牧師室'17.10

◎ 2017.10 ◎

「あなたの腹を満たせ」

そして仰せられた。
「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻き物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ。」
そこで、私はそれを食べた。すると、それは私の口の中で蜜のように甘かった。
(旧約聖書 エゼキエル書3:3)



  秋の夕日に照る山もみじ
  濃いも薄いも数ある中に
  松をいろどる楓や蔦は
  山のふもとの裾模樣
  溪(たに)の流に散り浮くもみじ
  波にゆられてはなれて寄って
  赤や黄色の色さまざまに
  水の上にも織る錦(にしき)
  「紅葉(もみじ)」 作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一
  日本を代表する童謡の一つです。目をつぶって歌詞を聴くと、その情景が浮かんできませんか?
  言葉というのは、たとえ短くても、その状況を的確に表していることってありますよね。
秋を表す短い言葉は沢山あります。 「天高く馬肥ゆる秋」「読書の秋」「食欲の秋」・・・
  食欲と言えば、最近、欲はあるのですが、以前よりは量がぐんと少なくなりました。年のせいにはしたくないのですが、逆らいようのない現実でしょうね。でもやはり食べなければ体力も、知力も落ちていく。ですから食に対しても適度な欲がなくてはならないのです。
  そんなことを思い巡らしているときに出会ったのが、「あなたの腹を満たせ」と言う言葉でした。
  とは言ってもも、ちろんここで言っていることは、肉の腹ではないことは当然です。
  エゼキエル書は預言者エゼキエルが書き残したものです。エゼキエルは、預言者エレミヤと同時代に活躍した預言者です。当時イスラエルの民は、彼らを奴隷の地エジプトから救い出した神を敬うことをせず、むしろ偶像に心を奪われていました。神様はエゼキエルにこう言われました。
「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの民、すなわち、わたしに背いた反逆の国民に遣わす。彼らも、その先祖達も、わたしに背いた。今日もそうである。・・・」(2:3)と。このまま行くなら滅亡しかないと神様の滅亡の預言を語るのです。しかし、民は預言者の言葉を聞いても、快く受け入れようとしなかったのです。
  けれども、エゼキエル書の後半は、希望のメッセージとなっています。やがて回復の時が来るとの預言です。
  神様のお心は、決して「滅び」ではなく「祝福」であり、「将来と希望」を与えることです。(エレミヤ書29:11)。
  それは時代を超え時を超えて、今を生きる私たちにとっても真実な神様のお心なのです。
  ですから、神様は古の預言者に語られた言葉を通しても今の私たち に語っておられるのです。
  「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ。」と。この巻物とは、今では聖書です。
  聖書すなわち御言葉で腹ごしらえをし御言葉を蓄えよ、と言うことです。
  これは霊的な腹ごしらえのことであり、御言葉が私たちの霊を成長させ、肉体的な力も知的な力も与えてくださるということです。
  新約聖書ヤコブの手紙の中に次のような言葉があります。「すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたの魂を救うことができます。」(ヤコブ1:21)と。
  神様はエゼキエルにこう言われます「彼らはあつかましくて、かたくなである。わたしはあなたを彼らに遣わす。あなたは彼らに「神である主はこう仰せられる」と言え。彼らは反逆の家だから、彼らが聞いても、聞かなくても、彼らは、彼らのうちに預言者がいることを知らなければならない。」(2:4〜 5)と。そして「彼らを恐れるな」と。エゼキエルを励ますのです。恐れず語るためにはまずエゼキエル自身がみことばによる「腹ごしらえをし、腹を満た」さなければならないのです。
  「武士は食わねど高楊枝」ということわざがあります。「たとえ貧しい境遇にあっても、貧しさを表に出さず品位を高く持って生きるべきだということ。また、やせ我慢すること」のたとえですが、食わなきゃ力は出ないのです。
  私たちも様々な霊的攻撃に対して勝利するために、しっかりと「みことばで腹ごしらえをし、腹を満たし」恐れなく日々を歩んでいきましょう。「御言葉にはあなたがたの魂を救う力がある」からです。
  「安心して行きなさい。」