借金が前提の世の中でイイのか?


本稿の主旨:失政と外交敗北を繰り返し“主要国”から転落しつつある日本が これまで通り 『バラ巻き外交』のツケを借金で取り繕おうとすることに潜む害は無いのだろうか?  戻る


カネの便利さ それ⾃体を否定する⼈は あまり居ないだろう。カネは 物々交換に⽐べ、以下の優位点がある。

1:腐らないので貯めておける(保存性、貯蓄性に優れる)

2:現物より軽く、かさばらず、場所も取らない(可搬性、携帯性、省スペース性に優れる)

3:世の中の圧倒的多数が欲しがる(汎⽤性、互換性)

4:値札から、商品のグレードや お買い得度を推し量れる(「モノサシ」としての機能)

 

だがカネも所詮は⼈の発明、完全無欠のシステムではない。初期の物々交換では、

 

・ふだんの暮らしに使うモノで、かつ

・両者の欲しいものが合致した場合

 

にのみ取引が成立した。だが−ココが動物とヒトの違いで−⽇常品や実⽤品でなく、⾷えない⾙殻のような装飾品や、珍しい というだけで実⽤には供さない希少品での取引きを持ちかけられて応じた⼈が居たことで、無価値なモノとの取り引きも成⽴してしまう危うさを発明当初から抱えていたことになる。

 

 

 

 

 

 

 ⾷糧や⽇常品ではないモノが貨幣になった最古の例に『⽯』がある。南国ミクロネシアのサンゴ礁の⾜元はサンゴ。⽯が無いので500q離れたパラオから船で運んで来なければならず、⽯が貴重品だ。ミクロネシアにおける石貨の製造は1930年代まで続き、今も冠婚葬祭の贈答品に用いられている。石貨みたく、域内で誰もが欲しがる(?)モノなら、それ⾃体は⼝に⼊らないモノでも売買は成⽴する。

 

 中でも⾦(ゴールド)は、口には入らないが⾒た目が派⼿で錆びにくく、加⼯も容易なため⾦属の中でも特に貴重品になった。

 

欧州の貴金属加⼯職⼈は、⾃分の⾦庫の空きスペースを貸すことで保管料を得ていたが、ゴールドを預けている⼈たちが⼀⻫に「返して」とはならないのをイイことに、⾃分の⾦庫の中にある他⼈のゴールドを『又貸し』して利益を得ていた。

 

 当然ながら「保管料ならまだしも、俺たちが預けたゴールドで商売をしていたなんて、ズルいズルい」と非難されることになった。

 

盗みの定義を『他人の財物を故意に持ち去ることや、無断で使用すること 』とすれば、彼ら貴⾦属加⼯職⼈の⼜貸しも、⽴派な『盗み』である。誰だって、お金を払って保管してもらっていたハズの貴金属が実は又貸しされていて「今手元にないので お返しできません。テヘッ」なんて言われたら「話が違う!」と憮然とするだろう。

 

だが その不正⾏為も、発覚して「ズルいズルい」と非難する貸し手に、儲けの一部を渡し不満を封じ込めることでウヤムヤになってしまい、以後は その泥棒行為を ⼤っぴらに遣ることが⽇常化した。これが銀⾏業の始まり。

 

事実 現代⼈の多くは 銀⾏が、よそ様のカネを他人に又貸しして利益を得ることを⾃体を 別に何とも思ってない。「預けている間に私のカネが社会の どこかで繋ぎとして役に立つならイイじゃない」というわけだ。学校の政治経済の授業でも、教師は銀⾏業を非難しなかったので、私も てっきりアレが普通とばかり思ってた。

 

ところが このことが 今になって 問題視されている。

 

 というのも、現⾦を介さない電⼦決済の場合、カネ貸し屋(銀⾏)は、貸すカネを持ってなくてもハッタリで あなたへ“貸し”、真⾯目な あなたが利⼦付けて返すことでラクに儲けることが できてしまうのだ。

 

 現在 硬貨や紙幣を製造する造幣局のほかに、カネ貸し屋も各々カネを“つくり出し”、最終的に“貸した”ぶんの利子で儲けたカネを自分の懐に入れている。鋳造や印刷環境も無いのに、どうやって?

 

 

もし あなたの街に良⼼的な「⾦貸し屋」が居たとする。そして⾦を借りたとしよう。あなたは返済期限までに返さねばならない。しかし もしあなたが不幸にして返済に⾏き詰まり、その旨を伝えたら「そんな・・・ヨヨヨ」と相⼿も 崩折れるなら、その⾦貸し屋は本物だ。なぜなら⾃分の持っていたカネの範囲内で あなたに⾦を貸していたからだ。あなたは彼の信⽤を裏切ってしまったのだ(無論 例え話である)。

 

