ここがおかしい税制論議
本稿の主旨: 沈黙を“同意”とみなされないために
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民主党政権時に自公も しれっと賛成に回った消費税増税がいつしか既定路線になっている。これを受けて、職場の工場長がこう漏らす。
「これ以上税負担が増えるようなら もう正社員は雇えない。一家の支えとしての雇用責任を負いきれないからだ。誰かが辞めるタイミングで派遣やパートに置き換えていくしかない」と。
今の職場、震災やタイの洪水で仕事が減った時も、社員のクビ斬りではなくて、一人あたりの出勤日を調整し、皆で広く薄く仕事を分け合うことで対処してきた(当然、給料は減るし、別ラインの仕事を新たに覚えねばならないなど社員にも負荷はかかるが、みな工場長の意思を汲んで協力
した)。しかし、そんな連帯感が強く、ヒトを大事にしてきた企業までもが、このたびの消費税増税のアナウンスに「このままでは今度こそ持たないのではないか?」「今までさんざん非難してきた雇用の“調整弁”
を、自分たちも使わねばならない日が来てしまうのか?」と、今から危惧している。
元々下請け孫請けのような中小零細企業は、資本力など その立場の弱さから よほどのオンリーワンでもなければ大企業に足もとを見られやすく、発注元から「お腹を空かせている中小企業さんは他に幾らでもいますよ〜」なんて脅されれば、価格“競争力”維持のため、増税分も
おいそれとは転嫁できない弱点を持つ。 そして、そんな有利な立場を利用して さらに無理言う大企業。私の知る範囲で名指しで批判すると、三菱重工がそうだ。そこの仕事を請け負ってた時に「コストダウン、30%!」 などと、ただでさえギリギリで回してた末端社員と出向者は、理由があって高い部品もあったのに、無茶回しせねば達成できない要求を半泣きで遣っていた(2006〜8年頃)。大企業には大企業の苦労があるのも知っている。しかし、彼ら大企業の社員たちが、祝日挟んで三連休とか四連休とか悠々自適に休めているのはその陰で、下請け孫請けが自分たちの羽根を抜いてハタ織ってる犠牲の上に成り立っている現実を自覚したほうがいい。
で、脱線したが、中小企業の実態も知らず消費税増税をもくろむ方々はたぶん、そんな製造現場の視察程度が せいぜいで、汗と油と粉塵にまみれて働いたこともなければ、庶民の台所事情も肌では知らないのだろう。最近政府が例外的に認めた中小企業の価格カルテルにしても、中小企業があながち暴利を貪ってたわけでなく、家族を食わせていくための最小限のインカムに苦慮していること、日本独自の商習慣だった談合まで(受注取りたいアメの言うまま)取り締まったのは度を過ぎた間違いであることを政府自ら認めたようなものだ。一事が万事こうだから、政治家と民衆との溝は深まるばかりだ。しかしこのままでは
また3年も経てば首相のこんな顔 (↓)をまた見ることになりそうだ。また今回主要メディアは「国の借金待ったなし!消費税増税すべし(でも新聞料金は減免してね)」の大合唱だが、ああいう戦前から世論をミスリードしてきた反日メディアがまた後日、顔だけは深刻そうに、内心嬉々として「アノ時の消費税増税が今の恐慌を!」なんて手のひら返しに報道するのは聞きたくないから、今、この場を借りて、現在の増税論議にいちゃもんをつけておこう。 戻る
「景気」というのは文字通り、『気』
分が大きく左右する。当初の3パーくらいなら、まだ「好況に乗じて上前はねるかコンチキショー」程度で済んでいた。 ところが不況に突入しても廃止せず5%にしたとたん、あの狂乱バブル崩壊後の相対的売り上げ減も相まって重税感はブーストされ、景気は目に見え落ち込んだ。その後あったとされる戦後最大の“好景気”など、企業の設備投資なる奇妙なモノサシで判断されたが、アレは実は景気浮揚でも何でもなく、むしろ来たるべき「人減らし」の準備が着々進んでいただけだ。ソースは製造現場で働いていた私*。事情を知ってる人々は、あの頃の“好況”を醒めた目で
「感無景気」などと揶揄してた。
*曰く、「わが社の設備を導入すれば、今まで3人で遣ってた仕事が1人で済むようになります」。しかし
これは、仕事にあぶれた2人の社内失業者を出すことでもある。どこの職場行っても、設備売り込みのセールストークは雇用の創出でなく、人件費の削減ばかりだった。そんなモノ造り現場の裏事情も知らず、政府は未だに戦後
最大の“好景気”とか「あの時カイカクを止めてしまったから」などと懐かしんでいる。連中の目はフシアナか?
