効率化で なぜか潰れゆく社会


 本稿の主旨: 資本家の言うがまま効率化を追求するのも考えモノ。浮いた分ちゃんと還元してくれなきゃ意味なし。

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今を溯ること数十年、親父の勤め先が週休二日になった時、親父が言った。「これからオートメーション化が もっと進めば、お前がオトナになる頃は、今ほどあくせく働かなくてもいい世の中になってるゾ」と。 

しかし、親父や未来学者の楽観予測に反し、そんなバラ色の未来など来なかった。なぜかって? そのオートメーション化によって仕事にあぶれ、収入絶たれた人だって、家賃と税金が取られ続けるのは変わらなかったからである。

 私は’90年入社だが、ちょうどその頃職場の手書き文書がワープロに、ペン・プロッターが静電プロッターに、パンチカードがフロッピーに取って代わり、数人がかりで一日を費やしていた回路検証もワークステーション導入でアッという間に完了する移行期をリアルタイムで経験した。バブル崩壊で不況が始まると、『生産コスト削減のため』私の仕事(CAD)はより人件費の安いフィリピンへ移管され、本来私が会社で遣りたかった仕事も、シンガポールやマレーシアを経て現在は皆シナ /ベトナムに行ってしまった。そして’97年、橋本不況が始まると、とうとう傾いた船の上で醜い『押しくらまんじゅう』が始まりましてね。もっとも、バブルがハジけて新人入らず、年中下っ端だった私は、その押しくらまんじゅうの機会すら与えられずに放り出された。それが'05年だから・・・以降、私はここ9年近くも ずっと冷や飯を食わされ続けている。

 こうして、同じ日本に暮らしていながら/同じ会社に所属しながら『あくせくせずとも暮らせる』組と、『働けど働けど我が暮らし楽にならざり、みな死んでまれー(希望は戦争)』組とに二極分化が目下進行中である。あるいは、それはいつの時代もあったのかも知れないが、インターネット時代を迎え、今までは発言の機会すら与えられなかった弱い立場の人たちが、「こんなバカな話があるか」と叫び声を上げている。

 そして、内部で分裂している組織が立ち行かなくなるのと同じで、この国もまた、今やすっかり富める者と、そうでない者とに分断されつつあり、そんな状態で いくら首脳が『再チャレンジ』とか『国民一丸となって』と呼びかけたところで、人を喰いモノにする側と、喰い物にされる側とが一体なにを分け合うというのか。使い捨てにされた人間が、自分を使い捨てた社会に対し、この国のためもう一度この身を捧げようと思ったり、協力しようって気になるだろうか?

  一例を挙げよう。ある会社の現場に配属された人は、モーレツに頑張って、数年たらずで現場の作業効率を、なんと配属前より400%改善した。「よ し! これで大抜擢も夢じゃない?」と本人は思ったのだが さにあらず。なんと彼は、その成果を出したばっかりにクビ(解雇)に なってしまったのだ。「そんな! どうして?」と思われるだろう。だが答えは冷徹にして簡単、作業効率を400%もアップさせ、より少人数で仕事を回せるようになったら、その作業者でもあった彼の仕事が無くなってしまったからだ。 会社のためにと言われるまま効率化を頑張ったのに この仕打ち。事情はどこもおんなじで、どうもプラザ合意に端を発したバブル崩壊以降、この国の資本家の多くは『いかに自分の短い一生のうちに@他人を利用しAニンジンぶら下げB財産築いてC逃げ切るか』にのみ関心があり、自分を富ませてくれた人に報いる好循環の発想を短絡的に捨ててしまったかのようだ。

  モノ造りに携わってきた人なら、上司から常日頃、「効率化!効率化!」「コストダウン!コストダウン!」と 耳にタコができるほど聞かされてきたはずだ。だから、効率化の推進は非常に良いことと思われているに違いない。私自身『効率化』によって もたらされるコストダウンそれ自体を悪いとは思ってない。ただし「その会社内部に限っては」だ。なぜ良いことのハズなのに但し書きが付いてしまうのか?

 それは、効率化やコストダウンで その会社が損する事は無いが、その上流/下流の儲けは まるで『15パズル』のスキマのごとく、どんどんズレていくからだ。ペーパーレス化が進めば製紙会社や印刷会社が、リサイクル率が高まれば新品製造メーカーが、ネット通販が普及すればリアル店舗が、タダで配れるようになったら隣でそれを売ってた人が・・・といった具合だ。

次に、以前の勤め先の例を。その職場は、ICLSIなど半導体製品の材料・シリコンウェハやガラス板をピンセットで摘(つま)む際、一日必ず何枚かを割ってしまっていた。しかしこれは 毎月かなりのロスが出る。なので、こりゃもったいないと、ピンセットの素材・形状を工夫した結果、今まで一定数の破損ロスは当たり前、と思われていたウェハ割れ件数を ほぼゼロに持ってくことに成功した。当然、それまでムダにしていた分も出荷できるようになったので、会社はその分利益を手にすることができた。

 ここで問題。上記のムダ取り/効率化により、実は大損こいた人がいる。それは誰でしょう?

