The Unbalanced Hunters
―戦士二人―

〜炎と火竜と『あなた』と『おまえ』〜
著:ランドール
序章:〜炎と火竜と『あなた』と『おまえ』〜
第一章:〜炎が舞い降りた日〜
第二章:〜追憶を断ち斬る刃〜
 序章 〜炎と火竜と『あなた』と『おまえ』〜
 私は、炎の子供なのだろうなあ、と思いました。
 夜を切り裂いて辺りいっぱいを嘗め尽くす炎、それに平らげられて崩落ちた家々、そして…プンと鼻をつく、何かが焦げ果てた嫌な匂い。
「全部赤いのね……空も、風も……きっと、私も」
 そこに在るモノは全て、例外なく紅に染め上げられているのです。他には何もありません。他には誰もおりません。

 ―――炎の、世界。

 だから、こんなところに独り立ち尽くしている私は、きっと、そういうモノなのだろうなあ、と。

「ぐぎゃおおおおおおん!」

 突然に、耳を殴りつける爆音がしました。それが雄叫びだと気づいたのは、少し離れた場所の炎の中で、私ほどもある大きな目玉がぎょろりと動いてからでした。

「……動く? 叫んだの……炎が?」

 『それ』は最初、炎の塊が形を成して立ち上がったように見えました。
 全身で燃え盛っているような、目にも鮮やかな赤いイキモノ。空まで覆い尽くしそうな翼を広げ、山さえ崩しそうな尻尾を携え、紅蓮石みたいな瞳でもって、私を見据えているのです。

 ――ああ、炎の世界はこのイキモノのものだったのだなあ、とわかりました。

 これに比べたら私はせいぜい、鼻の頭にちょっぴり生えている産毛くらいの、ちっぽけな存在でしかないのだろうなあ……とさえ思いました。
 だから。
 地を鳴らしながら迫ってくる大きな姿を、ただただ、じっと見つめておりました。
 ともすれば、綺麗だなあ、なんて思いながら。

「――」

 誰かの声が聞こえた気がしました。けれど、それは気のせいなのでしょう。
 ここには他には誰もおらず、何もありはしないのですから。
 ただ赤いイキモノの、ぱっくりと開かれた闇夜のように深い口と、そこに浮かぶ三日月みたいに尖った牙の列が、やんわり私を招いているだけなのです。
 と。
 その口元が、他よりもいっそう真っ赤に、けれどまだらに染まっているのが見えました。

「……!」

 胸の奥の深い場所に、ガラスの棘が刺さったような心地でした。
 何やら、とても大事なモノが欠け落ちてしまっているような。
 例えば、小さいけれど大切だった何か。
 例えば、温かくて大好きだった誰か。
 例えば、それで幸せだった私。

「いつでもよく笑う……お母さん。少し怖くて凄く優しい……お父さん」

 まだまだたくさんあったはずなのですが、何故でしょう。思い出そうとするほどに、胸ばかりか頭までもがズキズキと痛んでくるのでした。
 わかりません。何故こんなにも痛いのか。こんなにも悲しいのか。こんなにも悔しいのか。
 でも、それでも、確実に。わかることが唯一つだけ、ありました。

「……許さ、ない」

 軋みを上げる心は、私に、そう叫ばせたのです。
 ――後から思う限りにおいては、ここに至るまでのピントがぼやけたような思考も、それに続いて取った目を覆いたくなるような行動も、全てがどこかしら常軌を逸していたのでしょう。しかもそれが、やっと歳を数えるのに両手が必要となった幼子のものであるならば、なおさらのことです。
 ただ、当事者である私自身がその決定的な欠落に気づくことは出来ませんでしたし、それと指摘してくれる第三者の存在も、ここには無かったのでした。
 だから、私は、望むままに臨みました。

「あれは――敵」

 踏み出したのは、小さな一歩。けれど、その持つ意味を考えれば、果てしなく大きな一歩でした。何故ならそれは逃走のためのものではなく、今まさに迫っている脅威へ立ち向かわんとする一歩だったからです。

「こんばんは、私の敵。ご機嫌はいかが?」

 スカートの裾をちょこんと持ち上げて、出来る限り優雅に、恭しく礼をして微笑んで見せました。
 宣戦布告のつもりなのです。
 ――ナイフの一振りどころか、石ころの一個さえも持たない幼子が、『何一つ臆するところ無し』といった態度で真っ向から接敵せんとする、この光景。それはもう、肝が据わっているとか開き直ったとかそういった次元では無く、この炎の世界にあってなお、異常で奇怪な光景なのでした。