他⽅、あなたの街にアコギな「カネ貸し屋」が居たとする。そして⾦を借りたとしよう。アコギなカネ貸し屋は決して あなたに現⾦では渡さない。ただ あなたの通帳にチョイチョイと額⾯だけが印刷される。そして無事に返せちゃったら(いや、めでたいコトだが)あなたは そのアコギなカネ貸し屋の、無からカネを創造する現代の“錬⾦術”に まんまと利⽤されたことになり、また不幸にも返せなかったら(えらいコトだが)あなたは実際には存在しなかった電算機内の単なる『数字』と引き替えに、担保にされてた 自分の財産を取り上げられてしまうことになる。

 

 あなたがカネを借りた時、実際に銀⾏の払ったコストは、あなたの通帳へ貸した金額を書き込んだ時のインク代くらいのモノだ。アコギなカネ貸し屋は、インク代だけで、担保に設定されたあなたの財産を合法的に巻き上げることが出来る。アコギなカネ貸し屋にとって「不渡り』(借り⼿が返せなくなる事態)は むしろ⼤歓迎なのである。

 

 ⼤⼿銀⾏が、不渡りを出した企業の借⾦を棒引き/チャラにできるのも、実際には存在などしてしない「虚のカネ」を使って現物を接収してきた積み重ねが あるためで、懐はトータルでは痛まないからだ。

 

銀⾏からの借⾦を踏み倒して何⾷わぬ顔をしてられる⼈は「返すべきモノを返さず開き直るなんて、ヒトとしての道徳⼼はどこへ遣ったのかしら?」と陰⼝を叩かれるが、それでも涼しい顔ができるのは、前述の「虚のカネ貸して利⼦を取り/返せなければ担保を没収する」アコギな銀⾏のカラクリを知っているからである。

 

繰り返すと、現ナマを介さない電⼦決済(オンライン決済)の世の中、銀⾏は、無いハズのカネを「貸したことにして」利益を得ることが容易となる(カネ貸し屋が、本当に、⼿持ちのカネだけ貸していたか どうか?  は、相手の⾦庫を暴くことは出来ないから誰も知りようが無い)。

 

無論「そんなこと、知りようが無いのは確かだが、貸してくれさえすりゃ俺たちの知ったこっちゃない」「それでカネが貯まるまで待たずともスグ欲しいモノを⼿に⼊れられる⽅がイイ。何の問題も無いではないか」「アンタ、カネ貸し屋の おかげで遣る気のある⼈ すべてに機会が与えられることの一体何が不満なのさ?」という意⾒も中には あるだろう。

 

だが それは危険な考えだ。なぜか?

 

ギリシャみたく、財政破綻しかかった国が こぞって“⾦融⽴国”とやらを目指したのは、最後に残った『国家』としての信⽤を使い、上記のアコギなカネ貸し屋と同じ手口を もっと⼤規模に遣ろうとしたからだ。しかし価値あるモノを⽣み出さず、嘘業やマネーゲームでラクしたり、あまり裕福でない後進国”を借⾦漬けにしてまで外貨を稼ごうとするのは何という堕落であろうか。

 

 さらに、カネ返す側に利⼦が発⽣するということは、利⼦の返済義務のため、余分に払う利⼦分のカネを、他のどこか/誰かから、必ず『もぎ取って』こなければならない、ということでもある

 

 誰だって、債務不履行で自分の資産/財産をカネ貸し屋に持っていかれたくはない。だから、この借⾦返済の強迫観念に ひとたび囚われると、人は時として なりふり構わず不正を働き、非情にも他⼈を踏みつけにし、場合によっては⾃然を破壊したり、⼀番⼤事にすべき家族を蔑ろにしたり、同じ職場で働く仲間をも陥れたり・・・ということを平然と行なってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのムリクリに疲れ果て、あるいは借⾦返すための椅子取りゲームに敗れ、はたまたカネ貸し屋のアコギなカラクリに気付いて我に返った⼈々の起こしたのが、少し前なら『ウォール街を占拠せよ!』の異議申し⽴てであり、欧州ならグローバリゼーションにノーを付きつけた極右政党の躍進であり、宗主国・アメでプアホワイト層の支持を得たトランプの台頭であり、今なら(執筆時)フランスで起きている、増税に物価高の失言で火が付いたイエロージャケット運動である。

 

 

 

 

 

 

 

 カネ貸し屋が、⼿元にカネがゼロ円でも貸したことにし利息を得ている カラクリを、そして借りた側が、必ず どっかから利息を もぎ取ってくるために、⾃分の時間や顔の⾒えない誰かの暮らし・権利を⽇々犠牲にしている この社会の現実を職場の上司から初めて聞いた時、私は ぶったまげた(2007年頃)。なぜって そんなの政治経済の授業でも教わらなかったじゃないか。まさか私だけが浦島太郎状態だったワケではあるまい。

 

 しかも この「⾔わなきゃ誰にも(カネが無いのに貸していることなど)バレんだろ」の不法行為を、⼀般⼈は もちろん現代社会担当の教師でさえ思い至らなかった(もし扱ってた教科書があれば、それは かなり現代社会の病理を掘り下げた、攻めてる出版社だろう)。⼤抵の教科書では、銀⾏による“信⽤創造”などと説明し、サラッと流すだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほぼ40年にわたり ワシントンポスト ニューヨークタイムズ、タイムマガジン その他偉大なる出版社の取締役が我々のミーティングに参加してくれ 公表しないで静かにしくれていたことに感謝している