 「ん?  誰も損はしてないんじゃない?」と、おっしゃる方もいるだろう。確かに その会社の中で損した人は居ない。答えは、その工場に、ウェハやガラス板を納入している○OYAや○越化学エ業のような部材供給メーカーだ。それまで会社は、割れる分を見越して多めに購入してたのに、そのムダ取り/効率化により、予備発注分がぐっと減ってしまったからである。

 だから上記の改善は、製造ラインのムダ取りと効率化には貢献したが、ビジネスパートナーには逆に売り上げ減という超特大のババを引かせてしまったことになる。というわけで ごめんなさい、HYA / 信越化学エ業の中の方。提案件数目標未達じゃ私の人事評価下がっちゃいますんで (もちろん『じゃぁ景気回復のため、有限な資源もジャンジャン消費しましょう』などと言うつもりも無い)。

 効率化が、必ずしも労働者の幸せに繋がらなかった別の例を挙げる。

 当方、前述のとおりモノ造りを志して入ったハズの事業が潰え、不本意ながら元・下請けの3K職場へ人間のタテとして出稼ぎに出され、誰も遣りたがらない破壊活動(リサイクル)に従事しているのだが、私がそこへ配属されて一番最初に改善したのは、引き金から空気が漏れて、そよ風のようなエアブローしか出ないエアガンを自腹で交換するとこからだった。派遣の人って、全然こういうのを気にもとめないのだろうか。これにより、粉塵を吹き飛ばす作業効率は格段に上がった。 これは(自腹を切らねばならない現状が問題なのはさておき)よい効率化だ。「なかなか吹き飛ばねー」というくだらぬフラストレーションから解放されたからだ。

  して、そこの現場の相棒が、再三 設備の担当者に訴えた、「ここの粉砕機のロータリーカッターはナマクラで非効率です!」と。すると、おりしも効率化につながる設備導入の優遇措置をアテにして、最新の粉砕機が一台だけ、新品で入れ替えられた。 ただし、そのおニューの粉砕機は、相棒の所にでなく、搬出/搬入の都合で私の所に来た(ちなみに私は、初出向の彼とは違い、そこのカッターの切れ味に不満を述べたことは無く、「○○さん、リストラ出向先の中小企業の設備なんて、どこ行ったってこんな感じですよ〜」 と、半ばマヒしている)。二人の給料は、『いくら処理したか』の歩合制でなく、『時給いく ら』だから、使用機材の性能差で公平・不公平の問題が生じることは無く、相棒もこの措置に文句を言うことは無かった。

 しかし、より良い道具を手にした者には、より多くが期待されてしまうモノである。確かに以前のナマクラカッターとは違い、その切れ味たるや素晴らしく、私の作業効率はメチャ上がった。作業が早く終わるモノだから、他の工場で処理していた廃材までもが私の所へ ワンサカ運び込まれるようになり、私もクルクルクルクル早回しである。

 さて、ここで問題。この設備新調による効率化は、会社としては比較的早く投資分を回収できる見込みだが、それを操作する私には、何か良いことを もたらしただろうか?

 答えは否だ。機械の効率が上がっても、ノンビリ仕事が出来るようになったわけでも早く帰れるようになったわけでもない。それどころか、以前より処理能力を期待され、相棒まで「その機械ならもっと仕事をこなせるハズだ」などと、まるで資本家側(経営者側) みたいなことを言い出したのである。

 しかし給料増えないのに仕事が増えたところで、私にイイことなど何もない。そして、仕事が早回しになってキリキリ舞いすれば、当然体力だって消費する。以前なら、仕事を終えて帰ったら、ラーメン二杯で済んでいたのが、今では晩飯終えてもお腹がすいて、夜中にもう一袋ポリポリかじるハメになり、晩飯の食費が50%値上がった(去年はそんなことはなく、決して食欲の秋だからではない)。しかし会社は、私が仕事で新たに必要となったカロリー計算なんてしないし、私の食費のアップ分の給料が増えることもない。 したがって この効率化は、なんと私が実質マイナスのババを引いている。この前防塵マスクを外して徘徊していたら、パートのおばさんから「ちゃんとご飯食べてる? ほっぺが現役時代の王貞治選手みたいよ?」とまで言われた。で久々に体重計に乗ってみたら、なるほど確かに高校の時ハシカで入院した時のような体重(49.0kg68.8kg-176cm)になっていた。危うく「いやー最近なんか体が軽いなーこの3K仕事にも慣れたってことかなー?」と思いつつバッタリ倒れるトコだった。