「さあ、聞こえているなら聞きなさい。聞こえて無くても聞きなさい」

 頭の重みで引っくり返りそうなくらい首を上に傾けて、真正面から堂々と、敵を見据えます。
 眼前に砦のように聳え立った赤いイキモノは、もう、綺麗になんて見えませんでした。

「私は、逃げない。逃げてなんか、あげない」

 慌てもしなければ怯えもしない様子が奇異に映ったのか、一瞬、赤いイキモノの動きが止まりました。けれどそれはあくまで一瞬のことでして、美味しそうな食事を前に、のそりと首を伸ばしてきます。

「私は、小タルだってまともに運べない。包丁さえ持ったことがない。
 無力だって、知っている。痛いくらいに、わかっている。でも、そんなのは関係ない。戦うと決めたから。
 悲しいっていう気持ちや悔しいっていう気持ちと一緒に、最期まで戦い抜く」

 視界に真っ暗な影が落ち、錆びた鉄の匂いが漂ってきました。私を一度に10人は飲み込めそうな大口が、頭上から降って来ているのです。
 けれど、それがどうした、という態度でもって、私は言葉を続けたのでした。

「もしもここで逃げたら、私は……ヒトは、ただの餌になる。
 餌が食べられるのは当たり前のことだから、揺らぐはずなんて無い。
 ヒトはずっと、おまえに食べられて終わるだけのモノになってしまう。
 でも、無力な私でさえ最期まで戦えるのなら、ヒトは餌なんかじゃない……れっきとした、敵になれる。
 敵との勝負には、ただ強いか弱いかの差があるだけ。だったらいつか必ず、おまえより強い誰かが現れて、ヒトはおまえに勝利出来る」

 この期に及んでも、私は確かに、微笑んでおりました。それはもちろん、強がり八分やせ我慢ニ分の歪なものでしたけれど、それでも、出来る限り大胆不敵で魅力的に見えるよう、ほっぺたをいっぱいに持ち上げたのです。いつか、頭をくしゃくしゃに撫でられた時みたいに、にっこりと。

「だから竦んでなんて、あげない。泣いてなんて、あげない。
 ただ怯えて震えて食べられるだけの餌になんて、なってあげない。
 私はおまえの敵。おまえが私の敵。だから私は、逃げずに戦う。
 立ち尽くすしか出来ないのなら、こゆるぎもせず凛と立ち尽くして、戦い抜いてみせる。
 そうして、微笑みながら終わってあげる。こうやって、真正面から見据えたままで。
 何があったって、どんなに恐ろしくったって、一歩だって……引くものか!」

 ――まさに牙がこの身に食い込まんとする瞬間は、ひどく、ゆっくりとしたものと映りました。

 ひょっとしたら、涙が零れるだけの時間が、残ってしまいそうなほどに。

「おまえになんて……おまえになんて、負けるものかああぁぁぁ!」

 崩れそうな心を、精一杯の声で押し留めるように叫んだ刹那。

 牙が、私から離れました。というより――飛竜そのものが吹き飛んだようでした。

「……ほえ?」

 ぽかん、と呆気に取られる暇も無く、半瞬後には眼前で盛大な赤い雨が降り、さらに半瞬後、この世のものとは思えぬ壮絶な咆哮が響き渡ったのでした。

「……痛がっているの? 赤いイキモノが、自分の血でもっと赤く染まって…」

 その血飛沫がべったりと頬に張り付いていることなんて、まるで気にする余裕がありませんでした。一体、何が、どうなっているというのでしょう。

「火竜リオレウス。大空の王たる存在を前に、微塵も引かぬその気概っ!」

 声は、脈絡という言葉に恨みでもあるかのような唐突さでした。

「誇り高き戦士の魂を持った幼子よ――その意や、良しっ!」

 しかも、頭上、といって差し支えない場所から響いてくるものですから、引っくり返るのを覚悟で、頭を思いっきり上に逸らしてみました。

「……」

「――」

 ばっちり、目が、合いました。
 むやみに背の高い男の人が、気配も無く背後に立ち、こちらを無表情に見下ろしているのです。
 ぶっちぎりで不審人物でした。

「……誘拐?」

「うむ、冗談を飛ばす余裕まであるとは、天晴れだ」

 ぽむぽむ、と軽く叩くように頭を撫でられました。
 全く見知らぬその人は、おじさん、と呼んだら怒られそうな歳なのに髪の毛は真っ白で、渋柿をわしゃわしゃと頬張ったような仏頂面をしています。服装も、上着は前で合わせるものですし、ズボンは裾が随分と無駄に膨らんでいるというか、余裕のある作りになっています。ひょっとしたら、キモノにハカマ、というものでしょうか。
 そんな物珍しい格好よりもさらに目を引くのが、背中に背負っている、やたら長くてそれなのに細い、へんてこな刃物でした。しかもそれは、べったりと血に濡れていて…

