スラスラ書けてるわけではない。デザインセンスも知れている。
しかし承知の上で今言うべきことを今言う。

大変、敵が本能寺に。


 この国が、内部から攻撃を受けていると感じたことはないだろうか。
「汲々とするあまり、ついに被害妄想にも陥ったか?」という方は、呑気なものだ。
泥棒は、自らの目的や手口を巧妙にカモフラージュする。

 こんな本を読んだ。

  同 じアングロサクソンを先祖に持ち、生い立ちも似た三つの国がある(カナダ、アメリカ合衆国、オーストラリア)。この三国を比較し、「国の元気度(の ようなもの)」を測ったところ、とりわけ地の利に恵まれているはずのオーストラリアの元気がない。つまり規模に見合った存在感でないという。言われてみればその通りだ。なぜか。

 それがどうやら、オーストラリアが元々囚人の流刑地であったことと関係があるらしい。

 オーストラリア人は、講演や演説で人の前に立つ時、わざ わざ「私は建国以降の移民の子です」と、遠回しに自分が囚人の子孫ではないのだと断ったりする。つまりオーストラリアは、イギリス本土に置いてももらえな かった重罪人の末裔であることを恥じており、今日に至るまで そのことを気に病んでいるというのだ。なるほど、国単位でこの状態では、確かに元気なはずがない*

そのため、せめてヒフの色だけでも自慢しようと白豪政策。先 住民を虐殺しますます罪を負う。近年では、クジラの保護が罪滅ぼしのつもりらしい。それが偽善であることは言うまでもない。日本の漁師の生活をさんざん破壊しておきながら、 白人のノルウェー人がクジラを捕っても文句を言わない。

 劣等感がいかに人の理性を曇らせ、狂気や加害、自傷、気違いじみた行動に走らせるかが おわかりいただけるだろう。

  比 較対象のひとつ、アメリカは元気という。もっとも、その”元気”は、勢い余って戦争の輸出も世界一。自国に不利なら約束までをも反故にしたりと一国主 義的言動が目立ち、図に乗っていた。「そのうち痛い目見るんでないか」と誰かが言っていたところ、本当にヒコーキ爆弾をお見舞いされたりもした。

 アメリカ国民 は、自分たちが実は世界から嫌われていたことを急に知ってショックを受けたが、メンツを重んじ反省より先に手が出てしまうところは昔から変わってない。この点-日 本も特にアメリカ映画のプロパガンダで育った世代に勘違いしている人も多いが-アメリカの”元気”が、見習うべき範ではないのは明らかだ。泥 棒が、 泥棒に入られて抵抗した相手を殺戮するような国である。*
 遣っちまったことは仕方ない。しかし、それを立ち止まって考えることをせず、同じことをやっぱり繰り返す迷惑な”元気”。これがアメリカの本質である。

『どんな国でもnation state を支えるために歴史を書きます。アメリカでも事実だけ並べたらとんでもない歴史になる。
元来はヨーロッパの食いつめ者が集まった。そしてインディアンが酒に弱いのに酒が好きなことを知ってウィスキーを飲ませて騙して土地を取った。武力 で大陸を制覇して反対者を殺した。メキシコが弱いと見ればテキサスを取り、アリゾナを取り、さらに太平洋に出てきてハワイ王国を強奪し、スペインとやり あってフィリピンを取った。そして産業を支えたのは奴隷制度であったと言うことができる。しかしこれでは愛国心は育ちません。だから学校の歴史教科書には 独立宣言の理想などを書き、児童には毎日、国旗と国家への忠誠を誓わせるのです。』 -「中国を永久に黙らせる100問100答」 渡部 昇一氏 著


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以上が前フリ。本題はここから。

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 歴史教科書への内政干渉で中韓が図に乗っている。彼らの際限なき被害者意識が反映された教科書は(記憶に間違いなければ)語学のテキストで、日本の生徒たちにこんな翻訳をさせる授業を受けさすに至った。

 「世界で一番残 酷な国民はどこか」「ドイツだ。」「いや日本だ。日本は銃剣で妊婦の腹を突き刺した」・・・・。

 教師と生徒は一体どんな面持ちで授業をしたのだ ろうか。彼らはさぞかし打ちひしがれたことだろう。

  そしてこのことが、オーストラリアのように、今の日本の若者の元気を削いだ一因であるらしい。それは、自分の属する組織(それは家族かも知れない、会社かも知れない。この場合は国)が、本当に、自分の身を削るに値するのだろうか? という疑念でもある。

