平成の“開国”を阻止せよ -アメの思惑にハマるな-


 去年秋に降って沸いたTPP(環太平洋パートナーシップ)とは、関税をほぼ例外なく撤廃する取り決めで、実施された時の影響のデカさにもかかわらず、国民への説明も、議論もないまま勝手に話が進んでる。
 
 環太平洋といいながらGDP比率で9196%をアメリカと日本で占める貿易協定を、日本政府は史実になぞらえ「平成の開国」といっている。「近代日本がいつ鎖国したんだよ」という気もするのだが、政府としてはここで何かひとつ、革新めいたスローガンが欲しいのだろう。

  確かに開国前の江戸時代は制度疲労を起こしていた。人返し令が出るほどの耕作放棄や都市への人口集中。重税にあえぐ農民による一揆や打ち壊しもしばしば起こり、不満が高まっていた。だから、黒船が浦賀に来航し、開国を迫られた幕府が右往左往するのを見て、民衆はこれを非常に痛快と思ったようだ。 それは当時の川柳にも残っている。「何かが変わるのではないか」と。しかしアメは別に日本の救済に来たわけじゃなかった。

  幕府はアメに脅されるまま不平等条約を飲まされる。その中には関税自主権の放棄も含まれていた。幕府の弱腰外交に異を唱えた人たちは、内弁慶な幕府によって言論封殺される(安政の大獄)。すると「同じ日本人を虐める今の幕府は亜米利加の犬」という者もあらわれ、幕府の大老 井伊直弼が暗殺されたりもする(桜田門外の変)。歴史は繰り返すのだろうか?

  「異人とバカな約束しおって」と日本は内戦に突入した。当事者のアメはというと、かねてから日本の金(ゴールド)と銀の交換レートに目を付けており、世界でも有数の金保有国であった日本から大量の金をどさくさ紛れに持ち出した。日本はアメにメキシコ銀貨をつかまされ、今でも通用する貴重な国富が流出した。倒幕後、明治政府は、関税自主権を取り戻すために大変な苦労をしたが、政府が貿易に金貨を発行しようとした頃には金は既にアメに流出した後で、大阪ぐらいでしか価値のない銀が残った。結局、政府は相手に付け込まれない外交には軍事力のバックが不可欠と結論、失われた富を戦争で取り返そうと富国強兵政策を取り、今度は自分より弱い国に不平等条約を押しつけた。戦費調達に長野の女工が割に合わない劣悪環境で長時間労働に苦しんでいたのもこの頃。

 ちなみに、明治政府の発行できた金貨は、貿易相手国から信用を得るための「見せ金」に優先的に回すのがやっとの枚数だったそうで、江戸時代のゴールドの流通量を考えれば、アメの不平等条約で日本が一体どれだけの損害を被ったか想像に難くない。いつの時代も失政のツケを払うのは国民だ。そして今、民主党は、明治政府が血のにじむ思いで取り戻した関税自主権を、自ら手放そうとしている(基地移転問題でアメを怒らせたご機嫌取りか?) 

 「関税」の関とは関所(せきしょ)の関である。関所は何のためにあったか。何も『怪しい者を通さないようにしていた』だけではない。それは当時、独立国と同じ藩と藩との間で急激な人やモノ・カネの流入/流出が起こって歳入歳出労働人口のバランスが崩れるのを防ぐ狙いがあった。現代も同じで、わりと最近ではネギ(葱)のセーフガード * があった。日本でネギが不作だったとき、外国物価水準の安いネギが入ってきて国産ネギが売れなくなり、その年の国内ネギ農家が苦境に陥るのを防いだ。これがセーフガードである。一般家庭にしてみれば 「なんで一部の農家のために高い国産ネギを買わねばならんのか」、「過保護ではないのか」という人もいれば、「国産ネギが輸入物に駆逐されなくて良かった」と、値段より信頼性や選択肢の幅を重視するコアなネギ好き(?)もいただろう。「関係ないや、ネギ食わないし」という人もいたかも知れない。ネギは主食たりえないので話題にならなかったが、需要と供給で決まる流通(量)を、「儲けたいから」相手を脅して規制緩和を強要したり、押し売りしたり、本音を隠して裏工作するのは間違っている。自給自足を前提に、余ったのを「欲しい」と言ってきた国に売る。それが自由貿易であり、正しい人の道だからだ。わかってんのか、アメ。

*
1929 年に世界恐慌が起こった時、各国首脳が真っ先に思いついたのがブロック経済で、今でこそ自由貿易を阻害するものと悪く言われているが、あくまで緊急回避策 としては合っていたのだ。長引いて、戦争が始まることで景気回復始するまで収束しなかったけど。