「あ……助けて、くれたの? おじ…おにいさんが」

「……まだ、終わってはおらぬようだ。油断するな、小戦士」

 言って、大きな背に私を庇うように前へと出たのです。
 見やると、リオレウスと呼ばれた赤いイキモノは、怒りに爛々と眼を輝かせ、再び立ち上がったところなのでした。

「小戦士よ」

「逃げろというなら断ります」

「否。一言、許す、と言って欲しい」

 一瞬、その意味がわかりませんでした。悪いことをされた覚えなんて、まるでないのですから。

「あれは小戦士、そなたの敵だ。その敵に我が手を下すことを……許してくれるか?」

 変な人、と思いました。勇者気分で子供を助けて満足に浸ればよい場面でしょうに、私を自分と同等に、一人の戦士として扱おうとしているのです。
 嬉しい、というのとは、ちょっと違う感じでした。もっと、自分の心に芯が一本ぴんと通ったような誇らしさを感じるのです。

「――許します。あれをぶちのめして下さい」

「応ッ!」

 バン、と地面が破裂しそうな勢いの踏み込みでもって、弾丸のようにリオレウスに向かっていきます。

「ぐ…ぶぉぉぉぉぉ!」

 迎え撃つ形で、火弾が吐き出されました。リオレウスとしては、それを避けて獲物の体勢が崩れたところを狙う算段なのでしょう。しかし、そのあては外れました。何の迷いも無く、獲物は一直線に火弾に突っ込んでいったのです。
 ドオン、という重い音がして、爆炎が巻き上がりました。

「ぐおおおおん!」

 勝利を確信した叫びと共に、勇んで突っ込みます。先に斬られた分の鬱憤を晴らそうとでもいうのでしょう。
 けれど、そのあてはまたもや外れてしまったのでした。

「名工《ブシドウ》が鍛えた雷光の太刀……斬破刀を甘く見たな」

 炎の中から、刀を盾のように翳した男が飛び出して来たのでした。慌てたところで、リオレウスについた勢いは止まりません。

「それを指して……隙と言う!」

 斬破刀一閃。
 頭部を斬られよろめく間に、さらにもう一太刀。首筋の辺りからも血が噴き出しました。

「ぐがぁぁおん!」

 このままではまずい、と思ったのでしょう。
 背後に飛び退きながら火弾を放ち、距離を取ります。また刀で防いでも、再び接近するまでには時間がかかりますから、その間に体勢を整えるつもりなのです。
 けれど、リオレウスの期待はあらゆる意味で裏切られ続けたのでした。

「小戦士! 目を瞑れ!」

 残念なことに、人の身ならぬリオレウスには、その言葉の意味は理解できませんでした。
 唯一理解できたのは、目の前に、ちっちゃな玉がぽぅんと放られてきたことだけです。
 直後。炸裂。
 光の洪水が、網膜を焼いていきました。

「ぐがごああががあ!?」

 悲鳴に返ってきたのは、容赦ない斬撃でした。
 腹、足、翼、背、首、頭、尾、あらゆる部分から血が噴出し、やり場の無い怒りを具現したように、その身をどす黒く染め上げていくのです。

「ぐぅ……オオ」

 体の力がどんどん失われていくのを感じながら。
 何故、こんなことになったのかと、リオレウスは考えました。巣立ち、やっと一人前になったところで幸運なことに餌の群を発見し、美味しく貪っていたというのに。いったい、何がいけなかったのだろう、と。

 ――そうか、あの、1つだけ残っていた小さな餌。あれを残したことが、間違いだったのだ。

 その結論は壮絶な八つ当たりでしたけれど、手負いの火竜にとって、ぱんぱんに膨らんだ怒り恨み憎しみを発散させるのに、迷いなどあろうはずも無いのでした。

「ぐぎゃあああああん!」

 満身の力を込めて、リオレウスは羽ばたきました。体のいたるところで傷口が裂け、新たな出血が起こりましたけれど、気になどしていられません。あっという間に、あの厄介な刀の届かない高さまで舞い上がったのでした。

