形而上学の形成史上にプラトン・アリストテレス的思惟が決定的な機能を果たしたとき神学化された、とは哲学辞典(下中邦彦・平凡社)の説明による。

 その形而上学を心の感情である情緒的表現を言説哲学によって具体化しようとしたもので、人間に許された高尚な概念を文章で体系化した。それは難解なテーマという問題を依然拭い去ることはできないが理解度という点で一歩近付いた。

 紀元前より考えられてきたこの難解理論、現代社会にこの理論を用いて何が生産可能であるか。この理論をもってしてウォール街の株の予想はできないし、生まれたばかりの零細ベンチャー企業の成功率を計算できない。パチンコ球の放物線予想もできないし、マージャンの配牌やリーチの当り牌の確率に何の役にも立たない。その比較するセクションが的外れ、であっても形而上学の理論が実生活に結び付かない限り一般的大衆は見向きもしない。

 誰もが普遍的と思っているその時代の常識など、そうした既成事実が多くの人々によって広く受け入れられている様々な知識と見解がある。
 そのような一般大衆の底辺にある意識もさることながら、科学者や物理学研究者の専門的知識を持つセクションとまったく違う方面の、はたまたそれに準じた知識を持つ人々によって支持される一定の観念的考え、そして概念は時代の価値観を示す尺度にもなり得る。
 感情的に思い込み、また知的に理解するなど方法論は限定されないが、その観念対象に深く傾倒している個人にとっては、客観的判断からすると対象問題に離反している情報でも、それを恣意的に解釈し自分を正当化するための詭弁をうまく見つけ出す能力が人間にはある。
 彼等は自分の作り上げた原則的な前提条件を保守しながら対象と離反しているにもかかわらず、独自の理論解釈を展開できるタイプとみなすことができる。

 無秩序エントロピー
 一九七三年に医学教育学者の要請を受けてフォックス博士の講演が行われた。
 タイトルは「教育的魅惑の一規範」という内容で、医学教育学者チームで結成されていたメンバーによって構成されていた。受講者はいずれもその道のエキスパートで、ある程度の専門知識を有している。
 フォックス博士は科学的業績もさることながら、その外にも医学の分野において人間の行動に数学を適用しユニークな研究でも知られている専門家である。そのテーマを医学教育と関連させながらのフォックス博士の講演だった。  

 博士の輝かしい業績は講演の始まる前に紹介者によってあらかじめ聴衆に紹介された。その博士の功績を証明する証書は主催者によって完璧に用意されていた。

 講演が始まるとフォックス博士はカリスマ的であり、なお権威ある態度は堂々としていた。際立った容姿は聴衆を魅了し、なおかつそれにふさわしいスピーチは説得力がある。
 難解な専門用語を駆使し、熱弁を振るう姿に聴衆は引き込まれた。一見、関連性がないと思われる不合理な推論は説得するための比喩の多用である。
 意味不明とも取れる新造語は博士独自のセンスによるものだった。講演はユーモアのあるコメントや逸話を盛り込み、関連する事項は多岐に渡り、内容が逸脱してしまうことも度々だった。類例のない引用も多々あったが講演は順調に進んだ。主催者側の意向をよく理解していた博士は一時間の講演を精力的にこなした。講演後の三〇分間の質疑応答時間になっても博士のペースは一貫しており、聴衆を感動させるに十分な講演であった。

 その後に受講者はアンケート用紙に記入することになっていた。講演内容についてのアンケートで評価・査定の項目に記入する。
 聴衆者は精神科医や心理学者、精神病治療のソーシャルワーカー、そして医療健康トレーニングに対して未経験者である他の教育専門家が含まれていた。いうならば、その講演に関してある程度の知識者が対象の聴衆である。 コメントには次のような回答が寄せられた。

 実にすばらしいプレゼンテーションで聴いていて楽しかった。よどみのない流れ、熱狂的にみえる。暖かみのある物腰。生き生きとした実例。博識である。非常に、はっきりとした発言。彼のリラックスした発表の仕方が私の興味をつないだ大きな要因であった。前もって個人的に調べ尽くした課題の、その素晴らしい分析。非常にドラマチックな発表の仕方。彼は確かに魅惑的であった。