  しかしそれがどうだ。国際分業化の名の下に推し進めたグローバリゼーションは、確かに効率はいいのだが、あまりに専門特化しすぎたために、不測の事態ひとつでたちまち総崩れになる脆弱な社会を生み出してしまった。主食を請け負ってる国はまだいいが、金融や、嗜好品担当の国は食えなくなり困窮する。カネという便利なシステムに頼り、そしてカネに頼りすぎて自活できなくなった現代文明と、そういうのと関わりを持たないことで便利じゃないが自活はできてる“未開人”が、後日 “先進諸国” の歴史を学ぶ時、彼らはどう思うだろうか。「一体なにを考えていたのか?」「 止める人はいなかったのか?」「 何と愚かだったのだろうか」と評されはしないだろうか。この点に限れば、いっそ縄文時代や弥生時代の方がまだマシなのではなかったか?


  かつてアメの利益誘導のまま関税を自由化し、破綻した国は多い。ブラジル、チリ、アルゼンチン、ベネズエラ・・・。中でもジャマイカの例は、ステファニー・ブラック監督のドキュメント映画でご存じの方もおられるだろう。

 大戦後、ヨーロッパ諸国からの独立を果たした中南米。しかし長く植民地支配されていたモノカルチャー経済のため、先進諸国と同レベルの生活を続けるには基幹産業がなく、宗主国が手を引いたらすぐジリ貧に→IMF(実質的にアメ)に援助を求める→借金の見返りに国を開く(関税障壁を下げる)ようにとの要求を飲む。→アメからの安い農産物を南米の民衆はこぞって買う。しかし自国の農業は太刀打ちできず潰れる。→農業従事者は失業。→輸入品が大半を占めるので貿易赤字は拡大、 ジリ貧に→失業者の行き着く先は外資の用意した縫製などの奴隷労働→ストを起こすと撤退→さらなるジリ貧に→以下繰り返し という構図だ。そして貧困は治安の悪化を引き起こす。


 『われわれ(アメリカ)はあたかも繁栄を保障する特別な公式を見つけたのごとく、他国を脅して自分たちと同じやり方を踏襲させた。独自の経済外交を通じて、あるいはアメリカの息のかかったIMFの影響力を通じて、アメリカ政府は医者になったかのように世界各国に処方箋をばらまいたのだ。あの予算を削れ、この貿易障壁を低くしろ、その公益事業を民営化しろ、と。一部の医者と同 じく、われわれは非常に忙し かった-そして非常に自信があった-ものだから、患者の意見など聞きもしなかった。ときには忙しさのあまり、相手の国の状況を見ることもしなかった。第三世界のエコノミストや開発専門家は、ほとんどが高い教育を受けた優秀な人びとであるにもかかわらず、しばしば子供のように扱われた。』

 『私たちはアメリカの政策が発展途上国の貧困層におよぼす影響を考えず、アメリカ国内の雇用創出ばかりを考えていた。(中略)その結果、(ラテンアメリカの)雇用は創出されるどころか、むしろ破壊されてしまった。』

 『一九世紀後半は、フランスとイギリスは中国でアヘン戦争を起こした。しかし最後にアメリカがロシアとヨーロッパ列強に加わって、一八五八年の天津条約で中国にアヘン輸入を認めさせた。その結果、中国の国内にはアヘンが蔓延し、欧米諸国はアヘンと引き換えに中国の磁器や翡翠を手に入れた。この話はアメリカの小学生にはあまり知られていないかも知れないが、中国では誰でも知っている。同じように、日本人はペリー提督の日本「開国」をアメリカ人とはまったく別の視点で記憶しており、その後の貿易協定についても不公平なものと見なしている。』 -『人間が幸福になる経済とは何か』



  次に、やっぱり「開国」して売国奴に富を取られたロシアの例を挙げる。


 『急速な民営化は濡れ手で粟の状況をつくり出し、数千億ドル相当の貴重な国有財産が食い物にされた。この趨勢の中で誕生したオリガルヒとよばれる振興財閥は、不適切な手段で掠め取った金を、IMFの援助資金の流入をはるかに上回るペースで国外へ流出させた。「資本市場の自由化 は、金は国内に入ってくるもの、という誤った信念のもとに実行された。しかし現実には、大規模な資本流出が起こったのである。代表的な例としては、オリガルヒのロマン・アブラモ ヴィッチによるイングランドのサッカークラブ〈チェルシー〉の買収と、イギリス国内の大豪邸の大量購入があげられる。当然ながら、これがロシアの成長にどうつながるのか、と普通のロシア国民は疑問を抱いた。西側の顧問たちの説を真に受けるなら、鳥かごの扉を開いたときには、中の鳥が外に飛び出すことなく、 外の鳥が中に飛び込んでくるはずなのだ。