効率化が進み、人手がそれほど要らなくなれば、人が余って失業が増えるのはアタリマエだ。だが、今の社会構造が、その当たり前の事態に対処できてない。食うに困ってないヒトが、食うに困っているヒトを「格差が出るのは結構なこと」などと突き放せば、そりゃ首くくったり電車に飛び込む人も出ますって。失業してもヒトは、メシ食うのやめて光合成に移行できるハズもないのだ。一方で、家賃や住民税は取られ続ける。蓄える機会すら与えられなかった若者なんて即刻ジリ貧だ。も
し失業しても、自力で食っていけるだけの田畑と、 雨風しのげる屋根さえ万民に備わっていれば、それらが当面のクッションとなって、年越し派遣村の人たちみたく冬の寒空に放り出されるような事態にはならなかったろう。しかし往々にして資本家は、薄給で働く奴隷を欲するものだから、貧困ビジネスとおんなじで、困る人が居なくなってしまうと困るのだ。
そして、そんな財界からクスリ嗅がされて、事後収賄なる袖の下もらった政治屋は、若者が資本家に足元見られて奴隷としてコキ使われるのを防ぐどころか解禁し、相次ぐ失政で貧しくなった人々を「自己責任!、自己責任!」と洗脳し、なすべき務めを果たさずに氷河期世代を切り捨てた。その怠慢が今、超のつく少子高齢化で経済がうまく
回らなくなった状態を、否、逆回転の止まらないジリ貧の連鎖を引き起こしている。彼らの多くは自分と自分の家族を養う以上の土地や資産がありながら、税金払えなくなった貧しい人には差し押さえの追い討ちを、その同じ手で、自分と自分の子孫にだけには、爺さんの代が制定した数々のお手盛り優遇措置で我田引水している。あげくの果てには「奴隷売買で成功した俺たちの足を引っ張るな」とさえ抜かす。しかし皆さん、あなたとあなたのご家族が、何にでも交換できる紙っきれのために、銀行の電算機の数値がゼロになったというだけの理由で、どうして社会的に抹殺されて良いだろうか?
古今東西 不況下の増税で国が持ち直した例は無い。まして3%を5%に上げて失敗したのに、さらに8%、10%と上げて成功するワケがない。
それでも行政が増税に走るのはなぜか? それは、為政者にとって、増税とは麻薬のようなものだからだ。効いてる間に治療が済めば
いいけれど、のど元過ぎれば熱さを忘れるいいまして、集めた税を国民にではなく敵性国家や/自業自得で荒廃した国/本来尻拭いさせるべき国に代わって拠出して、「いやぁイイことをしたー」と気持ちよくなるためだけの惑溺タイムに使い込んでしまったら、そのうち効き目がなくなって、さらに強いクスリを欲するとこまでソックリだ。
それに、今の遣り方を続ける限り、予算というのは増えこそすれ、減ることは決してない。末端の自治体が予算を節約したとしよう。しかしその報酬は、来年の給付の減額だ。住民からは「なんで予算が減ったのさ!?」と怒られてしまう。つまり頑張って節約するメリットがない。誰だって、節約すればするほどに、来月のお小遣いが減らされたのでは節約する気にならないだろう。だからこそ、年度末ともなれば道路をほじくり返してでも予算を使い切り、「いやぁ今年もギリギリでした」と
より多くを要請するわけだ。しかし納税者は打ち出の小槌であろうか。悪銭身につかずともいいまして、自分で労して稼いだのでないカネというのは、じゃんじゃん使ってしまうものである。どこかで欲を/あるいはバラ巻くことで人に喜ばれる快感を
どこかでセーブしなければ、そのシワ寄せは必ずや、だれか取りやすいヒトの所へ行くのだ。
冒頭みたく、消費税増税が巡り巡って逆に雇用の間口を狭めてしまっては元も子もない。その先にあるのは税収アップどころか さらなる税収の落ち込みと経済の冷え込み、より少ない人数で回さなければならない労働者への負荷の集中、失業による自尊心の喪失や家庭崩壊、一家離散、そして生活保護費の増大だ。これは一層の財政圧迫を招き、モラルハザードを引き起こし、人心を荒廃させ、犯罪を増やし、警備費が膨らみ、社会保障費を幾ら増額
