こんな「失業無き労働移動」には応じられない

 

 

 本稿の主旨:リストラに際しては、誰が残り、誰が斬られるかの納得いく根拠ナシでは、いくら政府が主導したって斬られる側は納得せんよ、どうするの? という話です。戻る

 


 

岐阜のメッキ工場に出向していた時のこと。航空機を担当していた正社員が ある日「自動車業界へ転職したい」と言いだした。工場長や上長は、「あそこは○ヨタ系列の下請けといっても、造っているのはレク○スでもセンチュ○ーでもなく、トヨエー○や○イエースのような商用車だゾ。それでもいいのか?」と慰留した。だが彼は「それでも私は年齢で転職できなくなる前に、やはり子供の頃からの夢だったクルマ造りに従事したいのです」と、勤め先を去ったのである。それから9年の歳月が経ち、かつては“誘拐グルマ”と負のイメージだったハ○エースは今や、あのラ○ドクルーザーを抜き『去年 最も盗難に遭った商用車』として名をハセるに至った。『好きこそモノの上手なれ』、彼は自分の夢を叶えたのだろうか?

 

一方 私は当初明確に遣りたいことがあって入社したにも関わらず、その仕事は今や皆シナへ行ってしまい、私は自分の遣りたいことが分からなくなってしまった。

 

 

おりしも米国のトランプは、グローバリゼーションの行き過ぎで失われた国内雇用を戻すため、自動車メーカーのフォードに「メキシコ進出を止めよ」と言っている。英国のEU離脱や、フランスの移民に否定的な弱小政党が決選投票まで進んだのも、そこに住まう人々が「労働力のダンピング」に苦しんできた怒りを反映している。一方、日本の安倍はというと「もはや国境や国籍に こだわる時代は過ぎ去りました」などと農民票を騙してまで奪取した政権で周回遅れの新自由主義を引き続き推し進めようとしている。

 

リーダーが こんな状況で、かつ「肉屋を熱烈支持するブタ」が有権者の圧倒多数である限り、今後も日本のモノ造りはますます産業空洞化が進み、海の向こうの外国人が日本企業で雇用され、国内では ますます仕事が無くなって、そのうち日本の若者が今度は海外へ出稼ぎに行かねばならなくなる時代が到来するのだろうか?

 

 「必要とされる所へ行く」「仕事のある所へ移動する」。これが政府や財界の理想なのは解っている。用がある時だけ人を集め、プロジェクト終了したらサヨウナラ。果実を手にするのは資本家とキーマン。それ以外は流動化さすことで“固定費”を削減、利益を最大化する算段だ。

 

だがその理想が成り立つのは、まず万民に雨風しのげる屋根と、自分で耕す田畑が あてがわれているのが前提だ。つまりそれは、あくまで農閑期の余力の話である。ところが、その本来余力の部分の話が どういうわけか、生きるか死ぬかの話にまでなってしまっている。

 

私みたく、稼げていたのに震災のドサクサにリストラされ、強引な“労働移動”を強行された身としては、リストラした側とされた側との公平・不公平の問題が解決されていない。もし誰が見ても納得のいく理由と評価基準で「残る側」と「斬られる側」に分けられたのなら仕方ない。反面 震災が起きた時、生活水準維持のため、自分たちだけ助かろうと足を突っかけ転ばして、あるいは「魚の居ない釣り堀」に連れてって「ハイ一件も成約できませんでしたね」と降格させて追い出されたと感じれば、誰だって怒るのである。

 

個人の力だけではどうにもならない運・不運に見舞われた時、それをカバーするのは本来、順境な時も、そうでない時も一円たがわず税金を徴収してきた行政の出番である。だがその行政は、今一体ナニを遣っているだろうか? 要塞と見まごうような庁舎を建て、豊作の時も凶作の時も、好況だろうと不況だろうと変わらぬ税率で徴収し、年齢でもう雇って貰えない人間が節約生活に入ろうとしている時に物価を上げて喜んでいる。イイクルマに乗り、イイ家を建て、勤勉手当に雨中手当、僻地手当、寒冷地手当、独身手当に持ち家手当などなど民間だったらあり得ない各種手当てと お手盛り給与体系で我田引水し、果ては退職後もイイ思いし続けようと公金を使って『天下り』『渡り』の根回しまで遣っている。

 

 

話を戻すと、リストラ時でも、労働者の活躍に応じた報酬が担保されるのなら その話(資本家に都合の良い労働者のクビ斬り)も解るが、民間企業では手柄の横取りや会社ぐるみの嫌がらせで自己都合退職に追い込む手口がまかり通っており、行政は20175月現在、監視も勧告も行政指導も大岡裁きも出来ていない。再三『骨折り損のくたびれ儲け』をしてきた人に、また「再チャレンジ!再チャレンジ!」とハッパかけたところで、一体どれだけの人が再び奮起しようって気になると思うのか。

 

今、政府のスローガンは「一億総活躍社会」なんだそうだ。ラジオのニュース解説によると、日本は今や「総力戦」で臨まねばならない状況にあるという。だが そんな弾の飛び交わない(わかりにくい)戦争状態に招き、人口ピラミッドを見れば弁解の余地もない敗戦並みの損失をこの国にもたらした元凶は誰、また何か。