 『拙速で不正な民営化は、ロシアに悪循環を発生させた。公共資源の払い下げ価格があまりにも低かったため、民営化政策の正当性そのものに疑問の声があがった。当然、国有財産を手に入れた投資家たちは自分たちの財産権が危ういと感じた。将来政権が交代したとき、新しい政府が世論に押され、民営化路線を逆行させるかも知れないからだ。
 結果として投資は抑制され、投資家は収益を可能な限り国外へ持ち出した。これによって民衆は民営化プロセスにさらに幻滅し、その幻滅は投資家の財産権をさらに危うくしたのだった。IMFが押しつけた資本市場の自由化は、事態をなおいっそう悪化させた。支配下の企業から資産を掠め取ったオリガルヒたちは、解放された資本市場を通じ、財産権の確立された外国へたやすく金を移転させることができた。国内では貧弱な法制度にさんざんつけ込んでおいて、国外では強力な財産権の慣例法に庇護してもらったわけだ。』

 『移行の初期段階でモスクワを訪れたなら、ロシアは成功しているようにみえたかもしれない。店先には商品が溢れ、道路には車が溢れていた。しかし、並んでいる 商品は輸入贅沢品ばかりであり、購入できるのは、国有財産を自分のポケットに入れられた新富裕層だけだった。メルセデス・ベンツを運転して新生ロシアを楽 しむ人がいる一方、数百万の人々の年金は下がり続け、ついには生活可能なレベルをも割り込んだのである。』

 『旧ソビエト圏における改革のスピードが速すぎたという見方は、今日、幅広い合意を得ている。民営化を実行する前には、適切な規制と強力な税法を整備する必要があったのだ。ロシアで政府の歳入不足が起きると、保健衛生とインフラ建設の予算が激減した。旧ソ連時代からの遺産には、高水準の教育システムが含まれていたが、予算の削減とともに教育の質も急低下した。また、旧来の社会的安全ネットも放棄された。結果は悲惨だった。一九八七年(移行が始まる直前)から二〇〇一年のあいだに、旧ソビエト圏の貧困率は一〇倍に増えた。』- 『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』 ジョセフ・E・スティグリッツ 楡井浩一訳


 
  幾つかの角度から見れば実態がハッキリする。中南米諸国や旧社会主義国で、新自由主義者が善意と実益をかねて行った規制緩和策を受け入れた国は、最初は物価が安くなり良かった良かったと思っていたら、ほどなく自国の生産者がまず暮らしていけなくなり、食糧を外国に握られて、外交カードに使われる。輸入品しか選択肢のない状況で国富は流出し、結局いっとき安くなっ た以上の代償を延々払い続けねばならなくなる状況を生み出してしまった。実際アメは「こうなる状況を知ってもなお、他の国に同じコトを強いて儲けてきた」と債務国のみならず、実情を知るに至った内部からも批判されている。


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  さらなる懸念として、TPPの規制撤廃は農業・金融に限った話でない。流通・教育・医療・サービス・建設・司法・労働力・・・あの「年次改革“要望”書」ばりのアメのワガママが、単なる要望ではなく、条約という 形で締結されてしまったら、どうなるか。TPPの中でもとりわけ危険視されているのが、日本がアメなみの訴訟社会になるのではないか、との危惧だ。日本人は泣き寝入りが多いってのは否定しないが、かといって、たとえば風上に遺伝子組み換え植物を勝手に植えておきながら、風下で受粉した作物を特許侵害で訴えた方が勝ってしまうような無茶苦茶が、アメでは まかり通っている。

  農業以外の市場開放圧力は、TPPが問題になる以前から、関岡英之氏が自著、「奪われる日本」の中で警告されている。


  『衆議院特別委員会で、郵政民営化準備室が米国の関係者と十七回も会っていたという、核心に触れる重大な証言を竹中大臣から引き出した城内実前衆議院議員は、自己の良心に従い、国民の代表としての信念を貫き、総裁派閥である森派でただひとり、衆議院本会議で反対票を投じた。その結果、国政の場から追放された。自分に従わずに正論を吐く者を弾圧し、刺客を放って政治生命まで絶つというのは、控えめに言っても恐怖政治だ』。

日本の消費者の利益にもなる?