「飛び立つ……敵に背を向けるか、痴れ者め!」

 風圧に目を細めながら、男は違和感を覚えていました。逃げるにしては高度が足りませんし、かといってそのまま飛び去る様子もありません。怪我のせいかとも思いましたが、相手は火竜リオレウスです。空を飛ぶことにかけて、他の飛竜の追随を許さない大空の王。命と翼のある限り、飛び続けられると見るべきでした。
 ならば、一定の高度で止まり続け、下方を見回す理由とは何でしょう。例えばそう、空中から何かの攻撃を試みようとしているとか…。
 瞬間、男の脳裏に最悪の光景が浮かびました。

「いかん! 逃げろ、小戦士!」

 叫ぶのと、リオレウスが上空から火弾を放つのとは、同時でした。
 男の顔に絶望が浮かび。
 リオレウスの顔が狂喜に染まり。
 そして、私は。

「言いましたよ、ついさっきも。逃げたりなんかしないって」

 やんわりと微笑んで、全力で前へと駆け出しました。

「小さな私は、上を向きすぎたら引っくり返りそうになる。頭って、重いんだもの。
 でも大きなおまえだって、飛びながらじゃあ、下を向きすぎたら引っくり返るでしょう?
 じゃあ簡単。私が前に出るほどに、おまえの足元であるほどに、狙いにくくなる」

 一瞬前まで私が居た場所に、着弾。爆風に煽られて、1回、2回とでんぐり返しに転がってから、立ち上がって再び駆け出します。もちろん、前へ。

「ぐぉ…? ぐ…ぼぉぉぉ!」

 よっぽど予想外だったのでしょうか。慌てて追撃の火弾を打ち始めます。

「なるほど、目も、まだあんまり見えていないのね。だから、飛び上がってから私を探すのに、ちょっぴり時間がかかっていた。それに狙い自体も、甘くなっている」

 ニ発目の着弾は、爆風に煽られないくらい後方に逸れました。

「それに、そもそも的の大きさからして、単純に当てにくいのね。
 無力なまでに小さい私だけれど、今はそれが、おまえに対する最高の武器になる」

 三発目は、完全にあらぬ方向でした。

「ぐぅ……おおおおおお!」

「いいの? さらに連発なんかしようとして。もう私、おまえの足元近くにいるのに」

 忠告が理解できたところで、目一杯頭に血が上ったリオレウスには関係なかったことでしょう。
 思いっきり首を下げて、火弾を放とうとして――

「おにいさん、今!」

「承知!」

 無理な体勢を取ったことによる高度の低下。同時に、頭部自体を単純に下げたという事実。火弾を放つ際の、一瞬の溜め。そしてそれを狙って飛び上がった長身の男。振うはさらに長い斬破刀。
 これだけの要素が一点に集約したとき、導かれる結果は、必然といえるのでしょう。

「ぐぎゃおおおおおおおんん!」

 深々と、右目をえぐられ。
 今度こそ戦闘能力を失った大空の王は、文字通り尻尾を巻いて敗走したのでした。
 その姿を見送りながら、私は両手を腰に当てて背をぴんと張り、

「レディの扱いも知らない無粋者は……顔を洗って出直してきなさい!」

 高々と、勝利宣言を上げました。

「……末恐ろしいぞ、小戦士」

 男の人は刀をひゅんと振るって血糊を払いながら、真顔でそんなことを言ってきました。こちらもなかなかの無粋者です。
 でも、文句よりはまずお礼を言う方が先なのでしょう。

「ご協力感謝します。おかげさまで、どうにかなりました」

「なに、小戦士こそ見事な立ち回りだった」

「あの……もう敵は居ませんから、小戦士は止めてくださいな。
 見ての通り、麗しい小さなレディですから」

「………………………………承知」

「とっても納得したくなさそうですね」

「いや……その、なんというか、名乗りあう暇も無かった、と思ってな」

 そういえばそうでした。これは私も同罪です。
 なので、まずこちらから名乗ろうとしたのですけれど……困ったことに、自分の名前が思い出せません。無理に何か思い出そうとすると、また頭がズキズキするのです。どうにも仕様が無いので、その旨を正直に伝えました。
 すると、まず頭をぶつけた可能性を考えたらしく、丹念に外傷の有無を調べてくれました。けれど、幸か不幸か、擦過傷以上の傷は、ただの一つだって見つからなかったのです。