 自分の主張を十分に通してはいなかった。適切な実例を抜かしていた。彼は最終的な言葉を二、三飛ばしており、それがあれば彼の様々なアイディアが相互に関連づけられたであろうに。
 
 あまりにもインテリぶった発表の仕方。幾分乱雑である。有機的なつながりがなく効果も薄い。あまりにもジェスチャー過剰。期待に背いて退屈させられた。

 一九七三年に行われたフォックス博士の講演、この「教育的魅惑の一規範」という内容は、実は医学教育学者チームが仕組んだ実験講演だった。
 判り易く言えば受講者が抱く表現者に対する信頼とは何を基準にしているか、というテーマであり早い話、人を騙した講演だったのである。
 アメリカのノースウェスタン大学科学化気教授のアーヴィング・クロッツ氏が著書で語る、「良い教師なるものを特徴づけている特質とはったい何であるのか」、という問題意識を具体的な形、この場合はリアルでありながら架空の状況を再現して聴衆の意識調査を引用して人間心理を分析したものだ。
 その例を挙げて教授は「実質的な内容を何一つ伝えないこともありうる」、と結んでいる。 
 実にユニークな実験だ。この罠に嵌まってしまった被験者の心理を云々する事はできない。作られた虚の講演だが実際にこのようなケースがあってもおかしくない。
 この講演設定の場合をワナというには適切ではないかもしれない。被験者は被害を被ったわけではなく実験に協力して、その結果を主催者に提供している。
 クロッツ氏はその例をあげ、ある一定の集団意識が意図的な方向に偏ってしまうという人の心理状況を言いたかったのだろう。
 「二・三・四」というような数は物理のメカニズムを解く方程式に置き換えるが、それは実際の物質物体の対象のとは離れた存在で、それは人間の思惟するところの心の創造である、と述べるのはアインシュタインだ。
 実在する対象を数に変換して方程式によってメカニズムを解こうとするモノの考え「概念」思考をアインシュタインは易しく説明している。ところがその概念は実験講演が語るように、一歩間違えばまったく意味のない間違った考えを植付けてしまうとい結果を引きおこす。
(『幻の大発見』 アーヴィング・M・クロッツ 四釜慶治訳 朝日選書)(一部抜粋)


