地方創生を阻むモノ


本稿の主旨:なぜ 過ぎたる強欲を野放しにする社会は行き詰まってしまうのか。労働問題を扱う掲示板への投稿に加筆修正したモノです。戻る

 



 20145月、日本創成会議分科会が『衝撃的な試算』を公表した。
「もしこのまま都市への一極集中を放置すれば、地方はさらなる過疎化が進み、25年後の2040年には全国市町村の約半数(896市町村)が消滅しかねない」と。
 
 これを受けて、ラジオなどでは決して読まれることのない こんな意見がインターネット上で多く寄せられた。
「あなた方 田舎者が、身分不相応な暮らしを夢見て都会に押し寄せて来るからだ。おかげで我々江戸っ子は過密状態の狭苦しい思いを余儀なくされている」「過疎化を防ぐためにも 地方出身者は自分たちの田舎へ帰って欲しい」と。

 いやはや、お互い顔が見えないと、思わず本音がペロっと出てしまうモノである。
 
 しかし私とて、何も好きこのんで住み慣れた郷里を離れ、コネもツテもアテも無いココ首都圏に単身乗り込んだワケじゃない。もし田舎で暮らせる見込みがあれば、田舎の“不便”も慣れっこだったし、最初からそうしていた。

 
 では、なぜ私や職場の仲間の大半は田舎を出て首都圏に来たのか?

 それはひとえに田舎の『仕事の無さ』『一部の既得権者以外まともな暮らしは無理』

なのを見て育ったからである(もっとも、私の両親は、高度経済成長期の行け行けドンドンな時代を見てきたので、自分の子達は その延長線上で行けるだろうと高をくくっていたに違いない)。

 
 元々 私の郷里は県民所得が東北六県中 最下位、全国比でも太古より沖縄と1,2 を争ってきた貧乏県だ(もっとも、失われた20年は日本全体をビンボーにしたのか、最近は新興勢力 に押されている)。あのバブル絶頂期の'80年代後期でさえ、田舎に その恩恵は ほとんど回ってこなかった。多くのクラスメートの家庭が福祉に頼って暮らし、学校の許可を得て新聞配達するも授業中コックリしてたり、ノート一冊買うにも 大変な級友も多かった(私立やエスカレータ高は比較的裕福な人が行くから、そこまでの格差を目にする機会は無かったろう)。

 そして それらは必ずしも彼らの親の能力や努力不足のせいではなかった。一例に、四国出身のウチの母親が、腰掛けのつもりで(?)就職したバスガイド時代の年収よりも、東北では超安定なインフラ系企業勤務だった親父の方が薄給なことに衝撃を受けたそうだ。だがそれは仕方のないことだ。だって、いくら地方のお客数が 都市部より少ないからといって、じゃあ ひと家庭あたりの電気料金を、他の電力会社よりグンと上げることで給与を他社並みにしましょうか、ってわけには行かなかったのだろうから。

 私の郷里の仕事の無さを示す、こんな例もある。少し前のリストラ面談で、転職支援会社を人事に紹介された。逆らっても その後が不利なので、出稼ぎ先が忙しい中 有休取って身の上話をブーたれてきたのだが、その時 相談相手のシニアスタッフがいうには、「アナタと同じ出身者の再就職を世話した実績はあります。ただ、いずれのケースも郷里での再就職を希望していたのですが、やっぱり向こうじゃ仕事が無くて、結局こっち(首都圏)に戻って来ちゃったんですよね・・・」と。

 余談だが 私の田舎は力士が多い。本場所ともなれば、町の電気屋のテレビは大相撲中継一色、相撲トトカルチョで盛り上がるくらい多い。なぜか? それは ちょうど、南米の貧民街の子たちがプロレスラーやサッカー選手に憧れるのと同じ、ああして一念発起でもせねば、貧困から未来永劫抜け出せそうもない土地柄だからだ。いわゆるナマポ受給問題で叩かれていた母子家庭の 少なくとも一家族は、恥ずかしながらウチの故郷での話だ。オマケに自分の住んでたトコは、郊外に出ると一面タバコ畑だった。なんで食える作物植えないんだろと小さい頃は不思議だったが、今思えば農産物輸入自由化で食えなくなった南米農家が体に害と知りながら高く売れる麻薬栽培に手を出したのと同じ構図だ。

