牧師室'18.7


 ◎ 2018. 7 ◎
「虹を見て思い出そう」

虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、
神とすべての生きもの、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。

(旧約聖書 創世記 9:16)



  日本列島あちこちで起こった豪雨災害のニュースが、報道されています。何よりも、被害に遭われた方々の上に、天よりの慰めがありますようにと祈るばかりです。
  そんな中でしたが、私は5日間沖縄へ行ってきました。その間、曇り雨の毎日でした。四日目の夕方に、ほんの一時青空が覗き、その雲の隙間に、うっすらと虹がかかったのです。雨・雨で何となく憂うつな思いでいましたが、心がホッとするのを感じました。しかし、すぐに青空は雲にさえぎられ、虹は姿を消してしまいました。
  そんな光景を見ながら思い浮かんだのが、創世記に記されているノアの箱舟の記事でした。
  その中にこんなことばが記されています。「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」(創世記6:5)と。そして、ご存じのように40日40夜の雨による大洪水です。
  「しかし、ノアは、主の心にかなっていた。」(6:8)ので、主はノアとその家族を救われました。この記事を思いおこしながら、今この時代はどうなのだろうか?「主の心にかなって」いるのだろうか?
  ノアの洪水の出来事から、何千年もの時が流れてきているけれども、主がこの地を見て、どんなお心でおられるのだろうか。「主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊である。」(詩篇103:8)とあるけれども、いつまで忍耐してくださるのだろうか。
  人間的に見るなら、いつ「堪忍袋の緒が切れて」もおかしくないような状態が世に溢れかえっているのではないでしょうか。
  そんな世に向かって「主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。」(テサロニケ人への手紙第一5:2)と、世の終わりが来ると、神様は、私たち人類に警告を与えておられるのです。
  世の終わりというと、何か暗い、恐ろしいことがおこるというイメージがあります。
  しかし、世の終わりは、イエス様の再臨、イエス様が再び来られるときですので、それは喜びに満ちた日に違いないのです。
  そして神様のお心は「シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。私は来て、あなたのただ中に住む。−主の御告げ−」(ゼカリヤ書2:10)です。シオンの娘とは、神の子どもとされたすべての人のことです。
  そしてその先に、永遠の都エルサレム、神の御国に私たちの住まいは用意されているのです。
  私は一瞬現れた虹を見ながら、「虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神とすべての生きもの、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」(創世記9:16)と言われた主なる神のお言葉が示されました。
  日本列島を襲っている洪水、いつ何処で起こるか分からないけれども、主は言われました。「わたしはあなたがたと契約を立てる。すべての肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」(創世記9:11)と。その契約のしるしとして、虹が立てられたのです。「わたしは雲の中に、わたしの虹を建てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。」(9:13)と。
  私はこの御言葉を思いおこしながら、日本だけではない、あちこちで起こる洪水によって、悲しみ痛みが私たちの心を覆うことがあっても、神様の契約のゆえに決して絶望することはないのです。ただただ、被害に遭われた方々には、神様の憐れみと、一日も早い復興をと祈ります。
  けれども、洪水だけではありません。世には悪が満ち、終わりに向かって進んでいます。主が再び来られる日は近いことを思わされます。
  しかし、終わりの契約は、新しい天と地、永遠のいのちの約束です。ここにこそ希望があるのです。神様のお心は、私たちに、将来を与えるものだとあります。
  「虹を見たなら思い出しましょう。」困難な時代ではありますが、天の御国目指し、主にある喜びと楽しみを味わいながら歩む今日という日が、与えられていることを。