 

 それは、もう高度政財成長もバブル景気も とうの昔に終わっているのに、やはり自分たちだけは引き続きイイ思いし続けようと次世代に受け渡すリソースにまで手を付け、「いや今会社こんなだから」「いや今会社こんなだから」と言いながら食い逃げしてった連中ではなかったか。『カミは細部に宿る』という。その時々を支配してた時代の空気と言い換えてもイイだろう。なにも私の勤務先だけが突出してモラル崩壊を起こしていたワケでは無く、今の日本の縮図だったのだ。その点いわゆる「団塊の世代」とその背中を見てマネしてきた世代というのは全く以て日本のガン細胞である。

 

だいたい財界の吹聴するまま全ての世代へ常時一億総活躍のフル稼働を命じたって無理だ。ヒトの知能というのは16歳頃をピークに低下し始める。体力も同じ。ためしに私が出稼ぎに出されている仕事を人事のおじいちゃん方に遣らせてみよう、老人虐待である。

 

今私の遣っている仕事は一日中歩き回り、出来た荷物を運ぶを繰り返す仕事であるが、震災のドサクサに行なわれたリストラと、その後の出稼ぎで痛めた足腰膝を庇いつつでは 同じ仕事をしている若い作業者と生産性で とても太刀打ちできない。かなり無理をすれば、健常者や若い子と張り合うことも出来なくもないが、かわりに土日はグッタリで、他のことなど何も出来なくなってしまう。つまり最近よく言われるライフ・ワーク・バランスやサステイナブルとは ほど遠い。 

 

この加齢や体力の衰えをカバーするのが「慣れ」であり、「場数」であり「経験」だ。だがそれらは前項で述べたとおり、外交敗北によって今や何の役にも立たないスキルとなってしまったうえ、将来性をまだ残す職種は皆上の人間が持って行ってしまった。であれば、従来のノウハウが役に立たない分野で若年労働者層に敵わない。

 

政界の、食うに困らぬお坊ちゃんお嬢ちゃんは、おおかた政府お抱えのコピーライターに ああいった「一億総活躍社会」のような標語を考案させているのだろう。しかし このテの「欲しがりません勝つまでは」「月月火水木金金」などは土台無理な話だ。それは食えないニンジンぶら下げられた馬車が いつまでも走り続けられっこないのと同じである。

 

---------------------------

 

 大阪や東京の人事の、道民や東北人に対する偏見は数多い。そのうちの幾つかは、「酒に強そう」「頑固そう」「我慢強そう」「郷里に実家と田畑を持ってそう」・・・etc。 全部違う。なのに いつぞやのリストラ面談の時に言われた、「アナタ田舎には帰らないんですか?(帰ってほしいなぁ・・・)」と。

 

 帰れるところがあるのなら とっくにそうしている。いや、そもそも自活の手段があったなら、私や私の妹も、田舎の不便など日常だったので、住み慣れた郷里を離れて単身首都圏に乗り込んだりする必要なんて無かった。

 

 「東北生まれでココに来られた人ならば皆郷里に屋敷と土地を持っている」などと思ったら大間違いだ。それは、大阪人が皆生まれながらにボケとツッコミを標準装備し漫才で身を立てていける、などと東北人や道民に勘違いされたら困るのと同じことである。それを「俺らに比べ過酷な気候風土育ちだから我慢強いし年齢的にも何とかなるだろう。いや、何とかしろ」とは。彼らは私を他力本願と言うけれど、私に言わせりゃ彼らの方が よっぽど他力本願である。

 

 ’13年のリストラ面談の席上で、私は人事に再就職会社との面談を勧められた。逆らってもイイことは無いので出稼ぎ先で忙しい中 有休を取って そこへ行き、身の上話をぶー垂れてきたのだが、そこのシニアスタッフのおじいちゃんが言っていた。「あなたと同じ出身の再就職を世話したことが2件ある。ただ、いずれの場合も郷里での再就職を希望していたが、やっぱり現地に仕事が無いので結局また首都圏に戻ってきてしまった」と。

 

前述のとおり*、生まれの地でありながら、既得権者の もっと儲けよう、もっとカネを得ようとする思惑の煽りを受けて締め出された側の人間は、食っていくため“自発的に”でも よそへ移動せざるを得ない。さもなくば甚だ不本意であるが、こんなことまで言われてしまうからだ。

 

「シカゴで解雇の憂き目に遭い失業中の元溶接工は,もとの溶接職場で働きたいのに働けない非自発的失業者なのだろうか? それともカリフォルニアのぶどう農園に行けば摘み取り仕事があることを知りながら,シカゴにとどまることを選んだ自発的失業者なのだろうか?」−『失業問題と雇用創出』−玄田有史」

 

* 原文では、「父方の先祖が、最新鋭の漁具を手に入れた“シャモ”に住み慣れた地を追われて本州に渡ってきた」という話を指す。本稿では割愛する。

 

東日本大震災からちょうど何年か経った頃、被災地の現状を伝えるラジオ特番で ちょうど私と同い年の漁師が涙ながらに訴えた「もう私には漁業しか無いんです(今さらこの歳で転職はしたくない)」と。