 若者に、こんな感情を持たせてしまうのが今の教育ならば、国は立ち行かない。アメリカのような、他国の人など省みない”元気”では世界が迷惑するが、かといって、日本のような極端もまた有害だ。それにつけ込む「やっかいな隣人」が現にいるではないか。

 そのような国相手では、日本人同士 の感覚など一切通用しない。日本みたく、真摯な謝罪に「もういいよ」「お互い様だ」とは決してならない。それどころか、引いたら最後、どこまでも踏み込んできて謝罪と賠償を要求し続ける相手に対し、日本と日本の外交官は、あまりに警戒なさ 過ぎである。しかも、それを誘発するままにしておいてどーする。

  西尾幹二氏の著書、『国を潰してなるものか』によると、日本の歴史教科書は、中韓の内政干渉のままに改変された結果、昔の人なら噴飯モノのヒドい内容に なっていると警告している。たとえば第七章、「日本の近代化とアジア」の序章はこうなっている。(以下、長いが引用する。なお画像は、誤用されないよう 、反論を向こうの言葉で書いた)。

 『写真に写っている、銃や剣をかまえた朝鮮の人々、子どもの姿も見えます。この人たちの銃口は誰に向けられているのでしょう』



『もちろん日本に向けられていると言いたいのですね。
こ れは韓国の義兵だそうで、韓国の教科書の右端に小さく出ていた絵をわざわざ日本に持ってきて、「第七章 日本の近代化とアジア」(明治維新)の章の扉に使っています。

 一体どこの国に、自分たちの輝かしい近代史の第一 ページの扉に自国民に銃口を向けている他国民の絵を持ってきて、わざわざでかでかと掲げる国があるでしょうか。この写真はよほど教科書会社が好きで、扉絵 にしたのは大阪書籍ですが、あちこちで使われています。』


『図 3(↑)は、ずいぶん話題になった絵でありまして、日本軍の残虐行為を伝える中国の壁画です。一人の中国人女性が縛られて、乳房を日本の憲兵にえぐり取られてい る。足下には赤ん坊が転がっている。こんなことが実際にあったのでしょうか。あったかどうかという前に、これはどこまでも絵であります。現在ではこの軍服 が日本兵のものでないことが証明されています。乳房を切り取るという刑罰のやり方は中国の刑罰文化の一つで、日本には例がないということも調べられており ます。左のほうに「学生」という文字が見えますので、中国のどこかの学生が頭の中で描いた、空想した絵を壁画に描いたものに違いありませんから、たぶん自 分たちの中国文化をここに描いているということにほかならないでしょう。
 日本の兵隊もずいぶんひどいことをしたと言われておりますから、これに類することがなかったかどうかはわかりません。しかしこれはどこまでも絵です。』

『こ の絵(↑)は、私どもが三年以上にわたって激しく抗議したために平成十一年四月から以後の使用の版に突如、該当教科書会社(日本分教出版)から申請があって取り 下げられ、別の写真に取り替えられるという経緯がありました。そして、この絵の教科書会社がかわりにどの絵を使ったというと、図4の絵(↓)です。』



『「日 本軍と戦うため前進する中国軍」と書いてあります。何かおかしいと思いませんか。おかしいと思うより、悲しくなりませんか。どこの国の教科書だって、「何 々軍と戦うため前進する自国軍」、こう書くのが常識というものではありませんか。これも非常識の一例です。私たちの教科書は、「木口小平は死んでも口から ラッパを放さなかった」という話をちゃんと書いています。(中略)歴史はその時代の人間の感情や価値観に立ち還って語られるべきものです。』


『 ところが今の教科書は、現実は図でお見せしているとおりでありまして、図5(↑)も日本軍人がいかに漫画的に扱われているか。これではかわいそうです。亡くなっ た英霊に対する冒涜です。旧敵国人が日本兵を愚弄するのは勝手だけれども、なぜ日本の子どもたちにこういう絵を見せなければならないか、そこが問題なのです。』

『さ らに図6も、日本が中国を威嚇しているという姿で、中国はまるでおとなしい、小さくなっている可愛らしい姿に描かれていますが、朱鎔基や江沢民の顔を思い 出すと、今ピストルを持って威嚇しているのはどっちだ、金のつつみを差し出しているのはどっちだ、話はてんで逆ではないかと思えてなりません。』