したって追いつかなくなるのが今から目に見えている。
しかし、だからといって、じゃあどうするかの対案がなければ「我々も今後の動向を注意深く見守りたい(ですね)」。で終わってしまう 高みの見物キャスターどもと大差ない。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶともいいまして、為政者はここで
「同じヒトに貢ぎを要求する自分はいったい何者なのだろうか」という自問を いったん基本に戻って考えることだ。戻る
そも論として、現在の税金は名目上公益費だが、還元されない分は一種の「みかじめ料」と言い換えることができるだろう。曰く、『オマエ(つまり
あなた)がここで商売できるのは、ひとえにオレがこの辺一帯の 「シマ」に睨みを利かせているからだ。というわけで、上がりの何割かはオレに寄越せや』という論理である。これは、昔なら武士が、その軍事力をバックに民へ貢ぎを要求する根拠(あるいは“根拠”)となっていた。そして「みかじめ料」を取る以上、彼ら武士にも有事の際は民を先頭に立って守ることが期待されており、たとえば「元寇」(モンゴル来襲)の時、あの辺の武士たちは多大な犠牲を払って敵を打ち払い、後顧の憂い無きよう土塁を築き、防人を立て、再度攻められた時のシミュレーションにも余念がなかった。戦いの中で命を落とす者もいただろう。余談だが、この時払った犠牲に対する幕府からの見返りは、ペイしなかった(割に合わなかった)ために不満が高まり、幕府は
ひっくり返された。
時は変わって江戸時代、「享保の改革」というのがあった。その骨子のひとつが、「豊作だろうと凶作だろうと常に一定の年貢を農民に課す」というもので、これにより幕府は(常に一定の年貢を取りたてることで)安定財源の確保に“成功”する。しかし、これはメデタシメデタシとはならなかった。なぜなら江戸時代は、ほぼ全期にわたって冷涼な気候が続いたため、不作気味の農村は困窮した一方、集められた年貢は、かつての崇高な(?)理念はどこへやら、食うもの着るもの身につけるもの
いつしか庶民とかけ離れ、すっかり贅沢になった武士たちに使い込まれてしまったからだ(だから その頃の装飾刀は今なお目利きのある外人コレクター垂涎の的だ)そして本来、農民が得るべき実りを持ってっちゃうわけだから、起きるべくして起こる大飢饉。これを見かねて農民へ還元すべく米蔵を開いた藩主が逆に幕府に切腹を命じられるなど、経国済民が聞いてあきれる本末転倒な政治が続いた。再三の倹約令も功を奏さなかったため、怒った農民の一揆や打ちこわしが江戸末期まで頻発した。* ちなみに、こたびの消費税増税の理由は『安定財源の確保』である。
*もちろん例外もある。そのみかじめ料で治水を行ない、農家の収量を上げた伊達藩主は、今なお地元民の尊敬の対象となっている。
さらに時は近代、欧米列強に翻弄される富国強兵時代。器用貧乏な政治家は、世のため人のためにと自らを捧げた結果、資産が井戸と屏(へい)しか残らないと言われた(いわゆる「井戸塀政治」)。それで、「ああいう世のため人のためにと身をなげうって働いた人の最期がアレでは甲斐がない。なんらかの措置を」と、いうことになり、国民も「それも一理あるだろう」と大目に見てきた。かくして戦後の政治家/公務員は、自分と自分の子供たちは、カネに困らず政治に集中できるようにと、数々の特権を自らに付与し続けた。恩給に議員年金、世襲議員は相続税免除、財政赤字下でも支給される“ボーナス”、雨中手当に勤勉手当に独身手当に持ち家手当・・・。
しかし、当初は井戸塀政治家 助けましょうとの理念で補てんされてるハズのカネは今、一体何に使われているか。あの頃の為政者は、リ ゾート地に豪邸や別荘建てて、老後を議員年金でノンビリ過ごしたであろうか?