それらの年月の間 もし我々が世間の注目の明るい光の中に出ていたなら 我々の計画を発展させることは不可能だったろう


しかし世界は今さらに洗練されて世界政府に向けて行進する準備は整っている


その超国家的な知的エリートと国際銀行家の支配力は 確かに過去の世紀の国家が自分で決めていたやり方より望ましいものだ』− デビッド・ロックフェラー(銀行家)1991年三極委員会の演説にて

 

このように、金融支配による人類奴隷化の陰謀は確かに存在するのだが、陰謀を企む側は 自分の手の内をカモに知られたくないがため「陰謀なんて無い」と主張したり、UFOやオカルトなど他のバカげた話題と混ぜることで木を森に隠したり、あるいは告発者を 嘲笑の対象に仕向けることで、自分たちに都合の良い状況を維持してきたのである(しかも’91年には早々と「勝利宣言」までしている)。

 

 

 

 

 

 

 

なんでも最近 カネ貸し屋は、学校に やって来ては特別授業と称し、学生を“⾃分たちの未来の⾦ヅル”に洗脳すべく「⾦融について学ばす機会を与えよ」などと提言している。だが、政治経済や現代社会担当の先生がたは、彼らカネ貸し屋に⽿を貸すことなく、この『お金社会』の理不尽な現実と、カネ貸し屋のアコギな商法を授業で教え、彼らの思惑通りにならぬよう教え子に注意喚起すべきだ。なぜなら資源というのは有限であり、あたかも無限や無尽蔵を前提とした架空のカネの貸し出しは、次代を担う若者たちが活⽤すべき さまざまな資源やリソースを先喰いしてしまうからだ。

 

 リソースを先喰いされ、食い逃げされ、逃げ切られてしまった側の苦悩と やり場のない怒り。それは、日本ならアメの圧力・プラザ合意に端を発したバブル経済の崩壊で影響を受けた世代が身に染みているハズだ。同じ轍を次の世代に踏ませてはならない。

 

これを例えで考えよう。どこの職場や学校にも資材置き場がある。そして私は仕事柄ガムテープが必須だ。うっかりテープの在庫が切れれば仕事はストップしてしまう。そうならないよう もし私が あらかじめ資材置き場から ありったけのテープを持ってけば、当⾯テープを切らす⼼配なく仕事に集中できるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

だが それはできない。なぜなら、もし私がガムテープを独り占めしてしまえば、他の4つの部署だって似たようなモノ、やはり仕事がストップしてしまうからだ。⼤げさに⾔えば⼈道的⾒地から、もしくは「あの野郎、全部持って⾏きやがって!」などと非難されないようにするため、あえて遣らないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 ここでの『ガムテープの供給能⼒』は、海/⼭/川からの諸々の供給能⼒や、供給スピード(には限界があること)を、そして5つの部署は5⼤陸を あらわしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、この比喩的ガムテープの供給能⼒(=⾃然の供給能⼒/養える⼒/ポテンシャル)を無視して社会の/地球資源のリソースを独り占めしようとするヤカラが いつの時代も居るモノだ。それが往々にして争いの⽕種になってきた。

 

 

 

 

 

 

 “途上国”の出身者でも、高い教育を受け、自国が白人に搾取されてきた歴史を学んだ人たちは「G7だか20だか知らないが、我々が これから追いつくため使いたい資源を先進国が独り占めしようと策を弄してるだなんて ズルいズルい」と非難している。

 

 そして日本においても、政治中枢に喰い入った“越後屋”みたいなのが居る。彼ら『とんだ食わせ者』『国賊』『売国奴』『現代の奴隷商人』『不況に乗じ労働者の足もとを見て生き血を啜る現代の吸血鬼』『全労働者の敵』『真に討つべき相手』を、「間違いなくコイツ!冤罪の可能性ゼロ!」と判れば、それこそフランスの労働者階級みたく、自分と家族の暮らしのために同志を募って声を上げるか、あるいはアフリカの政情不安な国の難民みたく逃げ出して新天地を⾒出すか、北朝鮮の人民みたく日々泣き寝⼊りし、密告と相互監視の目に怯え暮らすか、勝ち目が無くても⼀太⼑あびせて そいつらの悪を世界に知らしめ世に問うか、等々 何らかの行動を取るはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが「敵は味方のフリをする」。この『リソース独り占め』や『搾取』の構造が、マイルドだったり、国家ぐるみで行なわれた場合、悪影響を被る側も なかなか原因を特定できず、国難のドサクサまぎれに政治を私物化/我田引水した連中のプロパガンダー『本⼈の努⼒不⾜』や『⾃⼰責任』論のようなーポジショントークに丸め込まれてしまいやすい。その結果、自分の首を括ったり、自分に毒ガス引き込んだり電車に飛び込んだり、攻撃目標を真に討つべき悪にでなく、同士討ちをしたり、自分より弱い者を叩いて溜飲を下げるなどマト外れなことをする。