 

しかし その漁業者は、ラジオで訴える機会を与えられただけまだマシだ。なぜなら、番組の視聴者からは多くの同情と励ましの温かいメッセージ、さらには「国はこういう人たちを何とかしろ」、と行政に発破をかける意見が相次いだうえに「食べて応援します」などと、暫定基準でなければ依然放射能汚染されている(または嫌疑のある)魚を引き続き市場に供給することまで赦されている。

 

反面、私みたく 死者の あまり出なかった局所災害の間接被害者や、私と同じ立場の人間には、前述の漁師みたく訴える場が無い。社内他部署からは「自己責任!自己責任!」と罵られ、労組には この出稼ぎという異常事態が労使協定を踏み越えて続いている現状を訴えても、新しい親会社の労組へ華麗に平行移動した労働貴族は「(だったら)ご自身で起業すべきです。誰も命令しませんし自由にできます(原文ママ)」などと 決して安くないみかじめ料を徴収しているその割に、はたして会社と社員、一体どっちの代弁者なのやらサッパリ判らぬモノ言いだ。実に面白い人たちだ。

 

ならば これから本社の人事の方々に、出稼ぎ組の仕事の多くは、私を追い出した元の職場(本社は“東京”製作所と呼んでいるので以下「東製」とする)に比べ、どれだけの落差があるのか ご一考いただきたい。戻る

 

---------------------------

 

人には みな得手・不得手がある。たとえば運送業。流通は国家の いわば血流であり、大事な仕事であるにもかかわらず激務の上に薄給だ。バブルの頃ならキツい代わりに 短期間で稼げたそうだが「貧すれば鈍する」、今の「キツい上に薄給」なのでは ちょっと割に合わない。おまけにネット通販の台頭で、非効率かつ過剰包装な仕事が山のように増え、「何時までに注文いただければ翌日配送」をウリにしているシワ寄せは末端へ行く。慌てて輸送事故でも起こそうものなら弁償だ。絶対に遣りたくない。しかし そんな従業員の中にも「荷物を運ぶだけでお客様に感謝される。天職だ」とまで言う人が居る。そして そういう殊勝な人たちによって日本の流通は支えられている。

 

たとえば金融業。カネも国家の いわば血流であり、大事な仕事であるにもかかわず、今となっては借金せねば旬を逃してしまう社会システムに組み込まれた人々を食い物にし、実際には有りもしないオンライン上の数字を“貸した”ことにしても利子が取れるアコギな虚業扱いだ。借りた側も、利子分を期限内に 必ずどっかからもぎ取ってこなければならず、ローン返済のためには肩を並べて働いていた仲間に足を突っかけて転ばすことさえ厭わない、そんな不幸すらバラまく。それでいて一円でも帳簿が合わねば残業だ。私だったら自分の財布から一円出して定時で帰れば ええやんかとも思うが大事は小事、それは出来ないそうだ。絶対に遣りたくない。しかしそんな従事者の中にも「右のカネを左に移すだけでお客様に感謝される。天職だ」と言う人が居る。そして そういう 殊勝な人たちによって日本の銀行は存在している。

 

『知らぬが仏』というけれど、そういう誰かの苦手な仕事を「天職だ」と引き受ける人たちが、もし本気でそう感じているのなら、それは幸せなことだろう。そのままそっとしておくのが お互いハッピーというモノだ。ただこの手法、簡単に左右の賃金水準を見比べることのできるようになったインターネット時代を迎え、いよいよ ごまかし切れなくなっている。おりしも上記の某大手流通業は、さきごろ(7:57 2017/04/14)宅配便を値上げすると発表した。

 

そして個々の得手不得手のレンジは、単に適性・能力だけでなく、各分野への興味の有無でも変わる。東製の採用面接で「私は最強のエアコンを造りたくてココに来ました」という人にショーケースへの辞令を出して腐らせたのはお互い不幸だったし、「私は最強の洗濯機を造りたくてココに来ました」、という人に携帯電話の辞令を、自販機を造りに来た人に半導体の辞令を出したのも畑違いだった。また「私は貴社でオーディオを遣りたい」という人に、「あ、その仕事、儲けが出た途端本社に取られちゃいまして」と、就職面接官が言わねばならなかった時の互いの無念も如何ばかりだったろう。OBの中には、富士在住の神氏のように「優良企業だったのに本社が倒れかかってきて、すっかり食いつぶされてしまった」と、今なお怒ってる人もいる。

 

『好きこそものの上手なれ』。なのに就きたい仕事でない仕事へと「羊頭狗肉」で誘い出し、誰も遣りたがらない業務に従事させ、儲けが出るようになったら本社が事業ごと横取りするってーのは どうなのか。

 

---------------------------

 

出稼ぎ先の社長が先ごろ「日本の労働生産性は主要七カ国中、意外なことに最下位」という話をされていた。

 