国民を資本家へ奴隷として売り渡し、事後収賄よろしく不労所得をせしめたであろうか? 戦勝国に命乞いし、自国産業が壊滅させられるほどの譲歩を呑んだろうか? また経済飢饉におちいり、本当に支援が必要な層を、間引きよろしく捨て置いただろうか?
あるいは敵性国家にカネと職と歴史と文化、プライドを差し出すままにしただろうか?
そして現代。先述の「みかじめ料」は こんにち、ヤクザや地方自治体、ひいては政府や“戦勝国”らが、それぞれオドシや差し押さえ・ショバ代に抑止力・経済制裁など数々の名目をタテに要求してくる。だが、“公益費”なのにちっとも還元を実感できない立ち位置の人が、その使い道に疑問を持つのは当然だ。誰も社会保障費がすべてムダとは言わないし、防人現代版として日々領海を監視されている公務員の方々には、本当にお仕事ご苦労様ですと言いたい。だが、はたしてすべての為政者に、庶民が勤労の義務を課されて日々仕事に追われ、政治どころじゃないからこそ、私らの代わりを務めるべく高給で代理者を委託されている自覚、あるだろうか?
自分たちの懐に収まるみかじめ料ぶんの働きをし、この国が内外から攻撃を受けた際には、先頭に立って守ることの重さ、わきまえているだろうか?
かつて私は日本の最先端技術の末席に名を連ねる企業で働いていたが、当時の日本の政治屋は、その業界が育ててきたシェアを奪わんとするズルい外国の経済侵略から守ってくれるどころかアッサリ屈し、アンフェア
ルールで国内産業がバタバタ倒れるのを黙って見てるだけの外交敗北の煽りを食らって 一度ならず二度までも政府に煮え湯を飲まされたクチだ(日米半導体協定、そして年次改革“要望”書どおりに実行された製造業への派遣解禁などで)。
だから、中曽根〜小泉竹中あたりの政治屋連中には根強い不満を持つ。なのにその上、今度の増税論議であるから、お前ら虫がいいにもホドがあるだろうと言いたい。* 受益者負担の原則や、所得の再分配機能が
すっかり機能不全に陥ってしまった今となっては。
*したがって、親からの恩恵受けた中曽根と小泉の息子は、本来ならば次回選挙を待たずに職を辞し、中曽根は半導体業界の失業者を、小泉は非正規労働者の再就職
支援に私財を投じて従事すべき。すでに他業界へ移った私には恩恵無いが、そこまでやり遂げて彼らは初めて赦される。そして竹中、おぬしは腹を切れ。
自給自足できてる人はいいが、今を生きる人は、誰しも多かれ少なかれ
『誰かに利用されつつ誰かを利用している』相互依存の関係にある。そして、「利用している」分と、「利用されてる」分との差が、プラマイゼロ近辺(かプラス)のうちは、誰も特には不満を言わない。が、「自分はどうも利用されている分の方が多い気がする!」となれば、当然不満は高まる。今回その「みかじめ料」がさらに上乗せされることに対し、既に国民の圧倒的不満があり、消費税還元セールに政府が釘を刺さねばならない事態にまでなっているということは、大多数の人が、政府に払った分の見返りを享受できない状態にあることを意味する(または、納税の「見返り」とは違う仕打ちが来ている)。
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以上は前置き。本題に入る。戻る
ここがおかしい@
消費税といいながら、「消費」してない行為や ものごと サービスにまで課税する
これは、かつての“消費は美徳”といった風潮への反省を悪用したネーミングで、正しくは付加価値税だろう。3%な消費税導入直後の新聞投書がこれを端的に言い当てている。「(フィルムの摩耗以外は
さして消費してないハズの)映画の入場料や、(次への命をつなぐ行為であるハズの)出産にまで課税するのはヒトの生き方にまで干渉してくるようで許せない(大意)」。)これが一般庶民の率直な感想で、税名の実態を反映していない課税のしかたが導入当初から20数年経った今日に至るまで人々の反感を招いているのだ。さすがカネには困らぬ人らの策定した、庶民感情と相容れない税法である。
