The Unbalanced Hunters
―戦士二人―
〜炎が舞い降りた日〜著:ランドール
開幕 〜陽は翳り、火は爆ぜり〜
焚き火の炎には、息吹を感じるのです。
暖を取ったり調理をしたりする他に、一日の汚れを拭うためのお湯を沸かしたり、安全な眠りを守る獣避けの役目まで担ってくれます。
――そう、これは奪うためではなく、守るためにこそ盛る炎なのです。
ゆるりとした揺らめきには、命の柔らかさを。
小気味良く爆ぜる音には、心の躍動を。
見守ってくれる色には、想いの丈を。
静謐な闇夜にあっても生命の息吹を撒いて止まない、そんな炎の世界があるのでした。
「不思議……同じハリの木が燃えているのに、こんなにも落ち着くなんて。
ちっとも悲しくなんて無い……きっとこれは、お父さんとお母さんの炎」
――3週間。この時間が長いか短いかは、6年分の人生経験をすっぽり落としてきてしまった私には、てんでわかりませんけれど。
あの炎の世界の記憶は、今もまだ思い出には変わろうとせずに、心の中で紅く焼ける火種となって燻っているのがわかります。
ともすれば、ふとした拍子に、また燃え上がるのかもしれません。
例えばそう――辛いという気持ちや苦しいという気持ちを糧とした、黒く蠢く炎が。
いつか私自身を覆いつくしてしまうような、沈黙よりも重くて影よりも仄暗い、そんな炎が。
私が炎の子供である限り……ずっとずっとずうっと、この火種は消えないのかもしれません。
――それでも、と。私は思うのです。
「こんなふうになりたいと言ったら、笑いますか?」
「否。己が目指すべき道を見出すとは、天晴れだ。
なるが良い、ソナタが望むままの炎に。御両親もきっと、見守っていてくれるだろう」
打てば響く答えを返してくれるのは、いつもの仏頂面でした。
――大丈夫。孤独という悲しみだけは、どこにもありえませんから、と。
胸の真ん中で、とくん、と小さな灯火が揺れるのを感じながら、私は悪戯っぽく微笑むのでした。
「うん、きっとそうですね……ありがとう、ユウ。
でも、両親公認の仲と言えるまでには、もう少しステップを踏まないとダメですよ?」
「……ソナタには敵わんと、つくづく思うようになったぞ」
半ば以上、いいえ、九分九厘間違いなく、ユウの本音でした。
リオレウスを圧倒した剣士をもってさえ、この幼子には本当に舌を巻いているのです。それも、良い意味悪い意味、双方において。
――旅立ってからの日々は、決して、過ごしやすいものでも快適なものではありませんでした。
肉の焼き方、魚の捌き方、食べられる野草の区別の仕方、即席の寝床の作り方、等々。そんな生きる術の学習と実践の繰り返しが、朝から晩まで延々と続くような毎日だったのですけれど。
この黒髪の小戦士は、火に薪がくべられたような勢いで、あっという間にそれらの知識を自分の力としていったのです。しかも、恐ろしいことに……
「そういえば、この分だと明日の昼頃には次の村に着きますね。コルック村、でしたか?」
「む? 全くもってその通りだが……何たる迂闊。予定を話した記憶がとんと出てこぬわ」
「いえいえ。ただ最初の日に見せてもらった地図と、歩いてきた道のりとを比べたら、何となく」
「なんと……?」
――そう。一度見聞きしたことを、決して『忘れない』のです。
ひょっとすると、記憶の欠落の影響でしょうか。
はたまた、そもそも備えていた資質なのでしょうか。
あるいは、再び大切なモノを忘れてしまうことを恐れているのでしょうか。
(ともすれば、傷さえ……痛みの有り様でさえ、零れ落とすまいとしているのだろう。
だとすれば、この小さな身の中で、どれほど雄々しい戦いが巻き起こっているのか…)
想像するたびに、ユウは、ある種の尊敬を感じるのです。
――まさしく、それは戦士たる矜持であろう、と。
そして、斬破刀に負けぬほどに強固な刃を心に抱き、誓うのです。
――守り抜く。この気高き魂に脆弱な肉体が追いつくまでのしばしの間を、と。
「まあ……何にせよ、今日は早めに休むのが良いだろう。コルックは大きい村だ。
珍しい物も出回っているゆえ、見て歩く時間が多いに越したことはあるまい?」
「もちろんです。レディの買い物に妥協の二文字は無いですからね」
「……お手柔らかに頼む」
ぺろっと真っ赤な舌を出されてユウが絶望的な気分に陥ったのは、ここでは秘密です。
「おやすみなさい、良い夢を」
「うむ、おやすみ」
そうして、たちまち2人は眠りに落ち。
後に残された温かな焚き火だけが、やんわりと寝ずの番に付いたのでした。
――さて、皆様。ハンター、という言葉を知っているでしょうか。
「モンスターを狩ったり、珍しい品を探したりする職業だね」
と、どこかの誰かが言いました。
「生き様だ。飛竜と対峙する高揚感、地に伏せさせた時の充実感、
そうして富と名声を手にした時の満足感、これらが全てさ……最高だろう?」
と、別の誰かが言いました。
「結局はヤクザな商売ですね。ハイリスクハイリターン、命をチップに大穴狙いですよ」
と、他の誰かが言いました。
「力無き勇気は無力でしかなく、想い無き力という脅威の前に屈するのみか?
否! 断じて、否! 我はその勇気に添う剣であり、脅威を阻む盾でありたいと、切に願う」
と、隣でユウが言いました。
――そして小さな私は、まだ、この問いに答える言葉を持ってはいないのです。
それでも。陽炎のように朧だけれど、火種のように確実な何かを。
私の心にしっかと与えてくれるような、そんな出来事が起こったのでした。
これは、ごくごく小さな世界での、ちっぽけな戦いのお話です。
恐るべき飛竜と戦う勇者の物語でも、両手に余る人々を守り抜く英雄の逸話でもありません。
ただ。怒りでも悲しみでもなく、微かな決意だけを胸に一歩を踏み出す、そんなお話です。
それでもよければ、さあさ、始めましょうか。
耳と、友達と、炎と、老人と……
何よりも、そう――コルック村より始まる、私のハンターとしての初仕事のお話を。
暖を取ったり調理をしたりする他に、一日の汚れを拭うためのお湯を沸かしたり、安全な眠りを守る獣避けの役目まで担ってくれます。
――そう、これは奪うためではなく、守るためにこそ盛る炎なのです。
ゆるりとした揺らめきには、命の柔らかさを。
小気味良く爆ぜる音には、心の躍動を。
見守ってくれる色には、想いの丈を。
静謐な闇夜にあっても生命の息吹を撒いて止まない、そんな炎の世界があるのでした。
「不思議……同じハリの木が燃えているのに、こんなにも落ち着くなんて。
ちっとも悲しくなんて無い……きっとこれは、お父さんとお母さんの炎」
――3週間。この時間が長いか短いかは、6年分の人生経験をすっぽり落としてきてしまった私には、てんでわかりませんけれど。
あの炎の世界の記憶は、今もまだ思い出には変わろうとせずに、心の中で紅く焼ける火種となって燻っているのがわかります。
ともすれば、ふとした拍子に、また燃え上がるのかもしれません。
例えばそう――辛いという気持ちや苦しいという気持ちを糧とした、黒く蠢く炎が。
いつか私自身を覆いつくしてしまうような、沈黙よりも重くて影よりも仄暗い、そんな炎が。
私が炎の子供である限り……ずっとずっとずうっと、この火種は消えないのかもしれません。
――それでも、と。私は思うのです。
「こんなふうになりたいと言ったら、笑いますか?」
「否。己が目指すべき道を見出すとは、天晴れだ。
なるが良い、ソナタが望むままの炎に。御両親もきっと、見守っていてくれるだろう」
打てば響く答えを返してくれるのは、いつもの仏頂面でした。
――大丈夫。孤独という悲しみだけは、どこにもありえませんから、と。
胸の真ん中で、とくん、と小さな灯火が揺れるのを感じながら、私は悪戯っぽく微笑むのでした。
「うん、きっとそうですね……ありがとう、ユウ。
でも、両親公認の仲と言えるまでには、もう少しステップを踏まないとダメですよ?」
「……ソナタには敵わんと、つくづく思うようになったぞ」
半ば以上、いいえ、九分九厘間違いなく、ユウの本音でした。
リオレウスを圧倒した剣士をもってさえ、この幼子には本当に舌を巻いているのです。それも、良い意味悪い意味、双方において。
――旅立ってからの日々は、決して、過ごしやすいものでも快適なものではありませんでした。
肉の焼き方、魚の捌き方、食べられる野草の区別の仕方、即席の寝床の作り方、等々。そんな生きる術の学習と実践の繰り返しが、朝から晩まで延々と続くような毎日だったのですけれど。
この黒髪の小戦士は、火に薪がくべられたような勢いで、あっという間にそれらの知識を自分の力としていったのです。しかも、恐ろしいことに……
「そういえば、この分だと明日の昼頃には次の村に着きますね。コルック村、でしたか?」
「む? 全くもってその通りだが……何たる迂闊。予定を話した記憶がとんと出てこぬわ」
「いえいえ。ただ最初の日に見せてもらった地図と、歩いてきた道のりとを比べたら、何となく」
「なんと……?」
――そう。一度見聞きしたことを、決して『忘れない』のです。
ひょっとすると、記憶の欠落の影響でしょうか。
はたまた、そもそも備えていた資質なのでしょうか。
あるいは、再び大切なモノを忘れてしまうことを恐れているのでしょうか。
(ともすれば、傷さえ……痛みの有り様でさえ、零れ落とすまいとしているのだろう。
だとすれば、この小さな身の中で、どれほど雄々しい戦いが巻き起こっているのか…)
想像するたびに、ユウは、ある種の尊敬を感じるのです。
――まさしく、それは戦士たる矜持であろう、と。
そして、斬破刀に負けぬほどに強固な刃を心に抱き、誓うのです。
――守り抜く。この気高き魂に脆弱な肉体が追いつくまでのしばしの間を、と。
「まあ……何にせよ、今日は早めに休むのが良いだろう。コルックは大きい村だ。
珍しい物も出回っているゆえ、見て歩く時間が多いに越したことはあるまい?」
「もちろんです。レディの買い物に妥協の二文字は無いですからね」
「……お手柔らかに頼む」
ぺろっと真っ赤な舌を出されてユウが絶望的な気分に陥ったのは、ここでは秘密です。
「おやすみなさい、良い夢を」
「うむ、おやすみ」
そうして、たちまち2人は眠りに落ち。
後に残された温かな焚き火だけが、やんわりと寝ずの番に付いたのでした。
――さて、皆様。ハンター、という言葉を知っているでしょうか。
「モンスターを狩ったり、珍しい品を探したりする職業だね」
と、どこかの誰かが言いました。
「生き様だ。飛竜と対峙する高揚感、地に伏せさせた時の充実感、
そうして富と名声を手にした時の満足感、これらが全てさ……最高だろう?」
と、別の誰かが言いました。
「結局はヤクザな商売ですね。ハイリスクハイリターン、命をチップに大穴狙いですよ」
と、他の誰かが言いました。
「力無き勇気は無力でしかなく、想い無き力という脅威の前に屈するのみか?
否! 断じて、否! 我はその勇気に添う剣であり、脅威を阻む盾でありたいと、切に願う」
と、隣でユウが言いました。
――そして小さな私は、まだ、この問いに答える言葉を持ってはいないのです。
それでも。陽炎のように朧だけれど、火種のように確実な何かを。
私の心にしっかと与えてくれるような、そんな出来事が起こったのでした。
これは、ごくごく小さな世界での、ちっぽけな戦いのお話です。
恐るべき飛竜と戦う勇者の物語でも、両手に余る人々を守り抜く英雄の逸話でもありません。
ただ。怒りでも悲しみでもなく、微かな決意だけを胸に一歩を踏み出す、そんなお話です。
それでもよければ、さあさ、始めましょうか。
耳と、友達と、炎と、老人と……
何よりも、そう――コルック村より始まる、私のハンターとしての初仕事のお話を。
第1幕 〜邂逅はポトフの中で〜
「あの……今日は、お祭りか何かなのですか?」
第一印象は、これでした。
コルック村。
村、と呼ぶのは明らかに違和感を覚えるほど、人と物とでごったがえしているのです。
行き交う人々は、その数が滅多やたらに多いばかりではなく、様々な地域から色々な人種が集まってきているようでした。北の赤い髪の人や南の浅黒い肌の人、西の緑の目の人など、ざっと見渡しただけでも随分と目に賑やかです。
これは『芋を洗うような』というよりは、ありったけの野菜を詰め込んでぐつぐつ煮詰めたポトフみたいな風情かな、と思いつくのは、太陽が一番元気の良い高さで笑っているせいかもしれません。
「ここは、一言でいえば貿易の中継地点なのだ。
だから相応に多様な品々が揃う上、場合によっては街より安いから便利でもある。
そうして人が集まり、集まった人を狙った商売も広がり、結果村は発展していく、というわけだ」
「ふうん、もうここが街の入り口みたいなものなのですね。むしろ出張販売所、でしょうか」
「それは言い得て妙だな」
そうこう話しながら、さっそく散策開始です。
あまりきょろきょろするのはお行儀が良くないかもしれませんけれど、それにしたって、目に付くもの何もかもが、面白くって仕方がありません。
威勢も恰幅も良いおばさんが、四角いスイカみたいな野菜を叩き売りしていたり。
寡黙でがっしりしたおじさんが、むやみに尖った鎧をとんてんかんこんと作成していたり。
怖いくらい笑顔の細長いおにいさんが、瓶に詰まった色とりどりの薬を売っていたり。
下着のような服を着た褐色の肌のおねえさんが、しきりにユウの方に視線を送っていたり。
「……むう。何故、我はつねられているのだ?」
「知りません。レディの習性です」
ちょっと釘を刺しながら、それでも足取り軽く、すてすてさくさくと歩いていきます。
と。
目の前に、急に小山のようなシルエットが浮かびました。
人、ではありません。ユウを5人束ねても足りないくらい大きなイキモノが、ちょっと眠たそうな目をしながら、鎮座しているのです。
「あ……お肉の竜!」
「正しいが間違っているぞ、ソナタ」
そう。これはアプトノスという、それはそれは大人しい草食恐竜なのでした。あんまりにも大人しいので、よく、旅人たちにお肉にされてしまうことで有名なのです。
「アプトノスは、幼少より飼えば人に懐くのだよ。
力があるから、荷物運び兼乗り物として商人たちの間では重宝される」
「へえ……お肉なんて言ったら、失礼でしたね」
と、私たちの話を聞きとがめたわけでもないのでしょうけれど、眠たそうにしていたアプトノスが、ぱちぱちと二回瞬きをして、のっそりと首を伸ばしてきたのでした。
「……ふぉ?」
ふぉ、と言われても困ります。疑問系だと、さらに難問です。
「ええと、とりあえずは、初めましてですね」
レディの花の咲くような笑顔は、種族間を越えて通用したようでした。
アプトノスはなにやら嬉しそうに目を細めて――
「ひゃぅ!?」
ぺろんと、ほっぺたを舐めてきたのです。
小山のように大きいアプトノス、当然ながら舌も大きいので、顔半分がネンチャク草に突っ伏したみたいになってしまいました。
「はぅ〜……」
「ははは、気に入られたようだな」
「笑い事じゃないです……草食のせいなのか何なのか、すっごく青臭い匂いがするし……」
少し恨みを込めてお肉の竜をねめつけると、やっぱり眠たそうな瞳が、それでもいくらか申し訳無さそうに伏せられました。
「いやいや……お嬢さん、これは申し訳ないことをしてしまったねえ」
「ほえ?」
アプトノスは喋れたのね! と感動する寸前で、その陰に座っていたおじいさんに気づきました。
真っ白なお髭とまんまる眼鏡が、温和そうな笑顔にちょこんと添えられています。
「この子はドーガといってね、この通り、ちょっとやんちゃな奴なんだ。
そら、こっちへおいで。ちゃんと顔を洗っておかないと、せっかくの美人さんが台無しだ」
一応ユウの方を窺うと、そうするべきだな、と頷いてくれたので、好意に甘えることにしました。
おじいさんが洗面器に入れてくれたお水はようく冷えていて、しかもお花の香りがふんわりと漂ってくるのです。最近の(というより記憶のほとんどが)野宿続きのせいもあり、何となくお姫様な気分でした。
「うん。綺麗になったね、お嬢さん。ほうら、ドーガもちゃんと謝った謝った」
「ふぉん……」
大きな体に反比例するような、しおらしい声がしました。
「大丈夫。気にしていないから、ね?」
「ふぉ!」
気の良い草食恐竜は、今度は舐める代わりに頬を寄せてきたのでした。
「うん、ドーガは賢いね。ユウよりずっと紳士の才能があるよ」
「ふぉぉぉん♪」
「……さて、御先達は何を商っておられるのだ?」
素晴らしい忍耐力を発揮して1人と1匹を無視し、老人の方に話を振るユウでした。
「ああ、これでも色んなところを回っていてね、剣士さんの使うようなものから、
ちょっと物珍しい特産品、そして生活用品にいたるまで、こうして節操無く並べているわけだよ」
試しに見ていっておくれ、と付け足すことを忘れないあたり、年季の入った商人魂が窺えます。
「ふむ……砥石を切らしていたし、他にもいくつか必要な品があったな」
「私は、特産品の方が見てみたいです」
「ありがとう。ごゆっくりどうぞ」
老商人は、歳相応に年輪の刻まれた顔を、ほころばせたのでした。
さて。
節操無く並べている、と自負するだけあって、商品は多種多様に渡っておりました。
傷薬に虫除け熱さましなどの薬類は当然のこと、ボウガンで打ち出す特殊な弾丸がダース単位でわらわら並んだかと思えば、負けじと爆薬や土木作業用具が存在感を示し、あろうことか火竜の鱗や牙や爪までがどでんと構えているのです。こまごまとした生活用品などはもう、いちいち数えるのが馬鹿らしくなるくらいの勢いで、路肩を席巻しているのでした。
行商、というよりは『一人百貨店』とでも言った方がよほど相応しい、文字通りの万屋さんです。
「む……御先達、この砥石……」
「おやおや、何か品物に問題があったかな?」
「否。これだけ質の高い砥石が、この値段とは……正直なところ、驚いている」
「ははは、歳を取ると、そこそこに目利きも利くものさ。
――物に対しても、人に対しても……ね」
気持ち、声を落としながら、夢中で品々を見ている少女に視線を移します。
「親子にも兄妹にも見えない。理由を聞きはしないが、わけありなんだろうね」
「お察しの通り。あのソナタという娘は……」
「――いやいや。あのお嬢さんだけじゃあない、君自身にも言えるはずだ。違うかい?」
「……」
いつものユウの渋い表情からは程遠い、暗い影のように静かで剣呑な表情が浮かびました。
それを見ても、なお老商人は、柔らかな笑みを絶やそうとはしないのです。
「うん、君は嘘をつけない誠実な人柄のようだ。だからお嬢さんも、あなたをようく信頼している。
でもね、老人の戯言と思って、一つだけ、心に留めておいておくれ。
誠実さゆえに大きな荷を背負いすぎると、歩くのに精一杯で、いつか大切な物が零れ落ちるよ。
そして、零れ落ちてしまってから気づいても……人生というのはね、大抵が手遅れなのさ」
まさしく正しく、箴言、という表現がぴったり嵌まって譲らない言葉でした。
ただ。
正しい言葉であることと、それを素直に受け入れられることとは、さっぱり比例しないのです。
「……ご忠告には感謝いたします。だが……」
みしり、と空気が音を立てて軋んだ刹那でした。
「ユウ、ユウってばユウ! これ見て聞いて触ってみて!」
「ぬお!?」
有無を言わせぬ威力の体当たりでした。
よろけたところで、とどめとばかりに、ずずいっと目の前に正体不明の物体が差し出されます。
『それ』は特大のホットケーキみたいな大きさと形で、綺麗な薄い桃色をしておりました。ソナタがにこにこしながら平気で持っているところを見ると、あまり重たいものではないようです。
さてこれは何だろう、と思いつつ、『それ』を触ってみるや否や……
「この柔らかさ……しっとりとしていながら、確かな弾力。かつ、えも言われぬ滑らかさが?」
「でしょ! マシュマロを柔らかいまま丈夫にして、絹で覆った感じがするの!」
例えがどの程度正確なのかはともかくとして。
この薄桃色の特大ホットケーキ、タダモノではないようです。
「おやおやお嬢さん、お目が高いねえ。それはね、イャンクックの耳なんだよ」
「イャンクック?」
何とも微妙な発音でした。
「飛竜種の末端にして、大怪鳥の異名を取るモンスターだ。炎だって吐くぞ。
性格は案外臆病で……大きな耳とクチバシが特徴とされている。
いや、しかしアレの耳が、よもやこんな逸品だったとは……」
ユウはそのクックさんを見たことがある(イコール戦ったことがある)ような口ぶりでした。
私の頭の中では、薄桃色で優雅に空を飛ぶ火の鳥の姿が浮かんでいるのですけれど、
どうもユウの反応から察するに、実物とは、こげ肉とこんがり肉くらいのギャップがありそうです。
「それはね、火にとても強いものだから、大型のボウガンの逆火を防ぐのに使われるのさ」
「逆火……暴発しないように、ということですね」
「そのとおり、良く知っているね。でも、実はそうするのが勿体無いくらい良い手触りなんだねえ」
これには、私もユウも熱心に頷きます。
「火に強いなら、鍋つかみとか出来ないかな……お料理するのが楽しくなりそう♪」
「すでに買った後の算段か……」
「いいでしょう? ユウ、お・ね・が・い♪」
両手を結んでほっぺたにあて、気持ち首を傾けつつ、上目遣いでちょっぴり不安げな笑顔。
レディの武器をふんだんに利用した必殺の攻撃です。
もちろん、紳士見習いのユウに抵抗する術など無く、
「……御先達、お値段は如何ほどで?」
一刀両断の大勝利なのでした。
けれど……
「ああ、剥ぎ取りに技術がいるものだし、何より希少な品だからねえ……。
どう頑張って捨て値で売っても、3000ゼニーは下らないなあ」
3ヶ月は楽に暮らせる金額でした。最高級鍋つかみの対価としては、法外に過ぎます。
手持ちのお金では全然足りませんし、ユウの刀を質に入れでもしない限り、とても無理です。
子供心にも、ちょっと高すぎたのだなあとわかり、すっぱり諦めるつもりだったのですが……
「くぅ……我としたことが、一生の不覚っ!」
一度了承しかけた手前、思いの他ユウが落ち込んでいるのでした。ひょっとしたら、案外、あの独特の感触が気に入っていたのかもしれません。
「かくなる上は、近間にクック退治の依頼が無いかどうかを……!」
「ううん、ごめんなさい。我侭言って困らせてしまって。ほら、その砥石、買うのですよね?」
「いや……我が斬破刀ならば、まだ幾ばくかは保ってみせるはずだ」
明らかに無理をしているのがわかったので、私はやんわりと首を左右に振りました。
「ダメですよ、必要なものですからね。私の衝動買いなんかと一緒にしてどうするのですか。
それに、お昼ご飯だってまだですし。色々回れば、欲しい物なんていくらでも見つかりますよ」
「……すまない、本当に、すまない」
顔が渋いのを通り越してくしゃくしゃになってきたので、出来る限り背伸びをして、大きな背中をぽむぽむと優しく叩いてあげました。
私の3倍も生きているのに、何とも世話のかかる人です。
「――君たちは、本当に良いコンビなのだねえ」
老商人は砥石を包んで差し出しながら、値段はちょっぴりおまけしたよ、とシニカルに笑い、
「ユウくん、さっきの話は私の杞憂だったようだよ。そのお嬢さんがいれば、君は大丈夫さ」
包みを渡す一瞬に、そんなことを耳打ちしたのでした。
受け取りながら――本当に珍しいことに――ユウは微かではあるものの相好を崩し、
「――御先達、御尊名を伺ってよろしいか?」
「安さと品質と品揃えが自慢の、マックス爺さんだよ」
「承知。マックス老、この村の滞在中に、是非とも一献受けていただきたい」
にっこりと、マックス爺さんは目を細めて、
「そのときは是非、そちらの素敵なレディに、パフェでも奢らせておくれ」
かかか、と快活に笑って見せたのでした。
そんな光景を見ながら、私は。
「泣いたカラスがもう笑ってる……大人ってわからないね、ドーガ」
「ふおふお」
律儀に相槌を打ってくれる草食恐竜の頭を撫でながら、
最後にクックの耳をもう一度だけ、ふよふよと突っついてみたのでした。
第一印象は、これでした。
コルック村。
村、と呼ぶのは明らかに違和感を覚えるほど、人と物とでごったがえしているのです。
行き交う人々は、その数が滅多やたらに多いばかりではなく、様々な地域から色々な人種が集まってきているようでした。北の赤い髪の人や南の浅黒い肌の人、西の緑の目の人など、ざっと見渡しただけでも随分と目に賑やかです。
これは『芋を洗うような』というよりは、ありったけの野菜を詰め込んでぐつぐつ煮詰めたポトフみたいな風情かな、と思いつくのは、太陽が一番元気の良い高さで笑っているせいかもしれません。
「ここは、一言でいえば貿易の中継地点なのだ。
だから相応に多様な品々が揃う上、場合によっては街より安いから便利でもある。
そうして人が集まり、集まった人を狙った商売も広がり、結果村は発展していく、というわけだ」
「ふうん、もうここが街の入り口みたいなものなのですね。むしろ出張販売所、でしょうか」
「それは言い得て妙だな」
そうこう話しながら、さっそく散策開始です。
あまりきょろきょろするのはお行儀が良くないかもしれませんけれど、それにしたって、目に付くもの何もかもが、面白くって仕方がありません。
威勢も恰幅も良いおばさんが、四角いスイカみたいな野菜を叩き売りしていたり。
寡黙でがっしりしたおじさんが、むやみに尖った鎧をとんてんかんこんと作成していたり。
怖いくらい笑顔の細長いおにいさんが、瓶に詰まった色とりどりの薬を売っていたり。
下着のような服を着た褐色の肌のおねえさんが、しきりにユウの方に視線を送っていたり。
「……むう。何故、我はつねられているのだ?」
「知りません。レディの習性です」
ちょっと釘を刺しながら、それでも足取り軽く、すてすてさくさくと歩いていきます。
と。
目の前に、急に小山のようなシルエットが浮かびました。
人、ではありません。ユウを5人束ねても足りないくらい大きなイキモノが、ちょっと眠たそうな目をしながら、鎮座しているのです。
「あ……お肉の竜!」
「正しいが間違っているぞ、ソナタ」
そう。これはアプトノスという、それはそれは大人しい草食恐竜なのでした。あんまりにも大人しいので、よく、旅人たちにお肉にされてしまうことで有名なのです。
「アプトノスは、幼少より飼えば人に懐くのだよ。
力があるから、荷物運び兼乗り物として商人たちの間では重宝される」
「へえ……お肉なんて言ったら、失礼でしたね」
と、私たちの話を聞きとがめたわけでもないのでしょうけれど、眠たそうにしていたアプトノスが、ぱちぱちと二回瞬きをして、のっそりと首を伸ばしてきたのでした。
「……ふぉ?」
ふぉ、と言われても困ります。疑問系だと、さらに難問です。
「ええと、とりあえずは、初めましてですね」
レディの花の咲くような笑顔は、種族間を越えて通用したようでした。
アプトノスはなにやら嬉しそうに目を細めて――
「ひゃぅ!?」
ぺろんと、ほっぺたを舐めてきたのです。
小山のように大きいアプトノス、当然ながら舌も大きいので、顔半分がネンチャク草に突っ伏したみたいになってしまいました。
「はぅ〜……」
「ははは、気に入られたようだな」
「笑い事じゃないです……草食のせいなのか何なのか、すっごく青臭い匂いがするし……」
少し恨みを込めてお肉の竜をねめつけると、やっぱり眠たそうな瞳が、それでもいくらか申し訳無さそうに伏せられました。