 

 かくして2019年現在、この世界の富裕層上位26人が、世界の富や資源の約半数を握っている、と報じられる偏った状態になっている。もしかすると、その26人てのは、カネの亡者になり果てて、人間でなくなってるかも知れん。

 

 

 

 

 

  -映画『ゼイリブ』 1988年 米国

 

 

 

 もちろん政府とて、最初は カネ貸し屋のことを、『自国の「血のめぐり」を良くしてくれるWIN-WINの存在』と好意的に解釈し、個々の銀行が不祥事などで信用失い取り付け騒ぎ起きた際には銀行間でカネを融通しあう準備金制度さえ法整備しカネ貸し屋に便宜を図ってきたのに、実は 上記のような とんでもない『食わせ物』であることに気づく。そして、ありもしない『虚のカネ』の貸し出し額に上限を設けた(銀行がホントに持っているカネのn倍までしか『虚のカネ』貸し出しは禁止する、というような)。

 

 「なんだ、『虚のカネ』の限度額に規制入ったのか、なら問題無いな」と、思うのは早計。カネ貸し屋は政治屋に政治献金≠ニいう名のワイロ送って貸し出し上限を緩めさせたため、最初は2倍までだった虚のカネの貸し出し限度額nは、今や世界のあちこちで9〜30倍にまで膨れあがったからだ。

 

 こうして あちこちで借金すること/させることが当たり前となり 、人々は「負債返済」が人生の多くを占める事態となってしまっている。おまけにカネ貸し屋と結託した現代の奴隷商人は、自分の利益と引き替えに日本の若者を貧困へと追い込み、なんの良心の呵責も感じない。

 

 ※これに限らず「規制」というのは どれも元々理由があって制定された。『虚のカネ』の貸し出し制限も同じで、カネ貸し屋による「借金奴隷」の量産や『虚のカネ』によって国の実体経済を見誤ることの恐ろしさを知る人たちが知恵を絞って制定した。

 

 ところが 規制に至った経緯も理由も危険も知らない世襲温室育ちの二世三世議員が政治家になるや、再び資本家やカネ貸し屋は、自分たちの強欲のために政府へ働きかけ、規制緩和をドンドン推し進め我田引水をもくろんだ。近年においては、平成の奴隷商人たちにとって都合の良い派遣労働の規制緩和≠ェ日本の製造業をガタガタにしてしまったように、カネ貸し業もまた『虚のカネ』の規制緩和で自分たちは儲かる代わりに庶民は借金に追われる歴史を またしても繰り返そうとしている。

 

私の元職場を例にとれば、バブル絶頂期にローン組んで豪邸建てた⾯々は、バブル崩壊や橋龍不況、リーマンショックや消費税増税で利益が減ると、⾃分たちの返済計画が滞らぬよう、今まで共に働いてきた社員の⼤虐殺まで遣ってのけた。

 

 借金返済に汲々とすると、⼈は時として道義に もとることまで平気で遣ってしまう。こうして当初は暮らしを便利にするため発明されたカネは今や『間引き』の道具や『共同体の内ゲバの種』にまでなってしまっている。

 

⼀⾒ありがたく思えて 実は社会に不和を、ひいては次世代に渡すべきリソースの食い潰しばかりか、地球環境にも影響を及ぼしかねないカネ貸し屋のカラクリ。彼らは、現⾦を介さないオンライン取り引きの盲点を突いた現代の“錬⾦術”に味を占め、本来の役目だった『貸し⾦庫業』に戻る気はサラサラ無いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 「我に通貨発⾏権を与えよ。さすれば法律など誰が作ろうと私の知ったことではない。」−マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド (銀行家)

 

 そしてホントに彼らカネ貸し屋は、⽴場を利⽤し無からカネを創造することにより、今や⾃前で通貨発⾏権を⼿にしたも同然だ。

 

オマケに最近は⽇本政府までが、カネ貸し屋の勧めるギャンブルに⼿を出している(GPIF)。国⺠には勤勉を奨励しておきながら、⾃分たちは税金元手にラクして儲けようとバクチ遣ってる言行不一致ぶり。

 

 ちなみに日本政府が世界を相手にしたギャンブルに失敗し資産を減らしてしまっても、ギャンブル代⾏業者は⼿数料で稼ぐことが出来るから、日本がスッテンテンになっても彼らは痛くも痒くもない(ノーリスク)。

 

 

では、そんな彼らの『資源は有限』であることを忘れ、貯めとけるからと貪欲むき出しな目先のカネの亡者に我々は⾜もと⾒られ、“途上国”の安い物価と人件費に勝ち目のない国際競争とやらに駆り出されたあげく、⼈⽣の⼤半を⾦“返す”ことに費やさねばならない、なんて災難から逃れるために 次代にどんな提言をすべきか?