私も震災をきっかけに、あちこちの中小企業へ出稼ぎを繰り返してきたが、社長の仰るとおり、どこへ行っても中小企業は大企業に比べ、同じ労力を消費した時の効率が違いすぎる。例えば、今の私の出稼ぎはリサイクル粉砕だが、東製では同じような粉砕の仕事場が、ICデザインセンターと半導体本部との道中に一箇所あった。金属とプラスチックの違いこそあれ、当時の騒音から察するに、東製のリサイクル施設の稼働時間は長くても一日二時間程度。粉砕設備の規模も、出稼ぎ先と違って無理のないレイアウト。作業者が、本業の片手間に(?) より短いルートで楽に廃棄処理と回収ができる工夫がされていた。一方中小企業のリサイクルシステムは総じて資本的に一括購入は難しく、どうしても後付けの非効率なレイアウトにならざるを得ない。つまり大企業なら資本力にモノを言わせて短時間にラクして片付けられる作業であっても、中小企業では同じようなことを、専門の作業者が常駐し、8時間フルタイムで働いても かないっこない作業効率である。

 

それはちょうど、一般家庭向けの郵便物を裁断する手回し式のシュレッダーごときでは、日々東製から出てくる大量の機密保持書類や図面の破棄が、一日二時間では絶対終わりっこ無いのと同じである(東製のCADルームには、強力なモーターを仕込んだシュレッダーのオバケが置いてあり、仕事の片手間に一日数十秒で処理できていた)。

 

 

 

 

東製なら一日二時間もかからない量の仕事を 中小企業で一日かけて遣れと言われたらどうだろう? 私は生活基盤が地元に無いことの足下を見られているだけで、本音は馬鹿馬鹿しくて遣ってらんないというのが正直なところだ。なぜなら東製でなら省力でラクに終わる同じ(ような)仕事が、行った先の資本力の違いで いとも簡単に3K労働と化してしまうからである。

 

 まずもって、東製と出稼ぎ先とでは待遇・処遇に雲泥の差がある。現出稼ぎ先は、リサイクル粉砕した塑料を入れる袋は、同じ種類の袋をゴミ捨て場から拾ってきてくださいということになっているが、もし これ東製の誇り高き社員だったら「失礼しちゃう!」と憤慨して即日トンボ返りだろう。粉砕作業者の使う25s入る袋は、一般的な男性が無理なく運べるという20sに減免されているが、それでも同僚のM田氏は積んでいる最中ギックリ腰になった。私は毎日粉砕機の騒音でラジオ音量を-30デシベルまで上げないとよく聴こえなくなったし(やんわりと音量注意の回覧がまわってくるほど)、粉塵はどう振り払っても住居に侵入し、私が上京する時に親が心づくしで買ってくれた羊毛布団もザリザリになってしまって捨てねばならないほど不快な状態だし、現場のフィリピン人は金型に腕を挟み手を切断しなければならなかった。東製から、そんなところに擦り付けようとされたら私としては怒るのである。

 

---------------------------

 

「長生きの三要素」というのがある。ひとつは食糧事情の改善、二つ目は医療の進歩。そしてもう一つは、従来の肉体労働を 化石燃料に肩代わりさせることによる身体負荷の低減である。

 

    



 

 

日本も「失われた20年」に突入する前なら、もしくは「40年に及んだ戦後復興需要ドーピング」が切れるまでは、それが出来ていた。しかし日本の没落(または実力)が明らかになり、もはや万民に従来の水準を維持できるリソースなど既に無いことが知れるや、自分たちだけ助かろうと自己責任論を喧伝することで自罰型の人を洗脳し、3K仕事はゴメンとばかりに同じ人間を盾にしてまで この長生きの三要素を死守しようとするヤカラまで現れる始末だ。誰しも健康で長生きしたいと願うもの。だが、それらを支えるリソースが減ってしまった時は、他人から奪ってまで健康であれと、人を騙して弾よけにしてまで長生きせよと、いわゆる団塊の世代は習ったのだろうか?

 

出稼ぎ先の品質保証担当の吉田氏によると、同じプラスチック成形の業者でも、大規模な会社になると、私の前工程である原料袋を担ぐ仕事は もそも存在しないという(工場建屋外にある大きなタンクに塑料を入れ、吸引パイプで直接成型機に供給しているため)。さらに私のメイン仕事のリサイクル粉砕さえ、大手では存在しないという。というのも、製造工程で生じた産廃(スプールランナー)は、全ての成型機の横に備え付けられたロボットアームによって直接粉砕機に放り込まれるからだ。この合理化の部分だけで既に中小企業は資本力の差で大企業に負けている。「だから、そういう大手の遣らないスキマ産業で我々はメシを食ってます(同氏)」と。

 

デスクワークも大企業と中小企業とでは雲泥の差がある。たとえばパーソナルスペース。東製ではCADと机それぞれに個々の作業領域が割り振られており、CAD作業の途中でも17時になれば、もしくはハンダ付けの最中に定時が来れば、みな図面をそのままで、あるいはハンダごての電源を切っただけで そのままにして帰り、翌日昨日の続きからスグ作業を再開できた(PCで言うところの“リジューム”機能)。それが中小企業だと、仕事の切り替えの度、いちいち撤収と準備を繰り返さねばならない。このタイムロスが、切り替え回数の多い日はことに非効率であった。

