牧師室'18.12


 ◎ 2018.12 ◎
「なんと幸いなことでしょう」

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、
何と幸いなことでしょう。

(新約聖書 ルカの福音書1:45)



  Merry Xmas!
  2016年の震災(平成28年熊本地震)後、三度目のクリスマスを迎えました。
  クリスマスには、必ずと言っていいほど「メリー・クリスマス!」と挨拶を交わします。「メリー・クリスマス!」「Merry Xmas!」と書きますね。今さらと言われるかも知れませんが、メリーは、「楽しい、良い、素敵な」という意味です。クリスマスは、「キリストの祭」という意味です。イエス・キリストのギリシャ語が、「イエスース クリストス」です。Xmasはギリシャ語クリストスの頭文字Xとmasをあわせたもので、masは、祭を意味します。ですからXmasは、キリストの祭です。
  「クリスマス」は、イエス・キリスト様のお誕生を喜び祝うお祭りなのです。私たちキリスト教会においては、欠かすことの出来ない、喜びの時なのです。
  ですから、毎年毎年、飾り付けをし、出来るだけ多くの方々をお招きして、その喜びを分かち合うのです。
  さて、イエス様の誕生については、新約聖書(特に、マタイの福音書とルカ福音書)に詳しく記されています。今回は特に、ルカの福音書の記事、その中でも、特にエリサベツという女性に焦点を当てて、クリスマスの出来事を見る事にしましょう。
  彼女は祭司ザカリヤの妻でしたが、「エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。」(1:7)と記しています。
  ところが、ある日、夫である祭司ザカリヤに主の使いが現れて、「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。」(1:13)と告げましたが、このことがエリサベツに告げられたとは記していません。しかし、やがて彼女は身ごもります。そして彼女は五か月間引きこもっていました。「なぜこんなことが、不妊で年寄りの私に、子ができるなど・・・」と、いろいろと思い巡らしていたに違いないのです。そして得た結論は「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」(1:25)と。神様が祝福してくださったのだと信じたのです。
  しばらくすると親類のマリヤが訪ねてきました。実はマリヤは、御使いにこう聞かされていたのです。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれてくる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。  
ごらんなさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって子を宿しています。不妊の女と言われていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」と。マリヤは御使いの告げた神様の言葉を信じ、エリサベツのもとへ向かいました。
  訪ねてきたマリヤがエリサベツに挨拶をしますと、エリサベツの胎内の子がおどったというのです。そして、聖霊に満たされたエリサベツは「1:42大声を上げて言った。『あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。1:43私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。1:44ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳にはいったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。
1:45主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。』」と。こうして二人は、それぞれの身に起こったことが神の導きによるのだということを確信したのです。
  もちろんクリスマスの主役はイエス様です。しかし、この世の救い主イエス様がお生まれになったという出来事にとって、この二人の女性の信仰を決して忘れてはならないのです。このように見て参りますと、聖書の中には神様に用いられた多くの女性の活躍が浮かび上がってきます。アブラハムの妻サラ、モーセの母ヨケベデ、ルツ、エステル、その他沢山の女性が聖書の中に登場しています。
  それは今の時代にも言えることではないでしょうか、何処の教会も平均女性の方が多いですよね。
  それはそれとしまして、老若男女を問わず、「なんと幸いなことでしょう」と言われるのは、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人」です。私たちは、主の御降誕を迎えるにあたり、聖書を通して語られる神のお言葉を信じきって、幸いな人生を全うしたいものです。