 つまり自力で/まともに食っていける手段がない。『明日は我が身』と言いまして、どんな背景や生い立ちを経てきたのかも解らずに「甘えるな」なんて暴言も吐きたくな い。ついでにウチの郷里には駅前ホームレスが居ない。なぜなら女性は保護されるがオヤジは放っとかれるので冬場に全員凍死してしまうからだ。これが現実である。今、『経済』と聞くと、カネや物の流れと解釈されるが、元の語源は『経世済民』『経国済民』つまり 「国を経営し、民を救う」でありまして、その意味では 田舎の自治体を採点すると『経世』『済民』共に落第点だったと言わねばなるまい。


 つい最近も、過疎化の進んだ町だか村で、都市部の若い人を呼び寄せる取り組みがラジオで紹介されていた。その中で、主催者の村長さん? 町長さん? は こう言っていた。 「まずは自らを養える仕事を持って来て欲しい。さらには地域に雇用を作り出せる人に来て欲しい」と。

 これは、言い換えると『私たちを食べさせてくれることのできない人や、何の持ち合わせも無い人が、単に田舎暮らしに憧れてエントリーして来られても、限界集落民や生活保護者になられてしまっちゃ困ります』 『移住の支援はしますけど、仕事は用意できません。私たちの仕事を分け与えることも致しません。なにか新規雇 用や村おこしのネタを持って来られる人だけお越し下さい』ということだ。コスいようだが移住者を迎える側もまた、間違って“お荷物”を抱え込まない予防線をシッカリ張っている。

 ちなみに6月夕刻のNHKラ ジオだと、もはや なりふり構わず「もう高齢者でもイイからカモーン」な自治体も別途紹介されていた。2040年を待たずして『今そこにある村落滅亡の危機』を実感し始めた地域住民にとって、過疎化はそこまで逼迫しているのだ。

 一体どうして こんなことになってしまったのか? どうして それが今の今まで放っとかれたのか?

 昔なら 自力で食ってけた手段を「合法的に」取り上げられてしまった人へのケアが無いことに、そして、そういう人たちをダシに商売するヤカラのワイロで潤う連中が それを放置/拡大していることに、そもそもの発端がある。

 私の父方のルーツは北海道。親父や その兄弟も、敗戦後の食糧難で大層ひもじい思いをし、今の基準で“貧困家庭”と目される基準の さらに下行く極貧状態で幼少〜青年期を過ごした。農家の親戚に預けられるも食事はジャガイモばかり。そのうち体が受け付けなくなり今でもジャガイモが食べ られない。郵便配達のバイトで、500円のために山一つ越えた僻地へ、腰までの雪をかきわけ手紙を 届けにいったこともあるという。

 ある時 お遣いで、兄弟と一緒に保存食の佃煮買いに行った道すがら“ひと口だけならイイだろう”と太郎冠者・次郎冠者よろしく兄弟でムシャムシャしてたら やめられない止まらないで無くなってしまい、とんちやユーモアのセンスも無いので当然叔父さんに怒られ寒中外に立たされたこともあるそうだ。

 しかし『人来る所に商機あり』、花見やお盆の季節になると兄弟総出で釣りに行き、桜の名所の霊園で魚を売って家計を支えた ※。そんなことができたのは、地元の漁師やテキ屋も大目に見てたということだ。私も経験あるが、郷里の魚は首都圏と違ってスレてなく、引っかかったルアーを外しに川へジャブジャブ入っても、釣り場を5分休ませれば、自分のような素人でも また釣れ出すほど魚を捕るのはラクだった(カモシカが普段川を渡るので、山女や岩魚も あまり驚かない)。また“網元”に言わせると、『釣り糸を垂れる漁法など、あくまで お遊び。網に比べりゃ釣りなんて効率悪くて馬鹿馬鹿しい』のだという。つまり親父のような釣り人を 競合扱いしてなかった。