「いやいや……お嬢さん、これは申し訳ないことをしてしまったねえ」
「ほえ?」
アプトノスは喋れたのね! と感動する寸前で、その陰に座っていたおじいさんに気づきました。
真っ白なお髭とまんまる眼鏡が、温和そうな笑顔にちょこんと添えられています。
「この子はドーガといってね、この通り、ちょっとやんちゃな奴なんだ。
そら、こっちへおいで。ちゃんと顔を洗っておかないと、せっかくの美人さんが台無しだ」
一応ユウの方を窺うと、そうするべきだな、と頷いてくれたので、好意に甘えることにしました。
おじいさんが洗面器に入れてくれたお水はようく冷えていて、しかもお花の香りがふんわりと漂ってくるのです。最近の(というより記憶のほとんどが)野宿続きのせいもあり、何となくお姫様な気分でした。
「うん。綺麗になったね、お嬢さん。ほうら、ドーガもちゃんと謝った謝った」
「ふぉん……」
大きな体に反比例するような、しおらしい声がしました。
「大丈夫。気にしていないから、ね?」
「ふぉ!」
気の良い草食恐竜は、今度は舐める代わりに頬を寄せてきたのでした。
「うん、ドーガは賢いね。ユウよりずっと紳士の才能があるよ」
「ふぉぉぉん♪」
「……さて、御先達は何を商っておられるのだ?」
素晴らしい忍耐力を発揮して1人と1匹を無視し、老人の方に話を振るユウでした。
「ああ、これでも色んなところを回っていてね、剣士さんの使うようなものから、
ちょっと物珍しい特産品、そして生活用品にいたるまで、こうして節操無く並べているわけだよ」
試しに見ていっておくれ、と付け足すことを忘れないあたり、年季の入った商人魂が窺えます。
「ふむ……砥石を切らしていたし、他にもいくつか必要な品があったな」
「私は、特産品の方が見てみたいです」
「ありがとう。ごゆっくりどうぞ」
老商人は、歳相応に年輪の刻まれた顔を、ほころばせたのでした。
さて。
節操無く並べている、と自負するだけあって、商品は多種多様に渡っておりました。
傷薬に虫除け熱さましなどの薬類は当然のこと、ボウガンで打ち出す特殊な弾丸がダース単位でわらわら並んだかと思えば、負けじと爆薬や土木作業用具が存在感を示し、あろうことか火竜の鱗や牙や爪までがどでんと構えているのです。こまごまとした生活用品などはもう、いちいち数えるのが馬鹿らしくなるくらいの勢いで、路肩を席巻しているのでした。
行商、というよりは『一人百貨店』とでも言った方がよほど相応しい、文字通りの万屋さんです。
「む……御先達、この砥石……」
「おやおや、何か品物に問題があったかな?」
「否。これだけ質の高い砥石が、この値段とは……正直なところ、驚いている」
「ははは、歳を取ると、そこそこに目利きも利くものさ。
――物に対しても、人に対しても……ね」
気持ち、声を落としながら、夢中で品々を見ている少女に視線を移します。
「親子にも兄妹にも見えない。理由を聞きはしないが、わけありなんだろうね」
「お察しの通り。あのソナタという娘は……」
「――いやいや。あのお嬢さんだけじゃあない、君自身にも言えるはずだ。違うかい?」
「……」
いつものユウの渋い表情からは程遠い、暗い影のように静かで剣呑な表情が浮かびました。
それを見ても、なお老商人は、柔らかな笑みを絶やそうとはしないのです。
「うん、君は嘘をつけない誠実な人柄のようだ。だからお嬢さんも、あなたをようく信頼している。
でもね、老人の戯言と思って、一つだけ、心に留めておいておくれ。
誠実さゆえに大きな荷を背負いすぎると、歩くのに精一杯で、いつか大切な物が零れ落ちるよ。
そして、零れ落ちてしまってから気づいても……人生というのはね、大抵が手遅れなのさ」
まさしく正しく、箴言、という表現がぴったり嵌まって譲らない言葉でした。
ただ。
正しい言葉であることと、それを素直に受け入れられることとは、さっぱり比例しないのです。
「……ご忠告には感謝いたします。だが……」
みしり、と空気が音を立てて軋んだ刹那でした。
「ユウ、ユウってばユウ! これ見て聞いて触ってみて!」
「ぬお!?」
有無を言わせぬ威力の体当たりでした。
よろけたところで、とどめとばかりに、ずずいっと目の前に正体不明の物体が差し出されます。
『それ』は特大のホットケーキみたいな大きさと形で、綺麗な薄い桃色をしておりました。ソナタがにこにこしながら平気で持っているところを見ると、あまり重たいものではないようです。
さてこれは何だろう、と思いつつ、『それ』を触ってみるや否や……
「この柔らかさ……しっとりとしていながら、確かな弾力。かつ、えも言われぬ滑らかさが?」
「でしょ! マシュマロを柔らかいまま丈夫にして、絹で覆った感じがするの!」
例えがどの程度正確なのかはともかくとして。
この薄桃色の特大ホットケーキ、タダモノではないようです。
「おやおやお嬢さん、お目が高いねえ。それはね、イャンクックの耳なんだよ」
「イャンクック?」
何とも微妙な発音でした。
「飛竜種の末端にして、大怪鳥の異名を取るモンスターだ。炎だって吐くぞ。
性格は案外臆病で……大きな耳とクチバシが特徴とされている。
いや、しかしアレの耳が、よもやこんな逸品だったとは……」
ユウはそのクックさんを見たことがある(イコール戦ったことがある)ような口ぶりでした。
私の頭の中では、薄桃色で優雅に空を飛ぶ火の鳥の姿が浮かんでいるのですけれど、
どうもユウの反応から察するに、実物とは、こげ肉とこんがり肉くらいのギャップがありそうです。
「それはね、火にとても強いものだから、大型のボウガンの逆火を防ぐのに使われるのさ」
「逆火……暴発しないように、ということですね」
「そのとおり、良く知っているね。でも、実はそうするのが勿体無いくらい良い手触りなんだねえ」
これには、私もユウも熱心に頷きます。
「火に強いなら、鍋つかみとか出来ないかな……お料理するのが楽しくなりそう♪」
「すでに買った後の算段か……」
「いいでしょう? ユウ、お・ね・が・い♪」
両手を結んでほっぺたにあて、気持ち首を傾けつつ、上目遣いでちょっぴり不安げな笑顔。
レディの武器をふんだんに利用した必殺の攻撃です。
もちろん、紳士見習いのユウに抵抗する術など無く、
「……御先達、お値段は如何ほどで?」
一刀両断の大勝利なのでした。
けれど……
「ああ、剥ぎ取りに技術がいるものだし、何より希少な品だからねえ……。
どう頑張って捨て値で売っても、3000ゼニーは下らないなあ」
3ヶ月は楽に暮らせる金額でした。最高級鍋つかみの対価としては、法外に過ぎます。
手持ちのお金では全然足りませんし、ユウの刀を質に入れでもしない限り、とても無理です。
子供心にも、ちょっと高すぎたのだなあとわかり、すっぱり諦めるつもりだったのですが……
「くぅ……我としたことが、一生の不覚っ!」
一度了承しかけた手前、思いの他ユウが落ち込んでいるのでした。ひょっとしたら、案外、あの独特の感触が気に入っていたのかもしれません。
「かくなる上は、近間にクック退治の依頼が無いかどうかを……!」
「ううん、ごめんなさい。我侭言って困らせてしまって。ほら、その砥石、買うのですよね?」
「いや……我が斬破刀ならば、まだ幾ばくかは保ってみせるはずだ」
明らかに無理をしているのがわかったので、私はやんわりと首を左右に振りました。
「ダメですよ、必要なものですからね。私の衝動買いなんかと一緒にしてどうするのですか。
それに、お昼ご飯だってまだですし。色々回れば、欲しい物なんていくらでも見つかりますよ」
「……すまない、本当に、すまない」
顔が渋いのを通り越してくしゃくしゃになってきたので、出来る限り背伸びをして、大きな背中をぽむぽむと優しく叩いてあげました。
私の3倍も生きているのに、何とも世話のかかる人です。
「――君たちは、本当に良いコンビなのだねえ」
老商人は砥石を包んで差し出しながら、値段はちょっぴりおまけしたよ、とシニカルに笑い、
「ユウくん、さっきの話は私の杞憂だったようだよ。そのお嬢さんがいれば、君は大丈夫さ」
包みを渡す一瞬に、そんなことを耳打ちしたのでした。
受け取りながら――本当に珍しいことに――ユウは微かではあるものの相好を崩し、
「――御先達、御尊名を伺ってよろしいか?」
「安さと品質と品揃えが自慢の、マックス爺さんだよ」
「承知。マックス老、この村の滞在中に、是非とも一献受けていただきたい」
にっこりと、マックス爺さんは目を細めて、
「そのときは是非、そちらの素敵なレディに、パフェでも奢らせておくれ」
かかか、と快活に笑って見せたのでした。
そんな光景を見ながら、私は。
「泣いたカラスがもう笑ってる……大人ってわからないね、ドーガ」
「ふおふお」
律儀に相槌を打ってくれる草食恐竜の頭を撫でながら、
最後にクックの耳をもう一度だけ、ふよふよと突っついてみたのでした。
第2幕 〜始まりは、月だけが知っている〜
深い闇の中で、何かが蠢いているのでしょうか。
それとも、蠢く何かが闇を深くしているのでしょうか。
どちらにせよ、『それ』は……いいえ、『それら』は、確実に、迫っていたのでした。
決して統制の取れた動きではなく、かといって無軌道なわけでもなく、ひたひたと、ひたひたと。
――本来的に、『それら』の行動原理は『逃走』のはずなのでした。
自分より強いものからは逃げ。
自分より弱いものを糧とする。
そんな当たり前の本能に則った、一切恥ずべきではない、生存という名の逃走です。
――けれど……いいえ、だからこそ、でしょうか。
例えばそう、目の前の小高い丘の上に、小さな一商隊を確認したのならば。
例えばそう、街の近さに油断しきっていて、完全に無防備だとしたのならば。
例えばそう、すでに『それら』は丘を包囲してしまっているとしたのならば。
逃走はすべからく闘争へと転じ、『それら』は最も強い本能の虜と成り行くことでしょう。
曰く。
ハラガヘッタ、と。
「きしゃああああああ!」
咆哮、驚愕、強襲、混乱、悲鳴、やがて沈黙。
静寂ではありません。あくまでも沈黙、なのです。
がつがつと、貪る音。
わしゃわしゃと、頬張る音。
ごぼごぼと、咀嚼する音。
咆哮よりも雄弁で。
悲鳴よりも救いが無く。
静寂よりよほど残酷な。
そんな沈黙の、音、音、音。
深い闇の中で、何かが蠢いているのでしょうか。
それとも、蠢く何かが闇を深くしているのでしょうか。
その問いに答えうる存在は、もうこの場には無く。
ただ、月明かりに照らし出された『それら』の蒼い鱗だけが揺れ、やがて、夜の中へと溶け消えていったのでした。
それとも、蠢く何かが闇を深くしているのでしょうか。
どちらにせよ、『それ』は……いいえ、『それら』は、確実に、迫っていたのでした。
決して統制の取れた動きではなく、かといって無軌道なわけでもなく、ひたひたと、ひたひたと。
――本来的に、『それら』の行動原理は『逃走』のはずなのでした。
自分より強いものからは逃げ。
自分より弱いものを糧とする。
そんな当たり前の本能に則った、一切恥ずべきではない、生存という名の逃走です。
――けれど……いいえ、だからこそ、でしょうか。
例えばそう、目の前の小高い丘の上に、小さな一商隊を確認したのならば。
例えばそう、街の近さに油断しきっていて、完全に無防備だとしたのならば。
例えばそう、すでに『それら』は丘を包囲してしまっているとしたのならば。
逃走はすべからく闘争へと転じ、『それら』は最も強い本能の虜と成り行くことでしょう。
曰く。
ハラガヘッタ、と。
「きしゃああああああ!」
咆哮、驚愕、強襲、混乱、悲鳴、やがて沈黙。
静寂ではありません。あくまでも沈黙、なのです。
がつがつと、貪る音。
わしゃわしゃと、頬張る音。
ごぼごぼと、咀嚼する音。
咆哮よりも雄弁で。
悲鳴よりも救いが無く。
静寂よりよほど残酷な。
そんな沈黙の、音、音、音。
深い闇の中で、何かが蠢いているのでしょうか。
それとも、蠢く何かが闇を深くしているのでしょうか。
その問いに答えうる存在は、もうこの場には無く。
ただ、月明かりに照らし出された『それら』の蒼い鱗だけが揺れ、やがて、夜の中へと溶け消えていったのでした。
第3幕 〜愛に時間を〜
調合入門 〜調合順序について〜
調合とは通常、2つの異なる材料を混ぜることで、個々には備わっていない性質を発揮させたり、互いに高めあったり、時には変異させたりして、新しい物を作り出す試みのことです。
けれどこれは、単純に掛け合わせれば良いというものではなく、例えば順番が1つ変わるだけでも、調合の結果は劇的に変わってしまうことを覚えておかなければなりません。
例えば、コップに水と氷を入れるとき、先に氷を入れておいてから水を入れるのと、水を入れてから氷を入れるのとでは、水の冷たさや氷の溶け具合は、はたして同じになるでしょうか?
まずはそこから試してみましょう。答えは次のページです。 』
「ふうん……あの、すみません」
「はい」
「実験にご協力下さい」
「は?」
ウェイトレスさんに頼むと、すぐにコップが2つ、運ばれてきました。
「あ……氷が先に入った方が冷たい。氷が、良く溶けて小さくなっているから……そのせいね」
ふむふむと納得し、本に目を戻してページをめくります。
『そう、[先にどちらがコップという領域を満たしていたか]で、それぞれ差が出てきますね。
この[先にあった方の影響が強く出る]という決まりを、[先行材料優勢の法則]と言います。
ただし、併せて覚えておいて欲しいのは、[水を冷たくしたい場合]と[氷を保ちたい]場合とでは、それぞれ順序を逆にしなければなりません。つまり[調合にどんな結果を望むか]という展望が無ければ、この法則を生かして順序を決定することは出来ないのです。
さらに、材料自体も順序に関わってきます。回復薬と回復薬グレートを例に取ってみましょう。
アオキノコと薬草で作る回復薬の場合、[薬草の回復の力を高める]ことが目的ですので、薬草をすり潰したものが先で、後に刻んだアオキノコを加えるという順序になります。
ところが、ハチミツと薬草で作る回復薬グレートの場合、薬草を先にすると、回復の力を高めるどころか打ち消しあってゴミが出来てしまうのです。これはハチミツの潜在的な回復の力、つまり材料としての[格]が薬草より上のため起こる現象で、ハチミツを先にすることにより薬草の[回復する]という力が十二分に吸収されて、結果強力な薬となる、といった具合です。
このような[材料の力関係が順番に影響する]という決まりを[材料間優劣の法則]と言います。
以上の2つが、調合入門の大原則です。ようく、覚えておきましょう。
次ページからは、調合の具体的な手順について触れていきます。 』
「[優勢]に[優劣]ですか……なるほどなるほど」
ぺらり、とページをめくろうとしたところで、
「ふむ……面白いか?」
と、どこか嬉しそうな声がテーブルの向かいからしましたので、私は間髪入れず、
「完全完璧完膚なきまでに、あてつけですよ♪」
正直に、一点の迷いも無く、しかもとびきり凶悪な笑顔でそう答えました。
「なんと……!? よもや、万が一とは思うが……本のジャンルが好みではなかった、と?」
「というか、どうして調合入門書が出てきたのか、未だに理解が追いついていないのですけれど」
話はお昼に遡ります。
お昼ご飯は軽めに済ませ、もう少し歩いてみようというユウの意見には大賛成でしたし、その散策の中で二本足で立って歩く猫さんを見て喝采を上げたり、クックさんの絵を見つけてちょっぴりショックを受けたりと、なかなかに楽しい時間を過ごせたのでした。ただ、旅の疲れと慣れない人ごみのせいで、思いの他ばててしまった私は、一足先に宿で休んでおくことにしたのです。その際、
「我は夕食まで色々見て回るつもりだが……何か、欲しいものはあるか?」
と、ユウが気を使ってくれたものですから、私は遠慮なく頼みました。
「では、夜寝る時に読む御本が欲しいです」
「承知。任せるが良い」
勅命賜った、とでもいうような調子の、力強い頷きでした。
で、夕食時に戻ってきたユウが自信満々に出したのが……例の調合入門書、ということでして。
何というか、そう、子供のささやかな期待をめった斬りにしてくれた感じなのでした。
「普通、夢いっぱいの童話とかロマンティックな昔話とか、そういったものでしょう」
「……そうなのか?」
心底不意を突かれた表情から察するに、そもそもそういった選択肢は浮かんでいなかった模様でした。私がリオレウスだったら辺りは火の海だなあ、と思うくらい、盛大なため息が洩れます。
「この歳で優勢だの優劣だの、法則暗記していたら嫌ですよ。しかも夜寝る前に」
「実用的だと思ったのだが……」
「子供のささやかな娯楽に、実用性を求めないで下さい」
ぷいっと顔を背けると、別のテーブルに座っていたおにいさんと、目が合いました。しかも何故か、慌てて逸らされます。
はてな、と思って周囲を見渡してみると、さして大きくない宿の慎ましやかな食堂内の視線が、どういった冗談か、私たちに集中しているようなのでした。
「不特定多数のやっかみを受けるほどに、ベストカップルなのでしょうか?」
「まあ、大の大人が子供にやりこめられていたら、さぞ目立つのだろうな」
小憎らしいくらい模範解答でした。
「……つまらない人」
「何故!?」
どうしてなじられたのかわからない、といった様子で目を白黒させるユウでしたけれど、レディの心情を切々と説明するつもりはこれっぽっちも起きなかったので、とりあえず、冷たい方のコップの水を飲みました。
「……すまないな。我は、色々と、至らない」
「謝らないで下さい」
「だが……」
「この本、嬉しくないわけでは無いのですよ」
私は、比較的、正直に答えました。
「確かに、ユウのセンスは壊滅的です。破滅的、と言ってもまだ足りないくらいです」
「むう……」
「でも、ね。どれだけ真剣に考えてくれたのかは、ようくわかるのですよ。
私に出来る、たかが知れている選択肢の中から、一番成長に繋がるものを選んでくれました」
言って、調合書をやんわりと撫でます。
「かといって、諸手を上げて褒めることは出来ませんけどね」
「だろうな」
くくく、と噛み殺した笑いが、お互いの口から洩れます。
「学びましょう。私は生きる術を。あなたは乙女心と……出来れば、魅力的な笑い方を」
「それはまた……難問だな」
「そうですね。だから、しばらくは私がやんわりと微笑んでいてあげます。
そのうち、2人で笑えるようになりましょう。1人より、ずっとずっと、楽しそうに」
「悪くないな。では、我は今しばらく、ソナタの分まで戦いに身を投じるとしよう」
「任せます。でも、すぐに追いつきます。その第一歩は、これでしょうか」
回復薬の調合方法が書かれたページを開き、ユウの眼前に掲げます。
「ただ守られっぱなしだなんて、御免ですからね?」
「笑われっぱなしも、御免被りたい」
カラリ、と音を立てて、コップの氷が傾きました。
それは、穏やかであっても変わらず時間は流れているという証明であり、今このときも、何かが確実に成長しているという証明なのでした。
同時に、目の前にある状況は不変のものではない、という意味でもありまして。
「やあ、お2人さん。お邪魔して良いかな?」
声は、私たちに向けられたものでした。
なので、自然、それまで私たちに注がれていた食堂中の視線が、突然の来訪者に集中します。
温和な笑顔にちょこんと乗っかった眼鏡。マックス爺さんです。
もちろん、来訪を断る理由はありませんでしたけれど、たいそう不思議ではありました。
「よく、ここの宿に泊まっているとわかりましたね?」
「なに、君達は自分で思う以上に人の目を惹いているんだよ。
『寡黙な剣士を手玉に取る少女』について聞いて回ったら、すぐにここだとわかったのさ」
かなり嫌な有名人ぶりでした。
「ともあれユウ君、約束どおり一杯やろうか」
「無論のこと」
そうして、2人はホピ酒を注文し、私の前にはチョコレートパフェが運ばれてきました。
大人のお話にはあまり口を突っ込むものではない、という程度の分別はありましたので、私はもっぱら聞き役に回ったのでした。そこには当然、初めて口にするパフェの、やわ雪よろしく舌上でとろけていく感覚を楽しむので忙しかった、という理由もあったのですけれど。
マックス爺さんは、たくさんのお話をしてくれました。
今まで旅をした多くの土地のこと。商品の仕入れのちょっとしたコツのこと。口上で、いかにお客さんの買う気をそそるかというテクニックのこと。ドーガを育ててきた際の苦労話のこと。お孫さんが4人居て、美人さんで知的な長女、元気で正義感の強い長男、天衣無縫で我侭な次女、大人しくて体の弱い三女という内訳であること、などなどです。
「4番目の孫はお嬢さんと同じくらいの歳でね……1つか2つ上、だったかな?
定期的に薬を届けているんだが、幸いなことに今回は、良い薬の材料が手に入ってね」
だから、明日にでもこの村を発つ予定なんだよ、とのことでした。
つまりは、わざわざ律儀に約束を守りに来てくれた、ということなのでしょう。
「材料、ということは……調合も行なうのですか?」
もちろんそうだよ、とマックス爺さんは嘯きます。
個々の材料で売るより調合済みの方が高く売れるし、使う側にも便利だということでした。
「ボウガンの弾なんかは数をこなさなきゃいけないから、暇を見ては調合しているねえ。
ドーガに乗せると衝撃で危ないから、自分で荷を背負わなきゃならないのが難だけれど」
おかげで足腰は丈夫だよ、と笑う顔が、やんわりと上気してきているようでした。
「おや? その本は……ああ、そうか。お嬢さんは勉強家なんだねえ」
「やむにやまれぬ事情がありまして、ね」
けほん、とユウが軽くむせましたが、マックス爺さんは首を捻ることもありませんでした。
むしろ感心することしきりな様子で、
「じゃあ、後学のために、孫に届ける薬の調合を見せようかな」
そう言って、薬の瓶と薬匙、それに何かの粉末を取り出したのでした。
「活力剤に……ケルビの角の粉末、ですな」
「その通り。さあさ、お立ち会いだよ。これから作るのは、由緒正しきいにしえの秘薬だ。
一口飲めば、たちまち元気が沸いてくる。死んだ人だって、びっくりして生き返るくらいなのさ」
口上が叩き売りに似ているのは、ほろ酔い気分のせいなのでしょうか。
ともあれ、酔いが回っているとは到底思えない手つきで、粉末を薬匙の先にほんの少しだけ量り取り、慎重に活力剤へと落としたのでした。
変化は、劇的でした。
月明かりのような澄んだ黄色の液体が、たちまち鮮血の如き真紅に染まったのです。
しかし薬は、こぽこぽと泡を上げては徐々にその色を薄めていき、結局泡が収まった時には、元の月明かりの色に戻っていたのでした。いいえ、心持ち、色が濃くなっている……のでしょうか。
ちょっとした不思議現象に、思わず私も見入ります。
「この薬を作るためには、薬が真紅で定着するまで同じ手順を繰り返すだけ。
実に実に簡単なんだけれど、ところがどっこい、完成させるのは非常に難しいんだねえ」
理由は2つ、だそうです。
まず、ケルビの角を粉末にする段階で、丹念に入念に細かく粉にしなければならないこと。
次に、一度に活力剤に落とすことの出来る粉末の量が微小で、しかも1回ごとの反応が収まるまで待ってからまた繰り返して、角1本分を溶かさなければならないこと、だそうです。
つまりは、相当以上に根気がいる、というわけなのでした。
「昔の人も、こうやって気の遠くなるような作業を繰り返して作ったんだろうね。
ひょっとしたら、薬を一刻も早く望み、もがき苦しむ大切な人が傍にいたのかもしれない。
それでも一杯ずつ、祈るような気持ちで粉末を注ぎ、真紅の薬を作ったんだろうさ。
ゆっくりと、じっくりと、やんわりと、真綿で首を絞めるように時間をかけて。
ずっと、ずっと、ずうっと。何度も、何度も、何度でも。
さてさて……そうこうしているうちにね、誰も考えもしなかった大変なことが起こったのさ」
「……それは?」
いつの間にか、身を乗り出して聞いている私です。
マックス爺さんは、焦らすように言葉を溜めてから、かかか、と笑ったのでした。
「薬の名前を忘れてしまったのさ」
「…………はい?」
私とユウの声が綺麗にハモりました。
それが予想通りだったのか、はたまた予想以上だったのか、ともかく、マックス爺さんはより愉快そうに笑い声を上げたのでした。
「だって、考えてもごらんよ。昔から『いにしえ』のはずが無いだろう?
皆、薬を作るのに必死で、気がついたらどうしても名前が思い出せなくなっていて、
仕方ないので後からこんな名前を付けた。嘘のようなホントのお話だよ。
だからね、この薬には、なかなかどうして、たくさんの異名が付いているのさ。
『忍耐試験薬』『時よ止まれ』『血の涙』『効果3倍の赤い奴』などなど。
……そうだ、お嬢さんなら、この薬をいったい何と呼ぶだろうか?」
「うむ、我も興を惹かれるな」
酔っ払い2人が結託しやがりました。
もっとも、面白い話を聞かせていただいたことですし、このくらいは答えてもバチは当たらないのでしょう。
「作るのは単純なはずなのに、非常に根気と時間がかかるために完成は難しくて、
けれど出来上がったときにはとっても強い効果を持つ……うん、そのものズバリ、でしょうね」
「ほう?」
私は、何食わぬ顔で杯を傾けているユウに視線を移し、気持ち挑戦的な笑みを浮かべ、頭の中で浮かんだ言葉を3回反芻してから、唇に乗せました。
「愛に時間を」
時が止まり。光が歪み。空間が凍りつき。やがて、動き出し。
マックス爺さん、白髪頭をぴしゃりと叩いてテーブルに突っ伏し、爆笑。
ユウ、氷をわしゃわしゃと胃袋に放り込まれたような顔をして、沈黙。
何故か周囲のギャラリーからやんやの喝采が上がり、口々に、お幸せにとか叫んでいるのでした。口笛さえ聞こえてきます。
一応、椅子から降りて、スカートの端をちょこんと持ち上げて恭しく礼をすると、道行く人が何事かと目を見張るほどの大歓声が上がりました。
「なんともはや……いやいや、もの凄いお嬢さんだ」
まだ笑いの虫と格闘中のマックス爺さんはそう漏らし、氷の像と化しているユウに向かって、
「覚えておくんだね。レディが真正面から、何の衒いも無く、全身全霊で勝負を打ってきたとき、
我々男性には、白旗上げて全面降伏するしか手立ては無いのさ」
密かにそう、耳打ちしたものでした。
「……確かに、我が学ぶべきことは、多そうだ」
首から下を凍りつかせたままで、ユウは、かろうじてそう呻いたのです。
――楽しい、本当に楽しい、夜でした。
けれど、夜が終われば朝が来るように、何事にも終わりと始まりがあるものです。
そして概ね、人の世には、楽しみ以上に苦難が待ち構えているものなのでした。
翌朝、コルック村に舞い込んだのは。
街道にモンスターが現れ、いつ村を襲うかもしれないという、早馬の知らせなのでした。
調合とは通常、2つの異なる材料を混ぜることで、個々には備わっていない性質を発揮させたり、互いに高めあったり、時には変異させたりして、新しい物を作り出す試みのことです。
けれどこれは、単純に掛け合わせれば良いというものではなく、例えば順番が1つ変わるだけでも、調合の結果は劇的に変わってしまうことを覚えておかなければなりません。
例えば、コップに水と氷を入れるとき、先に氷を入れておいてから水を入れるのと、水を入れてから氷を入れるのとでは、水の冷たさや氷の溶け具合は、はたして同じになるでしょうか?