  水に浮く木片のような不確定で曖昧な浮遊物にたとえられる人間心理は、実際の出来事として歴史の中に存在していた。
 ある事実に対して五十年も真偽の決着がつかなかった事例がある。イギリス・サセックスのピルトダウンでヒトの頭蓋とサルの下顎をもつ骨が発掘され、「初期人類の種」として注目を集めサルとヒトの中間種でミッシング・リンクではないかと考えられた。
 イギリスで一九〇八年から一九一三年にかけて発掘され一九一二年に公表された。その後の一九五〇年にピルトダウンは国の保存史跡という御墨付きまでついたが、それでも長年にわたって真偽はアヤフヤのままだった。その理由が無いわけではなく、その当時の世相として人間とサルの空白時間を埋めるべくミッシング・リンクを探し求めていたという時代背景を考慮する必要がある。また発見の当事者が法律家でありアマチュア考古学者のC・ドーソンという人物で世間でも信用のおける人物と見られていた。発掘に参加してた大英博物館の地質学部長や、古生物学者・思想家のシャルダンなどが手伝っていたことも信用度を高めていた。ところが一九五三年に科学鑑定の結果、それがニセ物であることが判明したのである。
 このピルトダウン事件は考古学的にも有名な話で世界的に知られた逸話である。二十世紀初頭イギリスにおきたピルトダウン事件は、人間とサルの空白時間を埋めるべくミッシング・リンクを探し求めていたという時代背景がダーウインの進化論普及と共にピルトダウンの出現を期待していた社会的心理と相まって実に巧妙に仕組まれた演出であった。その狡智演出を仕組んだプロデューサーはC・ドーソンという人物ではない。彼はたまたまその場に居合わせた考古学好きな人物に過ぎない。 
 五十年もの間、科学鑑定結果が出るまで社会は初期人類の種・ピルトダウンを信じて疑わないのである。その時代にもしダーウインの進化論説が欠けていたなら成し得なかった事件だ。事の起こり、とは度々そのような因子が複合するケースが多い。 
 仕組まれたワナにしては問題が大きすぎた。この事件で一番驚いたのはおそらく当事者のドーソンではなかったか。その功罪によって自分の名が世界に知れ渡るとは思ってもいなかったに違いない。フォックス博士の講演は、良い教師なるものを特徴づけている特質とはったい何であるのか、という問題を提起したものである。それは結果的に「実質的な内容を何一つ伝えないこともありうる」、そのことを如実に物語る例としてアーヴィング・クロッツ氏は教えてくれる。
 その実験をよく観察してみれば、近似する実際の出来事がすでにあった。イギリスのピルトダウン事件をフォックス博士の講演と重ねてみれば、教師がドーソンで生徒である聴衆は社会というスケールの大きさだった。その一大講義の内容とは、講演者とそして聴衆のいずれもが大真面目で、そこに画策の意図はどこにもなかった。そのことが結果的に問題を大きくしている。かくしてピルトダウン講演は完璧な舞台設定で、しかもそれは五十年後の科学鑑定によってニセ物であるというレポートのアンケートが提出されたのだ。
 ピルトダウンの端緒はイギリスで一九〇八年から一九一三年に発掘されたものだ。二十世紀初頭という時代は物理科学分野において目覚ましい成果が次々に発見発表されていた時代である。
 一九〇〇年フランスのヴィラールがガンマ線を検出、一九〇一年X線のレントゲン、一九〇三年放射能研究でキュリー夫妻がノーべル賞を授与、一九〇五年アインシュタインの特殊相対性理論と、現代の科学社会に欠かせない新しい発見と理論が提唱されている。そうした時代の中にあった集団社会の心理は「もっと何かあるのでは」という期待感を抱いてしまう。真偽のほどはともかくとして、その時間帯にポッカリ空いたエポックを埋めるに必要なモノを求める集団心理は、誰も画策することのできない偶然ともいうべき連鎖が成せる所作であるに違いない。すると、その場に嵌まってしまった当人は、すっかりその気になってしまう。実質的な内容を何一つ伝えないこともありうる、と人間心理を分析したクロッツ氏は、そのことを指摘したものではないがフォックス博士の講演とピルトダウン事件は類型なのである。
 では社会とは何を基準にして世相に蔓延する情報の真偽を選定し、また、真実と思われている概念をどの様に検証しているのだろうか。その中でフォックス博士のような人物が社会の中に密かに潜伏し、したり顔をして笑ってはいないだろうか。狭義の意味で詐欺行為がそれに当たるが、それはもっぱら個人が自分の欲得のために少数の人間に被害を与えるものだか、広範囲で思想的な欺き行為は社会を巻き込んだ人間心理の意表を突く。
 過去百年前程度の歴史的事実を現代時間で語るとき、それらに関する情報は整然と整理され比較的正しい結論を導くことができるが、二千年前の歴史となるとそうはいかない。 西洋史を語るときアレクサンドロス大王伝説は避けて通れない武勇伝となっているが、強大な力を誇った故に伝説は真実のごとく信じられている。
 それについてフロイトは自分の精神医学の観点からアレクサンドロス大王伝説を引用して聴衆に訴えかけている。
 フロイトの講演から
 「みなさんが精神医学の講義ではなく、歴史の講義を聞きにきており、講演者はアレクサンドロス大王の生涯と戦功とについて話しているとする。その場合皆さんはいかなる根拠からして講演者の話すことに信を置こうとなさるのでしょうか。事態は精神分析の場合よりも、ずっと不利ではないでしょうか。
 なぜなら、歴史学の教授は、アレクサンドロス大王の遠征に参加しなかった点では、皆さんと全く同じだからです。ところが、精神分析の方は少なくとも、自分が直接に携わった事について、皆さんに報告しているのです。 
 しかしそうなると次に、それなら歴史学者を信じていいとする根拠は何かという問題が生じてくるでしょう。歴史学者は、皆さんにアレクサンドロス大王と同時代、あるいは少なくとも問題の事件からそう遠くない時代の著者たちの報告を、すなわち、ディオドールス、プルタルコス、アリアーノスなどの書を見ることを薦めるでしょうし、また保存されている大王の貨幣や肖像の複製を示したり、イッソスの戦いを描いたポンペイ出土のモザイクの写真を回覧させることもできるわけです。 
 しかし厳密にいえば、これらの記録はすべて、昔の人々がアレクサンドロス大王を実在の人物とし、その戦功を事実として信じてきたということを証明するにすぎないのです。しかし、皆さんはここで新たに批判を加えられる。その結果、アレクサンドロス大王についての報告は、すべてが信じられるものでもなく、細かい点は確かめてみなければ、ならないということも判るでしょう。けれども私には皆さんがアレクサンドロス大王の実在に関して疑いをもちながら、この講堂を去られるだろうなどとは到底考えられません」。
 (『精神分析入門』上 フロイト 高橋義孝 下坂幸三訳 新潮文庫)