 

・ひとつ目は「カネを全く借りない」という⽣き⽅。私がこのタイプの実践者(無借金体質)であるが、結果的に⼤失敗というか、思いもよらないデメリットがあった。それは、バブル崩壊やリストラで、ひたすら非効率な貯蓄に励んでいる間に優良物件を他に取られ、ようやくカネが貯まったころには残り物しか選べなかったり、⼈⽣の『旬』を逃してしまうなど 費やした時間と苦労と流した血に見合わぬ金額で⼀⽣を棒に振る危険に無頓着だったことだ。

 

・⼆つ目は、カネ貸し屋のような『虚業』に相互乗り⼊れされるのを許さぬ独⾃通貨へ移行すること。これは一人じゃ出来ないので皆の同意と協力が必要だ。ただし そう主張する提唱者が、本心でカネ貸し屋の収奪から⼈々を解放するヒントとして主張しているなら ついて行くべきだが、世の中イイ人ばかりじゃない。提唱者が “円天”詐欺事件みたく、やっぱり独⾃通貨を⾃分で発⾏し儲けるために⾔ってる(カネ貸し屋と同じ⽳のムジナな)懸念もあり、今の政府同様まったく信⽤するのは危険だ。だいいち使える場所が限られる通貨なんて、その通貨⾃体の価値を減じている。

 

・三つ目は、大恐慌や経済危機が起こっても、先進諸国のカネとは縁の無かった未開部族はノーダメージだったように、カネに頼らず⾃給⾃⾜な⽣活をすること。私は憧れないが、どこかの国にはアーミッシュのようなカネにベッタリとは依存しない共同体もあるにはある。そこの⼈々は おおむね物々交換に回帰している。だがアーミッシュの若者の中にも都会の華やかな暮らしに憧れ逃げ出す人もいる中、贅沢や舶来品の味しめた現代日本の若者に、そんな隠者か仙⼈みたいな⽣き⽅を説いても不便に思え苦しかろう。それ以前に、この国で可能か不可能かで言うと、⽇本は そこで息をしているだけでもカネを取られる(租税を要求される)。そのため全くカネを稼がずに済む⽣活⾃体が この国では成り⽴たず、国際金融資本の毒牙に掛からないようにするためには、法改正や それまでの生き方まで大変更せねばならないという、やや本末転倒ぎみな手立てだ。

 

 ・四つ目は、彼らの狙う こちらの財産資産をこちらから無価値にしてしまい、彼らアメユダ金融が二度と こちらへ 関わって来る気を無くさす『焦土作戦』。だが これは奪われんとしているモノ・コトを、自らの手でダメにしてしまうことも含む最終手段だ。できるなら避けたい。しかしこれも完全ではない。アメユダというのは、ペンペン草も生えぬほど他国から むしり取ったら知らん顔だが、こちらが塗炭の苦しみを経て復興が終わった頃に またニコニコして やってくるので、今度こそ皆で結託してヤツらを摘み出すべし閉め出すべし、と、子々孫々に語り継がねばならぬ。でないと忘れた頃に、また彼らお得意の 『虚のカネ』使った貸し剥がシステムによって また同じことを遣られる。

 

我々の先祖は、よもや自分たちの子孫が、武器じゃ追っ払えない 外界からの侵略者の釣り鉤に引っかかり、子孫に渡したハズの居場所から何から、財産・叡智・文化・尊厳・そして命のリレーに至るまで 何から何まで奪われんとする未来が迫ることなど 誰も想像できなかったに違いない。

 

 つい最近、日本は日清戦争・日露戦争の時ユダ金から借りたカネを、やっと払い終えたばかりなのだが、結局アレはユダヤのカネ儲けのため煽られた代理戦争に過ぎなかった(ユダ金は、日本と日本の戦争相手の双方にカネや武器を供給し、泥沼化させることで多額の利益を得ていた)。ナチスのユダヤ迫害時、ユダヤを国外へ逃がすためパスポート発行した日本人のことを日本国内で「国賊」「売国奴」「利敵行為したエフリコギ」呼ばわりする人も少なからずいる所以である。

 

 彼らユダ金/カネ貸し屋は言う、「我々が提供したカネの前借りで、あなた方はカネ貯まるまで待たずとも欲しいモノを先取りできたではないか? なんで悪く言われにゃならんのさ?」と。

 

 だが、借金ローンが当たり前、先に敷くものを敷いておかねば、せっかくの若さの『旬』の時期をフイにしてしまいかねない世の中の仕組み⾃体が問題なのだ。こういう困った時の頼みの綱でなければならないハズの現政権は、増税するしか能がない。未来の青写真すらベクトルの全く合わない玉虫色だ。食うに困らぬ世襲ボンボンや、暗記力という頭の良さのほんの一角に過ぎない能力を試すペーパーテストで良い点取った“エリート”ばかりが霞ヶ関や永田町に集まった結果、彼らは カネが『間引き』の道具として作用している現状を、むしろ自分たちが怠ける“好機”とばかりに ただ“自己責任”論で黙認するだけの無能だ。

 