 

昔のクイズ番組で、陸上競技の100メートルトラック スタート地点にポールを三つ立て、クルクルクル、と三回まわって残りを走るか、それともポールをトラック上のスタート地点と真ん中、ゴール手前の三カ所に一つずつ設置し、よーいドンでどっちが速く走れるかという問題があった。製造現場で働く人なら経験上どっちが有利かスグ判るはずだ。実際、まず先にまとめてポールを回るに専念してから残りを全力疾走した方が、出だしと途中と終盤に、走るのをいちいち中断してポールを回りつつ走るより ずっと速かった。

 

これをさらに進め、ポール回るなら回るだけの人、走るなら走るだけの人とに分業・専門特化さすことでより早く、より生産性を上げる方向に進んだのが大企業である。

 

対して中小企業の多くは、最小限の人数で仕事を回しているため、前述のトラックとポールとを行き来する前提で仕事が組まれており、非効率なのは当たり前である。

 

ついでに言うと中小企業は総じて置き場が無い。一時保管の場所すら無いので せっかく電気代と人件費を投入し加工したリサイクル材も、もう少し待てば確実に使ってもらえると判ってるモノまで泣く泣く業者に引き渡している。東製では置き場なんていくらでもあり、そんな勿体ないことは絶対起こらなかった。つくづくスペースというのは財産だ。

 

だったら その、結局捨てられるムダな作業をしていた時間は毎年20日以上消化できずに捨てられている有給休暇に宛てたいのだが、東製みたく「女性の働きやすい職場を目指して」誰かが臨時に抜けても回せる前提でメンバーを揃えていた事業所とは異なり、中小企業は最小の人数で回しているため有休なんて滅多に取れない(もしくは仕事が生き甲斐の仕事人間が職に就いている)。

 

脱線ついでに大企業と中小企業の健康管理面ではどうか。

 

メッキ工場へ出稼ぎに出されていた時は、前処理槽に過酸化水素や塩酸、濃硫酸、剥離槽に硝酸などをドボドボ投入するフローがあった。これが東製なら、たとえばウェハ洗浄装置に入れる過酸化水素や塩酸、濃硫酸を扱う際には、万が一のためにとゴム前掛けに耐薬品手袋、顔にはアクリル製防護マスクの完全武装でなければ作業させてもらえなかった。しかし出稼ぎ先には そんな気の利いた防具などは無い。ゲホゲホむせながら投入せねばならなかった。「○○さん(私のこと)、それだと撥ねるから注ぎ口をこう、上にするとイイですよ」と言いながら正社員達もやはりゲホゲホむせつつ遣っている。「正社員も同じなら仕方ないか・・・」と、一緒にむせつつ働いたが、今調べると あのような塩酸や濃硫酸の湯気を、防具無しで吸い込みながら作業をしていると、肺水腫になってしまう畏れが あるそうだ。

 

序章*で触れたIC解析の樹脂開封作業では、発癌性だったり人体に有害と書かれている多くの薬品を使わねばならなかったが、東製では薬品に素手で触れたり吸い込んだりすることの無いよう、細菌隔離なみの厳重な設備と装置の元で作業させてもらえた。しかし出稼ぎ先ではどこに行っても、東製ほど防護にはコストを掛けられず、しばしば発癌性やアレルギー、放射性物質をも含む薬剤を吸い込む環境下で作業せねばならない。

 

*別項「日の丸半導体壊滅の経緯」

 

 

 

 

 

 東製では、ICの大敵である静電気除去のため、社服には帯電防止繊維が織り込まれていた。対して中小企業では そんな気の利いた装備など無い。普段扱う原料も粉砕の摩擦で非常に帯電しやすく、23分に一度は「バチッ」と火花が飛ぶほどのスパークが来る。塑料切り替え掃除の際は集塵機使用時に5秒に一回は感電する。この静電気、普通の人なら空気の乾燥する時期セーターの脱ぎ着やクルマの乗り降り、雷くらいしか接点は無いだろうが、こちらは仕事柄しょっちゅうである。アースバンドを付けようにも常に歩き回る仕事、接地できずに静電気のショックから逃げられない。「たかが静電気」と侮るなかれ、静電気に毎日毎時さらされていると、不快やイライラだけでなく、カルシウムやビタミンの喪失や免疫力の低下、疲労蓄積、ストレス増加、また ヒトの神経伝達も電気信号なので、自律神経系の攪乱などで長期的に精神面での健康まで損なう畏れがあるという。

 

また東製は、誰かが うっかりマニピュレータの針を指に刺しただけでも「労災」だった。上長は安全管理で再発防止の対策を提出するほど安全に気を遣っていた。対して中小企業では、塩酸・硝酸・濃硫酸・オキシドールが顔に飛んだり目に入ったくらいでは、破砕中のプラスチック片による切り傷 刺し傷程度では、安全靴を貫通して足裏にスプールランナーが刺さったりする程度では、東製みたく いちいち作業を中断していたら仕事にならない。

 

なのでワンセット千円以上する頑丈な革手袋が産廃作業者には月初めに支給される。しかし普通に使っていると最初の三日目には穴が空き、それ以降は私の指に穴が空く。

 