「むう……一時的なものだと思いたいが」

 元々渋い表情をさらに渋くして、考え込んでいます。安い気休めを言わない辺り、かえって好感が持てる態度です。
 でも私自身は、私が何と呼ばれていたのか、きっと思い出すことは無いのだろうなあと思いました。より正確に言うなら、思い出したくなんてありませんでした。その名前を優しく呼んでくれたであろう人々は、もう、炎の世界に飲みつくされてしまっているのですから。

「構いません。私は……炎の子供だから。
 結局……思い出も私自身も、炎の向こうに消えてしまっただけのことです」

「……」

 それに関しては何一つ言わず、黙ってぽむぽむと頭を撫でてきました。
 ちょっと、涙が、零れそうな。そんな無骨な優しさでした。

「我には信じる神はいないが……多分、目に見えない何かが、そなたはまだ死ぬべきではないと、そう言っているのだと思う」

 突然、そんなふうに話し始めました。きっと、雰囲気を変えるため何か話題を振ろうとしたのでしょうけれど、あまりレディの興味を汲んでいるとは思えない内容です。

「そも、この村が襲われているのに気づいたのも……何かに呼ばれたような気がしたからだ」

「……呼ばれ?」

「ああ。気になって周囲を散策したところ、丘一つ向こうで盛大な火勢が上がっているではないか。それを見て、慌てて参上した次第だ。一瞬でも気づくのが遅れていたらと思うと、背中が薄ら寒くなるわ」

「誰かに……呼ばれた」

 ともすれば、もう忘れてしまいそうなくらいですけれど。
 あのリオレウスを最初に『敵』と認識するに至ったとき。茫洋としていた私の気を引き、結果的に立ち向かわせるきっかけとなったのは、誰かから呼ばれた、という感覚ではなかったのでしょうか。
 私にしても、男の人にしても、どちらか一つでも声が欠けていたら、私はまず間違いなく死んでいたことでしょう。
 目に見えぬ何か。私を生かそうとする意志。だったら、それは…

「偶然といえばそれまでだが、な。少なくとも炎の世界は、そなたを選んだということだ」

「ち……がう」

 根拠なんてありませんでしたけれど。
 それでも私は、偶然なんかじゃないと、そう思いました。

「探す……ううん、思い出す! どこ……いったいどこ!?」
「おい、どうした!?」

 今だけは、心配してくれる声を無視します。
 頭が、ハンマーでぽこんとやられたみたいに痛みます。でも、それでも、思い出さないわけにはいきませんでした。これだけは、絶対に。

「……村の、真ん中。双子のハリの木が並ぶ先の……家」

 間違いありません。そこが、私の居た家。
 見やると、もう、跡形も残っていません。そのはずです。最初にリオレウスが立ち上がった炎の塊の場所が、そこなのですから。
 でも、そんなことは関係ありません。私は、崩落ちた廃墟の前までとてとてと進んで、深々と、頭を下げたのでした。

「おい、いったい何を…」

「黙って!」

「……」

「気のせいだって……偶然だって、構わないです。でも、信じさせてください。
 私には大切なヒトたちがいたって。私を大切に想ってくれるヒトたちがいたって。
 そんなヒトが……守ってくれたと。炎の向こうに消えてなお……私を。
 例えばそれは、空さえ超えて届くような言葉で。
 例えばそれは、炎さえ燃やせないような想いで。
 例えばそれは、どこにでも当たり前にあるような愛で。
 そうして……あなたを呼んで、私を……生きさせてくれたって、信じさせてください。
 これからだって、ずっとずっと、見守っていてくれるって、信じさせて……お願い、だから!」

 ぼろぼろと。いつの間にか、涙が溢れていました。
 リオレウスを相手にしても零れなかった涙が、もう、止まりませんでした。

「ごめんなさい……でも、ありがとう……それから、さようなら」

 それ以上は、とても言葉になりません。
 と、隣で男の人も同じように頭を下げました。

「このような勇ましくも優しきご息女を育んだ、あなたがたの気高き魂を心から尊敬いたします。
 安らかにお眠りください。そして……この導きに感謝いたします」

 それからしばらく、二人はそのままで黙祷を捧げたのでした。
 何かを考えていたのかもしれないですし、故人に思いを寄せていたのかもしれません。
 ただ、やがてお互いに確認しあうでもなく頭を上げ、視線を交わした時、出てきた言葉はひどく自然な響きを持っておりました。