まずはそこから試してみましょう。答えは次のページです。 』
「ふうん……あの、すみません」
「はい」
「実験にご協力下さい」
「は?」
ウェイトレスさんに頼むと、すぐにコップが2つ、運ばれてきました。
「あ……氷が先に入った方が冷たい。氷が、良く溶けて小さくなっているから……そのせいね」
ふむふむと納得し、本に目を戻してページをめくります。
『そう、[先にどちらがコップという領域を満たしていたか]で、それぞれ差が出てきますね。
この[先にあった方の影響が強く出る]という決まりを、[先行材料優勢の法則]と言います。
ただし、併せて覚えておいて欲しいのは、[水を冷たくしたい場合]と[氷を保ちたい]場合とでは、それぞれ順序を逆にしなければなりません。つまり[調合にどんな結果を望むか]という展望が無ければ、この法則を生かして順序を決定することは出来ないのです。
さらに、材料自体も順序に関わってきます。回復薬と回復薬グレートを例に取ってみましょう。
アオキノコと薬草で作る回復薬の場合、[薬草の回復の力を高める]ことが目的ですので、薬草をすり潰したものが先で、後に刻んだアオキノコを加えるという順序になります。
ところが、ハチミツと薬草で作る回復薬グレートの場合、薬草を先にすると、回復の力を高めるどころか打ち消しあってゴミが出来てしまうのです。これはハチミツの潜在的な回復の力、つまり材料としての[格]が薬草より上のため起こる現象で、ハチミツを先にすることにより薬草の[回復する]という力が十二分に吸収されて、結果強力な薬となる、といった具合です。
このような[材料の力関係が順番に影響する]という決まりを[材料間優劣の法則]と言います。
以上の2つが、調合入門の大原則です。ようく、覚えておきましょう。
次ページからは、調合の具体的な手順について触れていきます。 』
「[優勢]に[優劣]ですか……なるほどなるほど」
ぺらり、とページをめくろうとしたところで、
「ふむ……面白いか?」
と、どこか嬉しそうな声がテーブルの向かいからしましたので、私は間髪入れず、
「完全完璧完膚なきまでに、あてつけですよ♪」
正直に、一点の迷いも無く、しかもとびきり凶悪な笑顔でそう答えました。
「なんと……!? よもや、万が一とは思うが……本のジャンルが好みではなかった、と?」
「というか、どうして調合入門書が出てきたのか、未だに理解が追いついていないのですけれど」
話はお昼に遡ります。
お昼ご飯は軽めに済ませ、もう少し歩いてみようというユウの意見には大賛成でしたし、その散策の中で二本足で立って歩く猫さんを見て喝采を上げたり、クックさんの絵を見つけてちょっぴりショックを受けたりと、なかなかに楽しい時間を過ごせたのでした。ただ、旅の疲れと慣れない人ごみのせいで、思いの他ばててしまった私は、一足先に宿で休んでおくことにしたのです。その際、
「我は夕食まで色々見て回るつもりだが……何か、欲しいものはあるか?」
と、ユウが気を使ってくれたものですから、私は遠慮なく頼みました。
「では、夜寝る時に読む御本が欲しいです」
「承知。任せるが良い」
勅命賜った、とでもいうような調子の、力強い頷きでした。
で、夕食時に戻ってきたユウが自信満々に出したのが……例の調合入門書、ということでして。
何というか、そう、子供のささやかな期待をめった斬りにしてくれた感じなのでした。
「普通、夢いっぱいの童話とかロマンティックな昔話とか、そういったものでしょう」
「……そうなのか?」
心底不意を突かれた表情から察するに、そもそもそういった選択肢は浮かんでいなかった模様でした。私がリオレウスだったら辺りは火の海だなあ、と思うくらい、盛大なため息が洩れます。
「この歳で優勢だの優劣だの、法則暗記していたら嫌ですよ。しかも夜寝る前に」
「実用的だと思ったのだが……」
「子供のささやかな娯楽に、実用性を求めないで下さい」
ぷいっと顔を背けると、別のテーブルに座っていたおにいさんと、目が合いました。しかも何故か、慌てて逸らされます。
はてな、と思って周囲を見渡してみると、さして大きくない宿の慎ましやかな食堂内の視線が、どういった冗談か、私たちに集中しているようなのでした。
「不特定多数のやっかみを受けるほどに、ベストカップルなのでしょうか?」
「まあ、大の大人が子供にやりこめられていたら、さぞ目立つのだろうな」
小憎らしいくらい模範解答でした。
「……つまらない人」
「何故!?」
どうしてなじられたのかわからない、といった様子で目を白黒させるユウでしたけれど、レディの心情を切々と説明するつもりはこれっぽっちも起きなかったので、とりあえず、冷たい方のコップの水を飲みました。
「……すまないな。我は、色々と、至らない」
「謝らないで下さい」
「だが……」
「この本、嬉しくないわけでは無いのですよ」
私は、比較的、正直に答えました。
「確かに、ユウのセンスは壊滅的です。破滅的、と言ってもまだ足りないくらいです」
「むう……」
「でも、ね。どれだけ真剣に考えてくれたのかは、ようくわかるのですよ。
私に出来る、たかが知れている選択肢の中から、一番成長に繋がるものを選んでくれました」
言って、調合書をやんわりと撫でます。
「かといって、諸手を上げて褒めることは出来ませんけどね」
「だろうな」
くくく、と噛み殺した笑いが、お互いの口から洩れます。
「学びましょう。私は生きる術を。あなたは乙女心と……出来れば、魅力的な笑い方を」
「それはまた……難問だな」
「そうですね。だから、しばらくは私がやんわりと微笑んでいてあげます。
そのうち、2人で笑えるようになりましょう。1人より、ずっとずっと、楽しそうに」
「悪くないな。では、我は今しばらく、ソナタの分まで戦いに身を投じるとしよう」
「任せます。でも、すぐに追いつきます。その第一歩は、これでしょうか」
回復薬の調合方法が書かれたページを開き、ユウの眼前に掲げます。
「ただ守られっぱなしだなんて、御免ですからね?」
「笑われっぱなしも、御免被りたい」
カラリ、と音を立てて、コップの氷が傾きました。
それは、穏やかであっても変わらず時間は流れているという証明であり、今このときも、何かが確実に成長しているという証明なのでした。
同時に、目の前にある状況は不変のものではない、という意味でもありまして。
「やあ、お2人さん。お邪魔して良いかな?」
声は、私たちに向けられたものでした。
なので、自然、それまで私たちに注がれていた食堂中の視線が、突然の来訪者に集中します。
温和な笑顔にちょこんと乗っかった眼鏡。マックス爺さんです。
もちろん、来訪を断る理由はありませんでしたけれど、たいそう不思議ではありました。
「よく、ここの宿に泊まっているとわかりましたね?」
「なに、君達は自分で思う以上に人の目を惹いているんだよ。
『寡黙な剣士を手玉に取る少女』について聞いて回ったら、すぐにここだとわかったのさ」
かなり嫌な有名人ぶりでした。
「ともあれユウ君、約束どおり一杯やろうか」
「無論のこと」
そうして、2人はホピ酒を注文し、私の前にはチョコレートパフェが運ばれてきました。
大人のお話にはあまり口を突っ込むものではない、という程度の分別はありましたので、私はもっぱら聞き役に回ったのでした。そこには当然、初めて口にするパフェの、やわ雪よろしく舌上でとろけていく感覚を楽しむので忙しかった、という理由もあったのですけれど。
マックス爺さんは、たくさんのお話をしてくれました。
今まで旅をした多くの土地のこと。商品の仕入れのちょっとしたコツのこと。口上で、いかにお客さんの買う気をそそるかというテクニックのこと。ドーガを育ててきた際の苦労話のこと。お孫さんが4人居て、美人さんで知的な長女、元気で正義感の強い長男、天衣無縫で我侭な次女、大人しくて体の弱い三女という内訳であること、などなどです。
「4番目の孫はお嬢さんと同じくらいの歳でね……1つか2つ上、だったかな?
定期的に薬を届けているんだが、幸いなことに今回は、良い薬の材料が手に入ってね」
だから、明日にでもこの村を発つ予定なんだよ、とのことでした。
つまりは、わざわざ律儀に約束を守りに来てくれた、ということなのでしょう。
「材料、ということは……調合も行なうのですか?」
もちろんそうだよ、とマックス爺さんは嘯きます。
個々の材料で売るより調合済みの方が高く売れるし、使う側にも便利だということでした。
「ボウガンの弾なんかは数をこなさなきゃいけないから、暇を見ては調合しているねえ。
ドーガに乗せると衝撃で危ないから、自分で荷を背負わなきゃならないのが難だけれど」
おかげで足腰は丈夫だよ、と笑う顔が、やんわりと上気してきているようでした。
「おや? その本は……ああ、そうか。お嬢さんは勉強家なんだねえ」
「やむにやまれぬ事情がありまして、ね」
けほん、とユウが軽くむせましたが、マックス爺さんは首を捻ることもありませんでした。
むしろ感心することしきりな様子で、
「じゃあ、後学のために、孫に届ける薬の調合を見せようかな」
そう言って、薬の瓶と薬匙、それに何かの粉末を取り出したのでした。
「活力剤に……ケルビの角の粉末、ですな」
「その通り。さあさ、お立ち会いだよ。これから作るのは、由緒正しきいにしえの秘薬だ。
一口飲めば、たちまち元気が沸いてくる。死んだ人だって、びっくりして生き返るくらいなのさ」
口上が叩き売りに似ているのは、ほろ酔い気分のせいなのでしょうか。
ともあれ、酔いが回っているとは到底思えない手つきで、粉末を薬匙の先にほんの少しだけ量り取り、慎重に活力剤へと落としたのでした。
変化は、劇的でした。
月明かりのような澄んだ黄色の液体が、たちまち鮮血の如き真紅に染まったのです。
しかし薬は、こぽこぽと泡を上げては徐々にその色を薄めていき、結局泡が収まった時には、元の月明かりの色に戻っていたのでした。いいえ、心持ち、色が濃くなっている……のでしょうか。
ちょっとした不思議現象に、思わず私も見入ります。
「この薬を作るためには、薬が真紅で定着するまで同じ手順を繰り返すだけ。
実に実に簡単なんだけれど、ところがどっこい、完成させるのは非常に難しいんだねえ」
理由は2つ、だそうです。
まず、ケルビの角を粉末にする段階で、丹念に入念に細かく粉にしなければならないこと。
次に、一度に活力剤に落とすことの出来る粉末の量が微小で、しかも1回ごとの反応が収まるまで待ってからまた繰り返して、角1本分を溶かさなければならないこと、だそうです。
つまりは、相当以上に根気がいる、というわけなのでした。
「昔の人も、こうやって気の遠くなるような作業を繰り返して作ったんだろうね。
ひょっとしたら、薬を一刻も早く望み、もがき苦しむ大切な人が傍にいたのかもしれない。
それでも一杯ずつ、祈るような気持ちで粉末を注ぎ、真紅の薬を作ったんだろうさ。
ゆっくりと、じっくりと、やんわりと、真綿で首を絞めるように時間をかけて。
ずっと、ずっと、ずうっと。何度も、何度も、何度でも。
さてさて……そうこうしているうちにね、誰も考えもしなかった大変なことが起こったのさ」
「……それは?」
いつの間にか、身を乗り出して聞いている私です。
マックス爺さんは、焦らすように言葉を溜めてから、かかか、と笑ったのでした。
「薬の名前を忘れてしまったのさ」
「…………はい?」
私とユウの声が綺麗にハモりました。
それが予想通りだったのか、はたまた予想以上だったのか、ともかく、マックス爺さんはより愉快そうに笑い声を上げたのでした。
「だって、考えてもごらんよ。昔から『いにしえ』のはずが無いだろう?
皆、薬を作るのに必死で、気がついたらどうしても名前が思い出せなくなっていて、
仕方ないので後からこんな名前を付けた。嘘のようなホントのお話だよ。
だからね、この薬には、なかなかどうして、たくさんの異名が付いているのさ。
『忍耐試験薬』『時よ止まれ』『血の涙』『効果3倍の赤い奴』などなど。
……そうだ、お嬢さんなら、この薬をいったい何と呼ぶだろうか?」
「うむ、我も興を惹かれるな」
酔っ払い2人が結託しやがりました。
もっとも、面白い話を聞かせていただいたことですし、このくらいは答えてもバチは当たらないのでしょう。
「作るのは単純なはずなのに、非常に根気と時間がかかるために完成は難しくて、
けれど出来上がったときにはとっても強い効果を持つ……うん、そのものズバリ、でしょうね」
「ほう?」
私は、何食わぬ顔で杯を傾けているユウに視線を移し、気持ち挑戦的な笑みを浮かべ、頭の中で浮かんだ言葉を3回反芻してから、唇に乗せました。
「愛に時間を」
時が止まり。光が歪み。空間が凍りつき。やがて、動き出し。
マックス爺さん、白髪頭をぴしゃりと叩いてテーブルに突っ伏し、爆笑。
ユウ、氷をわしゃわしゃと胃袋に放り込まれたような顔をして、沈黙。
何故か周囲のギャラリーからやんやの喝采が上がり、口々に、お幸せにとか叫んでいるのでした。口笛さえ聞こえてきます。
一応、椅子から降りて、スカートの端をちょこんと持ち上げて恭しく礼をすると、道行く人が何事かと目を見張るほどの大歓声が上がりました。
「なんともはや……いやいや、もの凄いお嬢さんだ」
まだ笑いの虫と格闘中のマックス爺さんはそう漏らし、氷の像と化しているユウに向かって、
「覚えておくんだね。レディが真正面から、何の衒いも無く、全身全霊で勝負を打ってきたとき、
我々男性には、白旗上げて全面降伏するしか手立ては無いのさ」
密かにそう、耳打ちしたものでした。
「……確かに、我が学ぶべきことは、多そうだ」
首から下を凍りつかせたままで、ユウは、かろうじてそう呻いたのです。
――楽しい、本当に楽しい、夜でした。
けれど、夜が終われば朝が来るように、何事にも終わりと始まりがあるものです。
そして概ね、人の世には、楽しみ以上に苦難が待ち構えているものなのでした。
翌朝、コルック村に舞い込んだのは。
街道にモンスターが現れ、いつ村を襲うかもしれないという、早馬の知らせなのでした。
第4幕 〜選択は、正しすぎる間違いでこそ〜
――重要なのは、『何もしない』をすることであり、同時に、勝機を窺うことです。
集中と、忍耐と、決断力。
この戦いで試されているのは、間違いなくそういった要素なのでした。
(後の先を取る以上……フェイントに引っかかって拍子をずらされていては、私は勝てない。
でも、警戒という臆病に苛まれ、本命の挙動に反応出来なかったら……そこで、負けてしまう)
すぅ、と深く息を吸い込み、静かな微笑を湛えます。宣戦布告のつもりなのです。
(……来る)
無関心を装い、迂回を繰り返しながら、それでも確実に間合いを詰めてくる『影』が一つ。
そうしてこちらを射程範囲内に捉えた瞬間、『影』は、躊躇うことなく、攻撃を開始したのでした。
「アン」
――最初の一撃は、目にも明らかなフェイント。
ここまではまだ予想の範疇ですし、『影』とて、これで決着するとは思っていないのでしょう。
問題は、間髪入れずにやってくる、ニ撃目。
「ドゥ」
――これも、フェイント。
高ぶった神経が反応しかけるのを押し止め、同時に、海よりも深く静かに決断を下します。
次の三撃目――本命が来る、と。
神経を研ぎ澄まし。
両の手に力を込め。
脊髄で感じ取った刹那。
「トロワーっ!」
全身全霊で引き上げました。
結果は、完全勝利。
餌に食いついた拍子を見切られた魚は、降参するように、打ち上げられた地面で二度三度と跳ねたのでした。黄金色の魚体が、陽を照り返して鮮やかな光沢を放っています。
「今頃……ユウも、戦っている頃ですかね」
みしり、と奥歯が鳴りました。
自分が、同じ戦場へ立てないことへの、隠しようの無い苛立ちでした。
「街道に、ドスランポスが出た! しかも3匹だ!」
「何だと!? 街の兵士たちは何やってるんだよ!」
「やったからさ! 追い払って、その生き残りがこちらに向かっているんだ!」
「そんな……そんな話があるのか、ちきしょうめ!」
「ハンターだ! ハンターはいないのか!?」
モンスター来襲の知らせを受けたコルック村は、混乱を極めておりました。
もちろん、ハンターは村に何人もいたのですけれど、貿易の村という性質上、肉を焼いたり頼まれたアイテムを採取したりを生業とする者が多く、まともに戦闘を経験した者といえば、片手にも満たなかったのです。
「討伐の報奨金ははずみましょう! 2000……いいえ、2500ゼニーで!」
村長さんが必死に呼びかけを行なうものの、反応はよくありません。
皆、自分が逃げる算段を立てるだけで、積極的に戦おうという者などおりませんでした。
ただ1人、斬破刀を背負った白髪の剣士以外は。
「我に任せられよ」
声色はむしろ控えめでしたけれど、だからこそ、体から立ち上る戦士の風格が、波となって空気を揺らしているようでした。
村長さん、渡りに船とばかりにユウに依頼をしました。
「ただし、報酬は3000でお願いしたい」
「……はあ」
さすがに良い顔はしませんでしたけれど、背に腹は変えられないと判断したのでしょう。
3000ゼニーの報酬を約束し、お願いします、とユウに深く頭を垂れたのでした。
「お嬢さんに、プレゼントをするつもりなんだねえ、きっと」
しみじみと頷くのは、マックス爺さんです。
何でもお孫さんがいるのは街の方だそうで、街道を塞がれて、すっかり足止めを食う形になってしまったのでした。村がこんな混乱模様では、商売をすることも出来ないよ、と、困り顔です。
「3000、クックの耳の値段……ですね。でもそんなの、格好つけすぎです」
「もちろん、困っている人を見過ごしておけないからでもあるんだろうさ。
遊びじゃあないんだ。命を賭けるに値する報酬を請求して、悪いことなんて一つも無いさ」
そのまま、私はユウの背中を見送りました。
事前に、こんな会話を交わしていたからです。
「マックス老に話は通してある。今日一日、面倒を見てもらえ」
「……足手まとい、ですか?」
「然り。今回の相手は、ソナタを守りながらでは存分に戦えぬ」
「……!」
心臓を内側からぶすぶすと焦げつかせるような。
黒い感情の奔流が、唸りをあげて噴き出してくるのでした。
「今は任せると、ソナタは言った。その通りにしてもらう」
反論の余地は――我侭と同義の異論を口にすることは――ありませんでした。
遠ざかる背中は、一度も、振り返ることなく。
あくまで颯爽と。どこまでも淡々と。
戦場へ、その足で、その意思で、向かっていったのでした。
「さあ、見送りがすんだら、後は待つしか出来ない。でも、ただ待つのも芸がないからね。
街道とは逆の方へ少し歩くと、湖があるんだ。そこは水が綺麗で、魚がいっぱい釣れる。
どんなにたくさん釣ったって、なあに、ドーガがちゃんと運んでくれるから心配いらない。
どっさり魚を積み上げて、ユウ君が帰ってきたら、驚かせてあげようじゃあないか!」
やや大げさな身振り口振りなのは、気を使ってくれているのだとわかりました。
ちゃんと、わかりました、けれど。
「そうですね」
と、短く答えるので、精一杯でした。本当に、ダメなのでした。
――何が、炎の子供か。
子供と大人。一般人と戦士。間に有る、絶対的な壁。
それを、思い知らされたような気が、したのでした。
「いつか――なんて、嫌いな言葉」
湖面に映った私の顔は、レディとしては最悪の部類でした。
なので無理にでも笑顔を作り、まだぴちぴちと跳ねている魚を片手に、
「上手に釣れました♪」
にっこりと振り返ると、同じく釣り糸を垂れていたマックス爺さんが、駆け寄ってきました。
「おやおや……これは凄い、黄金魚だねえ」
「ふうん、見たまんまの名前なのですね」
黄金色だから黄金魚。眠くなるから眠魚と良い勝負なのでした。
ところがよくよくお話を聞くと、この黄金魚、たいそうな値打ちものだそうです。
「この黄金魚は、特に好事家や学者さんが、高く買ってくれるのさ」
「金ぴかですからお金持ちが欲しがるのはともかく……学者さんはどうしてですか?」
首を捻っていると、マックス爺さんは言葉を選びながら、ゆるりと話し始めました。
「実はね、この黄金色は、アルビノじゃないかと言われているんだ」
「アルビノ……白子、ですね白蛇とか白虎とか」
「そう、君は本当に色んなことを知っているんだねえ。
で、学者さんが言うには、魚のアルビノは黄化現象といって、黄色くなる場合が多いそうだ。
けれど、アルビノは一般に体が弱くて生き延びることが難しいんだね。飛竜みたいに無茶な生命力があるのならともかく、アルビノの魚じゃあ、そうそう生き残れやしない、と思うだろう?
なのにね、どうしたわけか、黄金魚は100年生きるとさえ言われる寿命を誇るんだ」
「それは不思議ですね」
「だから、その不思議さを調べるために、学者さんも欲しがるんだね。とにかく数が少ないから」
よくわかりました、でした。
ということは、この魚が美味しい食事や快適なベッドに化ける、ということです。
思いがけぬ幸運が舞い込んだ、と考えて差し支えないのでしょう。
けれど。
「これ、上げます」
「うん?」
私は、黄金色の魚を魚篭に入れると、それをマックス爺さんに差し出しました。
「どうしたんだい? せっかく釣ったのに」
「お孫さんのお見舞いに、あげてください。
『ソナタという、未だ見ぬあなたの友達からのプレゼントです』とでも付け加えて」
………………………………………
最初、マックス爺さんは驚きで石になってしまったようでした。
次いで、ミカンから猫が出てくるのを見たくらいに顔中で驚きを示して。
最後には、顔をくしゃくしゃにして笑ってくれたのでした。
「やれ、嬉しいねえ。こんなに優しいお嬢さんが、あの娘の友達になってくれるのかい。
ははは、困ったねえ。年甲斐も無く、目から雨が降ってしまいそうだよ」
実際、眼鏡を少し押し上げて、ちょいちょいっとやっているようでした。
もっとも、そこは見て見ぬ振りをするのが正しいレディの在り方なのは、言うまでもありません。
「じゃあ、お返しをしないとだねえ」
そう言って、静かに眠りこけているドーガの荷から、何かを取り出しました。
それは、特大のホットケーキみたいな大きさと形で、綺麗な薄い桃色をして……
「クックの耳じゃないですか!」
「ああ、とっても欲しがっていたから、迷惑じゃあないだろう?」
そういう問題では無いと思いました。こんなの、わらしべ長者どころのお話ではありません。
「あの、お気持ちはありがたいのですけれど……」
「おっとっと、ちょっと待った。想像しておくれよ、お嬢さん?
孫に会ったら、私は得意げに話すのさ。こんな素晴らしいお見舞いを貰いましたよってね。
そうしたら、絶対に孫は言うだろうさ。『じゃあ私もお返ししないと』って。
さあ、考えよう。マックス爺さんは、そんな孫にこう笑いかけたいとは思わないかい?
『大丈夫、ちゃあんとお返しはしたんだ。だから、お友達もありがとうって言ってたよ』ってね。
思い浮かぶなあ、孫の喜ぶ顔が。うん、間違いないねえ」
「……そんなの、ずるいです」
「歳を取ると、相応に図々しくなるのさ。ここはどうか、年寄りの駄々に付き合っておくれ」
言って、ずずい、とクックの耳を差し出してくるのです。
もう、選択肢は、『はい』か『Yes』かのどちらかしか無いようでした。
「ありがとうございます。あの……お孫さんの名前、聞いていいですか?
何というか、その、私にとって、多分初めての友達でして……」
「うん? ああ、そうか。そうだねえ……」
と、ここで何故かマックス爺さんは言いよどんで。
ぴくり、と眉を動かしたかと思うと、素早く背後を――湖とは反対側の岩場を――見据えました。
「どうかしまし…」
「お静かにね、お嬢さん」
その声には、切迫した響きがありました。
例えばそう――飛竜と対峙した剣士のような、戦いに臨む緊張感で。
顔を横に向けて見れば、ドーガも、何かしらの気配を察したらしく、世話しなく視線をめぐらせておりました。
風の色が鈍色に染まり。湖面がざわわと震えます。空気が密度を上げていくようです。
――ああ、これは。そうなのね。
私は、どこか懐かしい匂いを感じておりました。
――来る。炎の世界が。戦いの場が。
「……そうか、風上だったんだねえ。安心しすぎたかな」
「何が来ます?」
何か居るのですか、という質問を一足飛びにしたせいか、マックス爺さんは軽い驚きを見せましたけれど、すぐにそれは掻き消えました。
「さあね、確認する余裕はなさそうだよ。何にせよ、することは一つだ。わかるね?」
「撤退、ですね。タイミングはお任せします」
「おやおや……責任重大だね、これは」
先ほどの釣りと、同じでした。
機を逸すれば、即、敗北に繋がるような。
集中と忍耐と決断力が全ての戦い。
ただし。
賭けられているのは、釣餌ではなく、命そのものなのでした。
すぅ、と息を吸い込みます。
神経を研ぎ澄まし。
両の足に力を込め。
脊髄で感じ取った刹那。
「走って!」
瞬間、2人と1匹は全速で駆け出し。
半瞬後れで、岩場から『それ』が……いいえ、『それら』が、飛び出したのでした。
大の大人1.5人分はある、後ろ足で立つぎょろりとした目の蜥蜴。
水とも空とも違う、冷たいだけの硬質な蒼色の鱗。
頭から鮮血を浴びて染まったような、赤いトサカ。
「――ランポスか!」
マックス爺さんの叫びに応えたわけでは無いのでしょうけれど、
「きしゃああああああ!」
大きく開いたランポスたちの口から、甲高い声が響き渡ったのでした。
その口に並んだ牙は、リオレウスの三日月みたいな立派な牙からすれば棘みたいなものです。けれど、びっしりと敷き詰められたそれは、さながらノコギリのように、楽々と私の肉を食い破り、骨をこそぎ取っていくのでしょう。
数が4…5…6。これでは、どれか1匹にでも捕まれば、集中攻撃を受けて、あっという間に終わりです。戦闘用の装備を備えていない私やマックス爺さんにとっては、ある意味、飛竜以上の難敵なのでした。
「……ユウが、連れて行きたがらないわけね」
斬破刀であれば、その長さを生かし、片端から横薙ぎに斬り捨てることも可能なのでしょう。あれは、多数対1でも効果をまるで失わない類の得物なのです。
「私が近くにいて、刀を振るう邪魔になったりしない限りは……か。
やっぱり、守ってばかりいられるのでは……どうやったって、不具合が生じるのね」
――どうにも、不可思議な思考の流れでした。
今まさに迫っている牙からいかにして逃げようか、ということ以前に、『ユウと共にこの敵と戦うならばどう立ち回るか』というふうに、状況を分析しているのです。
――しかも、それ以上の異常を、この時の私は、半ば無意識に行っていたのでした。
「4時の方向に1……6時の方向に3……8時の方向に2。
相対速度、大丈夫……気をつけるのは、6時で最近接の1匹だけ……3拍子後!
アン……ドゥ……今! 右に折れて!」
併走するマックス爺さんの手を力の限りに引っ張ると、その残り少ない白髪のうち1本を、飛び掛ったランポスの牙が持っていきました。
文字通りの、間一髪。次いで、間髪さえ入れる暇を与えず、
「ドーガ、全力で尻尾っ! 即刻っ!」
「ふおお!?」
声の迫力は種族間を超えて伝わったらしく、目一杯の力で振られた尻尾に、白髪1本を咥えたランポスが高々と弾き飛ばされました。飛び掛ってから着地までの隙――つまりは宙に浮いている間であれば、肉食獣であるランポスの牙を以ってしても、草食獣であるドーガの単純な質量の大きさには敵わないのです。逆に言えば、それ以外のタイミングでは、『決して起こり得ない』反撃の光景なのでした。
「……お嬢、さん?」
マックス爺さんは、異常に気づきました。圧倒的なまでに、気づかされました。
少女は今――迫るランポスたちを、まんまと手玉にとって見せたのです。
(勘の良さ……なんかじゃない。お嬢さんは、完璧にタイミングを見計らっていた!
ランポスの飛び掛り、私の回避、ドーガでの迎撃……全ての流れを、操って!)
そんな馬鹿な! と心の中で13回唱えて、念のためもう1回唱えてから、現実に向き直ります。
さて。
一言で言えば、敵の動きを見切っている、ということなのでしょう。
考えるだに恐ろしいですが、おそらくは6匹全てを同時に。さながら、レーダーのように。
けれど、相手はイキモノです。不規則な動きをするものです。将棋の駒の動きを予測するみたいには出来ません。
なのに、事実この少女は、やってのけています。
位置関係の認識。
行動様式を分析。
相対速度の計算。
逐次行動を予測。
適切行動の模索。
最低でも、これだけの作業を同時進行で。しかも疾走しながら、絶え間なく。
そして、これらを利用した上での、反撃までも。
こんなの、頭が回るとか知恵が働くとか、もうそんな次元ではありません。
(大人だって……いいや、どこの誰であったって、とても真似出来ることじゃあない!)
いったい――どんな思考能力なのでしょう。いいえ、そんな問題でもありません。ここは、すでに戦場なのです。机の上で線を引き、論理に酔い、甘美な結論を描くようにいくはずがありません。
総毛立ってサボテンになる体、ガラス片の如きプレッシャーに切り裂かれる胸、沸騰する血液と底冷えする骨髄との狹間に揺れる心。それが、命が危険に晒されるという、非日常の世界です。
年齢だけを考えれば、泣き叫んでへたり込んでも、おかしくありません。むしろその方が自然なくらいです。にも拘らず、鈍るどころか、逆にスイッチが入ったようにフル稼動し始めた、この少女。
(語彙に富んだ大人びた口調……目を見張るばかりの知識量……。
そんなものは、このお嬢さんにとって、氷山の一角でしかなかったのか!)