今でこそ、子は生まれてから親元離れるまで、まる で“負債”の扱いだが、当時の農村では子供は貴重な『労働力』だった。戦後食糧難の大変な時期にも親父が農家の親戚に預かってもらえたのも、労働力の提供とバーターだったから。その時の恩義か、親父は70近くなった今も田植えの時期になればクルマやフェリーに乗って手伝いに行く。

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 それが 今はどうだろう。かつての地元の漁師の心意気は どこへ行ったのか。

 当時、戦争で被ったダメージや機会損失を取り返したかったのは誰しも同じだったろう。それを、もっと豊かになりたい、もっとカネが欲し い、もっといい漁具を手に入れ、もっと手広くラクに儲けたい。そのためには もっと魚や貝を捕りたい・・・

 そして とうとう 彼らは地元の川や海に稚魚や稚貝をチョロっと放流し

 「この川の魚という魚は みんな、みーんな俺たちのモノ!」
 「この辺の魚や貝も みんな、みーんな俺たちのモノ!」

 ・・・と、主張しだしたのである。

 ついに彼らはそれまで そこで魚を釣り、貝を拾って細々と暮らしていた者、暮らせていた者、暮らさざるを得なかった者たちまでも 我欲のために閉め出してしまった

 しかも、これが関東に来れば、彼らは 何と、禁漁とは関係無い(養殖・放流事業を行なっていない)ウグイやオイカワ、ナマズといった魚にまで“遊漁料”を請求する。

 おかしいと 思わないだろうか?

 それはまるで、インド洋大津波のドサクサに、復興と称して外資がリゾートホテル経営のため、自給自足で暮らせていた地元民を閉め出してしまったロジックそのものだ。あるいは今ちょうど噴火で揺れてる浅間山で(執筆時)、嘉承3年における大噴火のドサクサに、復興と称して豪族が、麓(ふもと)一帯の田畑を自分のモノと主張しだした荘園化の流れと同じである。

 一体 どこまで強欲なのか。黙って おとなしくしていれば 彼らは どこまで自分たちの“権益”を拡大解釈し、エスカレートさせるのか?

 ナマズを例に取ると、現在 西日本以北に生息するナマズは自然分布ではない(昔の誰かによる人為的な移植である)。ナマズに“遊漁料”を要求してくる漁業者 の論理でいけば、彼らもまた、過去に放流した功労者の子孫を捜し出してでも、自分たちの得たインカムから幾ばくかを払って当然なのだが(それが無理なら遊 漁料の徴収はあきらめるべき)彼らは全然そんなことは していない。ウグイやナマズなど、自分たちが造ったわけでも育てたわけでも放したわけでもない魚で不労所得を手にしときながら、返すべき人に返すものを返 してない。これをフリーライド(タダ乗り)と言わずして何というのか。

 だが こう書くと、既得権者の漁協関係者は こう主張するだろう。

「お前らが〜海や川に来て〜節操なく捕りつくせば〜乱獲で〜」
「俺たちが〜海や川を守ってるので〜お前らは〜安定供給された貝や魚を〜」

 ・・・海や川を“守って”る? それは嘘だ。

 
もし彼らが本当に 水産資源を じょうずに管理し安定供給してきたと言うならば、では 今なぜ日本の固有種/近海魚がレッドリスト(絶滅危惧種)に載るほどの事態になっているのか? しかもなぜ、年々サイズが小さくなり、かつての庶民の味までが、なかなか手の出ない値段にハネ上がってしまったのか?