ここがおかしいA 消費税といいながら、「消費」してない中古品やリサイクル品にまで課税する
それも、なぜか既に誰かが5%(3%)払い終えたはずの物品にまで二重課税してくる。しかも所有者が変われば変わっただけ三重、四重取りである。そんな消費税の納得いかなさを茶化し『買ったら罰金 消費税』なんて言われるほどだ。ならば、資源は限られているのだし「もう使い捨ての時代は終わり。際限ない消費はもうやめて、捨てずにお下がり欲しがる人には融通し、直せるものは修理して、いいモノ長く大事に長く使おう」という姿勢は、しかし為政者にとっては税収アップに水を差す反逆行為であるようだ。そして、消費とは正反対の精神なハズの中古品やリサイクル品にまで課税する。無茶苦茶である。本来罰金取るのなら、むしろ環境や国益に悪影響をもたらすモノや産業にこそ課税して、代替え品(またはもっと有意義な産業)への移行を促したりするのが筋じゃないのか。
ここがおかしいB 贅沢品にも必需品にも一律課税
増税推進派の十八番、“欧米では〜 もっと消費税率が高く〜 日本もそれに見習って〜”的な比較の仕方は重大なトリック/レトリックがある。それは、『日本と欧米諸国では、食糧物価が違い過ぎる』という点だ。欧米諸国どころか、供給元の言い値で買わされている南米と比べても高すぎるのだ。私の居住地には外人労働者が多い。そんなブラジル人やペルー人に、日本に来て驚いたことを尋ねると、必ず挙がるのが物価の高さで「肉がキロ単位でなく、グラム単位で売られている」「牛乳パックが、1L入りしかないうえ倍以上する」ことに目の前が真っ暗になったそうだ。
元々安いモノに高額税率がかかったところで向こうじゃどうってことはない。だが、日本みたく、高い食糧品に高額税率がかかったらどうなるか? 生活防衛に走るようになるのは当然だ。せめて最小限
命を支えるモノは非課税にせねば。どこで線引きをするかを面倒くさがって今のまま実施してしまえば、その先にあるのはさらなる買い控えと景気の冷え込みである。これを面倒くさがってはならない。衣食住の「衣」だっ
たら−これはあくまで叩き台だが−せめて下着とポロシャツ・綿パン・ベルトくらいは非課税に。「食」にしても、キャビアフォアグラ松茸に数の子〜♪ を狙い撃ちしろとは言わないが、せめて米・味噌・砂糖・青物・くらいは非課税に。そして「住まい」。現在、家賃に消費税はかかってないが、これに消費税を上乗せしようとする動きがあるらしい。なにも好き好んで賃貸に住んでるわけじゃないって人は、全力で反対の署名運動でもした方がいい。
ここがおかしいC 消費税増税で負担を免れる側が『増税もやむなし』と言うならまだしも・・・
払った税金がなかなか還元されないポジションにいる毟られっぱなしの人や、先の構造“改革”で
貧乏クジ押し付けられた側までが、食い逃げ連中のプロパガンダに気圧(けお)されて「増税もやむなし」なんて言っている。これを「泥棒に追い銭」という。戦時はこういう人たちが 爆弾抱えて敵艦に突っ込んでったのかと思うと涙が出てくる。かと思えば、今までさんざんイイ思いしてきた人や、私にしてみりゃ「もういいでしょ、てか、十分でしょ!」と、言いたくなるよな側が「足らん、もっとよこせー」と言っている。戦後はこういう人たちが、他人に責任押し付けて、のうのうと生き延びてきたのかと思うと怒りで体が震える。社会保障に使う建前を出されれば皆黙ってしまうが、困ったことに、今の社会保障制度は(失礼な言い方だが)収穫を終えた冬の田んぼの稲の根に水を注ぐようなもの。政治家も、票田として一番人数の多い高齢者層を向いた公約で票を買おうとするが、本当に水を遣るべきは苗の方にでしょうに。結婚し、社会に守られながら子を社会に送り出したら、
そこの時点で既にあなた方は生き物としての本懐は遂げたでしょ! 回り回って自分の子孫のリソースにまで手を掛けていると知りつつ やめられないなら、それは果たして子孫の繁栄を見守る側の正しい余生なのだろうか?