冷静な分析力。最善の手を探す判断力。躊躇わない決断力。
武器を振るっているわけではありません。敵を打ち倒しているわけでもありません。
けれど、この戦場において、この少女は――まさしく正しく、戦士、そのものなのでした。
「このまま岩場を抜けていけば……大丈夫、逃げ切れます!」
もう、その幼い声に従うことに、迷いはありませんでした。
小さな掌から伝わってくる体温を、頼もしいとさえ、今は感じます。
「ああ、頼むよ」
そう叫んでから、笑いかける間くらいの瞬間でした。
「ふぉぉぉぉぉん!」
絶望的なまでに、悲痛な声。ずぅん、と地面を揺らす、重い音。漂う、鉄錆びの匂い。
「ドーガぁ!?」
足を止めたのは、マックス爺さんが先だったのでしょうか。それとも私だったのでしょうか。
何にせよ、停止した2人の視界に映ったのは、ドーガの腹を深々と切り裂いた、『7匹目』の姿でした。そうして、たちまちに他のランポスたちも、ドーガに群がり始めます。
「ぐぉ、ぐぉ、ぐぉぉぉん!」
明らかに他のランポスとは違う、重低音の叫び、2回りは大きい体、そして……紅に染まり、さらにその上から鮮血を湛えた、刃のような爪。
「貴様がドーガを……ドスランポスぅ!」
ドスランポス。それは、群を従える、ランポスの王。
そして、ユウが退治にいったはずの敵。
それが、いったいどんな経緯を以ってしてか、眼前に現れたのでした。
けれどこの場において、その理由などは、何の意味も持ちません。
地に伏しもがく草食恐竜と、それを救出せんとする老人、そして、無力な私。
それだけが、気分が悪くなるくらい極彩色に彩られた、現実なのでした。
「ダメ! 今行ったら、マックス爺さんもやられちゃう!」
「わかっている……でも、もしあれがユウ君なら、君も同じことをするだろう」
「……!」
止められない――そう私は直感しました。
ならば、と。小さな戦士として覚悟を決めた、その刹那。
「――君は、お逃げ」
涙が出るくらい優しい声の老人は、掌サイズの、緑色の球体を差し出したのでした。
モドリ玉。
近くの街や村に瞬く間に舞い戻れる、そんな、あまりにもこの場に相応しすぎるアイテムです。
ただ、これは――1個につき、1人しか、効果が及ばないというもので。つまり、それは。
「どうして……あなた自身、逃げることはいつでも出来たのなら!」
「なあに、老い先短い身さ。息子同然のドーガを見捨ててはおけないし、
ユウ君から預かった君を、置いていくわけにもいかないからね」
男の顔、でした。
静かな決意をしっかと胸に宿した者の誇りが、滲んでいます。
「大丈夫だよ。爆薬と閃光玉があってね、運が良ければ、奴らの隙を突ける。
それに、村に戻った君がすぐに助けを呼んでくれれば、間に合うかもわからないからね」
明らかな方便でした。
生き残る確率なんて無いに等しいのに。ドーガだって、もう助からない算段の方が大きいのに。
それでも、きっとそんなことは覚悟の上で、敢えて死地に向かわんとするこの鮮やかな気性を、どうして止められるというのでしょう。
――私の中で、黒い炎の火種が、燻りだしました。
何を迷っているのか、と。その緑色の玉を足元に放りさえすれば、私の安全は確保されるのだ、と。自ら死にたがるものに付き合う義理なんて無いだろう、と。そう、囁くのです。
確かに、それが正しい選択です。この場に留まったところで、今さら、何が出来るというのでしょう。一緒に死ぬ覚悟なんて、自己満足に過ぎません。助けを呼ぶ、という今出来る最大限の努力を行うことこそが、本当に相手を思っての行為ではないのでしょうか。
「さ、早く」
「あ……」
クックの耳を抱えていた手に、無理やり、モドリ玉が押し込まれて。
マックス爺さんは、たちまち、ドーガに向かって走り出しました。
――同時に、黒い炎が、火の粉を上げて燃え盛ってゆくのがわかりました。
「そう……仕方ないのね。
唯一正しい方法が、冴えたやり方が、これしか残っていないのだもの」
呟くと同時に、唇の端が、きゅ、と歪みました。
――そう、私は、愉快だったのです。愉快で愉快で愉快の上にさらに愉快と愉快が手を繋いで重なるくらい、愉快だったのです。
自分の心で決めた結末が。望みに臨んだ結果が。あんまりにも、可笑しくて。
だから、私は。
遠慮なく、呵責なく、思う存分に、笑顔を湛えたのでした。
「でも、そんな賢しい『正しさ』なんて、『優しいソナタ』には要らないもの」
小さな戦士は、弾むように駆け出しました。
リオレウスさえ凌駕してみせた時のように、一直線に。自らの方法で、戦うために。
――私の目指す炎は、焚き火の炎。お父さんとお母さんの、優しい炎だから。
そう。結論なんて、とうに私の胸の中にあったのでした。
おそらく、選択としては間違っているのでしょう。けれど、私の『正解』は、これなのです。
「ユウが言ったの。私の望むままの炎になれって」
――黒い炎は、跡形も無く、消え去っておりました。
「な……早くお逃げと、あれほど!」
先行していたマックス爺さんが私の姿を認め、目にも明らかな狼狽を見せました。
けれど、逆に私はやんわりと微笑みかけ、
「お孫さんへの土産話、欲しくありませんか?」
「――何だって?」
その問いには答えず、ただ、笑顔のままで。
私は、私にとって『正しい』間違いを選択し。
緑色の玉を、力一杯、放ったのでした。
集中と、忍耐と、決断力。
この戦いで試されているのは、間違いなくそういった要素なのでした。
(後の先を取る以上……フェイントに引っかかって拍子をずらされていては、私は勝てない。
でも、警戒という臆病に苛まれ、本命の挙動に反応出来なかったら……そこで、負けてしまう)
すぅ、と深く息を吸い込み、静かな微笑を湛えます。宣戦布告のつもりなのです。
(……来る)
無関心を装い、迂回を繰り返しながら、それでも確実に間合いを詰めてくる『影』が一つ。
そうしてこちらを射程範囲内に捉えた瞬間、『影』は、躊躇うことなく、攻撃を開始したのでした。
「アン」
――最初の一撃は、目にも明らかなフェイント。
ここまではまだ予想の範疇ですし、『影』とて、これで決着するとは思っていないのでしょう。
問題は、間髪入れずにやってくる、ニ撃目。
「ドゥ」
――これも、フェイント。
高ぶった神経が反応しかけるのを押し止め、同時に、海よりも深く静かに決断を下します。
次の三撃目――本命が来る、と。
神経を研ぎ澄まし。
両の手に力を込め。
脊髄で感じ取った刹那。
「トロワーっ!」
全身全霊で引き上げました。
結果は、完全勝利。
餌に食いついた拍子を見切られた魚は、降参するように、打ち上げられた地面で二度三度と跳ねたのでした。黄金色の魚体が、陽を照り返して鮮やかな光沢を放っています。
「今頃……ユウも、戦っている頃ですかね」
みしり、と奥歯が鳴りました。
自分が、同じ戦場へ立てないことへの、隠しようの無い苛立ちでした。
「街道に、ドスランポスが出た! しかも3匹だ!」
「何だと!? 街の兵士たちは何やってるんだよ!」
「やったからさ! 追い払って、その生き残りがこちらに向かっているんだ!」
「そんな……そんな話があるのか、ちきしょうめ!」
「ハンターだ! ハンターはいないのか!?」
モンスター来襲の知らせを受けたコルック村は、混乱を極めておりました。
もちろん、ハンターは村に何人もいたのですけれど、貿易の村という性質上、肉を焼いたり頼まれたアイテムを採取したりを生業とする者が多く、まともに戦闘を経験した者といえば、片手にも満たなかったのです。
「討伐の報奨金ははずみましょう! 2000……いいえ、2500ゼニーで!」
村長さんが必死に呼びかけを行なうものの、反応はよくありません。
皆、自分が逃げる算段を立てるだけで、積極的に戦おうという者などおりませんでした。
ただ1人、斬破刀を背負った白髪の剣士以外は。
「我に任せられよ」
声色はむしろ控えめでしたけれど、だからこそ、体から立ち上る戦士の風格が、波となって空気を揺らしているようでした。
村長さん、渡りに船とばかりにユウに依頼をしました。
「ただし、報酬は3000でお願いしたい」
「……はあ」
さすがに良い顔はしませんでしたけれど、背に腹は変えられないと判断したのでしょう。
3000ゼニーの報酬を約束し、お願いします、とユウに深く頭を垂れたのでした。
「お嬢さんに、プレゼントをするつもりなんだねえ、きっと」
しみじみと頷くのは、マックス爺さんです。
何でもお孫さんがいるのは街の方だそうで、街道を塞がれて、すっかり足止めを食う形になってしまったのでした。村がこんな混乱模様では、商売をすることも出来ないよ、と、困り顔です。
「3000、クックの耳の値段……ですね。でもそんなの、格好つけすぎです」
「もちろん、困っている人を見過ごしておけないからでもあるんだろうさ。
遊びじゃあないんだ。命を賭けるに値する報酬を請求して、悪いことなんて一つも無いさ」
そのまま、私はユウの背中を見送りました。
事前に、こんな会話を交わしていたからです。
「マックス老に話は通してある。今日一日、面倒を見てもらえ」
「……足手まとい、ですか?」
「然り。今回の相手は、ソナタを守りながらでは存分に戦えぬ」
「……!」
心臓を内側からぶすぶすと焦げつかせるような。
黒い感情の奔流が、唸りをあげて噴き出してくるのでした。
「今は任せると、ソナタは言った。その通りにしてもらう」
反論の余地は――我侭と同義の異論を口にすることは――ありませんでした。
遠ざかる背中は、一度も、振り返ることなく。
あくまで颯爽と。どこまでも淡々と。
戦場へ、その足で、その意思で、向かっていったのでした。
「さあ、見送りがすんだら、後は待つしか出来ない。でも、ただ待つのも芸がないからね。
街道とは逆の方へ少し歩くと、湖があるんだ。そこは水が綺麗で、魚がいっぱい釣れる。
どんなにたくさん釣ったって、なあに、ドーガがちゃんと運んでくれるから心配いらない。
どっさり魚を積み上げて、ユウ君が帰ってきたら、驚かせてあげようじゃあないか!」
やや大げさな身振り口振りなのは、気を使ってくれているのだとわかりました。
ちゃんと、わかりました、けれど。
「そうですね」
と、短く答えるので、精一杯でした。本当に、ダメなのでした。
――何が、炎の子供か。
子供と大人。一般人と戦士。間に有る、絶対的な壁。
それを、思い知らされたような気が、したのでした。
「いつか――なんて、嫌いな言葉」
湖面に映った私の顔は、レディとしては最悪の部類でした。
なので無理にでも笑顔を作り、まだぴちぴちと跳ねている魚を片手に、
「上手に釣れました♪」
にっこりと振り返ると、同じく釣り糸を垂れていたマックス爺さんが、駆け寄ってきました。
「おやおや……これは凄い、黄金魚だねえ」
「ふうん、見たまんまの名前なのですね」
黄金色だから黄金魚。眠くなるから眠魚と良い勝負なのでした。
ところがよくよくお話を聞くと、この黄金魚、たいそうな値打ちものだそうです。
「この黄金魚は、特に好事家や学者さんが、高く買ってくれるのさ」
「金ぴかですからお金持ちが欲しがるのはともかく……学者さんはどうしてですか?」
首を捻っていると、マックス爺さんは言葉を選びながら、ゆるりと話し始めました。
「実はね、この黄金色は、アルビノじゃないかと言われているんだ」
「アルビノ……白子、ですね白蛇とか白虎とか」
「そう、君は本当に色んなことを知っているんだねえ。
で、学者さんが言うには、魚のアルビノは黄化現象といって、黄色くなる場合が多いそうだ。
けれど、アルビノは一般に体が弱くて生き延びることが難しいんだね。飛竜みたいに無茶な生命力があるのならともかく、アルビノの魚じゃあ、そうそう生き残れやしない、と思うだろう?
なのにね、どうしたわけか、黄金魚は100年生きるとさえ言われる寿命を誇るんだ」
「それは不思議ですね」
「だから、その不思議さを調べるために、学者さんも欲しがるんだね。とにかく数が少ないから」
よくわかりました、でした。
ということは、この魚が美味しい食事や快適なベッドに化ける、ということです。
思いがけぬ幸運が舞い込んだ、と考えて差し支えないのでしょう。
けれど。
「これ、上げます」
「うん?」
私は、黄金色の魚を魚篭に入れると、それをマックス爺さんに差し出しました。
「どうしたんだい? せっかく釣ったのに」
「お孫さんのお見舞いに、あげてください。
『ソナタという、未だ見ぬあなたの友達からのプレゼントです』とでも付け加えて」
………………………………………
最初、マックス爺さんは驚きで石になってしまったようでした。
次いで、ミカンから猫が出てくるのを見たくらいに顔中で驚きを示して。
最後には、顔をくしゃくしゃにして笑ってくれたのでした。
「やれ、嬉しいねえ。こんなに優しいお嬢さんが、あの娘の友達になってくれるのかい。
ははは、困ったねえ。年甲斐も無く、目から雨が降ってしまいそうだよ」
実際、眼鏡を少し押し上げて、ちょいちょいっとやっているようでした。
もっとも、そこは見て見ぬ振りをするのが正しいレディの在り方なのは、言うまでもありません。
「じゃあ、お返しをしないとだねえ」
そう言って、静かに眠りこけているドーガの荷から、何かを取り出しました。
それは、特大のホットケーキみたいな大きさと形で、綺麗な薄い桃色をして……
「クックの耳じゃないですか!」
「ああ、とっても欲しがっていたから、迷惑じゃあないだろう?」
そういう問題では無いと思いました。こんなの、わらしべ長者どころのお話ではありません。
「あの、お気持ちはありがたいのですけれど……」
「おっとっと、ちょっと待った。想像しておくれよ、お嬢さん?
孫に会ったら、私は得意げに話すのさ。こんな素晴らしいお見舞いを貰いましたよってね。
そうしたら、絶対に孫は言うだろうさ。『じゃあ私もお返ししないと』って。
さあ、考えよう。マックス爺さんは、そんな孫にこう笑いかけたいとは思わないかい?
『大丈夫、ちゃあんとお返しはしたんだ。だから、お友達もありがとうって言ってたよ』ってね。
思い浮かぶなあ、孫の喜ぶ顔が。うん、間違いないねえ」
「……そんなの、ずるいです」
「歳を取ると、相応に図々しくなるのさ。ここはどうか、年寄りの駄々に付き合っておくれ」
言って、ずずい、とクックの耳を差し出してくるのです。
もう、選択肢は、『はい』か『Yes』かのどちらかしか無いようでした。
「ありがとうございます。あの……お孫さんの名前、聞いていいですか?
何というか、その、私にとって、多分初めての友達でして……」
「うん? ああ、そうか。そうだねえ……」
と、ここで何故かマックス爺さんは言いよどんで。
ぴくり、と眉を動かしたかと思うと、素早く背後を――湖とは反対側の岩場を――見据えました。
「どうかしまし…」
「お静かにね、お嬢さん」
その声には、切迫した響きがありました。
例えばそう――飛竜と対峙した剣士のような、戦いに臨む緊張感で。
顔を横に向けて見れば、ドーガも、何かしらの気配を察したらしく、世話しなく視線をめぐらせておりました。
風の色が鈍色に染まり。湖面がざわわと震えます。空気が密度を上げていくようです。
――ああ、これは。そうなのね。
私は、どこか懐かしい匂いを感じておりました。
――来る。炎の世界が。戦いの場が。
「……そうか、風上だったんだねえ。安心しすぎたかな」
「何が来ます?」
何か居るのですか、という質問を一足飛びにしたせいか、マックス爺さんは軽い驚きを見せましたけれど、すぐにそれは掻き消えました。
「さあね、確認する余裕はなさそうだよ。何にせよ、することは一つだ。わかるね?」
「撤退、ですね。タイミングはお任せします」
「おやおや……責任重大だね、これは」
先ほどの釣りと、同じでした。
機を逸すれば、即、敗北に繋がるような。
集中と忍耐と決断力が全ての戦い。
ただし。
賭けられているのは、釣餌ではなく、命そのものなのでした。
すぅ、と息を吸い込みます。
神経を研ぎ澄まし。
両の足に力を込め。
脊髄で感じ取った刹那。
「走って!」
瞬間、2人と1匹は全速で駆け出し。
半瞬後れで、岩場から『それ』が……いいえ、『それら』が、飛び出したのでした。
大の大人1.5人分はある、後ろ足で立つぎょろりとした目の蜥蜴。
水とも空とも違う、冷たいだけの硬質な蒼色の鱗。
頭から鮮血を浴びて染まったような、赤いトサカ。
「――ランポスか!」
マックス爺さんの叫びに応えたわけでは無いのでしょうけれど、
「きしゃああああああ!」
大きく開いたランポスたちの口から、甲高い声が響き渡ったのでした。
その口に並んだ牙は、リオレウスの三日月みたいな立派な牙からすれば棘みたいなものです。けれど、びっしりと敷き詰められたそれは、さながらノコギリのように、楽々と私の肉を食い破り、骨をこそぎ取っていくのでしょう。
数が4…5…6。これでは、どれか1匹にでも捕まれば、集中攻撃を受けて、あっという間に終わりです。戦闘用の装備を備えていない私やマックス爺さんにとっては、ある意味、飛竜以上の難敵なのでした。
「……ユウが、連れて行きたがらないわけね」
斬破刀であれば、その長さを生かし、片端から横薙ぎに斬り捨てることも可能なのでしょう。あれは、多数対1でも効果をまるで失わない類の得物なのです。
「私が近くにいて、刀を振るう邪魔になったりしない限りは……か。
やっぱり、守ってばかりいられるのでは……どうやったって、不具合が生じるのね」
――どうにも、不可思議な思考の流れでした。
今まさに迫っている牙からいかにして逃げようか、ということ以前に、『ユウと共にこの敵と戦うならばどう立ち回るか』というふうに、状況を分析しているのです。
――しかも、それ以上の異常を、この時の私は、半ば無意識に行っていたのでした。
「4時の方向に1……6時の方向に3……8時の方向に2。
相対速度、大丈夫……気をつけるのは、6時で最近接の1匹だけ……3拍子後!
アン……ドゥ……今! 右に折れて!」
併走するマックス爺さんの手を力の限りに引っ張ると、その残り少ない白髪のうち1本を、飛び掛ったランポスの牙が持っていきました。
文字通りの、間一髪。次いで、間髪さえ入れる暇を与えず、
「ドーガ、全力で尻尾っ! 即刻っ!」
「ふおお!?」
声の迫力は種族間を超えて伝わったらしく、目一杯の力で振られた尻尾に、白髪1本を咥えたランポスが高々と弾き飛ばされました。飛び掛ってから着地までの隙――つまりは宙に浮いている間であれば、肉食獣であるランポスの牙を以ってしても、草食獣であるドーガの単純な質量の大きさには敵わないのです。逆に言えば、それ以外のタイミングでは、『決して起こり得ない』反撃の光景なのでした。
「……お嬢、さん?」
マックス爺さんは、異常に気づきました。圧倒的なまでに、気づかされました。
少女は今――迫るランポスたちを、まんまと手玉にとって見せたのです。
(勘の良さ……なんかじゃない。お嬢さんは、完璧にタイミングを見計らっていた!
ランポスの飛び掛り、私の回避、ドーガでの迎撃……全ての流れを、操って!)
そんな馬鹿な! と心の中で13回唱えて、念のためもう1回唱えてから、現実に向き直ります。
さて。
一言で言えば、敵の動きを見切っている、ということなのでしょう。
考えるだに恐ろしいですが、おそらくは6匹全てを同時に。さながら、レーダーのように。
けれど、相手はイキモノです。不規則な動きをするものです。将棋の駒の動きを予測するみたいには出来ません。
なのに、事実この少女は、やってのけています。
位置関係の認識。
行動様式を分析。
相対速度の計算。
逐次行動を予測。
適切行動の模索。
最低でも、これだけの作業を同時進行で。しかも疾走しながら、絶え間なく。
そして、これらを利用した上での、反撃までも。
こんなの、頭が回るとか知恵が働くとか、もうそんな次元ではありません。
(大人だって……いいや、どこの誰であったって、とても真似出来ることじゃあない!)
いったい――どんな思考能力なのでしょう。いいえ、そんな問題でもありません。ここは、すでに戦場なのです。机の上で線を引き、論理に酔い、甘美な結論を描くようにいくはずがありません。
総毛立ってサボテンになる体、ガラス片の如きプレッシャーに切り裂かれる胸、沸騰する血液と底冷えする骨髄との狹間に揺れる心。それが、命が危険に晒されるという、非日常の世界です。
年齢だけを考えれば、泣き叫んでへたり込んでも、おかしくありません。むしろその方が自然なくらいです。にも拘らず、鈍るどころか、逆にスイッチが入ったようにフル稼動し始めた、この少女。
(語彙に富んだ大人びた口調……目を見張るばかりの知識量……。
そんなものは、このお嬢さんにとって、氷山の一角でしかなかったのか!)
冷静な分析力。最善の手を探す判断力。躊躇わない決断力。
武器を振るっているわけではありません。敵を打ち倒しているわけでもありません。
けれど、この戦場において、この少女は――まさしく正しく、戦士、そのものなのでした。
「このまま岩場を抜けていけば……大丈夫、逃げ切れます!」
もう、その幼い声に従うことに、迷いはありませんでした。
小さな掌から伝わってくる体温を、頼もしいとさえ、今は感じます。
「ああ、頼むよ」
そう叫んでから、笑いかける間くらいの瞬間でした。
「ふぉぉぉぉぉん!」
絶望的なまでに、悲痛な声。ずぅん、と地面を揺らす、重い音。漂う、鉄錆びの匂い。
「ドーガぁ!?」
足を止めたのは、マックス爺さんが先だったのでしょうか。それとも私だったのでしょうか。
何にせよ、停止した2人の視界に映ったのは、ドーガの腹を深々と切り裂いた、『7匹目』の姿でした。そうして、たちまちに他のランポスたちも、ドーガに群がり始めます。
「ぐぉ、ぐぉ、ぐぉぉぉん!」
明らかに他のランポスとは違う、重低音の叫び、2回りは大きい体、そして……紅に染まり、さらにその上から鮮血を湛えた、刃のような爪。
「貴様がドーガを……ドスランポスぅ!」
ドスランポス。それは、群を従える、ランポスの王。
そして、ユウが退治にいったはずの敵。
それが、いったいどんな経緯を以ってしてか、眼前に現れたのでした。
けれどこの場において、その理由などは、何の意味も持ちません。
地に伏しもがく草食恐竜と、それを救出せんとする老人、そして、無力な私。
それだけが、気分が悪くなるくらい極彩色に彩られた、現実なのでした。
「ダメ! 今行ったら、マックス爺さんもやられちゃう!」
「わかっている……でも、もしあれがユウ君なら、君も同じことをするだろう」
「……!」
止められない――そう私は直感しました。
ならば、と。小さな戦士として覚悟を決めた、その刹那。
「――君は、お逃げ」
涙が出るくらい優しい声の老人は、掌サイズの、緑色の球体を差し出したのでした。
モドリ玉。
近くの街や村に瞬く間に舞い戻れる、そんな、あまりにもこの場に相応しすぎるアイテムです。
ただ、これは――1個につき、1人しか、効果が及ばないというもので。つまり、それは。
「どうして……あなた自身、逃げることはいつでも出来たのなら!」
「なあに、老い先短い身さ。息子同然のドーガを見捨ててはおけないし、
ユウ君から預かった君を、置いていくわけにもいかないからね」
男の顔、でした。
静かな決意をしっかと胸に宿した者の誇りが、滲んでいます。
「大丈夫だよ。爆薬と閃光玉があってね、運が良ければ、奴らの隙を突ける。
それに、村に戻った君がすぐに助けを呼んでくれれば、間に合うかもわからないからね」
明らかな方便でした。
生き残る確率なんて無いに等しいのに。ドーガだって、もう助からない算段の方が大きいのに。
それでも、きっとそんなことは覚悟の上で、敢えて死地に向かわんとするこの鮮やかな気性を、どうして止められるというのでしょう。
――私の中で、黒い炎の火種が、燻りだしました。
何を迷っているのか、と。その緑色の玉を足元に放りさえすれば、私の安全は確保されるのだ、と。自ら死にたがるものに付き合う義理なんて無いだろう、と。そう、囁くのです。
確かに、それが正しい選択です。この場に留まったところで、今さら、何が出来るというのでしょう。一緒に死ぬ覚悟なんて、自己満足に過ぎません。助けを呼ぶ、という今出来る最大限の努力を行うことこそが、本当に相手を思っての行為ではないのでしょうか。
「さ、早く」
「あ……」
クックの耳を抱えていた手に、無理やり、モドリ玉が押し込まれて。
マックス爺さんは、たちまち、ドーガに向かって走り出しました。
――同時に、黒い炎が、火の粉を上げて燃え盛ってゆくのがわかりました。
「そう……仕方ないのね。
唯一正しい方法が、冴えたやり方が、これしか残っていないのだもの」
呟くと同時に、唇の端が、きゅ、と歪みました。
――そう、私は、愉快だったのです。愉快で愉快で愉快の上にさらに愉快と愉快が手を繋いで重なるくらい、愉快だったのです。
自分の心で決めた結末が。望みに臨んだ結果が。あんまりにも、可笑しくて。
だから、私は。
遠慮なく、呵責なく、思う存分に、笑顔を湛えたのでした。
「でも、そんな賢しい『正しさ』なんて、『優しいソナタ』には要らないもの」
小さな戦士は、弾むように駆け出しました。
リオレウスさえ凌駕してみせた時のように、一直線に。自らの方法で、戦うために。
――私の目指す炎は、焚き火の炎。お父さんとお母さんの、優しい炎だから。
そう。結論なんて、とうに私の胸の中にあったのでした。
おそらく、選択としては間違っているのでしょう。けれど、私の『正解』は、これなのです。
「ユウが言ったの。私の望むままの炎になれって」
――黒い炎は、跡形も無く、消え去っておりました。
「な……早くお逃げと、あれほど!」
先行していたマックス爺さんが私の姿を認め、目にも明らかな狼狽を見せました。
けれど、逆に私はやんわりと微笑みかけ、
「お孫さんへの土産話、欲しくありませんか?」
「――何だって?」
その問いには答えず、ただ、笑顔のままで。
私は、私にとって『正しい』間違いを選択し。
緑色の玉を、力一杯、放ったのでした。
第5幕 〜箱庭を満たす戦いの詩〜
「――今、何と、言った?」
白髪の剣士は、急かすことも、ましてや恫喝することも無く、けれど、心臓にするりとナイフを滑り込ませるような、底冷えする声で問うたものでした。
「で……ですから、ね。3匹では、無かった、の、です」
早馬に乗ってやってきた兵士さん、陸に打ち上げられたデメキンのように喘いでおります。
真っ青を通り越してロウソク色になった顔は、逃げ出したい、と雄弁に語っているのでした。
「よ…4匹だったんです、よ! 一番賢いドスランポスの1匹だけが、森に紛れ、
街道を敢えて迂回することで、逃げ切った、と、いうことのよう、でして……ヒィ!?」
最後の呻きは、剣士の瞳に、飛竜の牙の輝きじみた剣呑な光を見取ったからでした。
「痴れ者が! 何たる迂闊かっ!」
「ず、ずびばぜん!」
たちまち涙と鼻水でぐちょぐちょになった兵士さん、ホウホウの態で引き払いました。
「3匹を討ち取ったとて……村の危機は、如何ほども去ってはおらぬということか」
ユウにとって、ドスランポスの3匹はさほど厄介な敵ではありませんでした。
事実、さして手間もかけず駆逐しコルック村に舞い戻ったのですから、仮にここでもう1匹出てきたとしても、それ自体は問題になりません。
ただし、出てきてくれれば、のお話です。
「知恵が回る輩は厄介に尽きる……身を潜め、強敵を迂回し、弱者ばかりを狙ってくるであろう。
戦えば負けぬ……が、逃げに徹されては、捕捉は困難、か」
思索に耽るユウの横で、村長さんがこれまたロウソク色になっておりました。
ユウの手際に感動し、気前よく報酬を支払った直後ということもあって、感情の落差がより激しいのでしょう。
「あ……あの、追加料金で、どうか4匹目も……」
頭の中で必死に算盤を弾き、『出来れば500最高でも700まで』とか考えながら、村長さんが恐る恐る声をかけようとした時でした。
どわッ、と。
耳より先に肌に伝わる大きなどよめきが、広場の方から上がったのです。
すぐさま走り出すユウと、それを慌てて追う村長さん。
普段は出店で賑わう広場も、今日はその面影は無く、ただ、中心付近で大きな人だかりが出来ているだけでした。
「あれか!」
「ま……待ってくださいよぅ」
人だかりを掻き分け掻き分け、やがて2人が見たものは、赤く血に濡れて横たわる巨体でした。
「おぬし……ドーガ! ドーガだというのか!?」
「ふぉ……ぉぅ」
震える瞼が、僅かばかり開きました。
そうして、ユウの姿を認めた瞬間、
「ふぉ…おおおおん!」
再び、観衆から、どよめきが起きました。
紅い水溜りがみるみる大きくなるのも頓着せず。
ぱっくりと傷が大口を開けるのも気にかけず。
温和で知られる草食恐竜は、壮絶なまでの姿で、立ち上がったのです。
そして踏み出し、1歩、2歩、3歩目で少しよろめきながらも、4歩、5歩、6歩目で、ユウの眼前まで進み出でて見せたのでした。
「ふぉ! ふおお! ふおおおお!」
ユウには、その言葉の意味はまるでわかりませんでしたけれど。
それでも、戦士の魂の色を、叫びを、感じ取れぬはずがありません。
最後の、ひょっとしたならば最期の、そんな力を振り絞って伝えようという、意思。
――まだ、2人は、戦っているんだ!
それが、伝わらないはずが、無いのです。
「委細承知! 忠実にして勇敢なる従騎ドーガよ、後は全て我に任せられいっ!」
「ふ……ぉん」
崩れ落ちる寸前の表情は、笑顔でした。
ざわめき出す群集をよそに、ユウは、鋭く振り返ります。
「村長殿」
「は……はい!? 出来れば500くらいで倒してくれないかなと希望しているのですが、
いやいやこちらも勉強させていただいて700くらいまでなら……」
「いらぬ。その分を、あのアプトノスの治療に換えさせていただく。よろしいか?」
「は……はぁ」
腑に落ちない顔をしていた村長さんでしたけれど、
「呆けている場合か! あの者を死なせること……まかりならんぞ!」
「は、はいィ!」
一喝されて曲がった背筋までしゃんと伸び、ただちに取り掛かったのでした。
「釣りにでも……とマックス老は言っていた。ならば!」
ユウが駆け出したのは湖に向けてではなく、先ほどの兵士さんの所でした。
「な……何か御用で!?」
「借りるぞ」
言うが早いか、草を食んでいる最中の栗毛の馬に視線を定め、
「とうっ!」
鞍も乗せていないままで飛び乗り、そのまま、全速で走らせていったのでした。
さすがの早馬、あっという間に後ろ姿が見えなくなっていきます。
「あ……あぁ?」
何が起こったのか、まだちょっとわかっていない兵士さん。それでも律儀に、一言だけ、ぽつりと感想を漏らしたのでした。
「……泥棒だ」
そんな適切すぎる評価を受けているとは、露知らずのユウ。
内心では、『それでこそ小戦士だ』という得心と、『戦うな、逃げていてくれ』という焦燥とが、複雑に両立しておりました。
「力だけでは暴力となる。だが、想いだけでは無力なのだぞ!