 古くはニシンに始まって、ハタハタ、シシャモ、マアジ、イカナゴ、スケソウダラ、トラフグは まぁ別として イワシ、マサバ、サンマ、そして ニホンウナギにクロマグロ・・・。ホッケは漁獲量減った魚としては新顔だが、港町の郷里じゃ大衆魚だったのに、いつの間にやらカタは小さく値段は高く、首 都圏じゃ すっかり高級魚の扱いだ。ここまで来ると、もはや“気候変動”や“海流変化”などでは説明がつかない。

 彼ら漁業者に対しては、誰もが性善説に基づいて(or渋々)管理を委ねてきたハズ だ。しかし今、その信頼は裏切られ、かつての水産資源が乱獲/枯渇の危機にある。

 彼らは『海ガミ様、山ガミ様の与える恵みは「利息」の分だけ獲りなさい。お金になるからと欲張って、「元手」の方まで手を付けちゃなんねぇよ』と、先人に諭される機会は無かったのか? しかも恥知らずなことに、彼らは 実体が明るみに出る つい最近まで自分たちの乱獲所業を棚に上げ、ひたすら周辺国だけを悪者にし続けた。確かに根こそぎ盗っていくシナ漁船の狼藉は もっと国民に知らしめる必要があるが、それらを差し引いても、彼ら国内の強欲な者たちに水産資源の管理能力など これっぽっちも無いことが今や誰の目にも明らかだ。手遅れになる前に、彼らの実は正当性のない“権利”に制限加えるなり、乱獲を助長してきたルールにもメス入れるなり、それでも直す気がなければ、彼らの“権利”を剥奪してでも資源回復を待つ必要がある。☆

オマケに何の考えもナシに食文化を世界にアッピールした結果、 食材の高騰まで起こしている。バカである。

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 既得権者が、地元民の 昔ながらの暮らしの土台さえもドサクサまぎれに独占し、体よく追い出された側が仕方なく新天地で遅れを取り戻そうとしても、歪みを放置してきた政府は さも当然であるかのごとく みかじめ料を要求する。そのくせ政府の失政で貧しくなったって助けが なされるわけでもない。

 昔、NHKの大河ドラマに、東北の農村医療を扱った「いのち」という現代劇があっ た。のっけから主演女優の四十路おばさんがセーラー服で登場する罰ゲームな出オチが母と姉に大ウケで 結局通しで見ちゃったのだが、その中で、田舎の知り合いが“金の卵”ともてはやされて上京するも、薄給でコキ使われたあげくにポイ捨てされて路頭に迷い、偶然出会ったヒロインに泣き付くシーンがあった。もちろん作り話だが、高度経済成長期の裏で見て見ぬフリされ隠されてきた当時の社会問題の再現であり、同時に私や同じく地方出身の同僚・先輩が再び辿った半生の縮図でもある。当時の経済白書には「もはや戦後ではない」の文言があったそうだが、どうしてどうして その認識は まったくの誤りで、この国の地方軽視は今に至るまで変わってなかったのだ。

 昔から地方の平民は、優遇された地場産業者には少ない予算を持ってかれた上、既得権者には閉め出される、ドラマみたく安い労働力の供給源にされる、財界や資本家にはグローバリゼーションの流れで もはやヒトとしてでなくコストと見られる、果ては首都圏の利便のために公害産業・ゴミ・ツケを一手に押しつけられるわで、中央に足もとを見られ、利用されてきた歴史を持つ。

 我々は、義務教育時代「社会コストは皆で負担しあいましょう」と教わって、社会人になれば納税者として数えられる。しかし負担に見合った見返りが、ほとんど あるいは まったく享受できないまんまなら、特定の人にだけ不公平な仕方で傾斜配分されるのを目の当たりにすれば、持てる者が 各種補助金で ますます優遇される一方、持たざる者が やっとの思いで手に入れたモノまで奪われ、手放さねばならない状況が続けば、「皆で負担」のスローガンが オタメゴカシであり、空手形であり、洗脳であり、ペテンであると感じれば、人は当然怒るわけです。

