牧師室'17.7

◎ 2017.7 ◎

「人生の全面保障者」

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
(新約聖書 ペテロの手紙T 5:7)



  「人生」と云う言葉を改めて考えてみました。国語辞典では、「人がこの世で生きていくこと、その生活」「人の一生」「生まれてから死ぬまで」などとありました。けれども、それぞれ自分の人生を考えたとき、色々な言葉が思い浮かぶと思うのです。
  ある人はこんな風に言いました。「なんで生まれてきたのかを探す旅」「神様から借りてきたもの、だから全うするまで頑張らなければならない」わたしも考えてみました。「自分の全てを任せることが出来る何かに出会う旅」ではないかな。
  さて、私たちは自分の知恵、知識、努力によって、思い煩い、不安という芽を完全に刈り取ることはできません。その原因は、「これは素晴らしい」と太鼓判を押された、創造主なる神にそむいたエデンの園から始まっています。
  聖書の「伝道者の書」の中で著者と云われるソロモンは「空の空。空の空。全ては空。」(1:2)すべての事には意味がない、と書きました。ソロモンは想像を絶するほどの大金持ちでした。そして歴史に残るほどの知恵を持ち、どの王国にも勝る宮殿や庭を持っていました。そして最高の食事とワイン、考えられるあらゆる楽しみを経験しました。その彼がその人生を振り返って言った事は「日ノ下で、どんなに苦労しても、それが人に何の益になろう」(1:3)でした。なぜそんなに空しいのでしょうか?
  それは神様が私たちを、現在この世界で体験している事以上のことを体験できる存在として創られたからです。ソロモンは言いました。「神はまた、人の心に永遠を与えられた。」(3:11)と。私たちは、自分の中で現在体験している事だけがすべてではない事に気づいているのです。ですから未来に夢を描き、努力もするのです。けれども、自分が思い描いたような人生を歩むことは難しいのです。おまけに最後に待っているのは「死」なのです。何をしてもこれで良いという達成感や満足感を抱くことが出来ないで、人はその一生を終えるのです。
  けれども、ソロモンがたどり着いた結論は、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(12:13)と。
  イエス様はこの事を、迷子の羊、失われた銀貨、そして放蕩息子の譬(ルカ15:)を通してお示しになったのです。けれどもここに、「恐るべき神」というイメージはありません。放蕩して帰って来た息子を抱きかかえる、優しい神様のお姿です。それはお話しなさったイエス様ご自身のお姿なのです。
  この「恐るべき神」との出会いが全ての人に全き平安を与えて下さる道なのです。すなわちイエス様が「空しい、空しい」と云いつつ歩んでいる人生のただ中に「恐れるな。私だ。」と云われ近づいて来てくださったのです。
  つまりイエス様が私たちの恐れをその身に負って十字架に掛けられ、死なれました。けれども、死人の中から甦り、エデンの園(神様との交わり)を回復して下さったのです。こうして、イエス様は、私たちが「恐れの神」では無く「愛なる神」に出会う道となって下さったのです。   感謝すべき事に、空しさの中に歩んでいた私は人生の旅路で「自分の全てを任せることが出来るお方に出会う」事が出来ました。
  イエス様が私の「人生の全面保障者」となって下さったのです。
  私は冒頭に挙げたこの御言葉に、どんなに慰められ、励まされたことでしょうか。
  「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Tペテロ5:7)
  イエス様の流された血潮が、私の思い煩い、不安という芽を完全に刈り取って下さったのです。日々十字架の主を見上げ、信頼して、与えられた人生を歩んでいきましょう。