ぶつかり合えば、そのときは……」
――忘れようの無い痛みが。底無しに過ぎる絶望が。まざまざと甦ってくるようでした。
覚えず、ユウは、斬破刀の柄に手をかけておりました。
「神楽の血に連なる幾多の英霊たちよ……ご加護を!」
普段のユウからは、想像も出来ないような声色でしたけれど。
栗毛の馬は別段感動を覚えたふうでもなく、耳を少しそば立てただけなのでした。
戦況は、最悪一歩手前、といったところでしょうか。
モドリ玉でドーガが消えたことにより、一時的に混乱をきたしたランポスたちでしたけれど、もちろん、すぐさま標的を私たちに変更しただけのことでした。
マックス爺さんが閃光玉を投げてくれたおかげで、何とか岩場に身を隠すことには成功しましたけれど、再び発見されるのは時間の問題と思われました。大小さまざまな岩が乱立して、お世辞にも視界が良いとはいえない地形ですが、包囲して徐々にその輪を縮めていけば……結果は自ずと知れているのです。
「どうして……どうして、逃げなかったんだい……君は」
声も表情も纏う空気までも、全てが等しく痛々しさに満ちておりました。
咎める、というよりは、単純に哀しんでいるようです。あるいは、年端もいかない子供を死地に巻き込んでしまった、という自責なのでしょうか。
「私が、私を許せなくなるからです」
「そんなの、生きていてこそなんだよ……。
後悔だって、間違いだって、あっていいんだ。いいんだとも……!」
ぎゅっと。
おそらくお孫さんにそうするように、私の頭を抱きしめてくれました。
「大丈夫、閃光玉を作る素材はまだあるからね。
絶対に、君が逃げるだけの時間は稼いでみせる。絶対にだ」
――温かい。
いつか、炎の向こうに消えてしまった何かに、手が届いたような気がしました。
ちょっと、涙が零れそうな、優しい心地。
でも、今は。
私に出来ることを、するべき時なのです。だから。
あえて温もりを引き剥がして、まっすぐに見据え。
「2人で、生き残りましょう」
静かに、決意を告げました。
「……そうだね、出来れば、そうしたかったなあ。
でもね、やりたいこととやれることとは、必ずしも一致しないんだ。わかるね?」
こんな状況にあっても、まだ、やんわりと理解を促す物言いは健在でした。だからこそ、そこに、譲れぬ強固な意志が存在していることが窺えます。
――けれど。言ったのは、あなたなのですよ、マックス爺さん。レディが全身全霊で勝負を挑んだら、男性たちは白旗を上げるしかないって。ちゃあんと、聞こえていたのですからね。
「逃げることを考えたら、その通りです。でも、そうではない選択もあります」
優雅で華麗で大胆で。何より不敵で無敵な笑顔でもって。
さながら、詩を謡うかのように、静かに清かに厳かに。
「殲滅しましょう。私と、あなたにしか出来ない戦い方で」
口にしたのは、宣戦布告、でした。
無力な老人と少女。
ちょっとしたゴロツキにも勝てなさそうな組み合わせで、3倍の数の肉食獣とそのボスに、真っ向から挑もうというのです。
無茶を通り越して、無謀の匂いがふんだんにしました。
「ちょ……お嬢さん、いいかい、そもそも戦いには武器というものが必要でね……」
「さあさ、お立ち会い」
パン、と手を1つ叩いて反論を塞ぐと、私はいかにも大げさな口調と身振りで、話し出しました。
「これから始まるのはね、ほんのちっちゃな子供とちっぽけな老人とが、
何とも恐ろしいモンスターに立ち向かうお話さ」
「お嬢さん……」
誰を真似ているかなんて、本人にわからないはずがありません。
呆気に取られた顔で、私の口上に聞き入ります。
「ふふふ、勝てるわけが無いと思うかい? いやいや、そう思って当然だろうねえ。
一見して2人には武器も無いし力も無い。普通、それじゃあ勝負にもならないって思うだろう?
でもね、あったのさ。2人なら出来る……いいや、この2人じゃないと出来ないような、
とびきり愉快で甚だ奇矯で、ちょっぴり目を見張ってしまうような、そんな戦い方が、さ」
茶目っ気たっぷりにウィンクしたところで、意図的に口調と表情を、元に戻します。
「――続き、お孫さんに聞かせてあげたいと思いませんか?」
「なるほどね……土産話っていうのは、そういうことなんだねえ」
視線が交錯したのは、一瞬のことでした。
マックス爺さんは、これまた芝居がかった調子で、やれやれと肩を竦め、
「でも、孫のためにっていうのは、ちょっと無理だなあ」
「そうですか?」
「ああ、誰よりも私が知りたくなってしまったよ。そんな物語の結末っていうのを、ね」
シニカルに微笑み、ウィンクを返してきたのでした。
――これで、戦士が二人、です。
何とも、頼もしい戦力ではありませんか。
「ではまず、あなたの荷物の中身、出来るだけ正確に教えてください」
「仰せのままに、だよ。お嬢さん」
そうと決まれば行動あるのみです。
日用品を除いて使えそうなものを羅列すれば、以下の通りなのでした。
『一般的な店売りのボウガンの弾丸各種、およそ30発ずつ。
素材玉5個。爆薬3個。小タル2個。大タル1個。
光蟲5匹。ツタの葉10枚。ペイントの実7個。ネンチャク草5束。
クモの巣1つ。にが虫3匹。アオキノコ1本。釣りミミズ30匹。釣りバッタ13匹。
カラの実25個。カラ骨15個。薬草2束。ハチミツ1瓶。いにしえの秘薬1瓶。 』
「どうだい? もう少し、爆薬やタルがあれば良かったんだろうけれど……」
「いいえ、想像以上です」
力強く、少女は頷いたものでした。
「さあ、戦闘開始と参りましょうか。まずは、あなたの見せ場からですよ」
ランポスたちは、意気揚々としておりました。
ぎょろりとした目を爛々と輝かせて、獲物はここかな、それともあっちかな、なんて思いながら、 岩場を闊歩しているのです。
と。
岩陰から、何かが飛び出しました。
はて、仲間かなと目を見張ると、違いました。ちっちゃいけれど、柔らかくて美味しそうな方の獲物です。たちまち側の1匹が、我先にと飛びつきました。
「きしゃあああ!」
その叫びを言葉にすれば、間違いなく『いっただっきま〜す』といったところなのでしょう。
いつも以上にその口を大きく開けて。
地を蹴って跳躍した格好そのままに。
爆発しました。
「……!?」
仰向けに宙を飛び、地面に打ちつけられ、転がるように立ち上がって。
それでもまだ、自分の身に何が起こったのか、理解が及んでいない様子でした。
「さすがマックス爺さん……良い仕事です」
不敵に微笑む少女は、手の中の物体を、驚き覚めやらぬランポスたちに放ります。
再び、爆発が起こりました。
「……始まった、か」
少し離れた岩場の影に身を隠しているマックス爺さんは、爆発の音を気にしながらも手は休めず、少女の3つの注文を思い出します。
「拡散弾って、ありますよね? 中に、小爆弾が入ったボウガンの弾丸です」
「ああ、さっき言った通り、30発はあるよ」
「ではまず、そのうち10発を解体して下さい」
「うん?」
「『直接小爆弾を投げつける』と、そう言っているのですよ」
これが、1つ目の注文でした。
一般に言えることですけれど、作るより壊す方が簡単です。作り慣れた弾丸ならばなおさらのことで、うっかり爆発、なんてミスをすることもなく、注文通り成し遂げたのでした。
それを受け取ってから、少女は2つ目と3つ目の注文をしました。けれど、それはそこそこに時間のかかる作業だったのです。
「それまで見つからないというのは……難しいよ、正直」
「大丈夫。そのために、私が小爆弾を持ったのですから」
囮になる、と。
言外に少女は、そう告げたのでした。
「お嬢さん……!」
「反論は無しですよ」
すっくと立ち上がった小さな戦士は、こう言い添えたのでした。
「大丈夫。囮としての私は、火竜リオレウスさえ翻弄してみせましたから」
さすがにこれは、自分を安心させる方便だろうと考えたマックス爺さんでしたが、何故でしょう、この少女ならばやりかねないと思わせるから、不思議なものです。
「……よし、これで!」
2つ目の注文を完成させ、設置します。こんな『危険物』、下手に衝撃を与えたらおしまいです。慎重に慎重を期し、最後に、『仕上げ』をゆっくりと被せて、完了です。
舞台は、整いました。
「後は、これだね」
3つ目の注文。閃光玉でした。
けれど、これを作ることだけではなく、きっちり放るところまでが、注文なのです。
「見せ場、か。私が下手を打ったら……そこで、全部、失敗なんだなあ」
自分たちの命運を握るのが、こんな玉1つと思うと、自然に笑いと震えが込み上げてきました。
「なんの、武者震いさ!」
意を決して、岩陰から飛び出し、走ります。
ほどなく、大立ち回りを演じている少女が見えました。本当はすぐさま駆け寄りたい心境でしたけれど、その衝動を押し殺し、じっと身を潜めて様子を窺います。
この閃光玉は、最高のタイミングで決めなければならないのです。
「うう……」
目まぐるしく動き回るランポスたち。狙いは、なかなか定まりませんでした。
けれど、いつまでも悠長に待ってはいられません。そのランポスたちを1人で捌き続けている少女に、遠からず限界が来てしまいます。
と。
少女が足を滑らせたようで、その動きが止まりました。
色めき立つランポスたち。けれど慌てず騒がず、その機先を小爆弾で制する少女。
瞬間。
全てのランポスの目が少女一点に集中したままで、戦場が膠着したのです。
これを置いて、チャンスは他にありませんでした。
「お嬢さん、走って!」
飛び出しざまに、閃光玉を放り。
全速で駆け寄ってくる少女の背後で、光の洪水が、炸裂したのでした。
両手で顔面を庇い、その余韻が収まるのを待ってから、前方を見据えます。
「やった……?」
その答えは。
ぎょろり、と。
こちらを捉えて逃さない、6対の瞳でした。
運の悪いことに、閃光玉は、小さな岩の手前に落ちてしまったのです。
そのため、岩の背後、つまりはランポスたちへ向かうはずの光が、すっかり遮られてしまったのでした。
ランポスたちが、にんまりと、微笑んだような気がしました。
「くそお!」
マックス爺さんは、けむり玉を、吐き捨てるように地面へ叩きつけました。
岩場が、白い煙でもうもうと満たされていきます。
「さ、お嬢さん、こっちへ逃げるんだ!」
「はい!」
小さな手を引き、必死で駆けます。
けれど、ランポスたちは、すでに見定めた獲物を、そんなちゃちな煙くらいで、見失いはしなかったのです。
大きい影と小さな影が、ややまっすぐ走り、次いで大きな岩を左に曲がっていく様子を確実に捉え、嬉々としてその後を追ったのでした。
こうなればもう、競争みたいなものです。小爆弾で受けた思わぬ打撃の恨みを晴らす意味もあって、6匹のランポスたちは押し合いへし合い進み行きました。
そして。
煙の向こうで、大きな影と小さな影が、互いに身を寄せてうずくまっている姿を認めるや否や。
「きしゃあああああ!」
6つの影が、水泳のスタートみたいに、横一線で宙を待ったのでした。
そうして、それぞれの牙が、大小の影それぞれに食い込み。
立ち込めた白い煙ごと、まとめて、弾け飛びました。
真っ赤に染まった視界。
その意味をランポスたちが理解する間も無く、雨のようなつぶてが、全身を貫いていき。
今度は真っ黒に視界が塗りつぶされ、もう、それが晴れる機会は二度と無いのでした。
全滅です。
「注文通りの仕事ぶりでしたよ」
「それは、光栄の至りだねえ」
1つ向こうの岩陰でのそんな会話が、はたして、事切れる前に聞こえたかどうか。
2つ目の注文は、聞いたことも無い代物でした。
「なんだって……大小のタル爆弾に、爆薬と共にみっちり散弾を詰めて欲しい?」
「はい。6匹ともまとめて倒すには、それしかありません」
名づけて『散ダル』です、と少女は得意げに言いました。
「確かに、爆発の衝撃で弾丸を発射出来れば……しかも、正確な狙いがいらない散弾であれば、確実に効果は上がるんだろうけれど……」
問題も、山積みでした。
まず、調合の段階で、爆薬がどかんと行ったらそれまでです。『タル爆弾にどれだけ散弾は詰め込めるのか』なんてマニュアルはどこにも有りませんので、勘だけが頼りです。
さらに、近くにいたら、間違いなく巻き添えを食います。つまり、着火してから逃げるという一般の方法が取れませんので、爆弾としては完全に欠陥品です。
「そこは、私に考えがあります」
走りながら地形を記憶していた少女は、作戦に最適な場所を割り出しました。そして、ランポスに飛び掛らせた衝撃を利用して起爆を成功させるための、3つ目の注文を口にしたのです。
「閃光玉を放って、しかも、『完璧に失敗』して下さい」
「………………は?」
たっぷり5秒、反応するまでに間が空きました。
「逃げるとき一度、ランポスたちは閃光玉を受けています。あれがどういうものか、身を持って知っているのです」
確かに、それはそうでした。
もしランポスの立場だったら、二度とくらいたくないこと請け合いです。
「では、もしそれが不発だったら、『しめたものだ』と思って、躍り上がって喜ぶでしょうね。
もう、自分の取り分増やすことだけ考えて、勇んで飛び込んできてくれますよ」
勝利に酔った瞬間が、一番無防備になる、と。
そして、いっぺんにやっつけるため、1匹たりとも閃光玉で動きを止めてはいけない、と。
少女は、そう言っているのでした。
マックス爺さんは唸りました。心理の隙を突く、見事な着眼点です。
「だが、それだけじゃあ、さすがに爆弾に喜んで突っ込んではくれないさ」
「偽装します」
けむり玉で、視界を不明瞭にすること。
ちょうど2人が並んで見えるように、大タル小タルをくっつけて置くこと。
ネットを上からかけて、いかにもタル、という輪郭を隠すこと。
その3つを、続けざまに提案してきたのです。
荷物を確認してすぐさまこれを思いついたとなると、とんでもないお話でした。
色んな意味のこもった溜め息をマックス爺さんが漏らしたのも、仕方の無いことでしょう。
「それは随分と……大仕事だなあ」
「だからこそ、あなたの見せ場なのですよ」
事実、見事に役目を果たして、ランポスを全滅に導いてみせたのでした。
そして、主役は交代し。
「では、参りましょうか」
「ああ、そうだね」
少女が差し出した手を、老人は、やんわりと取り。
2人は、ゆるりと岩陰から歩み出ました。
これからが、最後の仕上げなのです。
「さあ――出てきたらどうですか?」
ドスランポス。
ドーガを傷つけた、張本人。
「あなたは慎重です。岩場の捜索を部下たちに任せ、自分は息を潜めて姿を現さない」
「だが、そこをお嬢さんに利用され、先に部下たちを殲滅されたわけだがねえ」
「そう。手の内は全てわかっています。逃げるなら、今ですよ」
もちろん、『おのれぇ!』とか言ってのこのこ出てくるのを狙っているわけではありません。
ここが、身を隠すのに適した岩場で。
私たちが、あまりにも無防備で。
相手が、知恵の回る獣で。
それらを踏まえた上で、『餌』を撒いたのでした。
「3つ……ですね。数えましょう」
「わかったよ」
最初は、私が。
「アン」
次は、マックス爺さんが。
「ドゥ」
最後は、2人で。
「トロワっ!」
振り向きもせず、背後に小爆弾を投じると。
まさに不意をついて襲い掛からんとしていた、ドスランポスに命中しました。
「ふふん、美味い『餌』にまんまと食いついてきたねえ、大物さんが」
これも、心理の罠でした。
今の状況は、あまりにも『不意打ちに都合が良すぎた』のです。
例えばそう、正面からの攻撃なんて、最初から思慮の外に吹っ飛んでしまうくらいに。
つまり。
意図的に整えた条件によって、選択肢を『不意打ち』ただ一択に絞らせてしまったのでした。
そうなればその攻撃はもう、不意打ちどころか、最初から予定に沿った行動でしかありません。
結果、逆にドスランポスが、不意を打たれるだけの的に成り下がったのでした。
「手の内はわかっていると言いました……ドーガが、見せてくれたのだから!」
追撃の小爆弾を放りますけれど、さすがにそれはかわされてしまいました。
でも、それで良いのです。
距離を取るためだけの、攻撃だったのですから。
「行ってきます」
握っていた手を離し、告げます。
「カーテンコールは、任せたよ」
笑顔が、私の背中を押してくれました。
手の中に残ったのは、仄かな温もりと。
追加の小爆弾、閃光玉、けむり玉、ペイントボールの4点セットでした。
『私の見せ場用』の注文が、完璧に揃っているのです。
「よくもこの短時間でここまで……あなたは最高です」
言いながら、ほこほこと小爆弾を投じます。
ドスランポスを、マックス爺さんから引き離すため、です。
少なくとも、マックス爺さん本人にはそう告げました。
――ここからは、私の役目ですから、と。
でも、本当はもう1つ、理由があるのです。
敢えてはぐらかした、ドスランポスを倒すための奥の手を、見せないためでした。
「知ったら、きっと止めるでしょうから」
少女の唇が、ゴメンナサイ、という形に動きました。
背に負われたクックの耳だけがその言葉を聞きとがめ、微かに揺れたようでした。
結局。
私とドスランポスが真っ向から対峙したのは、岩場を抜けた丘陵地帯でした。
見晴らしがよく、お互い、逃げも隠れも出来ない地形です。
距離は、10メートルと少々。
私にしてみれば、爆弾を届かせるにはやや遠く。
ドスランポスにしてみれば、飛び掛っても当てるのが難しい。
そんな、微妙な間合いなのでした。
「ぐぉ……ぐおおおおおん!」
それは威圧でしょうか、はたまた鼓舞でしょうか。
いずれにせよ、私を、確かな敵として認識した証拠でした。
もちろん、叫び返すような真似はいたしません。
だって私は、おしとやかで慎ましやかなレディなのですから。
そういうわけでして。
「あなたでは、ダンスの相手には役者不足ですね」
にこやかに拒絶し、小爆弾を放りました。
敵もさるもの。ダンスさながらのサイドステップで、爆発を掻い潜りながら接近してきます。
ぎらり、と牙が光り。
巨体が嘘のように、宙を舞いました。
――でも、予測済みです。
「知りませんか? 私の手、2つあるのですけれど」
身を伏せるのと、背後に放った閃光玉が地面に落ちるのとは、同時でした。
瞬間。炸裂。
「ぐぉおおお!?」
「それを指して……隙と言う! なんて、ね」
手持ちの小爆弾は、残り24個。
それらを、次から次へと投じました。
慣れない動作の連続で肩が痛むことになど、構ってなんかいられません。
相手の動きが止まった今しか、チャンスは無いのです。
「まとめて、持っていきなさい!」
爆発、爆発、爆発。
完全に、こちらが押している、はずでした。
なのに。
「…………」
爆風にさらされ、木の葉のように宙を舞っては落ちながらも。
蒼の鱗が破れ、トサカと同じ色に染まりだしながらも。
ドスランポスは、かっとその目を見開いたままなのでした。
虚空を見据え、揺らぎもしない、不気味な、瞳。
「耐えられると……確信しているとでも言うの?」
ちりちりと、焦燥を募らせながら。
ちょうど21発目の小爆弾を投じようとした、刹那でした。
今まで、定まらなかったドスランポスの視線が。
失われていたはずの、視力が。
しっかと。私を。捉え。
「いけない!」
僥倖、と言うべきなのでしょうか。
とっさに横ざまに転がった結果。
真紅の爪は、私の右肩を薄く切り裂いただけなのでした。
「ニ撃目が来るのなら!」
至近距離で、小爆弾を炸裂させてやるつもりでしたけれど。
敵は、冷静、でした。
最初と同じだけの距離を取り、じっと、こちらの様子を窺っています。
「そう……閃光玉の有無を、確かめているのね」
良い作戦、でした。
この距離でこちらが仕掛けない以上、もう、閃光玉が無いのを知ることができ。
よしんばあったとしても、次の攻撃も耐えられるぞと、無言のプレッシャーを与えてくるのです。
さて。
残された小爆弾は、ただの4個。
軽い傷とはいえ、右腕はもう、使えそうにありません。
正義の味方が現れるような都合の良さも、期待できません。
なかなかどうして、絶望的な、状況でした。
「ねえ……こういうときは、どんな言葉が相応しいか、知っていますか?」
私は、右肩から流れる血を左手で押さえながら、うつむき加減で言いました。
反応は、当然ありません。
けれど、構うことなく、私は喋り続けます。
「『誰か助けて…』でしょうか? 『ああ神様…』でしょうか? 『命ばかりは…』でしょうか?
違いますね、全然違います。もっと、最初に口をついて出るべき言葉があるのです」
どうやら、ドスランポスは、私に『さしたる脅威無し』と判断したようでした。
ご自慢の真紅の爪を、ぺろり、と舐めて、さていつとどめを刺すかな、といった風情です。
――ああ、全くもう。
最後まで、なんて『予想通り』な敵なのでしょう。
「正解は、『乙女の柔肌に傷をつけた罪、万死に値します』ですよ。覚えておきなさい!」
かっ、と顔を上げた私は、当然、魅力的な笑顔でいっぱいでした。
素早く、左手に忍ばせたけむり玉を、地面に打ちつけます。
たちまち視界は白い煙に遮られ、互いのシルエットだけが浮かび上がりました。
「閃光玉を受けて間が無いと……視界は、完全には回復しきりません。
例えばそう、あの、リオレウスをしてさえも」
白い世界を、私は駆け出しました。
当然、敵へと向けて、まっすぐに。
あのとき、炎の世界でそうしたように。
でも、1つ、違うのは。
今度は、白髪の剣士の力を借りることなく。
自分の力だけで、全てを決めるために。
ただ、ひたすらに、前へ。
「そこにけむり玉の力を借りれば、少なくとも……飛び掛るような攻撃は、使えやしないでしょう?」
事実、その場から動こうとしておりません。無理に不確実な攻撃をする必要が無いからです。
普通のランポスには無い、あの、真紅の爪。
先ほど私の肩を切り裂いたそれで、今度は、体を貫くつもりなのでしょう。
それが豆腐を握りつぶすくらい容易いことを、ズキズキと痛む傷が、物語っております。
それでも。
当たらなければどうということも無いのは、火竜の炎弾と同じです。
「互いの細かな動きは見えない。なら、攻撃の挙動も読めない。速さだけで当てられる。
……なあんて、思っているのだとしたら。あなた、迂闊です」
くすり、と笑って、けむりの向こうに佇む、蛍光ピンクの光を見つめます。
ペイントボールの塗料です。
先にもいったように、私には手が2つあるものですから。
閃光玉で目が眩んでいる隙に、小爆弾と一緒に投げつけておいたのでした。
効果は、てきめん。
呼吸による胸の上下までが、けむり越しに見て取れるようです。
「――ここまでは、マックス爺さんとも相談済み。でも、最後の仕上げは……」
取り出したのは、調合に使われなかった分の、爆薬です。
まさか『爆薬だけ貸してください』というわけにもいきませんでしたから、その、何と言いますか、気づかれないよう無断で拝借した、という次第でして。
「小爆弾4つもあれば……起爆には、充分」
けれど、ただ当てても、恐らく耐え凌がれることでしょう。
だから。
話せなかった切り札を。
この小さな腕に込めて。
「使います。『グラウンド零』を」
命の交錯する距離、3メートル。
たったそれだけが、白くけむる箱庭の世界の全てで。
そこで奏でられるのは、ありふれた戦いの詩。
曰く。
食うか、食われるか。
「ぐぉぉぉぉぉ!」
先に仕掛けたのは、ドスランポスの方でした。
叫びよりも如実に、蛍光ピンクの光が、それを指し示してくれています。
まず、獲物を見据えて体勢を低くし。
地を蹴る足に、充分な力を溜め。
全力で踏み出し、同時に振りかざす、両の爪。
その挙動の1つ1つが、まるでコマ送りのように、網膜を滑っていきました。
足を止めれば。もしくは、横に避ければ。
迫る危険は、けむりだけを掴んで終わることになったでしょうけれど。
それでは、ダメなのです。
私は、僅かに身を屈めただけで、走り続けました。
「肉を斬らせて――」
ひうん、と風切る音が耳元で鳴って。
再び、右肩が切り裂かれました。
白い世界に、火の粉の如き赤が舞い上がります。
それでも、私は、さらに一歩を踏み込みました。
息をはけば風を感じ、相手と状況さえ許せば口づけを迫れるような、そんな間合いにまで。
瞬間、驚きで見開いた目に、一瞥を投げつけながら。
「――とどめを刺す!」
小さな左腕を。
その先にある、爆薬と4個の小爆弾を。
あろうことか、ドスランポスの口に直接突っ込んだのでした。
そうして。
「私はソナタ。炎の子供」
ぎゅっと、力いっぱいに舌を握りこみ。
零の距離で。対象と爆心地を直結させて。
「初めまして。よろしくは飛ばして、さようなら」
「………………!」
蒼き首魁の断末魔は。
声にならない、無音の叫びでした。
「グラウンド零」
爆砕。
破裂音は妙に水っぽくて、振りすぎた炭酸水のような気の抜けた響きでした。
けれど、その威力たるや、壮絶の一言です。
頭だけがコルクを抜いたようにポンと弾け飛び、残された胴体は、冗談のような勢いで赤い雨を降らせ続けているのでした。
白い世界を追い払うようなそれは、まるで、静かに下りてゆく赤い幕のようにも見えました。
戦いを締めくくる、終幕のように。
そこに炎の子供を、飲み込んだままで。
赤く。赤く。どこまでも、赤く。
白髪の剣士は、急かすことも、ましてや恫喝することも無く、けれど、心臓にするりとナイフを滑り込ませるような、底冷えする声で問うたものでした。
「で……ですから、ね。3匹では、無かった、の、です」
早馬に乗ってやってきた兵士さん、陸に打ち上げられたデメキンのように喘いでおります。
真っ青を通り越してロウソク色になった顔は、逃げ出したい、と雄弁に語っているのでした。
「よ…4匹だったんです、よ! 一番賢いドスランポスの1匹だけが、森に紛れ、
街道を敢えて迂回することで、逃げ切った、と、いうことのよう、でして……ヒィ!?」
最後の呻きは、剣士の瞳に、飛竜の牙の輝きじみた剣呑な光を見取ったからでした。
「痴れ者が! 何たる迂闊かっ!」
「ず、ずびばぜん!」
たちまち涙と鼻水でぐちょぐちょになった兵士さん、ホウホウの態で引き払いました。
「3匹を討ち取ったとて……村の危機は、如何ほども去ってはおらぬということか」
ユウにとって、ドスランポスの3匹はさほど厄介な敵ではありませんでした。
事実、さして手間もかけず駆逐しコルック村に舞い戻ったのですから、仮にここでもう1匹出てきたとしても、それ自体は問題になりません。
ただし、出てきてくれれば、のお話です。
「知恵が回る輩は厄介に尽きる……身を潜め、強敵を迂回し、弱者ばかりを狙ってくるであろう。
戦えば負けぬ……が、逃げに徹されては、捕捉は困難、か」
思索に耽るユウの横で、村長さんがこれまたロウソク色になっておりました。
ユウの手際に感動し、気前よく報酬を支払った直後ということもあって、感情の落差がより激しいのでしょう。
「あ……あの、追加料金で、どうか4匹目も……」
頭の中で必死に算盤を弾き、『出来れば500最高でも700まで』とか考えながら、村長さんが恐る恐る声をかけようとした時でした。
どわッ、と。
耳より先に肌に伝わる大きなどよめきが、広場の方から上がったのです。
すぐさま走り出すユウと、それを慌てて追う村長さん。
普段は出店で賑わう広場も、今日はその面影は無く、ただ、中心付近で大きな人だかりが出来ているだけでした。
「あれか!」
「ま……待ってくださいよぅ」
人だかりを掻き分け掻き分け、やがて2人が見たものは、赤く血に濡れて横たわる巨体でした。
「おぬし……ドーガ! ドーガだというのか!?」
「ふぉ……ぉぅ」
震える瞼が、僅かばかり開きました。
そうして、ユウの姿を認めた瞬間、
「ふぉ…おおおおん!」
再び、観衆から、どよめきが起きました。
紅い水溜りがみるみる大きくなるのも頓着せず。
ぱっくりと傷が大口を開けるのも気にかけず。
温和で知られる草食恐竜は、壮絶なまでの姿で、立ち上がったのです。
そして踏み出し、1歩、2歩、3歩目で少しよろめきながらも、4歩、5歩、6歩目で、ユウの眼前まで進み出でて見せたのでした。
「ふぉ! ふおお! ふおおおお!」
ユウには、その言葉の意味はまるでわかりませんでしたけれど。
それでも、戦士の魂の色を、叫びを、感じ取れぬはずがありません。
最後の、ひょっとしたならば最期の、そんな力を振り絞って伝えようという、意思。
――まだ、2人は、戦っているんだ!
