牧師室'18.10


 ◎ 2018.10 ◎
「静けさの中に」

私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。

(旧約聖書 詩篇77:12)



  私たちの人生、それぞれ今日まで生きてきて、いえ、生かされてきて、ふと立ち止まり、思い巡らすことってどんなことでしょうか?
  楽しかったこと、辛かったこと、思い出したくないことだってあるかも知れません。長く生きていればいるほど色々な経験を重ねて今日があるわけですが、詩篇77編の記者は云うのです。「苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。」(2節)と、何かよっぽど辛いことがあったのでしょうね?床に入っても寝付かれず、あれこれ思い起こすのは、遠い昔の事。あの時は良かったな、なのに今は、と。「あなたは、私のまぶたを閉じさせない。私の心は乱れて、もの言うこともできない。私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返した。」(4〜5節)とあります。誰でもこのような経験はお持ちだったのではないかと思います。そんな夜は長く感じますよね。
  でも、そんなに辛い事ばかりではなかったと思うのです。詩篇の記者は続けてこう言うのです。「私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。」(11節)と。
  私自身の事を思い返してみても、どうしてだろうと思うようなことを何度か経験しました。「7主は、いつまでも拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか。8 主の恵みは、永久に絶たれたのだろうか。約束は、代々に至るまで、果たされないのだろうか。9 神は、いつくしみを忘れたのだろうか。もしや、怒ってあわれみを閉じてしまわれたのだろうか。」と。
  辛くて眠れぬ夜など経験したことはない、と云う人がいたらうらやましいですね。でも私は今こうして、神さまの恵みの中に生かされている。詩編の記者が言うように 「11 私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。12 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。」
  静かに考えてみますと、今日まで、どんなに多くの恵みをいただいてきたことか。そして、何よりも大きな恵みは、罪赦されて神の子とされ、永遠のいのちが与えられ、しかも御国の世継とされていると云うことです。これは間違いのない、主イエス様のお約束です。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネの福音書11:25〜26)とイエス様が仰ったのです。「信じますか」と云われるのですから答は「信じます」か「信じません」かの二つに一つです。
  この御言葉に導かれた時に、私の心に思い浮かんだのは、次のようなことでした。
  私たちが思い巡らすことって、過去のことばかりではありません。神さまは、私たち人間に、永遠を思う思いを与えられたと、あります。伝道者の書3章11節に 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書3:11新改訳第三版)とあります。この所を口語訳聖書で見ますと、「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」と。私たちは、過去だけではなく、永遠の未来をも思い巡らすことができるのです。
  いつどこで何が起きるか分からない、ある意味、不安材料ばかりが目につく現実の中で、私たちを平安へと導いてくださるのは、「死んでも生きる」と言われたイエス様の約束のお言葉だけです。「信じますか」「はい。信じます。」とイエス様を救い主と受け入れる者に、主の平安は約束されているのです。 「私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。」主イエス様はあなたの人生を、「静けさの中に」導いてくださいます。