今年齢的に どちらの側にも属さない私は そう考える。
ここがおかしいD 「消費税上げるぞぉ〜」のアナウンスを既定路線とみた人々が「やべぇ」とばかりに行動している今の駆け込み需要/先食いでしかない消費行動を、あたかも景気“回復だ”
と政府自らが喧伝しているマッチポンプ
政府がこういう尻叩きに
ひとたび味を占めたなら、それこそ毎年消費税を上げてくるだろう。しかしそれは形を変えた資産課税の予約実行そのもの。これって恩恵受けられない側としては腹立ちません?
因みに自分は給料上がるどころか(この四月から5千円ほど)下がったのだが? 夏の賞与通知には 社長直々の詫び状が添付される始末だ(これは、政府の「お願い」やかけ声だけでは企業の収益は改善されないことを意味する)。一方住民税は地味に上がった。家賃もこの半年で色々値上がったからという理由で+8500円と派手に上がった。あと皆もそうだが震災復興名目で預金にも課税されている(が東電管轄下で恩恵受けてたわけでもないのに放射能被害受けた人は怒り心頭だろう)。このうえ本当に消費税増税されたらたまらない。
あと、政府は2%の物価上昇を目指しているそうだ(最近は、2%の物価“安定”と言い換えたようだが)。私の週末の買い出しのレシート見たら、毎週同じモノしか買わんのに半年前に比べて既に2%以上あがってるし、もう終わりにしてくれないかね? なんて(正確には、値段据え置きだが内容量が減っている)。もしこれから、今まで大企業に足元見られて値下げばかり要求されてた中小企業へのフェアトレード(虚業でない勤め人が、無理なく続けられ、かつ これなら若い人たちが家族を養っていける!と思える程度までの改善)のために物価が上昇するのなら私だって我慢する! でもここ半年の物価上昇はそうじゃないでしょう? 物価上昇後の安定それ自体は、来年か再来年に社会人デビューする人には まったく損のないメリットだ。が! これまで ずっと賃金上がらなかったデフレ下で 長時間・低賃金・3K労働を長く強いられてきた氷河期世代や、年齢的にもう雇ってもらえない中高年が今まで身を削って貯め、それでも結婚資金どころかそのまま老後資金にさえ化けかねないナケナシの貯金の価値までを一緒に目減りさせてしまう政策でもあるのだわ。給料上がる要素がないのに物価だけ上がってから、「ああ、その辺の世代は運がなかったね。でも頑張って!」 の一言で済まされても たまらない。その辺の時間軸の違いで生み出されてしまうであろう不公平感についてはどう補正かけるつもりなのかね! ・・・何も考えてないだろう?
ここがおかしいE 順番が間違っている
まず、あまりに膨らみ過ぎて高コストな自分たちの特権を手放して、それでもダメならゴメンナサイ!