  ちなみにアレクサンドロス大王は紀元前三五六年から前三二三年に生存した人物とされている。二十歳で即位しギリシアを征服、ペルシア王ダレイオスの軍を征服、その後もシリア・エジプト・ペルシアを征服しインドまで遠征しバビロンに凱旋。王の戦果によってギリシア文化は東方にまで伝播したとされる歴史的伝説偉人となっている。
 フロイトが述べるように「これらの記録はすべて、昔の人々がアレクサンドロス大王を実在の人物とし、その戦功を事実として信じてきたということを証明するにすぎない」、と語っているように、それはあたかも歴史上の真実である、と信じている事に疑問の余地がある、との指摘にほかならない。
 これまで語ってきた例は国外の情報に拠っているが、現代の日本でも同じような事が起きている。人間心理は洋の東西を問わないのである。
 その国内考古学事件は数年前に発覚した。この世界は地道な調査と相当な時間を必要とし、それまで積上げてきた「実績」の過去を遡れば根の深さに慟哭する。


 問題の原稿掲載は翌年の三十四号だった。『悠久・時の間に』とした題名から察することができるが、日本の歴史に六十万年前の最古の遺跡が発見されたことの衝撃的気持ちをそのまま文にした。平成十年十一月四日の新聞報道をもとに執筆し平成十一年三月の三十四号に載ったその冊子は各会員のもとに送り届けられている。その時点で社会的センセーショナル事件が起きようとは誰が予想しただろうか。
 槙田氏が三十四号の『悠久・時の間に』に書いた、その部分の原稿内容は新聞記事の全文転載ではない。しかし、当時の「信憑性」を明確にするためこの場では全文を載せて、信じるに足る、ものであることを証明しなければならない。