 いくら異常事態が長く続いたところで ソレがフツーであるかのような錯覚に陥ってしまったら、それこそ彼らの思う壺である。カネ貸し屋は、『借金は あなたの資産』などとポジショントークで問題無いかのように装うが、ソレ実は やはり戦時中の日本政府が国民に対し『政府の借金は国民の資産』などと詭弁を弄して国民から戦費を借りたり、様々な名目で重税を課していたりしたのと同じ欺瞞である。現政権はもはや あの頃と同じくユダ金なみに堕落してしまった。

 

「タダより⾼いモノは無い」という。これは逆も また真なりで「本当に⼤切なモノ/コトは、プライスレス(に高い)」。あるいは「持ってる/稼げるカネの大小で、政府から、あるいは世間から、与えられる/与えられないが決められてはならない」。

 

 この当たり前のことに、世界を股にかけた現代のカネ貸し屋 −国際⾦融資本と強欲な新⾃由主義者たち− は『無理が通れば道理が引っ込む』とばかり、個々の国々の事情や秩序を無視し、彼らの商売の論理を押しつけ土足で踏み込んできた。そして案の定、その弊害が今 あちこちで噴出している。

 

 

 

 

 

恐ろしいことに、日本の若い世代もまた、この当たり前のこと(『本当に大切なモノ・コトは、カネの有無で与えられる/与えられないが決められてはならない』)さえも あらためて主張し、地域に、国に、世界に声を上げ続けなければ、未開人さえ選択できるナショナル・ミニマムさえ与えられず、「なんちゃってエリート」たちの失政により「消される」運命にある。しかし日本の次世代が、このまま そういうヤツばらの巻き添えを喰らうだなんて冗談じゃない。

 

 

 

ところで国際⾦融資本には、祖国を滅ぼされ世界各国に散らばったユダヤ系移⺠が多い。幼少の頃からユダヤ教典の法律や、そこに書かれた数の概念を早期に教え込まれて育つので、ユダヤは法律や数字には強い。

 

 その反⾯、彼ら国際金融資本は、⾃分たちが儲かりさえすれば、憑代(よりしろ)にしてる国や そこで暮らす人々の営みなんて どうだっていいというホンネを行ないで示してきた。自分たちの仕掛けたグローバリゼーションにより、賃下げ競争で疲弊していく人々の暮らしのことなど何とも思ってない。焼き畑商法で現地人を搾取して、もう得られるモノは無いと思ったらトンズラこく事も いとわない。

 

 彼らが そんな精神構造とは知らず、日本人同士のノリで接触した結果、日本人は お人好しや警戒心の無さ、無知、そして我慢強さに 何度でも付け込まれ、長らく この国際金融資本、アメユダのカネ貸し屋の手玉に取られっぱなしだった。

 

 一例をあげよう。日本は過去、戦争のカネ捻出にあたり、国民からの税金だけじゃ足りなかったのでユダ金から借りた。もし本気で開戦なんかしたら、実力差で負ける相手と判っていても、彼らは自分の国が無いぶん高みの見物、自分たちの儲けのためならカネを貸すのだ。

 

 ナヌ?「日本は世界有数の債権国(貸してる方)」?  だがその 債券証書は、なぜか日本でなく、米国の金庫に保管されている(つまり日本が売りたい時に日本政府の意志で自由に売れない、ということ。こんな不平等が、さきの敗戦国の扱いとして今なお まかり通っている)。

 

あるとき、アメリカのユダヤ人にいつ日本にくるのかを聞くと、「そろそろ日本に行きます。でも、その前に揺さぶってから買いたたきます」といっていたから、彼らの有限実行ぶりには舌を巻くしかない。

 スティールのような外資系の投資ファンドは「ハゲタカ・ファンド」と呼ばれているが、その元祖的存在が、私の古巣、旧長銀を買収したリップルウッド・ホールディングス(RHJインターナショナル)である。

リップルウッドは、二〇〇〇年(平成十二)年に約四帳五〇〇〇億円もの公的資金がつぎ込まれた長銀をたった一〇億円で買ったが、長銀はその後、新生銀行と名前を変え、株式を再上場して無課税で一〇〇〇億円もの利益を上げることに成功したから、まさに濡れ手で粟である。−日下公人(作家)

 

 ほかにも、元日本マクドナルドの社長が自著『ユダヤの商法』で、我が国が過去幾度もアメユダに、日本国民が汗水たらして稼いだカネを、労せず悠々と かすめ取ってった手口について述べている(んだけど長くなるので省略)。

 

 

 とはいえ私は、人種差別的にユダヤや一神教イコール世界の敵、と、二元論を展開する気は無い。なぜなら彼らの行状で悪く思われがちな元々の教典それ自体は、結構見るべき点もあるからだ。

 