『一 口だけはっきり真実として言えることは、教科書会社は、日本人が犯罪的なことをしたいということを言うためなら何でも利用するということで、どこからか見 つけ出してきては何でも並べて利用しています。今の教科書は、繰り返し繰り返しこの手の絵が出てきて、日本人は犯罪的だということが言いたいという、ただ それだけのことなのです。』


『図9(↑)の左側の人物を知っているでしょうか。私は知りませんでした。柳寛順と書いてありますが、三・一独立運動における韓国のジャンヌ・ダルクだそうです。今の子どもはこういうことを知らないと受験に通らないのです。
三・一独立運動は教育出版の教科書で三ページ続いています。1919年に起こった朝鮮の独立運動、抗日運動のことですが、それが長々と書いてある。
 日本の歴史というのは、書くべきことがたくさんあるのです。ですから、朝鮮の話をたくさん書けば、その分だけ大事な日本のことは書けなくなってしまいます。昔は三・一独立運動を書いても注で扱った程度です。』




 『 日本はおかしな国で、自国の初代総理大臣、伊藤博文のことをきちんと書いていない教科書が今は多い。伊藤博文は、お札に書かれていた人物ですけれど、歴史 の教科書にはなかなか出てこない。どこで出てくるかというと、ハルビン駅頭で韓国人テロリストに暗殺されたというところで初めて出てくるのです。のみなら ず、その朝鮮人テロリスト安重根をわざわざ一ページ使ってたたえています。自分の国の初代総理大臣を挙げないで、その総理大臣を殺したテロリス トを一ページ、カラーグラビアで取り上げている。こんな国が一体どこにありますか。一体どこの国の教科書なのでしょうか。』




「ハルビン駅に到着した、射殺される直前の伊藤博文」(図12)、どこからこんな写真をみつけてきたのか。教科書を作っている連中は、得意になって見つけてきたんでしょう。』

西尾幹二『国を潰してなるものか』より(引用終わり)

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 これでもなお被害妄想であると、内政干渉などない、と言い張れるだろうか?

 日 本の教科書が、中韓視点で書かれるようになったのにはきっかけがある。
以前「侵略」という言葉を「進出」に置き換えたとのデマを、朝日新聞らが大々的にとりあげたこと。検 定項目に、「近隣諸国条項」という、中韓の顔色伺いが加わったこと。出版社も商売なので、中韓の検閲が見たら喜んで推奨するような内容をエスカレートさせていった。

  しかも、この干渉に大きく関与している団体のひとつが、当初は差別を無くすため結成されたはずなのに、いつの間にか「差別を声高に主張すればメシが食える ぞ」と味を占め、今ではもう ありもしない差別を未だに叫んでカネせびる連中だったりするので始末が悪い。敵は本能寺に、つまり反日の息がかかった組織が国内にいる事実。いつの世も、 カネのために身内を裏切る者はいるのだ。

  では、敵が内側に潜むこの現実が知れた今、日本に元気を取り戻すために我々はどうすればいいのか。

彼らは日本を、オージーシンドロームとも言うべき自尊心の欠乏状態に陥 らせようと躍起になっている。だが、それに乗ぜられて「私が悪うございました、ぶって、もっとぶって! ホラあんたも」と腕を捕まれたら、振り払うのが生存本能というものであろう。ただ、物理的に追い出すには血を見るほど、既に組織の中枢へ深く喰い込まれてしまっている。

 唯々諾々(いいだくだく)と向こうの要求するままカネを差し出すとキリがないのはもう述べた。いや、その前に、そもそもあなたのじいちゃんばあちゃんは本当に、彼ら(中韓)の言うとおりの悪タレだったのか。この返答次第では、自分が属する組織のために 身を削る価値があるかどうかも変わってくる。

 ちなみに中韓は「その通りですあなたのじいちゃんばあちゃんは悪タレだったのです。ホラこれがその証拠」
と、しきりにアッピールしている。

  日本は、そういう相手の真意をくみ取らねばならない。向こうがあくまで被害者になりきってタダ飯にありつこうとしているなら、こちらとしても、先の戦争は、日本が清や高麗、ハワイ、フィリピンのよう な植民地にされないための防戦であったとの解釈を持ち出さざるを得ない。歴史とは、それが同じ出来事でも、当事者によって解釈が異なるのが当然で、 それが気に入らないと文句を言っても意味がない。