 手取り時給換算865.5円で働くということ。それは、本人が いくら効率化を達成し、実績を作ったところで さらなるノルマと目標(リードタイム)を引き上げてしまうだけで、逆に自分と仲間の首を絞めてることにはならないか? 私にとって、その効率化追求の『競争』に乗ることのメリットは? 今の私の仕事は『二人一組』ではなくて、二人が同じ内容の仕事を別々に遣ってるから、ダルマ落としで例えると、『下が途中で分岐して、叩く所が二つある』状態だ。すると、いくら頑張って相棒より多い回数ぶっ叩いても、結局そのぶん次から次へと新たな仕事が落っこちてくるだけで、ソコソコの時よりクタクタになってしまう。おまけに私の割り当て数量が格段に増えたことで、本来私が処理していた種類まで相棒が遣らねばならなくなったと不満まで言われる。

 ・・・ひょっとして、こういう報われない現実に気づき、洗脳の解けた人が今、いくら頑張っても「割に合わねー」なんてことになって、配属4日目に来なくなったり、若い生活保護受給者となっているのかも知れない。いつまで経っても食うこと出来ないニンジンをぶら下げられて、馬車馬が走り続けられるのも いつまでか。

  さて、あれだけ そうしろと言われてきた効率化/コストダウンが、必ずしも貨幣経済に組み込まれた人々を幸せにしない事実は、近年『合成の誤謬(ごびゅう)』という言葉で一般にも知られるようになってきた。一例に、各省庁や地方自治体は、市民オンブズマンから「未だに脳ミソがバブル期状態。納税者が払う税金を無駄遣いばかりしている」、と 糾弾されるので、「それならば」と、今まで遣ってた仕事の一部を民間へ委託しコストダウンした。ところが、その効率化の実態は、業務を請け負う民間社員に、長時間・低賃金・少人数での重労働を強いることで達成されたものだった・・・と、いった具合だ(相場を無視した『安売り』 でないと仕事が取れない)。仕事内容の割に高給を貪っているぞとメスを入れたハズが、今度は別の誰かがコストダウンの煽りを食らってババを引くという『あちらが立てばこちらが立たず』状態である。

  これ、『自分たちが作って提供するモノ・サービスは、簡単なのでも高く売り(つけ)たい』一方で『自分の欲しいモノやサービスは イイモノでもなるべく安く買い(叩き)たい』と、利幅やキャピタルゲインを最大化しようとする資本主義のジレンマだ。しかし、適正価格を大きく偽り/相応の対価(報い)を与えない/回収できない売買は、これまた結局誰かにシワ寄せが行き、マイナスが増幅され社会に跳ね返ってくる。

  クドいようだが結局のところ、賃金総和が増えないと、誰かの節約/切り詰めが、それに依存して暮らす知らない誰かに『貧乏クジの押し付け合い』『爆弾のパス回し』をしているようなのだ。今本当になすべきは、恣意的なサンプルで嵩上げした不相応な高給を民間準所へと戻す「負荷の分散」であるのに。

 『合成の誤謬』の他の例として、私の同僚は、私と同じく会社ぐるみのリストラ研修に送り込まれて将来を悲観、自殺してしまったが、では、一家の大黒柱を失った奥さんと、まだ幼い三人の子供を誰が養わなければならなくなったか?  というと、結局、そこの地域の人たちの負担である。自分たちの生活レベルは下げたくないからと おとなしい人にババを引かせたリストラで、地域の少子高齢化も加速して経済も縮小した。『人を呪わば穴ふたつ』といいまして、自分たちだけ助かろうと こざかしい策略を使っても、その影響は必ずや巡りめぐって、誰かがイケニエになることで自分たちは助かるならと首すっこめて見てただけの人たちにも、トータル(合算)ではより重い負担となって返ってくるのだ。なぜ収穫が減ったら減ったで、みんなでいったん小さくなって耐えましょうという負荷分散の発想に至らないのか。だったら他へ転職しますよと言う人がどれだけ居るかアンケートの ひとつでも採ったのか。