 

---------------------------

 

生き物を「飼い殺し」にしないよう気をつけねばならない注意点は、一に天敵、二に畜舎内の急激な寒暖差にある。この注意を怠ると、家畜を弱らすだけでなく、“出荷先”から思わぬクレームがやってくる。

 

東製では、フロアに何百台と稼働するサーバーやミニコンの熱暴走を防ぐため、強力な空調で夏でも凍える涼しさだった。特に冷えに弱い女性陣は、膝かけやブランケットが必須アイテムだった。しかし近年冬場のヒートショックなる言葉がクローズアップされている。それによれば、本当に怖いのは暑さ寒さというよりも、急激な寒暖差にある。現出稼ぎ先は、熱帯育ちの人々が、日本の冬場で体調を崩さぬよう、真冬でも工場の気温は南国テイストである。しかし工場外に設置された私の作業場と、その工場とを頻繁に行き来する今の私の仕事は、ヒートショックの危険度でいうと寒いなら寒いままの方がまだマシだが必ず何度かは前述の温かいところへ行くため、この気温差は本当に身に こたえる。さらに夏場は関東でも有名な気温の高い地域に隣接しているうえ、四方をアスファルトやコンクリートに囲まれた放射熱で、テント内の扇風機もエアコンもあまり役に立たない。立っているだけで、どんどん体力が消耗していく。東製や本社にお勤めの方々は、オフィスで このような温度に見舞われたことが ただの一度でも あったろうか?

 

 

冒頭のメッキ工場での出稼ぎでは、有機溶剤を扱う作業時に、有害物質を作業者が吸わぬよう、吸気・排出するスクラバー席が足りなかった。私と同じ作業室で同じマスキング作業をしていたT川氏(原文では実名)が、有機溶剤による労災に認定されるほど職場環境は悪かった。(厚生労働省のWebサイト、2007年の事故事例参照)。

 

 

http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei10/09.html

 

これは、製造業への派遣解禁により、狭い作業場で増えた社員分のレイアウトを試行錯誤する中で起きてしまった不幸な労災だったが、私はそのT川氏よりも長期間、しかもスクラバーなど全く無い場所で、有機溶剤を扱うマスキング作業をせねばならなかった。私も そこの正社員から話に聞いていた有機溶剤の人体への悪影響(頭痛や嘔吐、物忘れが激しくなった)が深刻なレベルに達してから、その職場で使えない状態で置いてあった防毒マスクを再生したので労災認定されるほどのダメージは被らなかっただけで、T川氏ほどではないにせよ、やはり普段の意識の明瞭さなど 出稼ぎ前のコンディションを今日に至るまで取り戻せていない。

 

東製では、構内に有害物質で汚染されている所が無いかを定期的にボーリング調査していたが、現出稼ぎ先では構内ハズレのゴミ捨て場を休憩所にしていたところ、目の前の湿地に入ったコオロギが30秒経たず虫の息になって動かなくなったのに恐怖して以来、私は そこを昼休みの休憩所にはしていない。

 

 

まだある。東製では、製品歩留りが規定値を下回ると ただちに工程異常連絡票(通称赤紙)が発行され、掛け算の恐ろしさを知ってる部署が大騒ぎしたが、中小企業は原因の究明能力(マンパワー)、よしんば原因を突き止められても予算の都合が大企業よりはるかに厳しく抜本対策も難しい。そのため金型由来の欠陥であるとは判っていても、減価償却もしくは金型の寿命が来るまではゴリ押しで乗り切らざるを得ない。よって しばしば大量の不良品が出るのを承知で生産能力を上げ対応する事になる。たとえば今私が忙しい主たる要因な重要保安部品の歩留りは、去年末の時点でワンショット12個成型されるうちの4つしか良品が取れなかった(歩留り33%以下)。さらにそこから目視による選別や、それでも必要数が確保できなければ人力に頼ったバリ取りといった二次加工まである。これでは とてもカネの力にモノを言わせてスピーディに抜本対策を取れる大企業には太刀打ちできない。

 

 

このように、中小企業の職場環境というのは どこも東製とは比べるべくも無い。

 

もとより 殆どの出稼ぎ先の仕事内容は、おそらく東製の誰も遣りたがらない。私の仕事も東製の現社員は1000%遣りたがらないだろう。ただ資源の無い国・日本の国益とは、輸出して外貨を稼いでナンボ。「安さ」がすべてにおいて優先されるようなセグメントでは、リサイクル材でコストダウンすることが、より他国の客に買ってもらえる重要なファクターである。よってこの国が、エネルギー大国と同じ生活維持したければ、「外貨を稼ぐ」というのは誰かが遣らねばならない。

 

なのにゲタ履かせてもらわねば薄給。そんな所に労働移動せよと仰る。

 