  『'03年版の『日米投資イニシアティブ報告書』一六頁の結論部分には、「これまで民間の参入にふさわしくないとされてきた分野への投資機会の拡大を図るための規制改革について、真剣に検討を進めることも必要である」と記されている。これが'04年度版の『日米投資イニシアティブ報告書』にはもっと具体的な要求となってあらわれる。少し長いが引用する。

  《米国政府は、日本における人口動態の変化により、今後、教育及び医療サービス分野における投資が重要となってくることを指摘した。そして、これらの分野において米国企業がその得意分野を活かした様々な質の高いサービスを提供できること、またそうした新たなサービスの提供が日本の消費者利益の増大に資するものであることを指摘した。米国政府はこれらの分野における投資を促進するため、日本政府に対し、該当分野における投資を可能とするための規制改革を要 請した。》

 次のターゲットは教育と医療だという。日本人の心と身体、魂と命までもがビジネスの対象として狙われている。
 「日本の消費者の利益にもなる」というのは、日米構造協議以来、米国政府が日本に対して要求を押しつけるときの常套的なレトリックである。いちいち真に受ける必要はない。日本の消費者利益のために米国政府が時間と労力を費やすことを容認するほど、米国の選挙民や圧力団体は甘くない。

米国政府がもし本当に日本の消費者の心配をしているならなぜ、ろくに検査もしていない牛肉を、経済制裁で威嚇しながら力ずくで買わせようと迫るのか。

談合は伝統的商習慣、日本人の知恵


  『こんにち、ひとことでも談合に利を認めれば袋だたきに遭うご時世だが、談合はもともと日本の伝統的な商習慣である。特定の企業が暴利を貪っているわけではなく、すべての成員が限られた利益を薄く分け合っているのだ。極端な勝ち組も作らない代わりに極端な負け組も出さず、共生しながら社会の安寧を保つという、日本人ならではの知恵ではないかと私は思う。それがいつから違法行為と断罪されるようになったのか。

  独禁法が制定されたのは、日本国憲法と同様、我が国が主権を奪われていた占領期間中である。日本が二度と米国に刃向かえないように日本経済を弱体化することが立法目的であり、GHQ製の独禁法は米本国のアンチ・トラスト法よりも厳格だった。占領が終結すると日本はただちに同法を改正して大幅に緩和した。冷戦により米国にとっての日本の地政学的な重要性が高まったため、米国も日本が独禁法を骨抜きにしているのを多めに見てきた。

  それが一変したのは日米通商摩擦の時である。一九八六年、米国政府が関西国際空港建設工事について国際競争入札を要求してきた。米国の建設会社ベクテル社が受注を希望 したからだ。同社の経営者だったジョージ・シュルツが当時の国務長官である。交渉が長期化する中、日本で二件の談合事件が摘発された。ひとつは米軍横須賀基地工事に関する実案であり、もう一件はほかでもない関空だった。この頃から米国は、日本に対して公共事業をめぐる談合取締りの厳格化、そのための独禁法の罰則強化や公取委の権限強化を執拗に要求してきた。

 それは日本国民のためではなく、あくまで米国の建設業者の利潤追求のためだったが、そうした米国の圧力は、日本の公取委にとっては予算獲得や職権拡大をはかるうえで常に頼もしい援軍となってきた。

 建設業界を完全自由競争にすればどうなるか。資本力・技術力のある大手が一人勝ちして市場を独占するか、せいぜい三~四社のスーパーゼネコンによる寡占状態になるのが関の山だ。独占禁止法が独占をつくりだすのだ。その結果、地方の零細建設会社は軒並み淘汰され、失業者が大挙して都市部になだれこみ、青いビニールシートのテント村が全国の公園を占拠する。そんな事態が本当に日本の国益にかなうのか。思考を停止したマスメディアは血眼になって「談合は犯罪だ」とわめくばかりで、真の国益とはなにかを冷徹に検証しようともしない。』

あなたは本当に訴訟社会を望んでいるか


  『いよいよ法の分野も、「米国化」が現実のものになってきた。我が国の政府には、いつのまにか「法令外国語訳・実施推進検討会議」なる会議が設置されてい る。'06年度から三ヵ年計画で、日本の主な法律を英訳するという。政府は「英語を母国語とする者」つまり米国人に分かりやすくする、ということを基本方針として掲げている。
 奇妙なことに、主務官庁となっているのは法務省ではなく内閣官房である。つまり官邸主導で進められているのだ。 なぜか。〇五年十二月七日付の米国政府からの『年次改革要望書』には「日本の法律の外国語翻訳」という項目がある。
《米国政府は日本に以下のことを要望する。計画段階のみならず省庁が計画している翻訳が終了するまで、日本にある外国企業と緊密に協議を続ける》 仕掛け人は、第五章でも触れたオリックス会長の宮内義彦氏である。
米国では訴訟は一つの産業なのである。
米国にはクラス・アクションとよばれる集団訴訟制度がある。米国の弁護士は弱者をオルグして少額の報酬で訴訟を請け負う。その代わり勝訴になれば、被告から分捕った巨額の賠償金の何割かを成功報酬として手に入れる。