たとえば、「あなた方はカミに選ばれし国⺠なのだから、諸国の⼈々よりも高い道徳心を持たねばならない(いわゆる選⺠思想)」「隣⼈にカネを貸すとき、利息を取ってはダメだよ」「間違って⽣活必需品を質に取ってしまったら、⼣⽅までには返さねばダメだよ」「子は親の咎(とが)を負うべきではない」「どんなに困窮した人が居ても、世襲※の土地は売り買い禁止」「レビ族(祭司職≒公務員)は、国民に食わせて貰う代わりに土地所有や蓄財はナシ」「カミの定めた50年ごとに すべての借⾦はチャラにすること(ヨベルの年)」「カネに困って身売りした奴隷もヨベルの年が来たら自由の身にせよ」「もし あなたがたの隣人が困窮し、カネの無心に来ても『50年ごとのヨベルの年が近い』などと言って(断って)はならない」とある。

襲 =元々の意味「覆い被さること」。転じて世襲=「(先祖から)引き継ぐこと」。

 

 これら金銭に関わるユダヤの戒律は、国民を どん欲や物質主義に陥らないように戒め、また先祖の負債を いつまでも負う人が出て格差が固定されることの無いよう領民を守るものであった。もし彼らが、カミから貰ったとされる戒律をキチンと守ってれば、ユダ王国は割と理想の統治がなされ、彼らの主張通り 選民として世界の規範国にさえ成りえたのではなかろうか?

 

 だが現実として、現イスラエルが周辺国のリーダーどころか鼻つまみ者となっているように、彼らユダ⾦は、『異教徒には何したっていい』という考えで、他国のそれよりガメつく利息を取っている。彼らは「なんじら 強欲な諸国の民みたく利息を要求しては ならん)、というユダヤのカミのオキテに背いた反逆の徒、背教者(はいきょうしゃ)である。

 

この背教者たちが、のちの覇権国家・英国や⽶国で発⾔⼒を得るや、悪名⾼いアメリカユダヤ⾦融(アメユダ⾦融)としてグローバルに貸しはがしをおこない、人々を自分たちの虚のカネの奴隷とし、人類に多大な迷惑をかけてる。彼らは自分たちのカミを愛するでなく、兄弟を、隣人を愛するでもなく、カネを愛する者となったゼニゲバ、守銭奴、カネの亡者となり果てたことを、彼らの生み出す実によって明らかにしているだろう。おまけに日本の場合、政府組織の中に、日本でなくアメリカユダヤの便宜のために買収されたエージェントがいる。

 

 では借りる側は 彼らの虚業に付き合わされてきた、そして これからも利便と引き替えに子々孫々、延々と損な取引きに付き合わされる脅威に気付いた以上、彼らが実は持ってるフリして持ってないハッタリに利子つけるために人生を無為に過ごさねばならない このフザけた現状を知ってなお、バカ正直に守らねばならない義理は あるのか? 

 

私はそうは思ってない。だが既に、「みんな遣ってることだから」と借金負ってしまった人は、カネ貸し屋の誘惑に負けて まだカネが貯まって無いのに“つまみ食い”しちゃった弱みをカネ貸し屋に握られてしまっているため『悪法もまた法なり』、法律を変えてからでなきゃ 勝ち目は無い。

 

 

⾊々書いたが何が⾔いたかったかというと、

 

 今や上級国民サマ≠ヌもによる『下から吸い上げ上に配る』所得の再分配の真逆を「経済再生 この道しかない」などと間違った確信もって遣ろうとしているセルフ経済制裁に合法的搾取、そして二等国民 三等市民≠フ『間引き』が目的となってしまった このバカげた社会システムのルールを真に受けて、アクセク働きづめで⼀⽣終えたり、他⼈を蹴落とし恨まれるような出世争いしたり、その椅⼦取りゲームに敗れたからって⾃ら首を吊ったり、電車に飛び込んだり、そこまでせずとも 若い時代の「旬」を逃してしまうほど 度を超した我慢にあけくれるのはバカバカしい、ということだ。

以前、会社に呼ばれたカウンセラーが講演で、わずか(?)300万円の借⾦を苦に⾃殺を図った社員の例を引合いに出して⾔っていた。「多くの⼈は借⾦すると、返済の強迫観念に取りつかれ、そのことだけで頭がいっぱいになってしまう。そして狭視野になり、他の選択肢が見えなくなって思い詰め、⾃殺を図ったりもする」。「私(講演者のこと)はある時、深い川でプカプカ浮かぶ遊びに参加したら、周りに人がいっぱいいたのに自分のトコだけ波が⾼くて溺れそうになった。意識が朦朧としかけた時、いつの間にか やってきた監視員の⼈が「⼤丈夫ですか?」というので いえ⼤丈夫じゃないですと答えたら、監視員は1m、ほんの1mだけ 私を移動させた。すると波はパッタリ来なくなり、また息できるようになったんです」。

 

ひとたびパニックに陥ると−社会経験の無いニートやボンボンに多いそうだ−はた目ならスグどうすりゃイイか、どこ⾏けばいいか解ることすら困難になるという事例だ。本当に“この道しかない”のか? この方法しか無いのか?≠ニ、⽴ち⽌まり再考することも出来なくなってしまう。

 

 

現代において、暮らしを便利にするハズのカネが、多くの問題を引き起こしているのは何故か。

 