 地方創世を阻むモノ、それは元を辿れば『貪欲』だ。自分たちだけ ラクにイイ思いしようと杭を立て、柵を巡らし、何の権利があってか地域住民の自活の糧を取り上げて、体よく追い出された側が生きていくため都会に出れば、 生活基盤が無いことの足もと見られて搾取され、国際競争力の名のもとに低賃金で働くことを余儀なくされ、果ては人件費のより安い海外へ工場が移転すればポイされる。こういう根っこの問題を放置して、いくらカネ儲けの論理で地方に産業誘致したところで「利潤か、いのちか」、本来 両天秤にかけるべきでないモノを秤に掛け、強迫観念を動機に回っていく社会というのは、本当に我々の目指すべき社会なのだろうか? 否、それは地方創生の根本解決にはならないし人を真に幸せにもしない(儲からなくなればサッサと人を斬り、引き揚げてしまうのが資本主義であるから)。

 そも、日本の年齢別人口分布が典型的な『釣り鐘型』のイビツな人口ピラミッドなことは、それこそ私が学生の頃から懸念材料として教科書に 載ってたデータである。さらに それを助長するように氷河期世代をワザと捨て置き さんざん『間引き』しといて今さら騒ぎ出すのも おかしい。

地方創生は、竹下内閣の頃は ふるさと創生とも呼ばれ、その必要性は政府も早くから認識していたようであるが、小泉竹中構造改革の「強いモノだけ生き残れ」「貧困の再生産は起こさせな い(見捨てることで)」の路線で地方は再び捨て置かれ、結果はご覧の通り取り返しの付かないことになった。地方創生は20年、 いや、10年遅かったというか、少なくとも私と同世代には間に合わなかったというか、物理的には生きてても社会的には 多くが見殺しにされたも同然だ。バブル崩壊後の就職難で、私などより よほどこの国を背負って立つべき人材が、大学卒でも就職できずに不安定雇用に呑み込まれ、二度と浮かんでこなかった。ついには、せっかくの人口ボーナスを 活かせないまま「もう高齢者でもイイからカモーン」と、次を生まない破れかぶれの数合わせすら遣らねばならない所まで来てしまった。

 では「彼ら」は一体どんな目的で今さら地方創生、地方創生と言ってるのだろうか? 郷土愛に基づく危機感に突き動かされてのことだろう か? それとも 生かさず殺さず搾っていたハズの“奴隷”が子供を産まなくなったので、今度は自分たちの子や孫が奴隷の側に転落するのを恐れての ことだろうか? もし前者なら、まぁカネを生んだり子を生むだけが社会貢献ではないのだし、残りの人生ムリなく協力しないこともない。が! もし後者が本音なら、積極的な邪魔こそしないが協力もしない人が増えるから、どうやったって上手く行かないだろう。私としても「今の地方疲弊も少子高齢化も 貪欲な者達の身から出たサビ、かつて私ら氷河期世代を散々罵倒するにも使った あなた方の大好きな“自己責任”とやらでナントカ乗り切って下さいな」としか言いようがないのだ。だいたいですね、役所が私に “地方創生のために少子化対策の取り組み始めました”の冊子を配るのはいいとして、では私にどうしろと? まさかこの歳で「地方創生のためにクルマ買え、家を買え、ケッコンして生めよ増やせよ」とか本気で思ってるワケじゃないよね? (あんなのは20年間何の実績も出せなかった役所のポージングでしかない)。 今まで額に汗した分の報いに応じた お鉢が回ってくるならまだしも 上記のひとつもイイ目を見られないまま他人の養分にされるのは まっぴらゴメンである。

 ・・・いや待てよ、今、次から次へと噴出している諸問題ってーのは ひょっとして、私の親か、それよりもっと上の世代で やはり全てを取り上げられ、イイ目を見られなかった側の 恨みつらみが引き起こしているのでは ないだろうな?

2015/7/5

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