 「最古」の下に原人の石器・「六十万年前」さらに古く、加工作業痕も…

 約六十万年前の日本最古の遺跡とされる宮城県築館町の上高森遺跡を発掘調査している民間考古学研究団体・東北旧石器文化研究所(鎌田俊昭代表)と東北福祉大考古学研究会(梶原洋教授)の合同調査団は三日、さらに古い約六十三万〜七十八万年前の地層から両面を加工した石片や尖頭器など石器十一点が出土した、と発表した。
 また、現地で原石の加工作業をした痕跡もあり、藤村新一調査団長(四八)は、「時代をさかのぼっただけでなく、旧石器時代の原人の生活の痕跡を調べる上で貴重な資料」と話している。
  今回の石器は、一九九五年に出土した約六十万年前のものとされる石器群が出た約五十六万〜六十二万年前の地層の直下の地層で見つかった。九五年の石器群の北東約十メートルという至近距離だった。
 出土したのは三角すい状の尖頭器(底辺の三角形の一辺一センチ、長さ約三センチ)や、子どもの握りこぶし大のメノウ、長さ二〜三・五センチのメノウの剥片、碧玉、頁岩などで、三メートル四方の範囲に散らばっていた。また、メノウ片のうち、二個は、子どもの握りこぶし大のメノウと接合部が一致し打ちつけた跡があることから「この場所で割るなど、加工作業をした状況が考えられる」という。石器加工の作業痕跡は、十二万〜十三万年前とされる同県古川市の馬場壇遺跡のものが、これまで最古とされている。藤村団長は「今後の調査次第では、新たな発見もあり得る。正確な年代を判明させ、当時の原人がどのような生活をしていたか、復元していきたい」と話している。
  発掘を指導した芹沢長介・東北大学名誉教授の話
「メノウのかけらが出土したことからみて、この場所で石器を作っていた可能性が高い。この時代の人類の生活実態は分かっていないことが多く、意義深い。今後、石器を保管した跡、住居や火、動物解体の痕跡が見つかる可能性もある」 (平成十年十一月四日付 読売新聞)
  読売新聞の記事を採用したものだが、他の新聞社も似たり寄ったりの記事内容である。この報道が真意でないと誰が思うだろうか。しかしこれが捏造事件の序章であった。それ以降の騒ぎは誰でも身に覚えのある事件であったのだか、当時のセンセーショナル事件は今となっては色褪せた。だか関係当事者にとっては心のキズは深いはずだ。熱のすっかり冷めた今、冷静な見解が出されていいはず、だが。
 かくして張本人の元副理事は極悪人・諸悪の根源を一手に引き受けた。かつて神の手を持つ、ともてはやされた人物が泣いて詫びる姿に誰も同情しない。奈落の底に落ちようとする人間に石を持たせようとしている。結果論、批判論がその後、無尽蔵のように出てくるのは世のならわしだ。
 三十年間だまされた、教科書にウソの記載、研究者は共犯者、一種の集団心理による共犯構造だか止めることができない、マスコミも反省の余地アリ、国民皆が騙された、と既に提示されている結果についての諸々の批判論は、わかりきっている答の「1+1は2」を細かく解説しているよううなものだった。
 では二という答を批判する側は何故三十年間も出すことができなかったのだろうか。そこにイギリスのピルトダウン事件とは違った事情が隠されていた。
 竹岡俊樹・共立女子大学講師、「日本の考古学界は学術研究の団体というより、お茶の家元制度のような体質をもっていました。偉い先生のいうことには従って、異論を唱えない。議論によって研究をより深めるという姿勢がない。私の批判論文も、竹岡さんは違うから、と言われて終りです」。
 馬場悠男・国立科学博物館人類研究部部長、「これは考古学界に限りませんが、日本の学会で下手に逆らうと一生冷や飯を食うことになる」。

 これらの見解は文芸春秋二〇〇二年八月号の「旧石器捏造で考古学の曲がり角」に発表されたものだ。それでは斜に構えた見方をすれば、国民皆が騙された理由とは考古学界の家元制度的体質に三十年間お茶を飲まされていた被害者意識ということになり、また日本の考古学界には誰一人として冷や飯を食おうとする熱血漢がいなかった、ということか。 いずれにせよ、すでに冷めてしまった捏造事件の背後には意図的にメディアを利用し、有名な研究者の名を盾に専門家が大々的に会見をして記者たちもそれを信じた、という結論を竹岡俊樹氏が述べている。総括的な意見は一律平均的で日本的でもある。 

  おこるべくして起こった事件は最終的に分析可能である。イギリスのピルトダウン事件と違う事情の、もう一点はそこにもある。社会の期待に応えた偽証ではなく、お家騒動のツケ回しが結果を生んでしまったという体質を遺憾なく発揮したのである。それはまた日本人的体質と呼んでいいのかも知れない。そうした話題をたとえば政治、一流企業の内部体質、ブランド銀行などに被せてみても全く違和感がない。よく日本人には顔がない、と外国人から揶揄されるが、まことにもって正鵠を得たフォーカス表現なのである。顔がない人間とは、顔を外しているからだ。自分の顔に責任が持てない。そんなことを羅列していると野依教授の言葉が浮かんできた。「日本人に独創性なしとする文化人マスメディアの自虐的な偏見態度」、その一言で用が足りる。

 研究分野がまったく異なる解剖学の養老孟氏はゾウムシの研究をしているようだ。旧石器時代の考古学と何の関係があるのか、と問われれば何の関係もない。いや、まったくないとは言い切れない。最近弥生時代の頭骨化石から脳繊維が発見されたというから、さぞかし氏も興味があることだろう。
 話しはそれではなく養老孟氏のゾウムシ研究が考古学界の人間臭さと対極にあり、清楚な爽快感を漂わせているので食後のシャーベットと同様、脳にもデサートが必要と感じたのだ。養老孟氏のゾウムシ研究は仕事ではなく趣味らしい。意味があるようで意味のない時間に入り込むのが、その境地であるそうだ。ゾウムシの標本は一万匹あると自慢する。一万匹とはタダ事ではない。
  それが趣味というからすでに遊びを越えた真のアソビの域に達している。「気になって四十年、死ぬまでに片づけちゃおうと思ってね、ここ五・六年集中して取り組んでいる。ゾウムシのことを本にまとめる予定はないです。そう考えるとと邪念が入る。一文にもならない。誰にやらされているわけでもない。虫をいじっている時は、私自身が生きている時間そのものなので」、と平然と構える。専門の脳研究について、脳についてどれくらいわかりましたかという質問に、それはわからないと答える。どこまで、という終りがないから研究成果も同じという。「でも、少しずつわかる。がけを登るように一歩上がれば一歩分だけみえる。それが学問です」。・・・






