牧師室'18.11


 ◎ 2018.11 ◎
「復活の希望に生きる」

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、
私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
(新約聖書 ローマ人への手紙6:4)



  イエス様を信じ、聖書が語る神様のお言葉を信じて日々歩んでいるクリスチャンが一番望んでいる事って何でしょうか?
  ヘブル人への手紙11:1に「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」とあります。ここで言われている「望んでいる事がら、目に見えないもの」とは何を指しているのでしょう。この箇所を読み進んでいきますと、一連の流れの中で見えてくるのは、永遠の希望に生きる人生が与えられていると言うことです。12章の28節に「こういうわけで、・・・」と話しの結論として語られているのですが、それは「こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」と言っています。11章の1節「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」と。「私たちは揺り動かされない御国を受けている」と云う永遠の希望が与えられていると云う事です。
  そしてそれを確信させてくれるのが信仰、つまり、イエス様の十字架と復活を信じる信仰なのです。 11章16節には、「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」とありますように、彼ら、すなわち旧約の時代の人々も、信仰によってまだ見ていない永遠の都、天の故郷にあこがれていたのです。
  あこがれというのは「まだ実現していない自分が理想とする物事に強く心が引かれたり、思い焦がれること」です。けれども、彼らがあこがれていた天の故郷は、イエス様の十字架と復活によって、実現したのです。しかもそれは、信じる全ての人にです。
  もう一箇所旧約時代の人が願い求めて祈る姿を見てみましょう。詩篇27:4ですが、「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」旧約時代「宮」は、神様の臨在の場所と言われています。ですから詩篇には「宮」神殿のあるエルサレムに上る「都詣での歌」が沢山記されています。
  私たちにとっては「教会」ということができます。ですから私たちは毎週主の麗しさを仰ぎ見、主なる神様を礼拝するために、教会へと集まってくるのです。
  旧約時代の人々も、そして今も、全能なる神を信じる人々の願いは、いつも、そして永遠に主と共に在ることです。そして、このことは、イエス様の十字架と復活によって現実の事となったのです。
 ですから、パウロ先生は言うのです。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」と。<ローマ人への手紙6:4>
  世にあっては様々な、痛み・苦しみ・悲しみがありますが、「世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書16:33)とイエス様がいわれたように、今あるこの時、私たちには患難もあるでしょう。しかし、「わたしはすでに世に勝った」といわれた復活のイエス様が、私たち信じる者にも、イエス様と同じ栄光の姿に甦り、永遠に主と共に住む「復活の希望に生きる」約束を与えて下さっているのです。
 エマオの町へ向かう、悲しみに打ちひしがれた弟子たちに、復活の姿を現され、新たないのちに生きる復活の信仰をお与えになったイエス様は、御言葉にありますように「キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをする」(ローマ人への手紙6:4b)ようにと導いておられるのです。今、この私たちも信仰をもってこれを受け入れ「復活の希望に生きる」のです。
  「こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」(ヘブル人への手紙12:28)。
  「からだの甦り、永遠の命を信じます。」アーメン