それは、現代は銀⾏のオンライン決済システムにより、虚業と実業とが相互乗り⼊れ可能になってしまった点だ。カネが発明されてからかなり経ったのに、今なおカネは、『稼いだ人の、労働の対価』としてヒモ付けされていないため、コンビニ強盗や銀行強盗は無くならないし、平成の奴隷商人のような中抜きによる合法的搾取がまかり通っているし、本稿で触れたカネ貸し屋という合法的詐欺師と強盗によって、労働者が額に汗して得たカネが、カネ貸し屋のような虚業に吸い取られてしまう という事が実際に起こり得る。労働者階級としては まったく迷惑な話で、マネーゲームなんぞ、⼦ども銀⾏券 でも造って お前らギャンブラーたちだけで勝⼿に遣ってくれと⾔いたい(その点メダルゲームの⽅が、他⼈を巻き込まない分 まだ健全)。

 

これらカネにまつわる理不尽な問題に、次世代を怯ませてはならない。むしろ これらのことを知った今、逆に 「オイお前らチョット待て、おかしいだろソレ」と、皆で堂々構えていられるように。おかしなことには「おかしい」と声を上げられるように。それは『ヤツら』の思うツボにならない『したたかさ』を身につけるのに必要だ。命のリレーを続けていくのに必要だ。今まで ⽇本⼈は、借⾦苦に黙って⾸吊ったり電⾞に⾶び込んだりしていたが、米国民やフランス人は、そこまで家畜じゃないから おかしなことには「おかしい!」と声を上げはじめた。『⿃の⾎に悲しめど ⿂の⾎に悲しまず。声あるものは幸いなり』。

 

かつて米国で、カネ貸し屋の立ち並ぶ通りで起きた『ウォール街を占拠せよ!』のデモは、アメユダ金融が無いカネを貸したことにし延々利子を むさぼるユダ金への抗議行動だった。デモ自体は解散したが、世界の⼈々に『病めるアメリカ』の現状を−カネ貸し屋の暴挙とカラクリ−を知らしめた点では決して無駄ではなかった。⽇本の ある経済評論家は、件のデモに対し『いくら(アメユダ金融が、⾃分の悪を糾弾されるのを目障りだからと)花を摘み取ったところで、春が来るのを押しとどめることはできない』とコメントした。

 

その『春』は、何もしなかった時よりは近い。米国やフランス市民、そして移民は日本人みたく、我慢や自殺・泣き寝入りでは済まさない。カネ貸し屋や経済感覚おかしな政治に まんまと遣られてきたことに気づいた時には皆で声を上げた。だが その春が来る前に潰れてしまっては、解放の時が来ても死んでしまってては 誰も どうにも助けられない。

 

経済予測を外しっぱなしで侮られている婆さんも、たまには正しいことを言っていた。「昔から『⼈・モノ・カネ』というように、これは⼤事な順に並んでる。それがカネの便利さを逆⼿に取られて『カネ・モノ・⼈』の序列になってしまっている」と。残念ながら、今の⽇本のボリュームゾーンは、⽇本が⼀番イイ時代だった“ぬるま湯”からのバブル崩壊の落差に叩きつけられ、弱って⾜もと⾒られたまんま、カネ貸し屋や辞めさせ屋≠ノよる ドサクサまぎれの序列変更に抵抗することが出来なかった。不本意ながら、この序列を元の正しい「⼈・モノ・カネ」の順に戻すのが、次の世代に持ち越された課題だ。でなければ ずっと間違った序列の最後尾である。

 

 解決法の候補の中には「返せないモノは返せない、自活させてくんない社会が悪い世の中が悪い」と言って『借金を開き直ってしまう』手も存在する。安易に自己破産を選ぶひとは ここ数年で急増したし、私の後輩は、テレビや新聞報道に『国の借金が国民一人あたり幾ら』な話題が出ると「借金?どんどん 遣ればイイじゃない。どうせ利息膨らみすぎて返せっこ無いんだから。どっかで徳政令みたくチャラにしないと」と、まるでユダヤのカミ様みたいなことを言っている。

 

 私も、政府の統計が信用できないモノだったことが連日報道されてる今「国民一人あたり、幾ら幾らの借金が・・・」などと言われても、もはや上級国民サマ≠ヌもが庶民を脅して 彼らの さらなる贅沢のために増税強行しようったって もうダマされんゾと思うようになった。

 

 さて、国としての行動指針は市場にカネを供給したって虚業に流れていくばかり、借金で汲々としてる社会への起爆剤たり得なかったことが明らかになった以上、私個人は納得いかないがインフレターゲットでもMMTでもなく『徳政令』つまり借金チャラにするのが手っ取り早いというのは解った。後は実行に移すだけだ。

 

 ひとつ問題点がある。それは、今もしホントに すべての借金をチャラにした場合、地方経済のため、地域振興のためにと銀行を通してカネを貸し、中小零細を応援している私のような人間が すべてを失い泣きを見る、ということだ。

 

2019/6/9

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