                                                  2012/1/21  〜  2012/4/23  
クール・ジャパン」とはなにか
 クール・ジャパンはクールではない
「クール・ジャパン」とはなにか。それは、アニメやゲーム、ファッションなど、伝統的な日本の魅力からは離れた、しかし国際的に強い競争力をもっている現代日本の先端的なソフト産業について、政策的観点を加えて論じられるときに使われる言葉である。
「コンテンツ政策」「知財立国」などと深い関連のある言葉だ。海外でアニメやゲームが強いのはいまに始まったことではない。
それがなぜ2000年代に入って、突然のように話題にされるようになったのか。その理由は、アニメやゲームの市場がいまや無視できない大きさになり、作品の質も急速に向上してきたから――だといいのだが、実際は異なる。現在のコンテンツ政策の盛り上がりは、外圧をきっかけにしている。
2002年に、アメリカの若いジャーナリスト、ダグラス・マグレイが『日本のグロス・ナショナル・クール』と題する小論を英語圏で発表した。
それが翌年に日本語に訳され、政策担当者の関心を惹きつけた。「クール・ジャパン」と言われ始めたのはこの時期で、それ以降、彼の名前はあちこちで引用されるようになる。
ところが、その論文は拍子抜けするほど一般論しか述べていない。それは当然で、マグレイは日本の研究家でもなければ、コンテンツ産業専門のジャーナリストというわけでもない。筆者は2005年にマグレイに会ったが、彼自身も日本での過剰な評価に戸惑っていた。
この事態はむしろ、海外からのお墨付きを大事にする、日本の政策担当者の独特のスタンスを証明している。
そもそも、日本ではあまり語られないが、「クール・ジャパン」という言葉自体が、1990年代のイギリスで展開された「クール・ブリタニア」のまね、というかパクリなのである。クール・ブリタニアは一定の内実を伴った政策だったが、クール・ジャパンはその足下にも及ばない。日本から新たな価値の発信を、などと言っても、その中核のキャッチフレーズが物まねではどうしようもない。
確かに、日本のポップカルチャーは高い競争力をもっている。しかし、その力は別に2000年代に強くなったわけではない。むしろいまや、日本起源の感性があまりに拡がったため、コンテンツ産業の一部はすでに衰え始めているようにも見える。
もし、いまの日本にクールな部分があるとすれば、それは、「クール・ジャパン」などという言葉に踊らされている人々には、決して見えない場所に潜んでいることだろう。
メディア芸術プラザ”MAP”
 
http://plaza.bunka.go.jp/museum/beyond/vol1/

 東 浩紀 (あずま・ひろき) 1971年東京生まれ。批評家。東京工業大学特任教授。現代思想、現代社会論、サブカルチャー論など幅広く執筆中。1999年度サントリー学芸賞(思想・歴史部門)受賞。著書に『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』『東京から考える』『コンテンツの思想』など多数。
  
 メディア芸術プラザ ”MAP” 閉鎖のお知らせ
日頃から、メディア芸術プラザ ”MAP” をご利用いただきありがとうございます。
平成11 年に開設し、多くの方にご利用いただきました「メディア芸術プラザ”MAP”
http://plaza.bunka.go.jp/)」ですが、諸般の事情により、平成24 年4 月下旬をもってサイトを閉鎖することになりました。これまで長きにわたりまして、ご利用いただきました皆様、サイト運営にご協力いただきました皆様に、深く感謝申し上げます。
なお、サイトは閉鎖いたしますが、過去の文化庁メディア芸術祭に関する情報(受賞作品、推薦作品、地方展、海外展など) につきましては、文化庁ホームページ
http://www.bunka.go.jp/)への移行を予定しております。
引き続きご利用、ご協力をお願い申し上げます。
平成24 年3 月16 日 文 化 庁 【本件に関するお問い合わせ先】
文化庁文化部芸術文化課支援推進室 メディア芸術交流係 
TEL 03-5253-4111(内3031)
FAX 03-6734-3815