それが、伝わらないはずが、無いのです。
「委細承知! 忠実にして勇敢なる従騎ドーガよ、後は全て我に任せられいっ!」
「ふ……ぉん」
崩れ落ちる寸前の表情は、笑顔でした。
ざわめき出す群集をよそに、ユウは、鋭く振り返ります。
「村長殿」
「は……はい!? 出来れば500くらいで倒してくれないかなと希望しているのですが、
いやいやこちらも勉強させていただいて700くらいまでなら……」
「いらぬ。その分を、あのアプトノスの治療に換えさせていただく。よろしいか?」
「は……はぁ」
腑に落ちない顔をしていた村長さんでしたけれど、
「呆けている場合か! あの者を死なせること……まかりならんぞ!」
「は、はいィ!」
一喝されて曲がった背筋までしゃんと伸び、ただちに取り掛かったのでした。
「釣りにでも……とマックス老は言っていた。ならば!」
ユウが駆け出したのは湖に向けてではなく、先ほどの兵士さんの所でした。
「な……何か御用で!?」
「借りるぞ」
言うが早いか、草を食んでいる最中の栗毛の馬に視線を定め、
「とうっ!」
鞍も乗せていないままで飛び乗り、そのまま、全速で走らせていったのでした。
さすがの早馬、あっという間に後ろ姿が見えなくなっていきます。
「あ……あぁ?」
何が起こったのか、まだちょっとわかっていない兵士さん。それでも律儀に、一言だけ、ぽつりと感想を漏らしたのでした。
「……泥棒だ」
そんな適切すぎる評価を受けているとは、露知らずのユウ。
内心では、『それでこそ小戦士だ』という得心と、『戦うな、逃げていてくれ』という焦燥とが、複雑に両立しておりました。
「力だけでは暴力となる。だが、想いだけでは無力なのだぞ!
ぶつかり合えば、そのときは……」
――忘れようの無い痛みが。底無しに過ぎる絶望が。まざまざと甦ってくるようでした。
覚えず、ユウは、斬破刀の柄に手をかけておりました。
「神楽の血に連なる幾多の英霊たちよ……ご加護を!」
普段のユウからは、想像も出来ないような声色でしたけれど。
栗毛の馬は別段感動を覚えたふうでもなく、耳を少しそば立てただけなのでした。
戦況は、最悪一歩手前、といったところでしょうか。
モドリ玉でドーガが消えたことにより、一時的に混乱をきたしたランポスたちでしたけれど、もちろん、すぐさま標的を私たちに変更しただけのことでした。
マックス爺さんが閃光玉を投げてくれたおかげで、何とか岩場に身を隠すことには成功しましたけれど、再び発見されるのは時間の問題と思われました。大小さまざまな岩が乱立して、お世辞にも視界が良いとはいえない地形ですが、包囲して徐々にその輪を縮めていけば……結果は自ずと知れているのです。
「どうして……どうして、逃げなかったんだい……君は」
声も表情も纏う空気までも、全てが等しく痛々しさに満ちておりました。
咎める、というよりは、単純に哀しんでいるようです。あるいは、年端もいかない子供を死地に巻き込んでしまった、という自責なのでしょうか。
「私が、私を許せなくなるからです」
「そんなの、生きていてこそなんだよ……。
後悔だって、間違いだって、あっていいんだ。いいんだとも……!」
ぎゅっと。
おそらくお孫さんにそうするように、私の頭を抱きしめてくれました。
「大丈夫、閃光玉を作る素材はまだあるからね。
絶対に、君が逃げるだけの時間は稼いでみせる。絶対にだ」
――温かい。
いつか、炎の向こうに消えてしまった何かに、手が届いたような気がしました。
ちょっと、涙が零れそうな、優しい心地。
でも、今は。
私に出来ることを、するべき時なのです。だから。
あえて温もりを引き剥がして、まっすぐに見据え。
「2人で、生き残りましょう」
静かに、決意を告げました。
「……そうだね、出来れば、そうしたかったなあ。
でもね、やりたいこととやれることとは、必ずしも一致しないんだ。わかるね?」
こんな状況にあっても、まだ、やんわりと理解を促す物言いは健在でした。だからこそ、そこに、譲れぬ強固な意志が存在していることが窺えます。
――けれど。言ったのは、あなたなのですよ、マックス爺さん。レディが全身全霊で勝負を挑んだら、男性たちは白旗を上げるしかないって。ちゃあんと、聞こえていたのですからね。
「逃げることを考えたら、その通りです。でも、そうではない選択もあります」
優雅で華麗で大胆で。何より不敵で無敵な笑顔でもって。
さながら、詩を謡うかのように、静かに清かに厳かに。
「殲滅しましょう。私と、あなたにしか出来ない戦い方で」
口にしたのは、宣戦布告、でした。
無力な老人と少女。
ちょっとしたゴロツキにも勝てなさそうな組み合わせで、3倍の数の肉食獣とそのボスに、真っ向から挑もうというのです。
無茶を通り越して、無謀の匂いがふんだんにしました。
「ちょ……お嬢さん、いいかい、そもそも戦いには武器というものが必要でね……」
「さあさ、お立ち会い」
パン、と手を1つ叩いて反論を塞ぐと、私はいかにも大げさな口調と身振りで、話し出しました。
「これから始まるのはね、ほんのちっちゃな子供とちっぽけな老人とが、
何とも恐ろしいモンスターに立ち向かうお話さ」
「お嬢さん……」
誰を真似ているかなんて、本人にわからないはずがありません。
呆気に取られた顔で、私の口上に聞き入ります。
「ふふふ、勝てるわけが無いと思うかい? いやいや、そう思って当然だろうねえ。
一見して2人には武器も無いし力も無い。普通、それじゃあ勝負にもならないって思うだろう?
でもね、あったのさ。2人なら出来る……いいや、この2人じゃないと出来ないような、
とびきり愉快で甚だ奇矯で、ちょっぴり目を見張ってしまうような、そんな戦い方が、さ」
茶目っ気たっぷりにウィンクしたところで、意図的に口調と表情を、元に戻します。
「――続き、お孫さんに聞かせてあげたいと思いませんか?」
「なるほどね……土産話っていうのは、そういうことなんだねえ」
視線が交錯したのは、一瞬のことでした。
マックス爺さんは、これまた芝居がかった調子で、やれやれと肩を竦め、
「でも、孫のためにっていうのは、ちょっと無理だなあ」
「そうですか?」
「ああ、誰よりも私が知りたくなってしまったよ。そんな物語の結末っていうのを、ね」
シニカルに微笑み、ウィンクを返してきたのでした。
――これで、戦士が二人、です。
何とも、頼もしい戦力ではありませんか。
「ではまず、あなたの荷物の中身、出来るだけ正確に教えてください」
「仰せのままに、だよ。お嬢さん」
そうと決まれば行動あるのみです。
日用品を除いて使えそうなものを羅列すれば、以下の通りなのでした。
『一般的な店売りのボウガンの弾丸各種、およそ30発ずつ。
素材玉5個。爆薬3個。小タル2個。大タル1個。
光蟲5匹。ツタの葉10枚。ペイントの実7個。ネンチャク草5束。
クモの巣1つ。にが虫3匹。アオキノコ1本。釣りミミズ30匹。釣りバッタ13匹。
カラの実25個。カラ骨15個。薬草2束。ハチミツ1瓶。いにしえの秘薬1瓶。 』
「どうだい? もう少し、爆薬やタルがあれば良かったんだろうけれど……」
「いいえ、想像以上です」
力強く、少女は頷いたものでした。
「さあ、戦闘開始と参りましょうか。まずは、あなたの見せ場からですよ」
ランポスたちは、意気揚々としておりました。
ぎょろりとした目を爛々と輝かせて、獲物はここかな、それともあっちかな、なんて思いながら、 岩場を闊歩しているのです。
と。
岩陰から、何かが飛び出しました。
はて、仲間かなと目を見張ると、違いました。ちっちゃいけれど、柔らかくて美味しそうな方の獲物です。たちまち側の1匹が、我先にと飛びつきました。
「きしゃあああ!」
その叫びを言葉にすれば、間違いなく『いっただっきま〜す』といったところなのでしょう。
いつも以上にその口を大きく開けて。
地を蹴って跳躍した格好そのままに。
爆発しました。
「……!?」
仰向けに宙を飛び、地面に打ちつけられ、転がるように立ち上がって。
それでもまだ、自分の身に何が起こったのか、理解が及んでいない様子でした。
「さすがマックス爺さん……良い仕事です」
不敵に微笑む少女は、手の中の物体を、驚き覚めやらぬランポスたちに放ります。
再び、爆発が起こりました。
「……始まった、か」
少し離れた岩場の影に身を隠しているマックス爺さんは、爆発の音を気にしながらも手は休めず、少女の3つの注文を思い出します。
「拡散弾って、ありますよね? 中に、小爆弾が入ったボウガンの弾丸です」
「ああ、さっき言った通り、30発はあるよ」
「ではまず、そのうち10発を解体して下さい」
「うん?」
「『直接小爆弾を投げつける』と、そう言っているのですよ」
これが、1つ目の注文でした。
一般に言えることですけれど、作るより壊す方が簡単です。作り慣れた弾丸ならばなおさらのことで、うっかり爆発、なんてミスをすることもなく、注文通り成し遂げたのでした。
それを受け取ってから、少女は2つ目と3つ目の注文をしました。けれど、それはそこそこに時間のかかる作業だったのです。
「それまで見つからないというのは……難しいよ、正直」
「大丈夫。そのために、私が小爆弾を持ったのですから」
囮になる、と。
言外に少女は、そう告げたのでした。
「お嬢さん……!」
「反論は無しですよ」
すっくと立ち上がった小さな戦士は、こう言い添えたのでした。
「大丈夫。囮としての私は、火竜リオレウスさえ翻弄してみせましたから」
さすがにこれは、自分を安心させる方便だろうと考えたマックス爺さんでしたが、何故でしょう、この少女ならばやりかねないと思わせるから、不思議なものです。
「……よし、これで!」
2つ目の注文を完成させ、設置します。こんな『危険物』、下手に衝撃を与えたらおしまいです。慎重に慎重を期し、最後に、『仕上げ』をゆっくりと被せて、完了です。
舞台は、整いました。
「後は、これだね」
3つ目の注文。閃光玉でした。
けれど、これを作ることだけではなく、きっちり放るところまでが、注文なのです。
「見せ場、か。私が下手を打ったら……そこで、全部、失敗なんだなあ」
自分たちの命運を握るのが、こんな玉1つと思うと、自然に笑いと震えが込み上げてきました。
「なんの、武者震いさ!」
意を決して、岩陰から飛び出し、走ります。
ほどなく、大立ち回りを演じている少女が見えました。本当はすぐさま駆け寄りたい心境でしたけれど、その衝動を押し殺し、じっと身を潜めて様子を窺います。
この閃光玉は、最高のタイミングで決めなければならないのです。
「うう……」
目まぐるしく動き回るランポスたち。狙いは、なかなか定まりませんでした。
けれど、いつまでも悠長に待ってはいられません。そのランポスたちを1人で捌き続けている少女に、遠からず限界が来てしまいます。
と。
少女が足を滑らせたようで、その動きが止まりました。
色めき立つランポスたち。けれど慌てず騒がず、その機先を小爆弾で制する少女。
瞬間。
全てのランポスの目が少女一点に集中したままで、戦場が膠着したのです。
これを置いて、チャンスは他にありませんでした。
「お嬢さん、走って!」
飛び出しざまに、閃光玉を放り。
全速で駆け寄ってくる少女の背後で、光の洪水が、炸裂したのでした。
両手で顔面を庇い、その余韻が収まるのを待ってから、前方を見据えます。
「やった……?」
その答えは。
ぎょろり、と。
こちらを捉えて逃さない、6対の瞳でした。
運の悪いことに、閃光玉は、小さな岩の手前に落ちてしまったのです。
そのため、岩の背後、つまりはランポスたちへ向かうはずの光が、すっかり遮られてしまったのでした。
ランポスたちが、にんまりと、微笑んだような気がしました。
「くそお!」
マックス爺さんは、けむり玉を、吐き捨てるように地面へ叩きつけました。
岩場が、白い煙でもうもうと満たされていきます。
「さ、お嬢さん、こっちへ逃げるんだ!」
「はい!」
小さな手を引き、必死で駆けます。
けれど、ランポスたちは、すでに見定めた獲物を、そんなちゃちな煙くらいで、見失いはしなかったのです。
大きい影と小さな影が、ややまっすぐ走り、次いで大きな岩を左に曲がっていく様子を確実に捉え、嬉々としてその後を追ったのでした。
こうなればもう、競争みたいなものです。小爆弾で受けた思わぬ打撃の恨みを晴らす意味もあって、6匹のランポスたちは押し合いへし合い進み行きました。
そして。
煙の向こうで、大きな影と小さな影が、互いに身を寄せてうずくまっている姿を認めるや否や。
「きしゃあああああ!」
6つの影が、水泳のスタートみたいに、横一線で宙を待ったのでした。
そうして、それぞれの牙が、大小の影それぞれに食い込み。
立ち込めた白い煙ごと、まとめて、弾け飛びました。
真っ赤に染まった視界。
その意味をランポスたちが理解する間も無く、雨のようなつぶてが、全身を貫いていき。
今度は真っ黒に視界が塗りつぶされ、もう、それが晴れる機会は二度と無いのでした。
全滅です。
「注文通りの仕事ぶりでしたよ」
「それは、光栄の至りだねえ」
1つ向こうの岩陰でのそんな会話が、はたして、事切れる前に聞こえたかどうか。
2つ目の注文は、聞いたことも無い代物でした。
「なんだって……大小のタル爆弾に、爆薬と共にみっちり散弾を詰めて欲しい?」
「はい。6匹ともまとめて倒すには、それしかありません」
名づけて『散ダル』です、と少女は得意げに言いました。
「確かに、爆発の衝撃で弾丸を発射出来れば……しかも、正確な狙いがいらない散弾であれば、確実に効果は上がるんだろうけれど……」
問題も、山積みでした。
まず、調合の段階で、爆薬がどかんと行ったらそれまでです。『タル爆弾にどれだけ散弾は詰め込めるのか』なんてマニュアルはどこにも有りませんので、勘だけが頼りです。
さらに、近くにいたら、間違いなく巻き添えを食います。つまり、着火してから逃げるという一般の方法が取れませんので、爆弾としては完全に欠陥品です。
「そこは、私に考えがあります」
走りながら地形を記憶していた少女は、作戦に最適な場所を割り出しました。そして、ランポスに飛び掛らせた衝撃を利用して起爆を成功させるための、3つ目の注文を口にしたのです。
「閃光玉を放って、しかも、『完璧に失敗』して下さい」
「………………は?」
たっぷり5秒、反応するまでに間が空きました。
「逃げるとき一度、ランポスたちは閃光玉を受けています。あれがどういうものか、身を持って知っているのです」
確かに、それはそうでした。
もしランポスの立場だったら、二度とくらいたくないこと請け合いです。
「では、もしそれが不発だったら、『しめたものだ』と思って、躍り上がって喜ぶでしょうね。
もう、自分の取り分増やすことだけ考えて、勇んで飛び込んできてくれますよ」
勝利に酔った瞬間が、一番無防備になる、と。
そして、いっぺんにやっつけるため、1匹たりとも閃光玉で動きを止めてはいけない、と。
少女は、そう言っているのでした。
マックス爺さんは唸りました。心理の隙を突く、見事な着眼点です。
「だが、それだけじゃあ、さすがに爆弾に喜んで突っ込んではくれないさ」
「偽装します」
けむり玉で、視界を不明瞭にすること。
ちょうど2人が並んで見えるように、大タル小タルをくっつけて置くこと。
ネットを上からかけて、いかにもタル、という輪郭を隠すこと。
その3つを、続けざまに提案してきたのです。
荷物を確認してすぐさまこれを思いついたとなると、とんでもないお話でした。
色んな意味のこもった溜め息をマックス爺さんが漏らしたのも、仕方の無いことでしょう。
「それは随分と……大仕事だなあ」
「だからこそ、あなたの見せ場なのですよ」
事実、見事に役目を果たして、ランポスを全滅に導いてみせたのでした。
そして、主役は交代し。
「では、参りましょうか」
「ああ、そうだね」
少女が差し出した手を、老人は、やんわりと取り。
2人は、ゆるりと岩陰から歩み出ました。
これからが、最後の仕上げなのです。
「さあ――出てきたらどうですか?」
ドスランポス。
ドーガを傷つけた、張本人。
「あなたは慎重です。岩場の捜索を部下たちに任せ、自分は息を潜めて姿を現さない」
「だが、そこをお嬢さんに利用され、先に部下たちを殲滅されたわけだがねえ」
「そう。手の内は全てわかっています。逃げるなら、今ですよ」
もちろん、『おのれぇ!』とか言ってのこのこ出てくるのを狙っているわけではありません。
ここが、身を隠すのに適した岩場で。
私たちが、あまりにも無防備で。
相手が、知恵の回る獣で。
それらを踏まえた上で、『餌』を撒いたのでした。
「3つ……ですね。数えましょう」
「わかったよ」
最初は、私が。
「アン」
次は、マックス爺さんが。
「ドゥ」
最後は、2人で。
「トロワっ!」
振り向きもせず、背後に小爆弾を投じると。
まさに不意をついて襲い掛からんとしていた、ドスランポスに命中しました。
「ふふん、美味い『餌』にまんまと食いついてきたねえ、大物さんが」
これも、心理の罠でした。
今の状況は、あまりにも『不意打ちに都合が良すぎた』のです。
例えばそう、正面からの攻撃なんて、最初から思慮の外に吹っ飛んでしまうくらいに。
つまり。
意図的に整えた条件によって、選択肢を『不意打ち』ただ一択に絞らせてしまったのでした。
そうなればその攻撃はもう、不意打ちどころか、最初から予定に沿った行動でしかありません。
結果、逆にドスランポスが、不意を打たれるだけの的に成り下がったのでした。
「手の内はわかっていると言いました……ドーガが、見せてくれたのだから!」
追撃の小爆弾を放りますけれど、さすがにそれはかわされてしまいました。
でも、それで良いのです。
距離を取るためだけの、攻撃だったのですから。
「行ってきます」
握っていた手を離し、告げます。
「カーテンコールは、任せたよ」
笑顔が、私の背中を押してくれました。
手の中に残ったのは、仄かな温もりと。
追加の小爆弾、閃光玉、けむり玉、ペイントボールの4点セットでした。
『私の見せ場用』の注文が、完璧に揃っているのです。
「よくもこの短時間でここまで……あなたは最高です」
言いながら、ほこほこと小爆弾を投じます。
ドスランポスを、マックス爺さんから引き離すため、です。
少なくとも、マックス爺さん本人にはそう告げました。
――ここからは、私の役目ですから、と。
でも、本当はもう1つ、理由があるのです。
敢えてはぐらかした、ドスランポスを倒すための奥の手を、見せないためでした。
「知ったら、きっと止めるでしょうから」
少女の唇が、ゴメンナサイ、という形に動きました。
背に負われたクックの耳だけがその言葉を聞きとがめ、微かに揺れたようでした。
結局。
私とドスランポスが真っ向から対峙したのは、岩場を抜けた丘陵地帯でした。
見晴らしがよく、お互い、逃げも隠れも出来ない地形です。
距離は、10メートルと少々。
私にしてみれば、爆弾を届かせるにはやや遠く。
ドスランポスにしてみれば、飛び掛っても当てるのが難しい。
そんな、微妙な間合いなのでした。
「ぐぉ……ぐおおおおおん!」
それは威圧でしょうか、はたまた鼓舞でしょうか。
いずれにせよ、私を、確かな敵として認識した証拠でした。
もちろん、叫び返すような真似はいたしません。
だって私は、おしとやかで慎ましやかなレディなのですから。
そういうわけでして。
「あなたでは、ダンスの相手には役者不足ですね」
にこやかに拒絶し、小爆弾を放りました。
敵もさるもの。ダンスさながらのサイドステップで、爆発を掻い潜りながら接近してきます。
ぎらり、と牙が光り。
巨体が嘘のように、宙を舞いました。
――でも、予測済みです。
「知りませんか? 私の手、2つあるのですけれど」
身を伏せるのと、背後に放った閃光玉が地面に落ちるのとは、同時でした。
瞬間。炸裂。
「ぐぉおおお!?」
「それを指して……隙と言う! なんて、ね」
手持ちの小爆弾は、残り24個。
それらを、次から次へと投じました。
慣れない動作の連続で肩が痛むことになど、構ってなんかいられません。
相手の動きが止まった今しか、チャンスは無いのです。
「まとめて、持っていきなさい!」
爆発、爆発、爆発。
完全に、こちらが押している、はずでした。
なのに。
「…………」
爆風にさらされ、木の葉のように宙を舞っては落ちながらも。
蒼の鱗が破れ、トサカと同じ色に染まりだしながらも。
ドスランポスは、かっとその目を見開いたままなのでした。
虚空を見据え、揺らぎもしない、不気味な、瞳。
「耐えられると……確信しているとでも言うの?」
ちりちりと、焦燥を募らせながら。
ちょうど21発目の小爆弾を投じようとした、刹那でした。
今まで、定まらなかったドスランポスの視線が。
失われていたはずの、視力が。
しっかと。私を。捉え。
「いけない!」
僥倖、と言うべきなのでしょうか。
とっさに横ざまに転がった結果。
真紅の爪は、私の右肩を薄く切り裂いただけなのでした。
「ニ撃目が来るのなら!」
至近距離で、小爆弾を炸裂させてやるつもりでしたけれど。
敵は、冷静、でした。
最初と同じだけの距離を取り、じっと、こちらの様子を窺っています。
「そう……閃光玉の有無を、確かめているのね」
良い作戦、でした。
この距離でこちらが仕掛けない以上、もう、閃光玉が無いのを知ることができ。
よしんばあったとしても、次の攻撃も耐えられるぞと、無言のプレッシャーを与えてくるのです。
さて。
残された小爆弾は、ただの4個。
軽い傷とはいえ、右腕はもう、使えそうにありません。
正義の味方が現れるような都合の良さも、期待できません。
なかなかどうして、絶望的な、状況でした。
「ねえ……こういうときは、どんな言葉が相応しいか、知っていますか?」
私は、右肩から流れる血を左手で押さえながら、うつむき加減で言いました。
反応は、当然ありません。
けれど、構うことなく、私は喋り続けます。
「『誰か助けて…』でしょうか? 『ああ神様…』でしょうか? 『命ばかりは…』でしょうか?
違いますね、全然違います。もっと、最初に口をついて出るべき言葉があるのです」
どうやら、ドスランポスは、私に『さしたる脅威無し』と判断したようでした。
ご自慢の真紅の爪を、ぺろり、と舐めて、さていつとどめを刺すかな、といった風情です。
――ああ、全くもう。
最後まで、なんて『予想通り』な敵なのでしょう。
「正解は、『乙女の柔肌に傷をつけた罪、万死に値します』ですよ。覚えておきなさい!」
かっ、と顔を上げた私は、当然、魅力的な笑顔でいっぱいでした。
素早く、左手に忍ばせたけむり玉を、地面に打ちつけます。
たちまち視界は白い煙に遮られ、互いのシルエットだけが浮かび上がりました。
「閃光玉を受けて間が無いと……視界は、完全には回復しきりません。
例えばそう、あの、リオレウスをしてさえも」
白い世界を、私は駆け出しました。
当然、敵へと向けて、まっすぐに。
あのとき、炎の世界でそうしたように。
でも、1つ、違うのは。
今度は、白髪の剣士の力を借りることなく。
自分の力だけで、全てを決めるために。
ただ、ひたすらに、前へ。
「そこにけむり玉の力を借りれば、少なくとも……飛び掛るような攻撃は、使えやしないでしょう?」
事実、その場から動こうとしておりません。無理に不確実な攻撃をする必要が無いからです。
普通のランポスには無い、あの、真紅の爪。
先ほど私の肩を切り裂いたそれで、今度は、体を貫くつもりなのでしょう。
それが豆腐を握りつぶすくらい容易いことを、ズキズキと痛む傷が、物語っております。
それでも。
当たらなければどうということも無いのは、火竜の炎弾と同じです。
「互いの細かな動きは見えない。なら、攻撃の挙動も読めない。速さだけで当てられる。
……なあんて、思っているのだとしたら。あなた、迂闊です」
くすり、と笑って、けむりの向こうに佇む、蛍光ピンクの光を見つめます。
ペイントボールの塗料です。
先にもいったように、私には手が2つあるものですから。
閃光玉で目が眩んでいる隙に、小爆弾と一緒に投げつけておいたのでした。
効果は、てきめん。
呼吸による胸の上下までが、けむり越しに見て取れるようです。
「――ここまでは、マックス爺さんとも相談済み。でも、最後の仕上げは……」
取り出したのは、調合に使われなかった分の、爆薬です。
まさか『爆薬だけ貸してください』というわけにもいきませんでしたから、その、何と言いますか、気づかれないよう無断で拝借した、という次第でして。
「小爆弾4つもあれば……起爆には、充分」
けれど、ただ当てても、恐らく耐え凌がれることでしょう。
だから。
話せなかった切り札を。
この小さな腕に込めて。
「使います。『グラウンド零』を」
命の交錯する距離、3メートル。
たったそれだけが、白くけむる箱庭の世界の全てで。
そこで奏でられるのは、ありふれた戦いの詩。
曰く。
食うか、食われるか。
「ぐぉぉぉぉぉ!」
先に仕掛けたのは、ドスランポスの方でした。
叫びよりも如実に、蛍光ピンクの光が、それを指し示してくれています。
まず、獲物を見据えて体勢を低くし。
地を蹴る足に、充分な力を溜め。
全力で踏み出し、同時に振りかざす、両の爪。
その挙動の1つ1つが、まるでコマ送りのように、網膜を滑っていきました。
足を止めれば。もしくは、横に避ければ。
迫る危険は、けむりだけを掴んで終わることになったでしょうけれど。
それでは、ダメなのです。
私は、僅かに身を屈めただけで、走り続けました。
「肉を斬らせて――」
ひうん、と風切る音が耳元で鳴って。
再び、右肩が切り裂かれました。
白い世界に、火の粉の如き赤が舞い上がります。
それでも、私は、さらに一歩を踏み込みました。
息をはけば風を感じ、相手と状況さえ許せば口づけを迫れるような、そんな間合いにまで。
瞬間、驚きで見開いた目に、一瞥を投げつけながら。
「――とどめを刺す!」
小さな左腕を。
その先にある、爆薬と4個の小爆弾を。
あろうことか、ドスランポスの口に直接突っ込んだのでした。
そうして。
「私はソナタ。炎の子供」
ぎゅっと、力いっぱいに舌を握りこみ。
零の距離で。対象と爆心地を直結させて。
「初めまして。よろしくは飛ばして、さようなら」
「………………!」
蒼き首魁の断末魔は。
声にならない、無音の叫びでした。
「グラウンド零」
爆砕。
破裂音は妙に水っぽくて、振りすぎた炭酸水のような気の抜けた響きでした。
けれど、その威力たるや、壮絶の一言です。
頭だけがコルクを抜いたようにポンと弾け飛び、残された胴体は、冗談のような勢いで赤い雨を降らせ続けているのでした。
白い世界を追い払うようなそれは、まるで、静かに下りてゆく赤い幕のようにも見えました。
戦いを締めくくる、終幕のように。
そこに炎の子供を、飲み込んだままで。
赤く。赤く。どこまでも、赤く。
第6幕 〜時には背伸びの許される日も〜
「何ということだ……何ということだ」
消えた、爆薬の使い道。
自分の役目です、という言葉。
そこから導かれる、ひときわ大きな爆発の意味を、マックス爺さんは今さらながらに悟りました。
「いいや……まだ、諦めるものか。無事でさえあるなら、私が、治してみせる!」
矢も盾も堪りません。
もう消えかけている白い煙めがけて、全力疾走です。
「う……!?」
外から見れば白のけむりは、足を踏み入れるや否や、全く別の顔をみせたのでした。
血煙。
他に表現のしようが無いほど赤く染まったけむりに、ぷん、と漂う鉄錆びの匂い。
それは、中心に向けて段々と、赤く、赤く、赤く。
「くぅぅぅ!」
最悪が、背筋をうぞうぞと這い上がってくるようでした。
鼓動は狂ったようなテンポを刻んでいるというのに、かく汗は、ぞっとするほど冷たいのです。
この血煙に、少女が飲み干されてしまったような錯覚さえ受けます。
ともすれば、もう……という予感を、必死に振り払いながら、走り。
そして。
『それ』を発見したのは、時間にして、10秒ほど後でしょうか。
血煙が、もっとも赤に染まった場所で。
足元に、頭の無い蒼い獣を転がしながら。
その場に立ち尽くしている、小さなシルエットを。
「お嬢さ……」
すぐにでも駆け寄ろうと。
言われなくても治療をしようと。
とんでもない無茶を叱ってやろうと。
――そんな考えは、頭をすり抜けて、血煙に溶け消えてしまったようでした。
呆けたように……実際、呆けてしまっているのでしょうけれど。
マックス爺さんは、ただただ、魅入られたように足を止めたのでした。
返り血を受けた頬。
ざわりと揺れる黒髪。
破れほつれしている服。
それらは本来、心配、あるいは恐怖を呼び起こす要素です。
なのに。
鋭く光る黒曜の瞳が。
口元に湛えられた微笑が。
全身から立ち上る雄々しさが。
我憚るもの何一つ無し、と言わんばかりの、凛とした佇まいに変えてしまっているのでした。
そして、決して看過できない要素が、もう1つ。
少女の体に、まるで不釣合いな。
そこだけが別のイキモノのような大きさの、左手。
ともすれば、飛竜の足を連想させる、鍵爪じみた禍々しいシルエット。
けれど、血煙の中にあっても、独特の薄桃色の光沢を放つそれは。
優しげに燻る、その存在は。
「あの左手……守るように、舞い降りたように、包み込んでいるあれは……炎、なのか?」
少女と、戦場と、炎と。
水と油よりなお混ざるはずのない三者が、矛盾無く同居している様は。
果て無く不可思議で、底無く歪で。
一種異様な……そしてそれゆえに、決して目を離せない。
そんな、鮮烈な輝きを放っているのでした。
例えばそう――命がそこで、燃え盛っているような。
「ふふふ。さすがは最高級鍋つかみの面目躍如、ですかね♪」
出し抜けに、拍子抜けするくらい明るい声がしました。
今までの、凛然とした空気などはどこへやら、です。
それに伴い、マックス爺さん、立ち尽くしていた自分にはたと気づきます。
「お……お嬢さん、無事かい!?」
「あらマックス爺さん、いつの間にここへ?」
こちらを振り返り、軽い調子で、凶悪な感じの左手をぴこぴこと振ってきました。
よくよくその正体を見てみると……
「それ……クックの耳、なのかい!?」
「ええ。火に強いのは知っていましたけれど、
こうまで衝撃に強いのは嬉しい誤算でした。ちょっと、形が崩れましたけれど、ね」
手をぐるりと巻く形のクックの耳は、ネンチャク草でしっかりくっつけられておりました。
……渡した覚えはこれっぱかしもありませんから、爆薬と一緒に抜き取られていたのでしょう。
「全く……本当に、君って子は……」
てへへ、とはにかんで見せられると、もう、笑っていいのか哀しんでいいのかさえ、わかりませんでした。とりあえず、怒る気を無くさせる手段としては、相当以上に効果的でしたけれど。
「ああ……もう、言いたいことはたくさんあったのに、すっかり忘れてしまったじゃあないか!」
仕方ないので、やっぱり、笑うことにしました。
少女も、それに応えてくれました。
「私たちの勝利、ですね」
「ああ……最高の土産話が出来たよ」
そうしてにっこりと笑顔を交わし。
さて、ドーガは無事かなあとか考えるだけの余裕が、マックス爺さんに生まれてきた最中でした。
「あ……貧血」
「うわわわわ!?」
ぽて、と地面に倒れこみそうな体を、すんでのところで抱きとめます。
当たり前ですが、片手で十二分なくらいの軽さです。
「ちょっと、頑張りすぎました」
「……いや、それは全くもって、そのとおりなんだろうけれど、さ」
全くもう。
なんて、最後まで気の休まる暇を与えてくれない、厄介なお嬢さんなのでしょうか。
自分もランポスたちも、誰も彼も。
結局、この少女に振り回され続けて、ここに至ったような気がしてならないのでした。
「まったく、ユウ君の苦労がしのばれるよ」
「逆ではありませんか? 朴念仁の年上って、一番厄介なタイプですよ」
「ははは、そんなこと言っていいのかな? 噂をすれば影が差すってね」
「そうですね。案外、その辺にまで来ているのかもしれません」
来てました。
それはもう、疾風のように馬を駆って。
コルック村まで轟きかねない怒号を上げながら。
「鬼畜どもめぇぇぇぇぇ! ソナタに万一のことがあってみろぉぉぉぉぉ!
