外国人技能実習は奴隷制度か

本稿の主旨:外国人技能実習制度が内外から批判を浴びるようになって久しいが、結局、雇用主のモラル次第で割のイイ仕事にも奴隷制度にもなってしまう。なぜマスコミは後者ばかりを あげつらうのか。また、そういった外国人労働者と どう向き合うべきなのか。胸中複雑な本音を記しておきたい。戻る

 


 まずは私の出稼ぎ先で3年間技能実習生として働いてたフィリピン人の年収が、こちら。

 

 

 

 

 

 

 

 彼らの日本での手取り年収は約127万円だった。これを高いと見るか安いと見るか。

私なら、日本人と まったく同じ仕事でこれなら「安い」と考える。もしこの金額で、日本人に募集を掛けたら誰も集まらない3K職場だからだ。

「日本人と同じ仕事? 技能の習得が目的なのに?」と疑問に思う方もおられよう。だが実体はそーです。

これでも彼ら外国人技能実習生は、日本の正社員と何ら遜色ない働きを、否、労働日数・時間でみれば それ以上の働きをしている。

 3年の日本滞在を終え帰国した技能実習生に替わり、次の“新人”来日までの約ひと月の空白中に、私が四苦八苦で手伝っていたプラ成形の仕事を 彼らは来日初日から普通に こなしていた。訊けばフィリピン工場で同じ装置を使っていたとのことで、金型交換の段取りから何から、成型後の取り出し用ロボットアームのセッティングに多少覚えることがあった程度で、私の教えることは無かったというか、“技能実習”と言うよりも『向こうで覚えてきた仕事の実践編』といった感じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、彼らを募った地域の物価は、現地を行き来する社員によると ちょうど日本の十分の一くらい という。円の価値がひと頃より下がった2015年時点でも、日本での年収127万円は、それでも向こうへ持ってけば1千万以上の価値がある

3K職場ではあるけれど、金型や材料に最適なパラメータは既に先人の試行錯誤を経て確立している定型業務が年収1千万円なら これは割のイイ仕事と言えるだろう。少なくとも “北関東工業地帯”とあだ名の付いた この辺で、プラ成形の求人を年収1千万円で募集しているトコなど どこにも無い。日本じゃ薄給な彼ら実習生も、フィリピンの人から見れば すこぶる高給取りということになる。

 これは、日々マスコミが醸成してきた外国人技能実習制度のイメージ、すなわち「国際社会から非難囂々の、相場をはるかに下回る賃金で働く可哀想な人たち」という印象とは 少なくとも私の職場じゃ相容れない。『相場をはるかに下回る賃金で働いている』 ← これは間違いなくそうだ。が、『可哀想な人たち』かどうかまでは、部外者のマスコミや国際社会が表面だけ見て決めるコトじゃない。

 たとえば、私の出稼ぎ先の場合、薄給なのを補うように、外国人技能実習生の寮費や水道光熱費はタダである。寮の日常生活品(自転車、冷蔵庫、炊飯器、洗濯機etc)も会社が定期的にリプレースしている。また、フィリピン本国の、摂氏24以下にはならない所からやってきた耐寒性の無さを考慮して、インフルエンザの予防接種は会社負担、冬場の工場内も南国風味に暖房ガンガン、中と外とを行き来する私はその気温差にあてられてしまうほど。

 一方、『これじゃ貧困ビジネスだ』との批判を受けてた岐阜や栃木の企業の場合は、上記全てを自腹で負担させていたというから、同じ実習生であっても、割のイイ仕事に就けるか、それとも奴隷として搾取されるかは、ひとえに勤め先次第、雇用主のモラルにかかっている。

 そして彼らは知っている。自分たちが、日本人に比べれば薄給で働いていることも、しかし同時に、日本人と同じ給料だったらそもそも 雇われなかったことも、また、祖国換算では、自分たちが日本でも今や数少ない年収一千万プレイヤーであることも。さらに、3年終わって帰国する頃には、元職場に そのポジションは空いていない(=つまりは“使い捨て”である)ということも・・・。