 村上隆が朝日新聞で「クール・ジャパン」大批判
 「クール・ジャパン」とは、ゲーム・漫画・アニメなど日本独自のポップカルチャーを指す言葉で、海外で高い評価を受けている動きを指す。
 村上さんは、2012年1月17日の朝日新聞に掲載されたロングインタビューで、『クール・ジャパン』なんて外国では誰も言っていません。うそ、流言ですと、一刀両断したのだ。
 「お前が言うな」とネット炎上現代美術家、村上隆さん(49)の「クール・ジャパン」に対する発言がネットで波紋を広げている。
 2012年1月18日 20:31 (J-CASTニュース)
 
 
 その内容の記事はこうだ。 ■到底ビジネスのレベルではない。
村上さんは、アニメ、フィギュアなどオタク的な題材を用いた作品で知られる現代美術家で、海外でフィギュアが約16億円で落札されるなど、日本だけでなく海外での評価も極めて高い。
代表作として、ルイ・ヴィトンとのコラボレーション作品に使われたキャラクター「お花」など、ポップで愛らしいキャラクターがあるが、その一方で「オタク文化を利用し商売している」と、長年、日本のオタク層からは批判を受けてきた。

 もともと「犬猿の仲」だったオタク含めネット住民から非難が殺到した。 
「クール・ジャパンが虚構だという意見には賛成だが、お前が言うな」
「こいつの作品も『日本ありき』だと、誰だってすぐに分かる」
「まさかの発言www」
「ならオメーのガラクタの異常な高値はなんなんだよw 」 etc。

 では、「クール・ジャパン」とは何か・・・
クリエイティブ産業政策世界が共感する「クール・ジャパン」の海外進出促進、クリエイティブ産業の育成や国内外への発信などの施策を業種横断的、政府横断的に推進しています。

 インタビュー村上隆の発言 「『クール・ジャパン』なんて外国では誰も言っていません」
「日本人が自尊心を満たすために勝手にでっち上げているだけ。広告会社の公的資金の受け皿としてのキャッチコピーに過ぎない」
「少しずつ海外で理解され始めてはいますが、ごく一部のマニアにとどまり、到底ビジネスのレベルに達していない」
と、自身が思う海外における日本文化の現状を伝えた。
 そのうえで、「僕は村上隆という一人の芸術家として海外で注目されているのであって、クール・ジャパンとは何の関係もない」
と答えたのだ。
 おそらくこの発言が「ならオメーのガラクタの異常な高値はなんなんだよ」、という意見に換言されたのだろう。
 この「異常な高値」とは、氏自身が欧米のしたたかなブローカー相手に、自らか開拓した美術界市場であり、この分野で日本人誰一人としてその門戸をこじ開けられなかった処女地であることは周知ではなく、ネット発言者もそれを知らないだろう。
 だからこそ、
 「『クール・ジャパン』なんて外国では誰も言っていません」
 「日本人が自尊心を満たすために勝手にでっち上げているだけ。
 広告会社の公的資金の受け皿としてのキャッチコピーに過ぎない」
 「少しずつ海外で理解され始めてはいますが、ごく一部のマニアにとどまり、
 到底ビジネスのレベルに達していない」
 というコメントになったのだろう。
 さらに続いて、
 村上さんは「3・11を経て、以前のように楽して生きられない時代になった・・・行動を起こすときだと思います」ときっぱり。大震災後の日本をテーマにいま全長100メートルの「五百羅漢図」を製作中であることを明かした。そして、サブカルチャーやオタク文化は「平和な日常」から生まれてきた「あだ花のような文化」であり、日本の現状を「ぬるい」と指弾したのだ。
 
「日本の美を解析して、世界の人々が『これは日本の美だな』と理解できるように、かみ砕いて作品をつくっていることだと思います。僕は、戦後日本に勃興したアニメやオタク文化と、江戸期の伝統的絵画を同じレベルで考えて結びつけ、それを西洋美術史の文脈にマッチするよう構築し直して作品化するということを戦略的に細かにやってきました。それが僕のオリジナリティーです」 。
 
