牧師室'17.11


◎ 2017.11 ◎
「互いに励まし喜ぶ」

それを読んだ人々は、
その励ましによって喜んだ。
(新約聖書 使徒の働き15:31)



  「悲しみは分かち合うことによって半分に、喜びは倍に」と言う言葉を聞いた事があると思います。これはイギリスのことわざだそうです。「結婚は悲しみを半分に、喜びを二倍に」その後に続きがあり、「そして生活費は四倍にする」というのだそうです。しかし、結婚式のスピーチや、結婚式場のチラシなどに用いられるようになって、結婚に対する楽しさ喜びを強調し、夢見る二人をイメージさせるために「生活費」という現実的な面を省いて用いられるようになったと言う事です。
  さて、今日の聖書の箇所、使徒の働きの15:31「それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。」と短い節です。何を読んで喜んだのでしょう。それを15章全体を通して簡単に見てみましょう。
  パウロとバルナバがアンテオケ教会で、神様が異邦人に信仰の門を開いて下さったという喜びの報告をした(15:27)のです。
  ところが、ユダヤから下って来た人たちが「モーセの習慣に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」(15:1)と教えていたのです。パウロたちの「イエス様を救い主と信じる信仰によって救われる」との教えに対して激しい対立が生じたのです。この事について二人は、使徒たちと話合うためにエルサレムに上った(15:2)のです。
  激しい論争があったのですが、ペテロが立ち上がって、「私たちの父祖たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。」(15:10)と。「くびき」とは律法のことです。ユダヤ人でさえ、律法を完全に守ることはできなかったのです。議論の末、ヤコブが「神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。ただ、偶像に備えて汚れたものと不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。」(15:19 〜 21)使徒たちと長老たちはそれに賛成し、手紙を書いてパウロとバルナバに持たせました。
  「それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。」(15:31) のです。
  ところで毎月23日は何の日かおわかりですか?そう!「ふみの日」です。1979 年(昭和54年) ですから、随分前です。当時の郵政省が、手紙の良さ・楽しさを、多くのみなさまに知っていただこうと、手紙を書くことを普及・啓発させる運動を実施し展開したのがこの「ふみの日」です。
  今は、電話・ファックス・メールの時代です。私も筆無精で滅多に手紙を書くことはしないのですが、でも、たまに手紙を頂くと、嬉しいですよね。
  今から2 千年前、通信の手段は、口伝か手紙だけだったでしょう。しかも人の口から口へ、手から手へと届けられたのです。場所によっては、何ヶ月も掛ったでしょう。さて、エルサレム教会は、パウロとバルナバの他に教会の指導者、ユダとシラス(15: 22) の二人をアンテオケの教会に遣わすことにしました。因みに、エルサレムからアンテオケまでは直線距離にして約500 キロです。熊本からですと広島までが約500 キロですが、ゆっくり歩いて一日20 キロとすると約25 日掛ります。往復ですと50 日間、使徒の働きの14 章28節を見ますと、「彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。」とあります。どのくらいの期間だったのでしょう?その滞在も含めますと、約二ヶ月〜三ヶ月の間アンテオケの教会の人たちは、パウロたちが、どのような報告をもって帰って来るのかを、今か今かと待っていたのです。
  待ち焦がれていたパウロたちがようやく帰って来ました。
  使徒の働きの15 章32 節を見ますと、「ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。」とあります。
  エルサレム教会の指導者ユダとシラスは、パウロたちの報告を聞いたエルサレム教会のパリサイ派から信者となった人たちが「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」(15:5) と主張する人たちとパウロたちとの間に激しい論争があったことなど、エルサレムにおける話し合いの様子を詳しく話したのでしょう。
  そして、エルサレムから託されたてがみを読んだアンテオケの教会の人たちは、「それを読んで喜んだ」のです。私たちも、たとえ離れていても、キリストにあってお互いに励まし、喜び、力づけることができるのです。「ふみの日」時には手紙を書くのも良いのではと思います。