「我と一緒に――来るか?」

 差し伸べられた大きな手を前に。
 スカートの裾をちょこんと持ち上げて、出来る限り優雅に、恭しく礼をして微笑んで見せました。
 頬には血糊がべったりですし、転がったり走ったりしたせいで、ススやら何やらが全身を汚しているのですけれど、炎に赤々と照らし出された私は、むしろこれで相応しいとさえ思いました。
 私は、ここより始まる炎の子供なのですから。

「――許します」

 告げて、小さな手を、ゆるりと重ねました。
 リオレウスを圧倒した男の手は、不思議なくらいの温かさを持っておりました。

「ただし、次からの誘いでは、もっとムードも考えて下さいね。
 プレゼントを贈るというのも、手段としては有効です」

「……努力する」

 パチパチと炎の爆ぜる音の中。大きな影と、それにすっぽり隠れる小さな影とが、少しずつ遠ざかっていきました。途中、一度だけ小さい影が立ち止まりましたけれど、ぺこりと一礼しただけのことで、再び少しずつ遠ざかっていったのでした。
 後に残った炎の残滓は、やがて時間と共に立ち消えました。何事もなかったかのように、そこに炎の世界があったことなど夢であったかのように、静寂を取り戻したのでした。もちろんそれは、そこにあったあらゆるものを奪いつくした上で、ですけれど。
 ただ、不思議なことに。
 一番燃え方がひどかった村の中心の廃墟の前に、白い花が添えられていたのです。
 それはガマズミという名の花でした。小さな花々が寄り添って、一つの花を成しているのです。
 花言葉は『愛は死よりも強し』。
 それは炎でも奪いつくせなかった何かの、微かな証明だったのかもしれません。

「――まずは近間の村に向かう。旅にあたって、何か要望は? 出来る限りは善処しようと思うが」

「美味しい食事と広いお風呂とぴっかぴかのお洋服を」

「………むぅ」

 いきなり最大級のピンチに、顔の渋さが倍にもなりました。

「嘘。ホントはまず、あなたの名前を聞きたいです」

「――ユウ。今のところ、名乗る名前はそれだけだ」

 からかわれた気まずさでもあるのでしょうか、気持ち、影のある表情でした。
 ただ私は、この人はいつもこういう顔なのだなあ、とうすうす気づいていましたので、あまり気にも留めませんでした。

「ふうん……ユウ。不思議な響き……でも、優しい響きの名前。
 この名前は『あなた』という意味なの?」

「いいや、『勇ましい』『雄雄しい』という意味の文字を当てるのが普通だな。
 ああ……『存在する』とか『優しい』のようなものも、あるにはある」

「そう。じゃああなたは、『優しい』ユウなのね」

「………」

 随分高い位置にある横顔が、炎に照らされたような色になりました。

「ああ……と、そうそう、そなたの名前が必要だったな。
 思い出せれば良いのだが、当面のところ、名無しというわけにもいくまいて」

 子供の目にも明らかな、照れ隠しでした。ユウは嘘をつけない人のようです。

「それなら大丈夫。もう、決めていますから」

「ほう?」

「――ソナタ。ユウが、ずっとそう呼んでくれていたから」

 そのときのユウの顔こそ、ちょっとした見物でした。
 無防備なくらいぽかぁんと口を開いて、顔中で驚きを表現してくれたのです。

「……なんとぉ? むむむ、ちょっと待て、頼むから待ってくれ。それは『おまえ』という意味で…」

「うん、だから決めたの。ユウが『あなた』でソナタは『おまえ』だから、ほら、お揃いの名前。
 それに優しいユウがくれたから、ソナタも同じ、優しい名前。ふふふ、良いでしょう?」

 私は、子供らしい悪戯心全開の笑みを浮かべました。

「……勝手に、するが、良い」

「はい、もちろん勝手にします。でも……それだけ?」

「ぐ…」

 そろそろユウの顔がリオレウスみたいな色になりそうでしたけれど、でも、私としてもこれは譲れないところなのです。
 自分の倍以上もある相手を真正面から見据えて、一歩も引かず、じっとその言葉を待ちました。

「さっさと行くぞ――ソナタ」

「はい、よく出来ました♪ 行きましょう、ユウ。エスコートは任せます」

 仏頂面と小さな微笑。長身と小柄。大人と子供。けれど、戦士が二人、です。
 長かった夜は、今、ようやく明けようとしているのでした。
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