 高給取りの自覚はあるのか、彼ら(彼女ら)の金払いの良さは、消費税増税や食糧物価高騰を受けて生活防衛にひた走る私が見れば驚くほどだ。オーディオが趣味のリチャードさん(仮名・上記写真右)は、給料日が来るたびに近所の中古屋で、私もためらう金額のお値打ちモノを入手しては せっせとフィリピンの実家に送っていたし↓、上記の源泉徴収票を私に見せてくれたメリーさん(去年帰国)も、日本で働いた最初の1年目で、故郷に立派な家を建てた(2627歳くらいで)。

 もしこれが首都圏に住む日本人なら、嫁を迎える前提の家を無借金一括払いで建てようとすると、どんなに身を粉にしても一年じゃ建てられないだろう。もしくは この国の失政により、カネが貯まる頃には既に一番家を必要としていた旬の時期を過ぎている。あるいは、幸運にして建てられたとしても、首都圏じゃ地価が高すぎて、その上に建つ家は外人から『ウサギ小屋』などと評されるショボい家になってしまう。または今 税金免除で食うに困らぬ政治家は、三世代同居に補助とか言ってるが、実態は 税務署連中が市民とかけ離れた生活水準維持のため、三代継ぐとスッテンテンにされるほどの莫大な税金をかけてくる。これでは日本の若者は、外国人と切磋琢磨する前に既にモチベーションで負けている。

 反対に、彼ら実習生は、日本の この地区の若者よりも ずっと、人生の かなり早い段階で生活基盤を確立できる。日本の同年代の若者が、爪に火を灯す思いで十数年かけ やっと手にできる3800万円相当の報酬を、たった3年間で手に入れる。現地の人たちも、3年の研修を終えて良い暮らしを手に入れた人を見てるから、会社が若干名の求人を募集すると、行列ができるそうだ。「いざ行かん、黄金の国ジパングへ」といった風情だ。(私個人としては、いくらカネのためでも その間配偶者や子供と長らく離ればなれになるのは人生の中でも最大級の代償でないかと考える。フィリピン人でも、そういう価値観の人は 最初から応募しないか、日本にお呼ばれされても断る)。

 そんなわけで、ウチ(の出稼ぎ先)の実習生たちは、たとえ一日16時間の2交代勤務でも(朝八時に「オ疲レサマー」と寮に帰った子達が午後四時には仕事に入っている)、土曜に出勤があっても、さらに日本人が土曜出勤な日は彼らは日曜も休み無し・・・という、日本人なら絶対来ないような労働条件でもストや暴動は起こらない。3年間我慢すれば・・・という里程標があるからだ。もっとも、その仕事に私のようなエキストラを混ぜることで(日本人も我々と同じ仕事をしている=この仕事をフィリピン人だけに押し付けているワケではない)と、不満を抑え込む役割も自分は果たしているらしい(とほほ)。そして「こんな3K仕事じゃ 募集しても誰も来ないよ」と不満を言う日本人の社員をよそに、より薄給でも日本人と遜色なく働き、感謝までしてくれるフィリピン人の方を、経営者だって雇いたいわけだ。

 かくして私の出稼ぎ先は、去年ついにフィリピン人のC/P値(コストパフォーマンス)が日本人のそれを上回った。十分の一の給料でも納得して働いてくれる人たちには敵わない。これを受けて、消費税増税と円安による原材料高騰分、そして今期史上最高益を更新しながら下請けには さらなる部品の値下げ要求をしてきた親会社の意向を満たすべく、今後の新規投資は日本でなく、フィリピンに重点配分することも既に決まっている。

 さて、では、日本人の若い人たちにとって、これは一件落着 メデタシメデタシ、と いうことに なるだろうか・・・?