 誰かの言うように、『日本国は日本人を斬れない』 * (質量保存法則の実験みたく、結局ビニール袋の中で繋がっている)のだから、自分たちだけ助かろうとリストラで“切り離した”(り“焼き殺した”)つもりでも、それは単に視界から消えただけである。これを『合成の誤謬』という。あと、非効率であることが逆に、人々へ雇用の場を提供してきた側面もある。それを、受け皿無しに『効率化』『最適化』したら、あぶれた人がどうなるかは火を見るより明らかであろう。その点で、資本家の言うがまま実行された派遣切りや、労働市場の流動化論は、『まず米びつのレバーを押してザラザラ〜っとブチまけてから、然る後、炊飯器のナベを置く』のと同じほどバカげた愚行/愚論であり、しかも今もって受け皿は用意されていない。

* 実際には政府は過去 国民を養いきれず南米に『棄民』したのだが、異国の地で耕作に適さぬ土地に当たった(ハズレ引いた)人とその子孫は、リスクの事前説明も無かったため今なお怒っている。

 話は変わるが、私の郷里にも新幹線が開通し、ビジネスマンはこの大動脈の効率化により日帰り出張が可能となった。しかし、経営側とはウラハラに、実際に出張する人からは ことのほか不評だ。なぜなら、日帰り出張というのは、どうしても時間的にタイトなスケジュールとなってしまい、かえって あくせくしなければならない。また、日帰り出張が増えたことで、宿泊施設や土産物店になかなかお金が落ちなくなってしまったともいう。

 製造現場であまりにも、乾いたタオルをしぼるがごとくに「効率化!効率化!」「コストダウン!コストダウン!」と追い立てていると、社員は結果を出すのを急ぐあまり、心に余裕が無くなって、職場がギスギスしだしたり つまらんことで言い合いになったり、じゃあどうすんだよ、こうでもすれば満足かよ、などと そのうち安全がないがしろにされ、安全装置やポカよけを解除したまま作業をしだしたりと、非常に危なっかしい状況にも陥る。

 それで出向先で去年、社員が成形機の金型に手を挟み、腕を切断しなければならない大怪我を負った。原因は、成形機が 『保護カバーを開けても機械を停めない』改造を施した特注品なことだった。実は私も以前、人手が足りなかった時に応援で同じ仕様の成形機で作業をしており、(なんか危ねーなぁ こえーなぁ)と思いつつ遣っていたのでヒトゴトではない。その人まだ若かったのに、補償はあってもその後、どうやって人生過ごせばいいのだろう。

 さらに、その前年には親会社で、今度は夜勤を遣ってたベテランが、割れたフラスコの毒を吸い込む事故を起こし、治療の甲斐なく亡くなった。原因は本人の不注意ということになってるが、親しかった人の話では、やはりリストラ/効率化で人を減らしすぎ、それでも仕事量は変わらないという過負荷が積もりつもって起きた事故だと聞いている(が死人に口無しである)。

 その悲報に皆集まって黙祷後、前に出た部長がガックリと肩を落とし、こんなことを言った。「私が現場にいた頃は、この拡散炉の焼け火箸がまだ真っ赤なのに、冷えてから移動するルールを無視して駆け回り、『オラオラどけどけ、俺たちがこの職場を回してるんだー』と、内心息巻いていたものですが、もうそういうのはヤメにしましょう。我々、幸せになるため働いてるのに、それで死んだり病んだり怪我してしまってはどうにもなりません」と。

 だから我々、「それはホントに必要か?」 という問いかけばかりしてきたが、これからは「それはホントに無駄なのか?」という問いかけもしつつバランスを取ってかねばならない。派遣雇って予備知識や引き継ぎもなく コロコロ人が入れ替わるような職場では特にだ。いや、仕事に限らず、一体どういう出費が無駄で、どういう出費は無駄でないかなんて、完璧な線引きの仕方など、ぶっちゃけ私もわからない(『その出費にトキメキがあるか否か』『その出費は体に良いのか悪いのか』『その出費でお腹は膨らむか膨らまないか』 といった判断基準だけでは量れない。私も家電メーカー勤務時は、テレビやビデオやハンディカム、オーディオ、モータードライバなど、必ずしも生活必需品でないモノの中身を設計していたが、それらを無駄とは思ってないし、また私のシュミだったテレビゲームだって、『時間とカネのムダ(by母親)』なのか、はたまた『日本の誇るサブカルチャー(内閣府)』なのかは、今なお議論のあるとこだ。自分の腹の足しにならないことにも血道を上げるのが人間だからだ)。