その魂魄滅するまでぇぇぇ、幾百幾千幾万と斬り刻んでくれるわぁぁぁぁ!」
ほとんど人とは思えない、凄まじい形相でした。
あんなのを背に乗せた馬こそ、気の毒の極みです。やけくそ気味の速度を出している理由が、しみじみとわかります。
「おやおや……私のことは、すっかり忘れられているみたいだねえ。
朴念仁、だったかい? それにしては随分と、愛されているじゃあないか」
「もう……あの、馬鹿っ!」
少女は、クック色に頬を染めて、憤然と言い放ったものでした。
「どう考えたって、ナイトは白馬にまたがって登場するのが筋でしょう!
レディの永遠の夢を、何だと思っているのですか!」
ユウも馬も、あまりに報われないその物言いに。
マックス爺さん、心から愉快そうに大爆笑です。
その声を頼りにユウが飛び込んできたのは、間もなくのことなのでした。
結局、村に戻るまでの道程で話し合った結果。
颯爽と駆けつけたユウがドスランポスを斬り伏せた、ということで口裏を合わせたのでした。
「報酬が先払いで、ドーガの治療に当てられたということですからね。
別の人が倒したとわかったら、余計なゴタゴタが起きるに決まっています」
「お嬢さん本人がそういうなら、私は全然構わないさ。
ただ……例の土産話の件に限っては、見逃してくれるね?」
「ええ、それはもちろん」
ユウが1人で苦りきっていたのは、言うまでもありません。
加えて、到着するや村を上げての英雄扱いを受けたものですから、いっそ腹を切らせてくれ、と言わんばかりの風情でした。
もっとも、その余波は私にも向けられまして。
「いやあ、お嬢さんがあの傷ついたアプトノスを逃がしたんだって?」
「まあ! 自分が逃げるより先にですの!?」
「勇気があるなあ! ランポスたちに追い回されるなんて、さぞ恐ろしかったろうに……」
広場に戻ったドーガの姿は大勢に目撃されておりましたので、その部分に限っては、ごまかしようがなかったのです。
仕方ありませんので、私は可憐で無力なレディらしく、いくらか瞳を潤ませて言ったものでした。
「もちろん、心臓が今にも破裂してしまうくらい恐ろしかったです……。
でも、きっと……きっと、ユウが助けに来てくれると、信じていましたから」
大多数がその健気さに感動し、約一名がとどめを刺されたように呻きました。
マックス爺さんは、早々にドーガの様子を見に行ったようでした。
出血がひどかったものの、早期治療の甲斐あって、1週間ほどで全快、とのことです。
問題は、私の方でした。
右肩の傷は、マックス爺さんが道すがら薬を調合してくれたおかげで、何とか事なきを得たのですけれど。
もっと根本的な問題が、幾つか残っていたのでした。
「……体中、痛いです」
「その程度の筋肉痛で済んでいる方が不思議だぞ。
聞けば、ほとんど全力で動き通しだったそうではないか。
痛い痛くない以前に、普通、年齢的にそこまで体が動くはずが無いのだ」
つまり、火事場の何とやらを使い続けた代償、ということのようでした。
「あと、実は左手が一番痛いです」
「……それで何とも無かったら、我は神に常識と良識の返還を請求するぞ。
いくらクックの耳に緩和されたとはいえ、爆発の衝撃だ。突き指と打撲程度ならば御の字よ」
「でも右手も安静ですから、ご飯、食べられません」
「問題無い。手を貸そう」
言いながら林檎を剥いている辺り、案外甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのかもしれません。
ならばと、試しに聞いてみました。
「では、着替えも手伝ってくれますか?」
「断る!」
即答でした。
「見ておくなら今のうちだと思うのですよ?」
「断じて断る!」
強調が付きました。
「じゃあ仕方ありませんか」
「…………うむ」
「ちょっと間が空きましたね」
そんなこんなで時は流れ。
1週間後にマックス爺さんの出立を見送ってから、さらに数日を経て、私はやっと復帰し。
今、武器屋さんの工房の前に立っているのでした。
療養中に注文した『相棒』を受け取るためです。
「世界で1つの最高級鍋つかみ、出来ていますか?」
「……もう少し言葉を選んでやらねば、職人が泣くぞ」
至極もっともな意見でした。
100%オーダーメイドの品ですから、そもそもにおいて職人泣かせなのは間違いありません。
それでも、出来ているよ、とだけ短く答える工房のおじさんは、職人の鑑でした。
「これだね。工房試作品・強襲用手甲」
取り出された品は、奇怪、と言って良い意匠でした。
5つの指が形取られたそれは間違いなく篭手の範疇ですが、指先から真紅の爪が伸びている以上、一介の防具とは思えません。むしろ、というより紛れもなく武器です。
手の甲の側は蒼く、平の側は黒く、それぞれランポスの鱗が色違いで用いられています。しかしようく見てみると、鱗の上から金属が蒸着され、強化されているのでした。
「マカライトをふんだんに用いて、盾としてさえ用いられる強度を持たせた。
もちろん注文にあった通り……特に『手の平』の部分を固めたぜ。徹底的に、な」
差し出されたそれを、私は、胸を躍らせながら左手に付けました。
しっとりとしていながら、確かな弾力。かつ、えも言われぬ滑らかさ。
紛れも無く、クックの耳の感触でした。
「うん……指も自由に動くから、道具だって扱えますね。これなら、バッチリです」
――そう。これは、そういう代物なのです。
クックの耳の耐火性。
爆発の衝撃にも耐え得る強度。
目標を爆心地で捕らえ離さない爪。
すなわち、零を穿つためだけに生まれた存在。
これは、やがて炎の子供の代名詞ともなる左の武器の、プロトタイプなのでした。
「ありがとうございます。とても、良い仕事です」
「なあに、なかなか面白い注文で、こっちも勉強になった。
だがな、嬢ちゃん。間違ってもそれで戦おうなんて思うなよ。怪我するからな?」
「はい」
にっこり答える内心で、まさにその怪我でしばらく寝込んでいましたよ、と舌を出したのでした。
ちなみに、この装備に費やした素材は。
クックの耳×1 ドスランポスの爪×2 ランポスの鱗×5 マカライト鉱石×5。
御代はしめて、3000ゼニー。
本来、素材は最初の3つだけの予定だったのですけれど、斬破刀を作った時の余りとかで、ユウがマカライト鉱石を出してくれたのです。
なんて下手な嘘、と思いました。
私の療養期間の前半、お昼ご飯の世話を終えるなり、体がなまるので鍛錬してくる、とか言ってそそくさと出かけ、夕食前には泥だらけになって帰ってくるのですから、バレバレなのです。
少しでも私の安全を高めようと、汗水流して採掘作業に勤しんでいたのでしょう。
(……可愛い人♪)
けれど、本人は未だに完全犯罪成立のつもりでいるらしく。
工房を後にするなり、仰々しく溜息をついて、ぼやくのでした。
「やれやれ、討伐報酬がそれ1つで飛んだ……か」
「良いではないですか。そもそも、私へのプレゼント資金だったのでしょう?」
「…………」
この場合の沈黙は、どんな言葉より雄弁な肯定なのでした。
「ありがとう。何もかもをひっくるめて、ありがとう、です」
「……おお、そうだ! その手甲、名前を付けねば何かと都合が悪かろうな!」
照れ隠し全開でした。
こうまでわかりやすいと、ほっぺたをつねりたくなる類の可愛さを感じます。
「心配しなくても、名前はちゃんと考えてありますよ」
「……鍋つかみ系以外なのだろうな?」
いかにも胡乱な目を向けるユウでした。
実は、それも候補の1つだっただけに、胸が痛いところですけれど。
でも。
文字通り、私の片腕となるこれには。たくさんの想いが詰まったこれには。
この名前しかないと、そう思うのです。
「マックスビューティー」
見知らぬ人が聞けば、究極美、とでも訳することでしょう。
でも、私たちは、知っているのです。
老人と少女。
その、人々に知られざる戦いを。
そんな土産話が、この武器には詰まっているのだと。
「良い名だ」
言って温和に微笑むユウの顔は、今は遠い空の下にいる、あの老人を思わせるのでした。
それから、しばらくというほどではないけれど、すぐにというのも躊躇われる程度の時が経って。
コルック村をひっそりと後にする影が、2つ、あったそうです。
それは、何とも歪な組み合わせでした。
ちっちゃな少女と長身の男と。
綺麗に揃えられた黒髪と、ざんばらの白髪と。
笑顔と、仏頂面と。
どこをどう取っても、アンバランス、と言うほか無い取り合わせなのです。
けれど、見る人が見れば、それは、わかることなのです。
その両者の間にある、たった1つの共通項を。
曰く。
戦士が、二人、です。
「ヒトは誰しも……意識するせぬに関わらず、望む望まぬなぞ頓着せず、
覚悟するせぬさえ考慮せず、それでも常に何かしらと戦い続けているのだと、そう思うのだ」
無闇に背の高い真っ白な髪の男は、出し抜けにそんなことを話し始めたのでした。
男の名はユウ。渋柿をわしゃわしゃと頬張ったような顔をしておりますが、別段不満があるわけでもなく、これがごくごく普通の表情なのです。
「例えば主婦。それは家族の生命健康を守り抜く戦いであり、武器の名を絆と言う。
例えば百姓。それは大地に糧を芽吹かせ育む戦いであり、武器の名を丹誠と言う。
例えば子供。それは己が小さな世界に腕を伸ばす戦いであり、武器の名を無邪気と言う。
例えば戦士。それは刃で以って望みに臨む戦いであり、武器の名を信念と言う。
これらの間に、優劣は一切、無い。皆一様に、己の戦場で戦い続けているのだから」
そこまで言い置いてから、小さな影に向き直ります。
「だが、圧倒的な脅威に、ともすれば天災の如く、己の戦場以外での戦いを強いられる時がある。
それは往々にして、絶望的な苦境での、命を賭した戦いとなるであろう。
人々は、欲する。打ち勝つための剣を。奪われぬための盾を。
そうした剣となり盾となることを望みとする者、我、それをハンターと呼ぶ」
ハンター。
いつかも聞いたその言葉に、黒髪のちっちゃな少女は、くすりと笑みを浮かべました。
少女の名はソナタ。こちらは、笑顔がごくごく普通の表情なのです。
「それは、偽善かもしれません。自己満足かもわかりません。ただのお仕事ともとれるでしょう。
なのにあなたは、自分は弱き人々の剣であり盾であり続けると、言えるのですか?」
「無論」
白髪の男は、神妙に頷きました。
「良し悪しは、この際問わん。問題は、そうと言えるだけの信念が無ければ、
世界にさえ謳える己がなければ、ハンターなどは到底務まらんと、そう言うことだ」
思わず苦笑が零れました。随分とまあ、持って回った言い方をしてくれたものです。
――ソナタは、何を思いハンターとなるのか?
そんな問いを放つのと同時に、
――武器を持っただけで、自分はハンターなどと自惚れるな。
と、誡めてもいるのでした。
これから踏み入れる世界に、先に身を置く者として。
あくまでも、対等の存在として扱うために、です。
ああ、もう。
なんて不器用で、愛想が無くて、回りくどくて、そのくせに底抜けな優しさなのでしょう。
――いいでしょう、そちらがその気なら、こちらもこの気です。
「私は、あなたの言う意味でのハンターになる気は、これっぽっちもありません」
直球勝負。
そうして、ユウが目を白黒しだす前に、でもね、と続けます。
「私はあなたを守りたい。あなたが守りたいと願うモノ全てを守りたい。
例え今は無理だとしても、肩を並べられる日がそう遠くないと信じて。
私はあなたを譲らない。あなたを取り巻くモノ全てに譲らない。
例えそれが、死へと誘う顎であっても。誘惑する美女だとしても。他のナニモノであったとしても」
足を、止めて。
同じく足を止めて、何事かと顔を覗き込んできたユウと、向かい合い。
――これでも、まだ高さが足りないのね。
なんて思いながら、目一杯背伸びして、何とかユウの頬に両手を添え。
「私は、あなたと一緒に歩いていくと決めました。もう二度と、置いて行かせなんかしません」
聞き様によっては、果てしなく物騒な言葉でした。
『あなたがいないとダメなの…』よりは、確実に『責任取って下さいね♪』に近い響きです。
実際、そのダメージは計り知れないようでした。
渋柿の顔が熟したトマトに様変わりし、時折何か口にしようと試みているようですが、言葉にはほど遠い呻きが上がるだけ。
ユウは、動けず、沈黙し。
私は、ゆるりと、反応を待ちました。
体格差からすれば、リオレウスとアプトノスみたいなものですけれど。
立場的には、完全にその逆を行っているのでした。
自然、そのままの形で見つめ合うことになり。
1分、2分、3分まで残り10秒を切ったくらいで。
「……勝手に、するが、良い」
何とかそれだけを言うと、突然にがばっと体を起こして、さあいくぞ先を急ぐぞさあ早く、とまくし立てて、ずんずかざんざかと歩き始めてしまったのでした。
その耳が、まだ、トマトになったままだとも気づかずに。
「はい、もちろん勝手にします」
――思えば、出会った一ヶ月前の日にも、こんな会話を交わしていたでしょうか。
「変わっていく私、変わらない私……どちらも、大切な私」
覚えず、笑みが浮かびます。
私はすぐ前を行くユウに追いつき、すぅ、と手を差し出すのでした。
少し間が空いてから、そこに温かな手が添えられて。
笑顔が、2つ。
寄り添いながら進んでいくのでした。
1歩1歩、確実に。
どこまでも、どこまでも。
いつか肩が並ぶ日を夢見ながら。
今はまだ、アンバランスな二人として。
街のハンターギルドにて、最年少ハンターが登録されちょっとした話題を呼んだのは、それから数週間後のことなのでした。
消えた、爆薬の使い道。
自分の役目です、という言葉。
そこから導かれる、ひときわ大きな爆発の意味を、マックス爺さんは今さらながらに悟りました。
「いいや……まだ、諦めるものか。無事でさえあるなら、私が、治してみせる!」
矢も盾も堪りません。
もう消えかけている白い煙めがけて、全力疾走です。
「う……!?」
外から見れば白のけむりは、足を踏み入れるや否や、全く別の顔をみせたのでした。
血煙。
他に表現のしようが無いほど赤く染まったけむりに、ぷん、と漂う鉄錆びの匂い。
それは、中心に向けて段々と、赤く、赤く、赤く。
「くぅぅぅ!」
最悪が、背筋をうぞうぞと這い上がってくるようでした。
鼓動は狂ったようなテンポを刻んでいるというのに、かく汗は、ぞっとするほど冷たいのです。
この血煙に、少女が飲み干されてしまったような錯覚さえ受けます。
ともすれば、もう……という予感を、必死に振り払いながら、走り。
そして。
『それ』を発見したのは、時間にして、10秒ほど後でしょうか。
血煙が、もっとも赤に染まった場所で。
足元に、頭の無い蒼い獣を転がしながら。
その場に立ち尽くしている、小さなシルエットを。
「お嬢さ……」
すぐにでも駆け寄ろうと。
言われなくても治療をしようと。
とんでもない無茶を叱ってやろうと。
――そんな考えは、頭をすり抜けて、血煙に溶け消えてしまったようでした。
呆けたように……実際、呆けてしまっているのでしょうけれど。
マックス爺さんは、ただただ、魅入られたように足を止めたのでした。
返り血を受けた頬。
ざわりと揺れる黒髪。
破れほつれしている服。
それらは本来、心配、あるいは恐怖を呼び起こす要素です。
なのに。
鋭く光る黒曜の瞳が。
口元に湛えられた微笑が。
全身から立ち上る雄々しさが。
我憚るもの何一つ無し、と言わんばかりの、凛とした佇まいに変えてしまっているのでした。
そして、決して看過できない要素が、もう1つ。
少女の体に、まるで不釣合いな。
そこだけが別のイキモノのような大きさの、左手。
ともすれば、飛竜の足を連想させる、鍵爪じみた禍々しいシルエット。
けれど、血煙の中にあっても、独特の薄桃色の光沢を放つそれは。
優しげに燻る、その存在は。
「あの左手……守るように、舞い降りたように、包み込んでいるあれは……炎、なのか?」
少女と、戦場と、炎と。
水と油よりなお混ざるはずのない三者が、矛盾無く同居している様は。
果て無く不可思議で、底無く歪で。
一種異様な……そしてそれゆえに、決して目を離せない。
そんな、鮮烈な輝きを放っているのでした。
例えばそう――命がそこで、燃え盛っているような。
「ふふふ。さすがは最高級鍋つかみの面目躍如、ですかね♪」
出し抜けに、拍子抜けするくらい明るい声がしました。
今までの、凛然とした空気などはどこへやら、です。
それに伴い、マックス爺さん、立ち尽くしていた自分にはたと気づきます。
「お……お嬢さん、無事かい!?」
「あらマックス爺さん、いつの間にここへ?」
こちらを振り返り、軽い調子で、凶悪な感じの左手をぴこぴこと振ってきました。
よくよくその正体を見てみると……
「それ……クックの耳、なのかい!?」
「ええ。火に強いのは知っていましたけれど、
こうまで衝撃に強いのは嬉しい誤算でした。ちょっと、形が崩れましたけれど、ね」
手をぐるりと巻く形のクックの耳は、ネンチャク草でしっかりくっつけられておりました。
……渡した覚えはこれっぱかしもありませんから、爆薬と一緒に抜き取られていたのでしょう。
「全く……本当に、君って子は……」
てへへ、とはにかんで見せられると、もう、笑っていいのか哀しんでいいのかさえ、わかりませんでした。とりあえず、怒る気を無くさせる手段としては、相当以上に効果的でしたけれど。
「ああ……もう、言いたいことはたくさんあったのに、すっかり忘れてしまったじゃあないか!」
仕方ないので、やっぱり、笑うことにしました。
少女も、それに応えてくれました。
「私たちの勝利、ですね」
「ああ……最高の土産話が出来たよ」
そうしてにっこりと笑顔を交わし。
さて、ドーガは無事かなあとか考えるだけの余裕が、マックス爺さんに生まれてきた最中でした。
「あ……貧血」
「うわわわわ!?」
ぽて、と地面に倒れこみそうな体を、すんでのところで抱きとめます。
当たり前ですが、片手で十二分なくらいの軽さです。
「ちょっと、頑張りすぎました」
「……いや、それは全くもって、そのとおりなんだろうけれど、さ」
全くもう。
なんて、最後まで気の休まる暇を与えてくれない、厄介なお嬢さんなのでしょうか。
自分もランポスたちも、誰も彼も。
結局、この少女に振り回され続けて、ここに至ったような気がしてならないのでした。
「まったく、ユウ君の苦労がしのばれるよ」
「逆ではありませんか? 朴念仁の年上って、一番厄介なタイプですよ」
「ははは、そんなこと言っていいのかな? 噂をすれば影が差すってね」
「そうですね。案外、その辺にまで来ているのかもしれません」
来てました。
それはもう、疾風のように馬を駆って。
コルック村まで轟きかねない怒号を上げながら。
「鬼畜どもめぇぇぇぇぇ! ソナタに万一のことがあってみろぉぉぉぉぉ!
その魂魄滅するまでぇぇぇ、幾百幾千幾万と斬り刻んでくれるわぁぁぁぁ!」
ほとんど人とは思えない、凄まじい形相でした。
あんなのを背に乗せた馬こそ、気の毒の極みです。やけくそ気味の速度を出している理由が、しみじみとわかります。
「おやおや……私のことは、すっかり忘れられているみたいだねえ。
朴念仁、だったかい? それにしては随分と、愛されているじゃあないか」
「もう……あの、馬鹿っ!」
少女は、クック色に頬を染めて、憤然と言い放ったものでした。
「どう考えたって、ナイトは白馬にまたがって登場するのが筋でしょう!
レディの永遠の夢を、何だと思っているのですか!」
ユウも馬も、あまりに報われないその物言いに。
マックス爺さん、心から愉快そうに大爆笑です。
その声を頼りにユウが飛び込んできたのは、間もなくのことなのでした。
結局、村に戻るまでの道程で話し合った結果。
颯爽と駆けつけたユウがドスランポスを斬り伏せた、ということで口裏を合わせたのでした。
「報酬が先払いで、ドーガの治療に当てられたということですからね。
別の人が倒したとわかったら、余計なゴタゴタが起きるに決まっています」
「お嬢さん本人がそういうなら、私は全然構わないさ。
ただ……例の土産話の件に限っては、見逃してくれるね?」
「ええ、それはもちろん」
ユウが1人で苦りきっていたのは、言うまでもありません。
加えて、到着するや村を上げての英雄扱いを受けたものですから、いっそ腹を切らせてくれ、と言わんばかりの風情でした。
もっとも、その余波は私にも向けられまして。
「いやあ、お嬢さんがあの傷ついたアプトノスを逃がしたんだって?」
「まあ! 自分が逃げるより先にですの!?」
「勇気があるなあ! ランポスたちに追い回されるなんて、さぞ恐ろしかったろうに……」
広場に戻ったドーガの姿は大勢に目撃されておりましたので、その部分に限っては、ごまかしようがなかったのです。
仕方ありませんので、私は可憐で無力なレディらしく、いくらか瞳を潤ませて言ったものでした。
「もちろん、心臓が今にも破裂してしまうくらい恐ろしかったです……。
でも、きっと……きっと、ユウが助けに来てくれると、信じていましたから」
大多数がその健気さに感動し、約一名がとどめを刺されたように呻きました。
マックス爺さんは、早々にドーガの様子を見に行ったようでした。
出血がひどかったものの、早期治療の甲斐あって、1週間ほどで全快、とのことです。
問題は、私の方でした。
右肩の傷は、マックス爺さんが道すがら薬を調合してくれたおかげで、何とか事なきを得たのですけれど。
もっと根本的な問題が、幾つか残っていたのでした。
「……体中、痛いです」
「その程度の筋肉痛で済んでいる方が不思議だぞ。
聞けば、ほとんど全力で動き通しだったそうではないか。
痛い痛くない以前に、普通、年齢的にそこまで体が動くはずが無いのだ」
つまり、火事場の何とやらを使い続けた代償、ということのようでした。
「あと、実は左手が一番痛いです」
「……それで何とも無かったら、我は神に常識と良識の返還を請求するぞ。
いくらクックの耳に緩和されたとはいえ、爆発の衝撃だ。突き指と打撲程度ならば御の字よ」
「でも右手も安静ですから、ご飯、食べられません」
「問題無い。手を貸そう」
言いながら林檎を剥いている辺り、案外甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのかもしれません。
ならばと、試しに聞いてみました。
「では、着替えも手伝ってくれますか?」
「断る!」
即答でした。
「見ておくなら今のうちだと思うのですよ?」
「断じて断る!」
強調が付きました。
「じゃあ仕方ありませんか」
「…………うむ」
「ちょっと間が空きましたね」
そんなこんなで時は流れ。
1週間後にマックス爺さんの出立を見送ってから、さらに数日を経て、私はやっと復帰し。
今、武器屋さんの工房の前に立っているのでした。
療養中に注文した『相棒』を受け取るためです。
「世界で1つの最高級鍋つかみ、出来ていますか?」
「……もう少し言葉を選んでやらねば、職人が泣くぞ」
至極もっともな意見でした。
100%オーダーメイドの品ですから、そもそもにおいて職人泣かせなのは間違いありません。
それでも、出来ているよ、とだけ短く答える工房のおじさんは、職人の鑑でした。
「これだね。工房試作品・強襲用手甲」
取り出された品は、奇怪、と言って良い意匠でした。
5つの指が形取られたそれは間違いなく篭手の範疇ですが、指先から真紅の爪が伸びている以上、一介の防具とは思えません。むしろ、というより紛れもなく武器です。
手の甲の側は蒼く、平の側は黒く、それぞれランポスの鱗が色違いで用いられています。しかしようく見てみると、鱗の上から金属が蒸着され、強化されているのでした。
「マカライトをふんだんに用いて、盾としてさえ用いられる強度を持たせた。
もちろん注文にあった通り……特に『手の平』の部分を固めたぜ。徹底的に、な」
差し出されたそれを、私は、胸を躍らせながら左手に付けました。
しっとりとしていながら、確かな弾力。かつ、えも言われぬ滑らかさ。
紛れも無く、クックの耳の感触でした。
「うん……指も自由に動くから、道具だって扱えますね。これなら、バッチリです」
――そう。これは、そういう代物なのです。
クックの耳の耐火性。
爆発の衝撃にも耐え得る強度。
目標を爆心地で捕らえ離さない爪。
すなわち、零を穿つためだけに生まれた存在。
これは、やがて炎の子供の代名詞ともなる左の武器の、プロトタイプなのでした。
「ありがとうございます。とても、良い仕事です」
「なあに、なかなか面白い注文で、こっちも勉強になった。
だがな、嬢ちゃん。間違ってもそれで戦おうなんて思うなよ。怪我するからな?」
「はい」
にっこり答える内心で、まさにその怪我でしばらく寝込んでいましたよ、と舌を出したのでした。
ちなみに、この装備に費やした素材は。
クックの耳×1 ドスランポスの爪×2 ランポスの鱗×5 マカライト鉱石×5。
御代はしめて、3000ゼニー。
本来、素材は最初の3つだけの予定だったのですけれど、斬破刀を作った時の余りとかで、ユウがマカライト鉱石を出してくれたのです。
なんて下手な嘘、と思いました。
私の療養期間の前半、お昼ご飯の世話を終えるなり、体がなまるので鍛錬してくる、とか言ってそそくさと出かけ、夕食前には泥だらけになって帰ってくるのですから、バレバレなのです。
少しでも私の安全を高めようと、汗水流して採掘作業に勤しんでいたのでしょう。
(……可愛い人♪)
けれど、本人は未だに完全犯罪成立のつもりでいるらしく。
工房を後にするなり、仰々しく溜息をついて、ぼやくのでした。
「やれやれ、討伐報酬がそれ1つで飛んだ……か」
「良いではないですか。そもそも、私へのプレゼント資金だったのでしょう?」
「…………」
この場合の沈黙は、どんな言葉より雄弁な肯定なのでした。
「ありがとう。何もかもをひっくるめて、ありがとう、です」
「……おお、そうだ! その手甲、名前を付けねば何かと都合が悪かろうな!」
照れ隠し全開でした。
こうまでわかりやすいと、ほっぺたをつねりたくなる類の可愛さを感じます。
「心配しなくても、名前はちゃんと考えてありますよ」
「……鍋つかみ系以外なのだろうな?」
いかにも胡乱な目を向けるユウでした。
実は、それも候補の1つだっただけに、胸が痛いところですけれど。
でも。
文字通り、私の片腕となるこれには。たくさんの想いが詰まったこれには。
この名前しかないと、そう思うのです。
「マックスビューティー」
見知らぬ人が聞けば、究極美、とでも訳することでしょう。
でも、私たちは、知っているのです。
老人と少女。
その、人々に知られざる戦いを。
そんな土産話が、この武器には詰まっているのだと。
「良い名だ」
言って温和に微笑むユウの顔は、今は遠い空の下にいる、あの老人を思わせるのでした。
それから、しばらくというほどではないけれど、すぐにというのも躊躇われる程度の時が経って。
コルック村をひっそりと後にする影が、2つ、あったそうです。
それは、何とも歪な組み合わせでした。
ちっちゃな少女と長身の男と。
綺麗に揃えられた黒髪と、ざんばらの白髪と。
笑顔と、仏頂面と。
どこをどう取っても、アンバランス、と言うほか無い取り合わせなのです。
けれど、見る人が見れば、それは、わかることなのです。
その両者の間にある、たった1つの共通項を。
曰く。
戦士が、二人、です。
「ヒトは誰しも……意識するせぬに関わらず、望む望まぬなぞ頓着せず、
覚悟するせぬさえ考慮せず、それでも常に何かしらと戦い続けているのだと、そう思うのだ」
無闇に背の高い真っ白な髪の男は、出し抜けにそんなことを話し始めたのでした。
男の名はユウ。渋柿をわしゃわしゃと頬張ったような顔をしておりますが、別段不満があるわけでもなく、これがごくごく普通の表情なのです。
「例えば主婦。それは家族の生命健康を守り抜く戦いであり、武器の名を絆と言う。
例えば百姓。それは大地に糧を芽吹かせ育む戦いであり、武器の名を丹誠と言う。
例えば子供。それは己が小さな世界に腕を伸ばす戦いであり、武器の名を無邪気と言う。
例えば戦士。それは刃で以って望みに臨む戦いであり、武器の名を信念と言う。
これらの間に、優劣は一切、無い。皆一様に、己の戦場で戦い続けているのだから」
そこまで言い置いてから、小さな影に向き直ります。
「だが、圧倒的な脅威に、ともすれば天災の如く、己の戦場以外での戦いを強いられる時がある。
それは往々にして、絶望的な苦境での、命を賭した戦いとなるであろう。
人々は、欲する。打ち勝つための剣を。奪われぬための盾を。
そうした剣となり盾となることを望みとする者、我、それをハンターと呼ぶ」
ハンター。
いつかも聞いたその言葉に、黒髪のちっちゃな少女は、くすりと笑みを浮かべました。
少女の名はソナタ。こちらは、笑顔がごくごく普通の表情なのです。
「それは、偽善かもしれません。自己満足かもわかりません。ただのお仕事ともとれるでしょう。
なのにあなたは、自分は弱き人々の剣であり盾であり続けると、言えるのですか?」
「無論」
白髪の男は、神妙に頷きました。
「良し悪しは、この際問わん。問題は、そうと言えるだけの信念が無ければ、
世界にさえ謳える己がなければ、ハンターなどは到底務まらんと、そう言うことだ」
思わず苦笑が零れました。随分とまあ、持って回った言い方をしてくれたものです。
――ソナタは、何を思いハンターとなるのか?
