牧師室'17.5

◎ 2017.5 ◎

「神様が私たちに望んでいること」

シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
(旧約聖書 ゼカリヤ書 9:9)



  この二・三日で、何か喜ばしいことありましたか?私は、特別何かがあったという事ではないのですが、今日という日が与えられていることでしょうか。
  さて、シオンの娘・エルサレムの娘・とありますが、これはアブラハムの子孫を指しています。
  すなわち、神様が祝福の基としてアブラハムを選んで神の民とされた祝福の民です。
  ところで、新約聖書ガラテヤ人への手紙3:29に「もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」とあります。と言うことは、イエス様を信じる私たちも、シオンの娘・エルサレムの娘すなわちアブラハムの子孫なのです。
  そしてこの御言葉から、神様が私たちに望んでおられることは、私たちが喜びに満たされることです。では何によって私たちは喜びに満たされるのでしょうか?
  「喜び、喜べ。」とあるその後に、「見よ。あなたの王があなたのところに来られる。」とありますが、王とは、王の王なる主イエス様のことです。神様が御子イエス様を私たちにお遣わし下さったのは、私たちが喜びに満たされるためだというのです。
  因みに参考までに調べてみました。聖書全体を通して一番多く用いられているのは「神」で(5606回)、「罪」は(1213回)これは別格として、「愛」が(712回)次に「救い」(480回)それに続いて「喜び」は、388回です。数のことはさておきまして、イエス様もこう仰いました。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、私の喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」(ヨハネ15:11)と。
  けれども、イエス様は、私たちが喜びに満たされるために、十字架の苦しみを受けられたのです。
  そして、約束の聖霊様をお遣わしになり、イエス様がいつも私たちと共にいて下さるとの約束を与えて下さっています。ですからイエス様を信じる私たちは御霊の実を結ぶ者とされているのです。御霊の実は「愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制」(ガラテヤ書5:22-23)です。
  ネヘミヤ記8:10後半に口語訳聖書では「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」と訳されていますが、これこそ御霊の実である救いの喜びです。
  先程ガラテヤ人への手紙3:29に「相続人」とありました。もし私たちがイエス様との共同の相続人である事を望むなら、「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」(ピリピ人への手紙1:29)とあります。主の十字架の御苦しみは、私のためであった。と心底信じる事が出来たとき、どんな苦しみも、喜びに変えられることを信じる信仰へと導かれるのです。
  しかしこの喜びは今の世において完成されることはないのです。それは、主の再臨と共に完成されます。
  黙示録21章に主が再び来られると、「もはや死も無く、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(4節)とあります。私たちは、イエス様の十字架と復活によって、勝利者とされているのです。「私たちは、私たちを愛して下さった方によって、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ人への手紙8:37)とある通りです。
  イエス様の十字架によって贖われたこと、そして主によって私たちはすでに神の御国に入れられていることを信じ大きな慰めを見出すのです。「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。」王なる主はすでに私たちのところに来てくださったのです。ですから私たちは「アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」(ガラテヤ書3:29)。先程の黙示録21章7節には「勝利を得るものは、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼は私のことなる。」とありますように、勝利者とされている私たちは、天の御国を相続する者とされているのです。
  この御言葉の約束のゆえに、世にあって患難もあるけれども、すでに勝利を与えて下さった主と共に、喜ぶことができるのです。「神様が私たちに望んでいること」それは、イエス様の喜びが私たちのうちにあり、私たちの喜びが満たされることなのです。主の約束に信頼して祈りつつ共に歩んで行きましょう。