 それでも、日本政府は「クール・ジャパン」のアニメや玩具、ファッションなどを海外に売り出そうとしています。
 「それは、広告会社など一部の人間の金もうけになるだけ。アーティストには還元されませんし、税金の無駄遣いです。今やアニメやゲームなどの業界は、他国にシェアを奪われて、統合合併が相次ぎ、惨憺(さんたん)たる状態。クリエーターの報酬もきわめて低いうえ、作業を海外に下請けに出すから、人材も育たない。地盤沈下まっただ中です。」と氏は言う。
 
「日本の場合、教育に目を向けても、美術大学は無根拠な自由ばかりを尊重して、学生に何らの方向性も示さない。芸術には鍛錬や修業が必要なのに、その指導もできない。少子化や国立大学の法人化で、学生がお客さんになってしまい、教師は学生に迎合している。お陰で、あいさつさえまともにできず、独りよがりの稚拙な作品しかつくれない学生ばかりが世に送り出される。先鋭的なものは何も生まれてこない。だから、世界に出ていって通用する芸術家が日本にはほとんどいないんです」 。
 「原発事故による放射能汚染で、日本の国土の中に、人が立ち入ることができない土地が出現してしまった。政府はそこに自衛隊などを行かせて、被曝(ひばく)させながら除染と称して政治的にアピールする。放射能汚染はいまだに各地に広がり続けています。それなのに野田首相は原発事故の収束を宣言し、安全だと言い張る。それはうそです。危険性はわかっているはずなのに、政府はうそを言い、メディアはそのまま報道する。僕はアーティストですから、しがらみもなく、間違いは間違いと言える。国際社会で言い続けます。そういう活動家になる」 。
 五百羅漢図
 「縦3メートル、横1メートルのキャンバスに描いて、それを100枚つなげて作品にします。約100人のスタッフに指示を出しながら制作しています。カタール政府が日本との国交樹立40周年の記念イベントとして首都ドーハで僕の大規模な個展を2月9日から開催してくれるので、そこに展示します。観光立国を目指すカタールには、世界中から人が集まる。3・11のメモリアルな作品として、一人でも多くの人に見てほしい」、と村上隆は力説した。
「五百羅漢図」・カタール政府が日本との国交樹立40周年の記念イベントとして首都ドーハで僕の大規模な個展を2月9日から開催。

インタビュー抜粋 朝日新聞デジタル参照
http://digital.asahi.com/articles/TKY201201160436.html


〜クール・ジャパン〜

第2回 地域オープンミニシンポジウム IN 京都
「京都発クリエイティブシティ創出に向けて」 2012年2月3日(金)午後2時〜4時
「クール・ジャパン官民有識者会議」提言に基づいて各種施策をすすめています。
氏名、所属(社名・大学名等)、連絡先(メールアドレス・電話番号)を
記載の上、タイトルを『第2回地域OMS参加登録』とし、
creative_symp@nri.co.jpにご連絡ください。
尚、定員は100名となっており、定員に達し次第、受付を締め切らせていただきます。
また定員に達した場合でも、当日座席に余裕が生じた場合は随時ご入場いただけます。
会場の状況については、当日twitter上(@creative_oms)で配信させていただきますので、そちらをご確認くださいますようお願いいたします。
(経済産業省 
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/index.htm)

以上の記事はライブドア ブログに載せた記事を再構成したものである。
「村上隆クールジャパン」 2012年01月19日18:25 
http://blog.livedoor.jp/raki333/

2010/10/15
「歴史遺産への侮辱」
極右がベルサイユ宮殿で村上隆氏の作品展に抗議行動 (3)
 フランスの極右系団体のメンバー約20人が抗議行動を行った。 産経ニュース 2010.9.15 09:59 記事
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100915/erp1009151000005-n1.htm


           
9日、ベルサイユ宮殿の「鏡の間」で公開された村上隆さんの作品「フラワー・マタンゴ」(共同)



        
  宮殿庭園に村上隆さんの作品 「金の巨大カッパ」 






 旧・ユークリッドファイル
 
index〜

2p68fil〜