牧師室'17.6

◎ 2017.6 ◎

「主の御前で生きる」

しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。
すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
(新約聖書 ペテロの手紙U 3:8)



  皆さんも経験があると思いますが、楽しい時を過ごしている時って、短く感じますよね。長い話しでも、興味がある話だと、引き込まれてもっと聞いていたい。「え!もう時間。もっと聞きたいのに!」と思ったこともあるでしょう。その反対に「まだ〜〜、早く終わってよ。」その時の気分や状況によって、時間を長く感じたり短く感じたりすることがあります。
  特に人と待ち合わせをして約束の時間になっても来ないとき、「まだか、まだか」と、5分くらいでも、一時間も待ったように思いますよね。チョットイライラして、身体にも良くありませんよね。
  神様はこの時間を人が見るようには見ておられません。神様は永遠の視点から見ておられます。詩篇90篇4節には「まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。」とあります。
    神様は私たちが千年かかるようなことを、一日で成し遂げられます。私たちはせっかちですから、すぐにでも完成して欲しい、と思うことを千年かけて実現なさる。
  神様のお考えを到底こんなちっぽけな頭で理解することなど出来ないのです。ただ、聖書を通して私たちが神様のお考えを理解することが出来る一つのことは、「神様はわたしを愛してくださっている」と云うことです。この事が分かると、ペテロの手紙第二3章8節の「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」とその後に続く、9節「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」とのみ言葉を理解することが出来るのではないでしょうか。
  さて、ちょっと考えてみましょう。
  あなたの銀行口座に、毎朝「8万6400円」のお金が振り込まれるとしたら、あなたはどうしますか?しかも、そのお金は、当日使い切らないと残高がすべて消去されてしまいます。
  毎朝目が覚めると「8万6400円」が振り込まれ、毎晩眠りに就くころには「0」になるのです。溜めておくことはできません。
  だったら当然1円も無駄にせず使い切ってしまいたいと思いますよね。できるかどうかは別として、そう考えるのが普通かなと私は思います。
  ではこの、「お金」を「時間」に変えてみると、どうでしょうか?
  この地球上、すべての人の口座に【8万6400秒】という時間が平等に振り込まれます。夜になると使い切れなかった時間は取り消されてしまいます。そしてその時間は永遠に戻ってはきません。
  このように「お金」を「時間」に置き換えると、時間に対する感じ方が変わると思います。 多くの方は、お金よりも時間のほうが大切だと思っているのではないでしょうか??
  でも、その大切な時間を疎かにし、のちのち後悔するような使い方をしてしまうことはよくあることです。
  一日の中の、「1秒」たりとも無駄に使わないようにしよう、とまでは言いませんが、時間を貯金することはできませんから、その時間を無駄に使っていないだろうかと時には自問自答する事も必要かな、と思いました。
  さて話を戻して、もう一度み言葉に心を向けてみましょう。
  「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」ここで、キーになる言葉は、「主の御前では」です。天地創造この方、時間は神様の御手の中にあります。伝道者の書の中に、「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」(3:2)とありますが、私たちは産まれるのも死ぬのも、自分で選び決めることはで来ません。けれども、神様はイエス・キリスト様を通して私たちの中に入り込まれ、「主の御前で」生きる者とされました。私たちは意識せずとも「主の御前で」生きる者なのです。とするなら、私たちにとっても「一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」ということができるのです。大切な事は、「主を待ち望む」信仰です。主がいつ来られてもいいように、今の時を生きるのです。