 答えは否だ。社長と外国人労働者がWin-Winの関係になったのとはウラハラに、今度は日本国内の若者が、彼ら外国人並みの薄給労働に応じなきゃ 仕事にあぶれるようになるからだ。外国人労働者を受け入れた地域は、外国人が居ない地域に比べ、日本人の雇用条件は悪化する。なぜなら、向こう(仕送り先)の物価水準に“合わせて”日本人の給料も下げられてしまう上、勝ち目のない低賃金競争に破れ、長期的には雇用を失ったりもするからだ。少子化と、博愛主義で移民を受け入れた欧州が このジレンマに陥り、今苦しんでいる。日本も安易な移民で解決しようとすれば、その未来はどうなってしまうかを、他の多くの日本人より一足先に体験してきた気分だ。

 なんで 私の今の居住地は、日本国内でも とりわけ 外人が多くなったかというと、これは かつての私の勤め先にも一因がある。

 造った先からモノが売れてた高度経済成長時代。ウチの会社(電機)と隣の会社(クルマ)が 働き手である町民の確保を巡って『賃上げ競争』を繰り広げていた。あっちが「業務拡大につき求む工員。月収○○万以上」とぶち上げれば、ウチで働いてた浮気者の社員が「おおーっ♪」となって 辞めていき、向こうの募集に なだれ込む。するとこっちの働き手が減って、他のメーカーにシェアをあけられ機会損失が出始めるので、経営陣は「むむむ、向こうさんが月給そんだけ出すなら、じゃあ こっちはこの額で どや!」と、さらに良い条件で募集を掛けて浮動社員を呼び戻す。すると(ダ・カーポ。繰り返し)。

 日本の右肩下がりしか知らない人には にわかに信じがたい話だが、OBによると かつては そんな 人材争奪戦が長らく繰り返されていたそうだ。そのため私の郷里のような田舎くんだりにも求人票が来、出入国管理法が緩くなれば海の向こうからの外国人労働者を 受け入れたりもしたわけだ。

 その後バブルがはじけて不良在庫が山となり、隣の会社も新車が売れずに広い敷地へ何百台と雨ざらしにせざるを得ない状況に陥ると(盛り土で隠していた)、両社はイノベーションでなく、人件費を抑えることで利益を捻出するようになった。それはこの町工場に限らず、多くの日本人経営者が取った当時の逃げ道だったろう。しかし そういう安易で過酷で無茶苦茶なリストラで乗り切ろうとしたために、かつては日本企業のお家芸だった産業までもが魅力を失っていき、政府は政府でプラザ合意で日本を不況に陥れたアメから償還のアテもない米国債買って、日本経済にではなくアメリカ経済の下支えをしていた。結果 昔だったらソニーやホンダが出してても おかしくなかったようなエポックメイキングな製品・技術が今、海外の、畑違いなPC屋や広告屋・本屋にお株を奪われている。

 この20年に及ぶ日本経済の停滞と逆回転がもたらした『賃下げ競争』の延長線上に、外国人技能実習制度が体よく“活用”されてきたのは間違いない。かつて政府の『産業競争力会議』の参与は こう提言している、「グローバリゼーションに“勝ち残る”には、日本の労働者の賃金をインド並みに落とす必要がある」と。そして口だけでなく、本当に実践してきただろう。だが その解決策は、まるで『一将功成りて万骨枯る』社会を、『官栄えて民は貧し』みたいな状況を容認することにならないか? 仮にも“経済学者”の肩書き持つ者の提言だろうか?

 仮に百歩譲って『逆サイホン』みたく、給与水準が途上国や新興国なみに下がれば、工場の海外進出は止まるだろう。だが、そのグローバリゼーションによって、その国で生きてきた人々の最小限の幸せまでが脅かされ、制限され、暮らせなくなるほど急激に変えられてしまっては困るのだ。我々は、あんなエセ経済学者の社会実験のモルモットではない。さらに彼らは“外人もできるような仕事しかしてこなかったお前らが悪い”などと言い放つが、そんな彼らは、自分たちが若い頃、物価の安い国に住んでいた外国人労働者とコストパフォーマンスで比較される機会など無かったではないか。