公平を期すため、じいちゃんばあちゃんの擁護もいくつか載せておこう。

  『(不況打破のため)アメリカがヨーロッパ戦線に参加するためには、当時、思い切った国民世論の喚起が必要であった。ドイツと手を結んでいる日本を挑発 し、戦争に誘い込むことで、対独戦争を合理化する。それがルーズベルトのねらいだった。かなり前から言われていた大統領陰謀説にいよいよ磨きがかかってき たのだ。ハル・ノートを突きつけて、有無を言わせぬ窮地に日本を追いつめたあの最後の脅迫は、アメリカの予定の行動、してやったりの瞬間だったわけであ る。
 戦争をしかけたのはアメリカである。アメリカは罠にはめてまで日本をやっつけたかった。戦後ずーっと自分は戦争を仕掛けた罪があると思い込 んできた日本人は何という無邪気さであろう。何という素朴な愚かさであろう。どっちにしても日本に救いはない、というような認識の窮地に追い込むことがま たアメリカのこうした歴史書の書かれる動機であり(R・スティネットはアメリカが日本を戦争に追い込んだのは民主主義の正義と勝利のためだった、と豪語し ている)アメリカ人の元気と、日本人の今の国民的な気力喪失の本当の原因である。
-R・スティネットの『欺瞞の日』 書評(同著)

 また当初、怒り心頭で日本へ乗り込んだ米軍司令官は、後に次のような証言を残している。

 『日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだとういうことを理解して戴かなくてはなりません。その半分ちがくが農業人口で、後の半分が工業生産に従事していました。
潜 在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間 は怠けているよりも、生産しているときのほうがより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。
 これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千百万人の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。』

-アメリカ上院軍事外交合同委員会におけるマッカーサー証言 第五の質問と答弁 1951年5月3日
(小堀桂一郎訳)

問い:じゃぁ、一体どうなれば謝罪を要求しなくなるのか。
答え:日本が途上国並みに転落したら

これが中韓の本音である。
こうなると、日本国民としては、日中・日韓友好論など最早まともな論考の対象ではない。
政府も、こんな本音を隠した国と仲良くする必要はない(むしろ危険)。

日本のことを大嫌いといいながら、ならば放っといてくれればいいものを、どういうわけかストーカーの如く一挙一動をあげつらっては日本を貶める”このやっかいな隣人”の工作は、今でもネット上では困ったことに健在だ。
たとえばサーチナとかは、公人でもない個人のブログをわざわざ探し出してきては、日本人を逆なでする仕方で掲載する。これも、向こうがバカを言っているからといって いちいち反応していたら身が持たない。

 天安門事件20年の節目から、シナ民衆の注意をそらすタイミングで作られた反日映画もまた然りである。目論見通り扇動されるシナ民衆は、あれはあれで哀れである。糾弾すべき相手を間違えているからだ。
天安門事件20周年の日に、それ関連の映像を妨害電波でかき消すのが今のシナ政府である。今の統治に胸を張れればこんな姑息なことはしない。

  怒るのにもエネルギーを消費する。怒りの矛先は、小物に対してでなく、真に打破すべき相手に向けて欲しいモノだ。攻撃目標を間違えるほど気まずいこともそうない。かくいう自分、 「新しい歴史教科書」の存在を聞いたとき、てっきりナーバスな右寄りが騒いでるのかな? みたいに思っていた節がある。しかしそれは浅はか であった。ここに撤回し、謝罪と反省を込めて本項作成の結びと代えさせて頂く。書き忘れたが、西尾幹二氏は、上記『国売 り』現状を見かね、新しい歴史教科書を立ち上げた一人である。自虐歴史にうなだれた記憶のある方には一読をオススメする。

  何でもそうだが、過ぎると良くないので、この極端はPower of Anger で是正されるだろう。しかし、度を過ぎたことをしてきた以上、振り子のように真ん中で止まらず、もう一方の極端に触れてしまう時期もあろう。その時には、 助けようにも助けられないので、あんまり無茶苦茶遣っていた国売りの連中は、覚悟しといた方がいい。

(2009.06.09)

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追記:アングロサクソン新興3国で、カナダが抜けていた。鱈の良い漁場として栄えたのがルーツという。ただし先住民はやっぱり怒っている。