そんな問いを放つのと同時に、
――武器を持っただけで、自分はハンターなどと自惚れるな。
と、誡めてもいるのでした。
これから踏み入れる世界に、先に身を置く者として。
あくまでも、対等の存在として扱うために、です。
ああ、もう。
なんて不器用で、愛想が無くて、回りくどくて、そのくせに底抜けな優しさなのでしょう。
――いいでしょう、そちらがその気なら、こちらもこの気です。
「私は、あなたの言う意味でのハンターになる気は、これっぽっちもありません」
直球勝負。
そうして、ユウが目を白黒しだす前に、でもね、と続けます。
「私はあなたを守りたい。あなたが守りたいと願うモノ全てを守りたい。
例え今は無理だとしても、肩を並べられる日がそう遠くないと信じて。
私はあなたを譲らない。あなたを取り巻くモノ全てに譲らない。
例えそれが、死へと誘う顎であっても。誘惑する美女だとしても。他のナニモノであったとしても」
足を、止めて。
同じく足を止めて、何事かと顔を覗き込んできたユウと、向かい合い。
――これでも、まだ高さが足りないのね。
なんて思いながら、目一杯背伸びして、何とかユウの頬に両手を添え。
「私は、あなたと一緒に歩いていくと決めました。もう二度と、置いて行かせなんかしません」
聞き様によっては、果てしなく物騒な言葉でした。
『あなたがいないとダメなの…』よりは、確実に『責任取って下さいね♪』に近い響きです。
実際、そのダメージは計り知れないようでした。
渋柿の顔が熟したトマトに様変わりし、時折何か口にしようと試みているようですが、言葉にはほど遠い呻きが上がるだけ。
ユウは、動けず、沈黙し。
私は、ゆるりと、反応を待ちました。
体格差からすれば、リオレウスとアプトノスみたいなものですけれど。
立場的には、完全にその逆を行っているのでした。
自然、そのままの形で見つめ合うことになり。
1分、2分、3分まで残り10秒を切ったくらいで。
「……勝手に、するが、良い」
何とかそれだけを言うと、突然にがばっと体を起こして、さあいくぞ先を急ぐぞさあ早く、とまくし立てて、ずんずかざんざかと歩き始めてしまったのでした。
その耳が、まだ、トマトになったままだとも気づかずに。
「はい、もちろん勝手にします」
――思えば、出会った一ヶ月前の日にも、こんな会話を交わしていたでしょうか。
「変わっていく私、変わらない私……どちらも、大切な私」
覚えず、笑みが浮かびます。
私はすぐ前を行くユウに追いつき、すぅ、と手を差し出すのでした。
少し間が空いてから、そこに温かな手が添えられて。
笑顔が、2つ。
寄り添いながら進んでいくのでした。
1歩1歩、確実に。
どこまでも、どこまでも。
いつか肩が並ぶ日を夢見ながら。
今はまだ、アンバランスな二人として。
街のハンターギルドにて、最年少ハンターが登録されちょっとした話題を呼んだのは、それから数週間後のことなのでした。
閉幕 〜いつかを夢見るタマゴ〜
街からやや離れた見晴らし良い丘の上に、白くてさっぱりとした洋館がありました。
その周囲には季節の花が色とりどりに植えられていて、どことなくポツンとした印象のある建物に、華やかさを添えています。
そこは、サナトリウムなのでした。
しかも、入り口や周辺に配備された御付の騎士たちを見る限り、相当以上に身分の高い人が療養していることが窺えます。
ですから、何も知らない人が通りかかっても近寄る気は起きないでしょうし、そもそも、敢えて近付く怪しい者がいれば、その場でひっとらえられてしまうことでしょう。
けれど。
一直線に、そのくせのらりくらりとこちらへ向かってくる何かを、見張りの1人が発見しました。
「行商人か何かが、こちらに近付いて参ります」
「見えているよ」
騎士のぞんざいな反応に、それはそうでしょうねぇ、と見張りは嘆息しました。
遠めにも大きなアプトノスが、老商人の隣に寄り添っているのですもの。
まさに目立つこと山の如し、でした。
「物資の搬入予定はありませんし……訪問販売でも行うつもりなのでしょうか?」
「さあ、な。何にせよ、近寄ってきたら丁重にお帰り願おう。
もっとも、我らの姿を見て、おいそれと近づいてくるとも思えんが」
近づいてきました。
しかも、実にあっさりと。
すわ老眼なのかと思いきや、こちらを認め、ご苦労様です、と手を軽く上げてきます。
「まいったな……」
責任者らしい騎士は、頭をぽりぽりとかいて、進み出たのでした。
陽射し避けの帽子を目深に被った老商人は、身なりからしていかにも貧相に映ります。
けれど、一応は不審人物ですので、捨て置くわけにもいきません。
「ここは、あなたが商売を出来るような場所ではないのです。早々にお引き取りください」
口調は丁寧ですが、『ここは立ち入り禁止です!』というニュアンスを言外に漂わせるのも、怠られてはおりません。
ところが、老人はすごすごと去っていくこともなく、むしろ愉快そうに、
「うん、立派な職務態度で感心だよ。これなら、セフィランサスも安心だろうねえ」
「な……!」
己の主を呼び捨てにされたのですから、騎士は俄然、色めき立ちました。
より強い調子で注意しようと、そう固く心に決めたのですけれど。
それよりも、老人が帽子をちょいっと持ち上げて、シニカルに笑う方が先だったのでした。
「おじいちゃんがお見舞いに来たと、あの娘に伝えておくれ。
ああ、出来るだけ静かに頼むよ。騒々しいのは嫌いなはずだからね」
ところが、たちまち直立不動の姿勢を取った騎士には、言葉の後半が聞こえていなかったようでして。
「先王・マクスウェル様が御来訪なされた! 一同、御前に敬礼っ!」
大音声で、部下たちに告げたのでした。
「……あのお嬢さんの方が、よほど気が利いたねえ」
「ふぉんふぉん」
同意を示すドーガと共に溜息を漏らす、マックス爺さんなのでした。
さて。
ドーガは広い庭でのんびり草を食み、マックス爺さんは最低限の手荷物以外を預けて、さあお見舞いの準備は万全だ、となるはずだったのですが。
「あの、さすがに、そのお召し物では……」
との声が上がりました。
確かに旅の汚れと埃は体に悪いでしょうから、マックス爺さん、仕方なく従います。
「ご苦労様。じゃあ君達は、仕事に戻っておくれ」
「いいえ、お部屋の前までは、お供させていただきます」
何とも律儀なものでした。
断るより気の済むようにさせた方が速いので、仕方なく了承します。
「いやはや、やっと面倒な仕事を息子に押し付けて悠々自適だと思ったら……。
こういった部分は、どうにも代わり映えしないんだねえ」
「お言葉ですが、先王様」
騎士は、重々しく言ったものでした。
「行商人の真似事をされるのは、一向に構いません。旅もお楽しみでありましょう。
ただ……せめて、従者の1人くらいはお付けください」
「ドーガがいるよ」
「戦力という意味で、です。もしも、旅先で万一のことがあったかと思うと、気が気ではなく……」
「なあに、旅では万に一つどころか十に三つくらいは、危険なことがあるものさ」
「では、なおさらです!」
正直、一介の騎士の分を超えた物言いでしたけれど、マックス爺さんは、仕方ない子だ、とでも言うように優しく目を細めただけでした。
「アキレア坊や」
「今は、近衛騎士隊長・アキレアであります」
「その通りだね。私が王ではなくなったのと同じで、君も坊やじゃあない。
国だって、私の頃よりずっと豊かで平和になっている。もう、私はただの老人で良いのさ」
「それでも、です!」
アキレアは、あくまでも食い下がりました。
「飛竜に襲われた村に出向き、すまなんだと涙を流したあなたを、忘れません。
自ら薬を調合して回り、己の分のパンさえ戦災児に施したあなたを、忘れません。
……苦しき時に受けた大恩、この20と余年、1日とて忘れたことは無いのであります」
「はは、忘れていいよ。恥ずかしいじゃないか」
軽口を叩きながらも、マックス爺さん、目頭に熱いものが込み上げているようでした。
「従者の件、考えてはおくよ。ただ……ね」
「何でありましょう?」
「もしも、私がこの旅の前からそうしていたなら、最高に愉快な土産話が1つ、減っていたろうね」
はてな、とアキレアが首を捻ったところで、目的地に着きました。
ドアをこん、ここん、と軽くノックすると、
「どうぞ」
鈴を転がしたような声がしました。
「私だ。入るよ、セフィ」
ドアを開けると、仄かに花の匂いが香ってきました。
ベッドから上体だけを起こした格好の少女が、笑顔で迎えます。
腰まで流れる金髪に、宝玉を溶かしたような碧眼。いっそ危ういほどに白く透き通った肌。
体の弱さゆえでしょうか、触れればたちまちに崩れ落ちてしまいそうな、脆く儚い美しさでした。
「こんにちは、マックスおじいさま」
「やあ、調子はどうだい、セフィ」
「大分良いのですよ。なのに、お父様もお母様も、ここから出ちゃダメって……」
ぷう、と頬が膨らみます。
「ここはまるで鳥篭のよう。皆良くしてくれますけれど、私はいつでも1人です……」
「私だって、お兄さんお姉さんだって、こうしてお見舞いにくるじゃあないか」
「でも……嫌なんです。こんな体。こんな生活。
いつまでも『まだダメ』と『もうすぐ良くなる』しか言ってくれないお父様もお母様も、嫌いっ」
「そんなこと、言うものじゃあないよ。
皆、セフィのことを愛していて、一番セフィのために良いことをしてくれているんだから」
「でも、嫌なものは嫌です」
ぷいっと、顔を背けられてしまいました。
マックス爺さん、面白そうに、意味深な笑みを浮かべます。
「おやおや……あのお嬢さんより年上のはずなのに、こっちは随分と我侭さんだ」
「……どの、お嬢さんですか?」
「セフィのお友達さ」
きょとんと、碧眼がまんまるになりました。
「そんな人、知りません」
「だろうね。だから、これから知ることになると思うよ」
背中に隠していた、小さな水槽を取り出します。
「黄金魚?」
「そう。『ソナタという、未だ見ぬあなたの友達からのプレゼントです』って言付けも賜っているよ」
一瞬、セフィの顔が驚きに染まってから、軽い落胆に変わります。
「……それで、そのソナタさんはどこの子爵の娘さんですか? それとも、将軍のお孫さん?」
その反応を待っていました、とばかりに、マックス爺さんが微笑みます。
「いやいや、違うねえ。全然違う。きっと、セフィじゃあ想像もつかないのだろうねえ」
「まあ!」
わざと意地の悪い物言いに、案の定、食いついてきました。
「ははは、悔しかったら当ててごらん? ただしヒントはあげないよ」
「ようし、負けませんからね」
セフィは、思いつく限りの貴族や騎士の家の名前を挙げました。
けれど、なかなか正解は出ませんでした。
それはそうでしょう。マックス爺さんの言うとおり、わかるはずがないのです。
やがて、セフィが『もう降参!』と顔中で言っているのを見越してから、
「じゃあセフィ、正解を言うけれど、決して驚いてはいけないよ?
驚きすぎてお咳が出たら、おじいちゃんが困ってしまうからね」
「もう……そんなの、大丈夫です」
つん、と形の良い唇を尖らせるセフィに、まだ少し勿体をつけながら。
頃合を見計らって、マックス爺さんは言ったのでした。
「実はそのお嬢さんはね……ハンターなのさ」
「…………………………」
きっかり10秒。
セフィは生まれて初めて、完全に石化するという人生経験を経て。
「嘘でしょう!?」
咳の代わりに、病人らしからぬ大きな声が出たのでした。
「嘘なもんかい。おじいちゃんが、本当に旅先で出会ったお嬢さんさ。
だから、その黄金魚だって、誰かが捕ったのを買ったわけじゃあないんだよ。
ソナタというお嬢さんが自分で釣り上げて、セフィのお見舞いにって、くれたものなのさ」
「自分で……釣って、私の、お見舞いに……?」
信じられないように、水槽を凝視します。
その顔が段々と、黄金魚の色を分けてもらったように、ぱぁっと輝いていきました。
「マックスおじいさま、セフィ、お願いがあります」
「大丈夫。お返しなら、ちゃんとしておいたさ」
先読みされ、ぽかん、となるセフィに優しく言い添えます。
「だから、お友達も言っていたよ。ありがとう、ってね」
「私のお友達が……ありがとうって、感謝の言葉を? うわあ、素敵!」
庭の花さえ恥らうような、笑顔が咲きました。
「それで、ソナタさんはどんな姿で、どんな声で、どんなことをお話したのですか?」
「おいおい、そんな一気に聞かれても、おじいちゃんは困ってしまうよ。
ただでさえ、楽しいお話がいっぱいで、どれから話そうか迷っているくらいなんだから」
「では、一つ一つ順番に、全部、お話してください」
もう、元気いっぱいです。
「よしきた。一つ一つ順番に、全部、お話しようじゃあないか。
でもお話が終わったら、ちゃんとおじいちゃん特製のお薬を飲むんだよ?」
「はーい」
今まで見たことも無いような孫のきらきら顔に、自然と笑顔が零れます。
さあ、どこから話したものでしょう。
白髪の剣士を振り回しながら、偶然店を訪れてきた、出会いのお話でしょうか。
それとも、やっぱりモンスターを一緒に退治した、手に汗握るお話でしょうか。
あるいは、実は黄金魚は魚篭ごと湖に置き忘れていたけれど、逆にそのおかげで無事で、後から取りに戻ったらまだあったんだよ、という笑い話でしょうか。
思案しながら、マックス爺さんはこうも思うのです。
いずれセフィが元気に街へ戻った頃。
ソナタが街で活躍するハンターになっていれば。
今度は、2人はどんなふうに出会い、どんな話をし、どんな土産話を作ってくれるのでしょう、と。
それは、想像するだに愉快なことでした。
「おじいさま、早く早く〜」
「ああ、わかったよ」
今は。
まだタマゴのような未来を楽しみにしながら、土産話を始めるとしましょうか。
いつか、タマゴの中から生まれ、ひょっこり顔を出した何かを。
セフィから嬉々として聞かされる日を夢見ながら。
「さあさ、お立ち会い。これから始まるお話はね――」
第一章、これにて閉幕。
その周囲には季節の花が色とりどりに植えられていて、どことなくポツンとした印象のある建物に、華やかさを添えています。
そこは、サナトリウムなのでした。
しかも、入り口や周辺に配備された御付の騎士たちを見る限り、相当以上に身分の高い人が療養していることが窺えます。
ですから、何も知らない人が通りかかっても近寄る気は起きないでしょうし、そもそも、敢えて近付く怪しい者がいれば、その場でひっとらえられてしまうことでしょう。
けれど。
一直線に、そのくせのらりくらりとこちらへ向かってくる何かを、見張りの1人が発見しました。
「行商人か何かが、こちらに近付いて参ります」
「見えているよ」
騎士のぞんざいな反応に、それはそうでしょうねぇ、と見張りは嘆息しました。
遠めにも大きなアプトノスが、老商人の隣に寄り添っているのですもの。
まさに目立つこと山の如し、でした。
「物資の搬入予定はありませんし……訪問販売でも行うつもりなのでしょうか?」
「さあ、な。何にせよ、近寄ってきたら丁重にお帰り願おう。
もっとも、我らの姿を見て、おいそれと近づいてくるとも思えんが」
近づいてきました。
しかも、実にあっさりと。
すわ老眼なのかと思いきや、こちらを認め、ご苦労様です、と手を軽く上げてきます。
「まいったな……」
責任者らしい騎士は、頭をぽりぽりとかいて、進み出たのでした。
陽射し避けの帽子を目深に被った老商人は、身なりからしていかにも貧相に映ります。
けれど、一応は不審人物ですので、捨て置くわけにもいきません。
「ここは、あなたが商売を出来るような場所ではないのです。早々にお引き取りください」
口調は丁寧ですが、『ここは立ち入り禁止です!』というニュアンスを言外に漂わせるのも、怠られてはおりません。
ところが、老人はすごすごと去っていくこともなく、むしろ愉快そうに、
「うん、立派な職務態度で感心だよ。これなら、セフィランサスも安心だろうねえ」
「な……!」
己の主を呼び捨てにされたのですから、騎士は俄然、色めき立ちました。
より強い調子で注意しようと、そう固く心に決めたのですけれど。
それよりも、老人が帽子をちょいっと持ち上げて、シニカルに笑う方が先だったのでした。
「おじいちゃんがお見舞いに来たと、あの娘に伝えておくれ。
ああ、出来るだけ静かに頼むよ。騒々しいのは嫌いなはずだからね」
ところが、たちまち直立不動の姿勢を取った騎士には、言葉の後半が聞こえていなかったようでして。
「先王・マクスウェル様が御来訪なされた! 一同、御前に敬礼っ!」
大音声で、部下たちに告げたのでした。
「……あのお嬢さんの方が、よほど気が利いたねえ」
「ふぉんふぉん」
同意を示すドーガと共に溜息を漏らす、マックス爺さんなのでした。
さて。
ドーガは広い庭でのんびり草を食み、マックス爺さんは最低限の手荷物以外を預けて、さあお見舞いの準備は万全だ、となるはずだったのですが。
「あの、さすがに、そのお召し物では……」
との声が上がりました。
確かに旅の汚れと埃は体に悪いでしょうから、マックス爺さん、仕方なく従います。
「ご苦労様。じゃあ君達は、仕事に戻っておくれ」
「いいえ、お部屋の前までは、お供させていただきます」
何とも律儀なものでした。
断るより気の済むようにさせた方が速いので、仕方なく了承します。
「いやはや、やっと面倒な仕事を息子に押し付けて悠々自適だと思ったら……。
こういった部分は、どうにも代わり映えしないんだねえ」
「お言葉ですが、先王様」
騎士は、重々しく言ったものでした。
「行商人の真似事をされるのは、一向に構いません。旅もお楽しみでありましょう。
ただ……せめて、従者の1人くらいはお付けください」
「ドーガがいるよ」
「戦力という意味で、です。もしも、旅先で万一のことがあったかと思うと、気が気ではなく……」
「なあに、旅では万に一つどころか十に三つくらいは、危険なことがあるものさ」
「では、なおさらです!」
正直、一介の騎士の分を超えた物言いでしたけれど、マックス爺さんは、仕方ない子だ、とでも言うように優しく目を細めただけでした。
「アキレア坊や」
「今は、近衛騎士隊長・アキレアであります」
「その通りだね。私が王ではなくなったのと同じで、君も坊やじゃあない。
国だって、私の頃よりずっと豊かで平和になっている。もう、私はただの老人で良いのさ」
「それでも、です!」
アキレアは、あくまでも食い下がりました。
「飛竜に襲われた村に出向き、すまなんだと涙を流したあなたを、忘れません。
自ら薬を調合して回り、己の分のパンさえ戦災児に施したあなたを、忘れません。
……苦しき時に受けた大恩、この20と余年、1日とて忘れたことは無いのであります」
「はは、忘れていいよ。恥ずかしいじゃないか」
軽口を叩きながらも、マックス爺さん、目頭に熱いものが込み上げているようでした。
「従者の件、考えてはおくよ。ただ……ね」
「何でありましょう?」
「もしも、私がこの旅の前からそうしていたなら、最高に愉快な土産話が1つ、減っていたろうね」
はてな、とアキレアが首を捻ったところで、目的地に着きました。
ドアをこん、ここん、と軽くノックすると、
「どうぞ」
鈴を転がしたような声がしました。
「私だ。入るよ、セフィ」
ドアを開けると、仄かに花の匂いが香ってきました。
ベッドから上体だけを起こした格好の少女が、笑顔で迎えます。
腰まで流れる金髪に、宝玉を溶かしたような碧眼。いっそ危ういほどに白く透き通った肌。
体の弱さゆえでしょうか、触れればたちまちに崩れ落ちてしまいそうな、脆く儚い美しさでした。
「こんにちは、マックスおじいさま」
「やあ、調子はどうだい、セフィ」
「大分良いのですよ。なのに、お父様もお母様も、ここから出ちゃダメって……」
ぷう、と頬が膨らみます。
「ここはまるで鳥篭のよう。皆良くしてくれますけれど、私はいつでも1人です……」
「私だって、お兄さんお姉さんだって、こうしてお見舞いにくるじゃあないか」
「でも……嫌なんです。こんな体。こんな生活。
いつまでも『まだダメ』と『もうすぐ良くなる』しか言ってくれないお父様もお母様も、嫌いっ」
「そんなこと、言うものじゃあないよ。
皆、セフィのことを愛していて、一番セフィのために良いことをしてくれているんだから」
「でも、嫌なものは嫌です」
ぷいっと、顔を背けられてしまいました。
マックス爺さん、面白そうに、意味深な笑みを浮かべます。
「おやおや……あのお嬢さんより年上のはずなのに、こっちは随分と我侭さんだ」
「……どの、お嬢さんですか?」
「セフィのお友達さ」
きょとんと、碧眼がまんまるになりました。
「そんな人、知りません」
「だろうね。だから、これから知ることになると思うよ」
背中に隠していた、小さな水槽を取り出します。
「黄金魚?」
「そう。『ソナタという、未だ見ぬあなたの友達からのプレゼントです』って言付けも賜っているよ」
一瞬、セフィの顔が驚きに染まってから、軽い落胆に変わります。
「……それで、そのソナタさんはどこの子爵の娘さんですか? それとも、将軍のお孫さん?」
その反応を待っていました、とばかりに、マックス爺さんが微笑みます。
「いやいや、違うねえ。全然違う。きっと、セフィじゃあ想像もつかないのだろうねえ」
「まあ!」
わざと意地の悪い物言いに、案の定、食いついてきました。
「ははは、悔しかったら当ててごらん? ただしヒントはあげないよ」
「ようし、負けませんからね」
セフィは、思いつく限りの貴族や騎士の家の名前を挙げました。
けれど、なかなか正解は出ませんでした。
それはそうでしょう。マックス爺さんの言うとおり、わかるはずがないのです。
やがて、セフィが『もう降参!』と顔中で言っているのを見越してから、
「じゃあセフィ、正解を言うけれど、決して驚いてはいけないよ?
驚きすぎてお咳が出たら、おじいちゃんが困ってしまうからね」
「もう……そんなの、大丈夫です」
つん、と形の良い唇を尖らせるセフィに、まだ少し勿体をつけながら。
頃合を見計らって、マックス爺さんは言ったのでした。
「実はそのお嬢さんはね……ハンターなのさ」
「…………………………」
きっかり10秒。
セフィは生まれて初めて、完全に石化するという人生経験を経て。
「嘘でしょう!?」
咳の代わりに、病人らしからぬ大きな声が出たのでした。
「嘘なもんかい。おじいちゃんが、本当に旅先で出会ったお嬢さんさ。
だから、その黄金魚だって、誰かが捕ったのを買ったわけじゃあないんだよ。
ソナタというお嬢さんが自分で釣り上げて、セフィのお見舞いにって、くれたものなのさ」
「自分で……釣って、私の、お見舞いに……?」
信じられないように、水槽を凝視します。
その顔が段々と、黄金魚の色を分けてもらったように、ぱぁっと輝いていきました。
「マックスおじいさま、セフィ、お願いがあります」
「大丈夫。お返しなら、ちゃんとしておいたさ」
先読みされ、ぽかん、となるセフィに優しく言い添えます。
「だから、お友達も言っていたよ。ありがとう、ってね」
「私のお友達が……ありがとうって、感謝の言葉を? うわあ、素敵!」
庭の花さえ恥らうような、笑顔が咲きました。
「それで、ソナタさんはどんな姿で、どんな声で、どんなことをお話したのですか?」
「おいおい、そんな一気に聞かれても、おじいちゃんは困ってしまうよ。
ただでさえ、楽しいお話がいっぱいで、どれから話そうか迷っているくらいなんだから」
「では、一つ一つ順番に、全部、お話してください」
もう、元気いっぱいです。
「よしきた。一つ一つ順番に、全部、お話しようじゃあないか。
でもお話が終わったら、ちゃんとおじいちゃん特製のお薬を飲むんだよ?」
「はーい」
今まで見たことも無いような孫のきらきら顔に、自然と笑顔が零れます。
さあ、どこから話したものでしょう。
白髪の剣士を振り回しながら、偶然店を訪れてきた、出会いのお話でしょうか。
それとも、やっぱりモンスターを一緒に退治した、手に汗握るお話でしょうか。
あるいは、実は黄金魚は魚篭ごと湖に置き忘れていたけれど、逆にそのおかげで無事で、後から取りに戻ったらまだあったんだよ、という笑い話でしょうか。
思案しながら、マックス爺さんはこうも思うのです。
いずれセフィが元気に街へ戻った頃。
ソナタが街で活躍するハンターになっていれば。
今度は、2人はどんなふうに出会い、どんな話をし、どんな土産話を作ってくれるのでしょう、と。
それは、想像するだに愉快なことでした。
「おじいさま、早く早く〜」
「ああ、わかったよ」
今は。
まだタマゴのような未来を楽しみにしながら、土産話を始めるとしましょうか。
いつか、タマゴの中から生まれ、ひょっこり顔を出した何かを。
セフィから嬉々として聞かされる日を夢見ながら。
「さあさ、お立ち会い。これから始まるお話はね――」
第一章、これにて閉幕。