と納税者に頭下げるのがモノの順序であろう。
提言はズバリ、上に上げた「おかしいこと」の逆を遣ること。それには5%を8%にするどころか、3%に戻したり廃止することすら含まれる。消費税払う義務に届かない年商の小売店が、消費税を徴収しながら税金納めず着服してたとか、逆進性については既にあちこちで触れて
いるので書かない。戻る
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最後に税務署にも苦言を。アンタがた税務署連中は、今となっては悪代官やヤクザよりひどい泥棒だ。自分たちの生活レベル向上や、バブルの頃の収支水準を維持するがため、長引く不況でインカム失い苦しむ庶民の財産までに手を掛ける。そんなにヒトのカネが欲しけりゃそのうちくれてやるよ、灰で良ければ貰ってくれ。だがな、何事も大切なのはバランスだ。こちらとしては身内が骨肉の争いせねばならないほど、誰かが首をくくらねばならないほどスッテンテンにされては困るのだ。戦時に運良く焼け残り、政府の代わりに明日食うモノもない乞食の巡回経路となるほどに施しをおこない、「大学建てるからのいてくれますか」と言われた時は国のためにと素直に従い、親戚には「あんな立派だったお屋敷がこんなチンチクリンになっちゃって」と泣かれ、それでも先代が次代のためにと守ってきた屋敷ぐらいは課税対象から外せよと。あいつら一族の生活基盤にまで課税して、土台を丸ごと持っていきやがった。あいつらに本当にそこまでする権利があったのか?
私のご近所の屋敷
も、質素ながら部屋数だけはあり、そこに親戚のおじさんが、失業したら「しばらくご厄介になります」と やってきて、いったん体勢立て直してからまた旅立っていったものである。つまり突然の失業にもクッションの役割を引き受ける避難場所が昔−40年ほど前くらいなら−ちゃんとあった。ところが、核家族化の進んだ今はそういうのがなく、そうそう親戚を頼りにすることも出来なくなって、生まれながらに一切の生産手段を持たない人たちの人生は
それこそ滑り台社会とまで呼ばれるリカバリー困難なハードランクモードと化した。その一方で、政治家の方々は税金免除、そんな下々の状況の変化など全然わかっておりません。その手下の税務署も、個々の事情など考慮せず機械的に対処する。一体何様なのか。いっそ税務署連中に対しては、彼らの給与を全額非課税とするかわり、彼らが実は集めた国民の税金で食っている身分であることをちゃんと自覚させることが必要だろう。そうでないと彼らは真に日本の国益に資するアクションを考えない。「なにが『我々公務員も税金を払っている』だ!俺たちのカネじゃん」と、いう意見が巷では多いので。
貧すれば鈍するといいまして、昨今の財政赤字にかこつけて、政府や知事クラスまでが
とうとう資産課税や死亡消費税(←墓泥棒)、相続税100%化などの血迷いごとを言い出した。しかし常に羨ましいと思う側の私でさえ それはおかしいと思うので反対だ。だって株でも遣ってない限り、今、皆さん庶民の銀行に入っている貯金、それは
すでに、諸々税金差っ引かれた後の残りのハズ。なのに、それがまとまったカネになったと見るや、今度はそれにも目をつけて、さらに課税のターゲットにしたがるなど、もはや泥棒を超えて強盗過ぎるにもホドがある。そりゃ誰だってカネは欲しかろう。無いよりあった方がイイ。それは行政も同じだろう。しかし、だからといって、他人のポケットにまで手を突っ込むような越権行為まで合法化してしまったら、正直に払ってたら困窮してしまう人も出る。それこそイタリアみたく「贅沢三昧な政府の裏をかく脱税/節税が武勇伝として称賛される」ような、モラルハザードの国になってしまうぞ。皆さんは、奪う側と奪われる側とが常に抗争繰り広げ、男は泥棒、女は売春、または外国へ出稼ぎした家族に一族がブラ下がって暮らす、マフィア牛耳る泥沼社会にご自分の子孫を住まわせたいと思われますか?
かつて諸国の支配者は、武力と資力を背景に人々を働かせ、立派な墓を自分のために用意した。また産業革命時代には資本家が政治に口を出し、人々をそこで働かねば食っていけないシステムに組み入れて、年端もいかない子供までを過酷な労働ですり潰しては巨万の富を得た。そんな資本家の搾取に義憤を抱いた思想家たちの提唱したのが共産主義だったが、しかしそれらの国もまた、ある国は権力集中型の恐怖政治国家と化し、ある国は一国二制度の詭弁で農村部を搾取してのし上がり、ある国は一度瓦解してハゲタカの餌食にされた。
だが我々は、そんな彼らを嗤えるだろうか? この国もまた、ほんの数十年前まで政治屋の、カイカクなる言葉にダマされてきたではないか。政治活動に専念するため
みかじめ料を要求し、みごと民の期待に応えて良い結果を出した(または素地を作った)というなら良しとしよう。しかし現実は、みかじめ料を要求しておきながら、 民の期待を裏切って国益を損ない、雇用を奪い、奴隷を増やして
めちゃくちゃにしたあげく、のんきに地方公演などを遣っている。これが東欧あたりなら、今頃とっくに引きずり出されて公開処刑されている。為政者が、「この国の貧乏人は、むしろ放っといた方が、ガキも作れず勝手に自殺してくヨ!