おりしも今年1月、妹に賃貸の保証人を頼まれた。私は自分の給与額に やましいとこなど一切無いので源泉徴収票をスキャンし不動産会社に送付した。すると管理会社からは「年収に問題アリ」との理由で保証人になるのを断られた。本社から下駄を履かせて貰っているにも関わらずである。理由は自分たちだけ助かろうとワザと私のスキルの活かせないところへ配置転換したことに起因する度重なる降格と、これ以上降格させられなくなっての低評価である。このように、東製や大阪でスライド移動した人に比べ、納得いかないリストラ“研修”に送り込まれたり、スキルを全く活かせない出稼ぎ先で降格・低評価を喰らった側は、このように延々ババを引かされ続けている。しかも「出向は長くても3年まで」という労使協定違反である。そしてこういう状況に陥れた連中はというと、人が仕事をしてるのに今頃(12:43 2017/04/29)一足先に9連休としゃれ込んでいる。

 

---------------------------

 

 以上 大企業と中小企業の違いを列挙すると まだまだ出てくるが、書き連ねていたら次章へ進めなくなってしまうのでこの辺にしておく。もし これを読んでいる東製の社員であれば、きっと自分や自分たちの子たちは決して中小企業には行かすまいと思われたのではないだろうか?「同じような仕事であっても資本力の違いでここまで所要時間や消費カロリー、健康、心労面で差が付いてしまうのでは割に合わない」と。 さらには、一刻も早く、咎無く出稼ぎに出され日々消耗してく仲間を放っておくことなど出来ないとも思われたのではないだろうか? それとも また震災の時みたく、カメのようにクビすっこめて、スケープゴートが灰になるまで「知らんぷり」だろうか?

 

 オマケに今、出稼ぎ先で私の遣っている仕事は、元々正社員の仕事だった(つまり、この仕事が無くなる時は会社も無くなる時であり、本来派遣のような一時雇用者の仕事ではない)。それが正社員の交通事故をきっかけに、それまで正社員を雇っていた常設の業務までが、M田氏や私、コンティス氏のような派遣社員に置き換えられた。

 

 その理由はこうだ。私は自動車業界の、部外者だから ぶっちゃけるが、出稼ぎ先の取引先でもある大手自動車メーカーの多くは、昨年・一昨年、さらにその前年と史上最高利益を叩きだしておきながら、出稼ぎ先の下請け孫請けには さらなる値下げを要求してきた(当時の経団連会長奥田や小泉竹中構造改革の「痛みを伴う改革」を受け入れろという論拠になっていたハズのトリクルダウン理論とは一体何だったのか?)。

 

 この辺一帯は なぜかプラスチック成形の会社が多い。なので よほどのオンリーワン企業でも無い限り、納入先に「お腹を空かせている同業者さんは他に幾らでも居ますよ〜」と牽制されれば値下げを飲むしかない。しかし そのシワ寄せは、とうとう正社員を派遣や外国人実習生に置き換え、年二回だった棚オロシ(資産把握)を年四回しかも本来土曜休みなのに出社して厳密な精査をせねばならない所まで来てしまった。

 

 

 出稼ぎ先の社内でも利益の分配に不満がある。ただ、一見贅沢とみえる買い物も、供給先に品質面でイエローカード(続くと新規受注を打ち切られてしまう)を何枚も出されているのを宥めるための必要経費の側面がある。だから、昔は普通に走っていたのに今では車格が上がり過ぎ誰も買わなくなった○ジェンドやア○ードが間近で見られるのはウチの出稼ぎ先くらいのモノだし、 なかなか止まってくれない自動停止システム搭載と当時判っていてもオデッ○イの最上級グレードがフル装備で納入されたりしているし、もしくはモデルチェンジしなかった方が売れ続けたであろう○産最上級車○ーガ(当時)などなど納入先系列のクルマが出稼ぎ先の駐車場では一堂に会している。ミ○ミ殿からの自動車購入紹介報奨金制度で出稼ぎ先は去年確か42か43台、今年は26台紹介するという快挙(?)も成し遂げたが、その中には重役車同様まだまだ乗れるクルマを買い替える自爆営業も含まれている。

 

 しかし私は部外者なうえ、好きで自動車産業の末席に名を連ねているわけでもなく、そんな業界になすり付けられるように身を置けとの無言の圧力に従うのは まっぴらゴメンである。ここで働くのはあくまで経営難による出稼ぎ、カネのために一時的に遣っているという割り切りだけだ。ゆえに この状態で3年がたち、4年がたち、5年がたち、6年が経てば当然ながら「人事は何やっとんねん」ということになる。

 

 我々は「知る権利」という言葉をしばしば目にするが、同時に「知る」ということには責任が伴う。たとえば『アフリカで今飢餓が深刻に』と日本で大々的に報道され、体育館でパネル展示が行なわれたのは私が小三か四年の頃だったが、アフリカが飢餓に陥ったのは日本のせいじゃない。原因は、アフリカ大陸に てめえらの都合で そこに住まう人々の暮らし そっちのけで真っ直ぐな国境を引き、本来アフリカの人々が活用するはずだった資源や労働力を収奪してきた白人の側にある。しかし彼ら白人は、状況が変化しても自分たちは引き続きイイ思いし続けようと元宗主国の権限を笠に、現地人の居住権や幸福追求権まで差し出させ、ライフデザインも描けないナショナルミニマムまで台無しにしておきながら いつまでも反省の色が無く、内部批判にもポージングだけで実質は何もせず、あげくの果てには「アフリカの方に問題がある」などと開き直り、事態は一向に進展・改善しないので、代わりに無関係な日本がアフリカの窮状を知った時、道義的責任が発生した。