 “国際競争力強化”のために と財界の言うまま日本の労働者の賃下げを誘導しておきながら、しかし政府は2%の物価上昇を目指してもいる。そんな『安く買いたい、高く売りたい』の矛盾がある社会で、新興国と(比喩的賃金の)『水位』が同じになるのを物価上昇で邪魔したら、今やすっかり(吸い取る対象が無限に増えなきゃ破綻する)『ねずみ講』と化した搾取型資本主義下で日本を懸命に支えている労働者の苦しみは かえって長引くのではないか? その水位が同じになる日まで 私たちは果たして耐えられるだろうか? アクセルとブレーキの同時踏みとは このことを言うのではないか? 賃金上がらず物価が上がって喜ぶ庶民がどこにいる?

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 世界中の人たちが、手を取りあってユートピアを築く、という その理想は美しいと思うし、そうなっても欲しい。しかし 結局カネ勘定だけで取捨選択が行われてしまう今、強欲な者によって主導されてきたグローバリゼーションは、そのメリットをはるかに上回るデメリットの方が際立ってしまっている。

 日本人が、労働の対価として使うはずの給料を、自分の雇っている外国人労働者を通して海外へ流出させてきた事に気づいた隣町の経営者は、外人が辞めるタイミングで順次日本人に入れ替えているという。しかし一方で、私の今の出稼ぎ先は、本来正社員として雇うべき常設業務の従事者までをも派遣や外国人技能実習生に置き換えている。さらに、私の元の職場はというと、やはり目先の人件費抑制のために日本人を不適財不適所の労働へと追いやり、辞めたタイミングでガンガン外国人の派遣社員に置き換えていた。もしくは、家電の工場を皆シナに持っていってしまった。彼らは 上層部と株主が儲かりさえすれば、そこで働いている日本人の将来や技能の継承・次代への受け渡し なんて どうでも良かったんだろう。

 しかし、その考えで仕事を“取られ”、雇用を向こうの物価水準という こっちじゃどうにもならないファクターで外国人に明け渡してしまった上、国際社会からは すべてのケースを“奴隷労働させているのを手をこまねいて見てるだけ”などと、悪人にされてしまったのでは『泣きっ面に蜂』である。

 じゃ どうする?? 「実は日本は もう・・・」と理由を話して帰ってもらう? ソレは無理。私には、彼ら外国人労働者の境遇が、仕事を求めて郷里を離れ ここ首都圏で働くことになった自分とダブって見えるのだ。電車に乗って県境を越えたか、飛行機乗って国境を越えたかの違い/方言が通じなかったか、母国語が通じなかったかの違いである。私と同僚や先輩は、かつての職場で、同じ仕事をより低賃金でこなすフィリピン人に仕事を取られてしまったようなものだが、それでも“俺らの仕事を奪いやがって”と彼らを一概に非難することはできない(立場が似てるので)。

 だから今私は、『じゃあどうすればいいのか?』 の即効性のある答えを提示することができない。ただただ 止められないことを始めてしまったグローバリストの浅はかさを恨めしく思うばかりである。長期的には、『総論賛成・各論反対』な地方創生論議と同じ、県にせよ国にせよ、郷里を出て行かなくても ちゃんと食っていける社会の再構築しか無いのでは? それはきっと とてつもない時間を要するうえ、少し昔に戻るということでもあるが、昔のすべてが今よりダメだったとは限らない。だが残念ながら『反グローバリズム』という考えは、TPP妥結に ほとんど誰も騒がなかったのとおんなじで、おおかたには時代遅れや流行らないモノとして映るらしい。いいだろう、因果応報といいまして、見て見ぬ振りした結果というのは必ずや、自分たちと、その子孫に跳ね返ってくるモノだ。こんなことを続けてって、そのうち何十年後かに、今度は自分と自分の子孫たちが、外国人技能実習生みたく新興国へ出稼ぎに行かねばならない時代が来ても構わないというのなら。

2015/11/22

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