 最後に、私が子供の頃読んだ『日本の怖い話』からひとつ。ある大阪の商人(あきんど)のもとへ、鬼が求職活動にやってきた。よほどせっぱ詰まっていたのだろうか、「給与は少しの酒でいい」と、労働力を大安売りしてきた。商人は これ幸いと、鬼を肉体労働に従事させるのだが、それ相応の成果を出しても儲けを還元しないので、さしずめ鬼といえども段々弱ってきて、ついにガックリひざを折り、飢え死にしてしまった。しかし 商人はどん欲にも、包丁で鬼の両腕だけ残し、肩モミなんぞをさせとったのだが、懲りずに腕に塗ってやる酒を徐々に減らし、どんどん水で薄めていった。そしてついにある日、商人が外に出てこないのを不審に思った取り巻きが中に入ってみると・・・あとは皆さんお察しどおりのオチがつく。そう、その商人は、ケチと搾取が過ぎたあまりに鬼(の腕)の怒りを買い、ついに絞め殺されてしまったのである。枕元には、鬼の筆跡で殴り書きがあった 「(左腕)酒、飲ませろーっ (右腕)酒、飲ませろーっ」

さて この話、創作ではあるが、今までくり返されてきた なにわの歴史を、そしてグローバリゼーションが席巻すれば世界に再び このような争いが起こり得ることを予示している。

私これを どこまた誰に当てこすってるかは あえて言わない。が、今この国は、足るるを知らない むき出しの我欲をエンジンとしたアメリカ新自由主義の精神 つまり1%の富裕層と その子孫が面白おかしく暮らすために99%をワザと自活できぬよう追い込み、貧困への恐れを利用して『国際競争力強化』の美名のもと、誰もが食えるわけでないニンジンをぶら下げて、互いにコストを削り合う消耗戦の同士討ちをさせているではないか(いわゆる『バビロンシステム』)。そうして1%の養分として生き血を吸われ、うまみが無くなれば、『焼け野原』から次なる“成長産業への移動”をうながすためにと 賭博業や、選挙で選ばれたわけでもない商人ふぜいの献金欲しさに彼らの言うまま『カジノ特区』や『解雇特区』の創設、『限定正社員』の法整備を議案に乗せ、あすへの希望の無い人をさらにギャンブル中毒で搾り取ったり、切り落とされた鬼の腕よろしく労働者がボロボロになるまで使い潰したりする下地作りまでしている。これは果たして穿った見方だろうか?

 『仕事のあるとこへ移動する』『必要とされているとこへ行く』。これが簡単にできるモノなら 皆さん とっくにそうしてる。だが、今の社会システムがそうなってないじゃないか!

財界は欲に目がくらみ/政界も宗主国の求める貢ぎを急ぐあまりに再び順序を間違えて、セフティーネット無しで失敗した歴史の二の舞を演じようとしている。

今まで政府の失政で何度もチェンジングコスト * を払ってきた私に言わせりゃ、政府のいう『再チャレンジ』なんて言葉は、『俺らが あくせくせずとも暮らすための養分として死ぬまでコキ使われてて下さい』と、言われているに等しい。だいいち、もし その国際競争とやらで死屍ルイルイ、多大の犠牲を払って“勝っ”たって、日本は結局これまでどおり、競争に敗れた国々へも“援助”や“復興”をこちらの持ち出しで負担させられることになる。なぜなら日本は『永遠の敗戦国』であるから。私はそんな、勝っても負けてもババ引かされる 骨折り損のくたびれもうけにはもう参加したくない(この半生で もうたくさんである)。

*本来、外交敗北による不運に見舞われた業界の救済は政府/行政の仕事であるハズだが、当時の最高責任者とその息子たちは そうするつもりも無いようだ。

最終的には『効率化』や『コストダウン』による末端へのシワ寄せが、困ったことに『国際競争』勝敗の決め手である。そして、新興国と同じようなモノしか造れないでいる間は/賃金や物価水準が貧困国と同じ水位に下がるまでは、日本の連戦連敗も決まっている。日本のブルジョアの方々、飢えと貧困とは、こうしてフラット化することで、自分たちの視界から『は』消えて無くなるだろう。願いが叶って良かったジャン。しかしそれは、為政者の方々、単にあなた方の視界から落差が消えるだけで、無くなるわけではない。だからそれは、水面下で怨嗟として蓄積されつつあるのだ。

彼らが小泉竹中構造“改革”や消費税増税でかえってジリ貧に陥った「遣り過ぎ」路線をなお踏襲/放置するなら そのうち民も どういう行動に出なければならないか。また、そうしないと、将来あなたとあなたのお子さんが、どういうヤカラや連中の自由にされてしまうのか。得られる教訓について少し考えていただきたく思いました。

(2013/11/23)

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