 

 ならば私も今訴える。クルマ業界が、日本人をリストラし、CEOが年間8億円とも10億円とも言われる役員報酬を手にしておきながら、その業界の子会社孫会社で働く人々には恩恵が回ってこない状況を、私は あなた方(人事ならびに二重出向を取り持つ派遣会社と)に確かにお伝えした。

 

 冒頭の、出稼ぎ先の同僚は、クルマ好きが高じて航空宇宙産業からクルマ業界へ転職した。対する私はクルマが好きというわけではない。否、正確には、幼稚園児の頃はミニカーを何十台かは収集し、小学時代は級友と遠くから走ってくるクルマの車種の当てっこをし、中学時代は道行く乗用車の車名なら ほぼ全て把握でき、高校時代は故大徳寺氏のクルマ批評に全部目を通す程度にはクルマ好きであった。だが、震災によるリストラで、欲しかったクルマを手に入れる夢が破れてからは、クルマへの興味など すっかり薄れてしまっている。それで世間様に「現代人のクルマ離れ」などと まるでこっちが悪いかのように言われたって困る。

 

 まして自分たちだけチェンジングコスト払うまいと、他業界に放置して クルマ業界へ誘導する遣り方は、本当に雇用維持と言えるのか。私は到底納得していない。そしてその反発心から、クルマ業界に労働移動するのは人事の思う壺という感じがするので 繰り返すが まっぴらゴメンである。パージしたい側と、何だそれはと反発する側、どちらも不幸である。もっとも、3K職場に配属されて不公平と怒っている側に比べれば、彼らの不幸などモノの数ではない。

 

 したがって、この状態を続ければ解決するなどと思わない方がいい。私は押し付けられた自動車業界に行くことは絶対に無い。なぜ? それは一言で言うと「不公平」であることに尽きる。どう不公平なのか。

 

 太平洋戦争終結時、戦争に行った先々の国で敗残兵となった日本人がいた。彼らの中には現地妻をめとり、ベトナムやインドネシアをフランスやオランダの植民地状態から解放するための独立戦争に身を投じた者もいた。歴史にもしもは無いけれど、もし敗残兵の全員が現地で引き続き白人と戦う選択をしていたら、日本政府は実に手間無しの「楽ちん、楽ちん」だったに違いない。

 

 だが政府は実際には、復員船を出して敗残兵を帰国させた。なぜなら敗残兵の多くは、現地に遺棄されることを望まなかったからだ。それは当然の義務であった。燃料が勿体ないからとか、こいつはまだ使える/使えない、とか、資格を取ってる/取ってないの違いで救ったり置いてけぼりにするということもなかった。

 

 先の大戦で引き裂かれた東西ドイツも、統合に際して「お前らの中の、本当に優秀なヤツだけ来い。あとは要らん」とは言わなかった。もしそんなことをしていたらドイツはもう一度内戦である。それが同じ組織に属する者の対応ではないか。 それを日本の外務省のソ連担当は「楽ちん、楽ちん」と怠けていた。シベリア抑留者が、色々あって取り残され、自力でどうにも出来ない状況に苦しんでいた まさにその時、自国民の一日でも早い帰国に最善を尽くさなかったばかりか「(シベリア鉄道敷設などの強制労働に)便利に使っていただければ」などとソ連に通達さえしていた。それは御身の保身のため、同じ人間をタテにして、なすべき務めを果たさず逃げ切ろうとした全くの背任行為であったので、後に それを知った元抑留者も、その遺族も、今なおカンカンに怒っている。

 

 もちろん企業は利潤追求集団であって慈善事業団ではない。だが同じ組織に属していながら、「いや今会社こんなだから」「いや会社今こんなだから」と一部の社員に ナショナルミニマムさえもままならいほどのババを押し付け、営業“研修”やキャリアディベロプメント研修を丁度タイミング的に免除され、今の東製にスライド異動した人に比べ、出稼ぎ組はあまりに不公平な状況に置かれている。労組も労組で この広がる格差への陳情を延々握りつぶしてきた上に、前述のとおり ふた言目には「イヤならお辞めになれば?」 では こちらとしては当然ながら怒るのである。

 

 さて、こんなことを書くと、人事の中には「こいつは何と恩知らずなのか。出稼ぎ者平均で給料の8割も負担しているのに」と、思う方もおられよう。だが人に歴史あり、「そちらから見た歴史」と「こちらから見た歴史」とが正反対の記述になるのは珍しいことではない。敗戦を機に日本の宗主国となった米国からは、自分たちの歴史は輝かしい200年という事になっているが、先住者にとっては迷惑きわまりない入植の歴史だった。また日本から見れば、長らくシナに対し頭の上がらなかった朝鮮半島の土着民に文明を与えた日韓併合も、朝鮮人から見ると「民族の誇りを傷つけられた」と正反対になっているのと同じである。したがって、そのジャッジメントは、当事者同士ではなく第三者に委ねる必要がある。

(2017/5/8)

戻る