  米国には「リーガルマーケット」(法律サービス市場)という言葉さえある。米国の弁護士は、訴訟社会を一つの市場として見ているのだ。悪名高い米国弁護士が跳梁跋扈する現状には、米国の企業や国民も辟易としているという。(中略)

  訴訟の頻発は米国企業の国際競争力を損なったという教訓から、米国自身は訴訟を抑制する方向で司法制度を改革する一方、日本に対しては逆に訴訟をもっと活発化させろと要求してきている。要するに訴訟を「輸出」しようと狙っているのだ。国内での商機縮小を見越した米国の弁護士たちが、出稼ぎ先を探して世界を見回したとき、世界第二の経済大国でありながら訴訟が極端に少ない日本は、まさにかっこうの標的なのである。

  現在、日本政府が推し進めている司法制度改革は、「リーガルマーケット」の対米市場解放問題というのがその本質なのだ。日本の法律を軒並み英訳化する国家プロジェクトも、そのための環境整備の一環というわけだ。

  司法制度改革に関する立法措置はあらかた終わっており、既に実施段階に入っている。例えば外国系法律事務所は日本人弁護士を雇うことができないという規制があったが、〇五年四月から施行された改正外国弁護士法で撤廃された。〇六年は法科大学院の第一期生が卒業する。日本人弁護士のタマゴたちがやがて米国法律事務所に大量採用され、出稼ぎにやってきた海千山千の米国人弁護士の采配のもと、足軽として日本企業に襲いかかってくるのだ。米国流の訴訟爆発が遠からずこの国を席巻し、世にも荒んだ米国型社会が到来するであろう。

 しかし日本の国民は、ほんとうにそんな社会を望んでいるのか。(中略) 米国社会はなんでも裁判で決着をつけ、カネにあかせて有名な弁護士を雇って勝ったほうの理屈がまかり通っていくという、まさに強者の論理が支配する殺伐した社会だ。そういう剥き出しの弱肉強食社会に、あなたやあなたの家族は耐えていけるだろうか。あなたは、あなたの子どもたちを、そんな社会に託したいか。』 -「奪われる日本」 関岡英之氏



 ・・・ いちいち正論過ぎて引用長くなってしまいスミマセン。日本は、国としては外国に多額の借金をしているわけではないので、中南米みたく金を返せない代償に市場を明け渡さねばならない義理など無いはずだ。そして日本の関税率はすでに十分低い。それでも国を開くというのなら、その前に(私は輸出製造業なので)円高の方をどうにかしろ と。あるいはこんなインチキなルールでやってられるかーとちゃぶ台返しするくらいの気概が今の日本の政治家にある?

  順番が間違っている。グローバル化するならするで、自給率とエネルギー自立を高め、(その中には泥臭い仕事もあるだろう。現状は肥料とて海外依存、太陽光発電も現状ではトントン)足元を見られない目処が立つまで お預けだ。食糧や国防を外国に握られている状況は、その国の弱みである。 新自由主義の信奉者は、今後「各国が食糧不足になったり軍事的に侵攻してくることは無い」、という誤った前提で話をしている(今のシナやロシア、朝鮮を見よ)。前提が間違っていれば、その施策も間違ったモノになる。外国で、自分の国が不作なのに他国へ食糧を輸出する国があろうか。また、文化や商習慣など、アメでは普通と思っても、日本には日本のやり方がある。 そんなのもわからずにアメの片棒を担ごうとする国賊や企業に国民がノーを突きつける時が来た。その具体的な方法は ここでは書かないが、ヒントは彼らも我々と同じく資金源を絶たれれば干されるとだけ言っておく。我々が潰れるのが先か、「彼ら」を干上がらせるのが先かのガマン比べである。私は、自分の取り分以上を他国から奪おうとする輩を、国民がバカじゃなければ今度こそ撃退できると信じている。

 とりあえずだ、言うべき事を言わず、要らんことを言っては日本の立場を窮地に追い込む現与党の外交手腕に国民の多くが不信感を持っているのは追い風だ。ひょっとして、 今日本人は、現政権が諸外国にナメられ、続々目にする各国の火事場泥棒を前に、会社になんか行ってる場合では無いのかも知れない。

2011.2.27


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