楽ちん楽ちん♪」などと悠長にのたまってられるのも いつまでか。この歪みを、何でもかんでも自己責任と弱肉強食の競争社会で放置していたら、遠からず日本人が日本人に対しテロを起こす日が来てしまうのではないかと危惧する。
今世紀は、自らの貪欲のために他の人の生活の糧まで奪い、困窮するほど搾ってくる側に対して再び 「アンタたち、 一体だれの許可を得たというので
そこまで奪う権利があるのか!」と、体を張った異議申し立てをせねばならない世紀となるだろう。混乱に乗じて他国に攻め入られる心配の無かった時代は、あなたの先祖だってそうしてきた。当時と違う点は、悪代官とその一族徒党を〆ればそれでミッション
コンプリートだったが、今回のターゲットは、「分身の術」で責任所在を曖昧にすることで煙に巻き、食い逃げ切ろうとしている。彼らのしでかした失敗を、「私を選んだのはあんた達でしょ」的な開き直りでコッチになすりつけてくる事さえあるのだ。だから今、本気で世直しを考えている未来の国士達には、
くれぐれも撃つべき相手を見誤る「誤爆」だけはしないようにとアドバイスします。意図的に叩く先を間違えさせ、同士討ちさせて喜ぶのが敵の遣り方ですから。
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さて、本稿執筆開始は去年の7月 となっているが(一年かかったのかよ!)一年 経った先述の工場は、その後どうなったか。
結局、人が辞めていくタイミングが来ても、最近何かと批判の多い派遣を使い捨てるのはしのびないので やめたという。つまり完全に人手不足なのに人は増やせない。私が今までの仕事に加えて抜けた人の仕事までこなさねばならなくなった。この先まだ消費税増税でコストダウンを要求されたら一体どうなることやらだ。
それでもなお、これだけ問題の多い税制を、見直すどころか強化したいです!
と公言するつもりなら、「じゃあ その代わりに、家庭だって給料上がらないんだ、収支のバランス取るため他を緩くしろ」との意見が出るのも当然だ。政府が本当に格差の解消や国民の暮らしを良くすることを願っているならできるはずだ。反対に、限界が見えてる社会保障システムの延命や、ただ単に税収を上げて自分たちの暮らしの水準を維持したいのが本音なら
彼らは複数税率の検討すらしないだろう。彼らが果たしてどっちなのかは程なく判る。
もっとも、今から声を上げたところで、不遡及の原則というのがあって、私の場合
取られた屋敷は戻ってこないし、恐らく我々の生きてる間に取りすぎない/取られすぎない税制の恩恵を受けられる機会は たぶん無いのだ。また、破滅への道は善意で舗装されているともいいまして、かつての共産主義思想や帝国主義、そして今そこにある危機・新自由主義みたく、
悪の手に渡ればかえって世界に不幸を招くトリガでさえあるかも知れない(それは時が経ってみなけりゃわからない)。それでも貨幣経済の限界が見えてきた 今、日本はかつての資本主義でも社会主義でもない第三の道を再び世界に先駆けて模索するしかないのだ。「俺たちも苦労したんだからお前たちも苦労しろ」的な
ねたみ そねみ で私が被ったような損失は、そろそろ私の世代を最後に終わりにしてはくれないか。
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以上、クドいところもあるが本心からそう思ってるので、強調部分としてあえてそのままに。しかしなんで、多額の報酬を与えて国政を委任したハズなのに、多
くの個人の方々がツィッター/ブログで自身の時間や取材費・エネルギーを割いてまで、政治を監視せねばならんのだ?
(2013.06.09)