アメリカの本質はイナゴ

 以前の繰り返しになるが、私はもともと継ぐ家も、農場も漁場も狩り場も工場もない、両親共々いわゆる既得権益とは一切無縁の出身だ。その上で言いたい。

 TPP 反対論を、単なる“既得権者の抵抗”と決め付けるのは たやすい。実際 土地を耕さず、補助金で食ってる農家だって中には居る。しかし、外国からの経済侵略という目に見えない危機に対し、日本の政治家は危機感無さ過ぎだ。過去に政府が、外国からの恫喝に毅然とした態度で望むどころかアッサリ屈して国益と国際的威信を損ね、国民が悔しさのあまり地団駄(じだんだ)踏んだ例は枚挙にいとまがない。 目に見える侵攻に対処できない者が、目に見えない侵攻に対処できるのだろうか?

本項の趣旨:TPP参加の是非を国民全体で議論する参考に、内橋克人氏著『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』を要約する。(2006年10月刊行)。


規制緩和推進派が反対派に転向

  アルフレッド・カーンは、規制緩和の必要性を主張した経済学者の一人で、七〇年代から八〇年代のカーター政権において、大統領の依頼により航空業界の規制緩和を進めた。

 カーンと共に航空自由法の制定に携わったポール・テンプシーは、規制緩和における自由化は、労働者の生活水準を著しく下げ、安全も脅かすと考え、八〇年代には反対に転じた。

  『もし、あなたが日本で規制緩和しようというのなら、こう理解しておけばいい。規制緩和とは、ほんの一握りの非情でしかも貪欲な人間に、とてつもなく金持ちになる素晴らしい機会を与え、一般の労働者にとっては、生活の安定、仕事の安定、こういったものすべてを窓の外に投げ出してしまうことなのだと』

  『多くの人々は『規制緩和』という言葉を経済学者が振りまいたとき、ルールが変わってしまうということには無自覚でした。皆が、何となく良くなるという錯覚を持っていたのです。結局、そうした人々はゲームから弾き出され、得をしたのは、権力の中枢にいてルールブックが変わることをよく自覚していた一握りの人々でした』

 アメリカではカーター/レーガン政権の規制緩和政策によって、終身雇用が破壊され、金持ちはますます金持ちになった。その一方で、普通の人々はウォルマートに代表される小売業、マクドナルドなどのようなサービス業で、それまでの半額程度の低賃金かつ不安定な雇用に吸収されていった。


安全性の後退

  労働の規制緩和によって、安全面でも問題が出てきている。
日本航空では整備コスト削減のため、二〇〇〇年に新たに設立した子会社に本社から整備士を出向させ、ここに整備を委託するようになった。
二〇〇三年には、八五年の御巣鷹山墜落事故後導入された機付整備士制度を廃止。
現在は整備の四割ほどを、本社でやっていた当時のおよそ三分の一の費用で、シンガポールのSASCO(サスコ)、中国のTAEKO(タエコ)に委託しており、二〇〇五年からはエンジンの整備もすべて子会社に委託するようになった。

  日航では二〇〇五年に六四件の整備ミスを数えた。これは全日空の六倍で、日航がコスト削減のために整備部門の殆どを海外や子会社に委託してしまったことが 原因として指摘されている。

・ 二〇〇五年には羽田空港に着陸しようとした日本航空のボーイング767が、前脚タイヤが二本とも外れ、乗客十八人が軽傷を負う。
・ オーストラリア・シドニー空港で離陸しようとした日本航空のボーイング747 が、滑走路に向かう途中に主脚付け根部品が破断
・ 福岡空港を離陸したJALウェイズ機のエンジンから火が出て、部品の金属片が多数落下
・ さらに二〇〇六年に入っても、八つの機体ドアのうち七つのドアで緊急時に使用するドア操作補助装置の電源に電池を入れ忘れたまま飛行していた主翼と胴体の間にあるパネルが脱落したなど、整備不良が原因と見られるトラブルが続出。

  『コスト削減のための従業員の待遇の悪化、そして安全面での手抜き。これこそが規制緩和の負の側面です。自由競争という御旗の元で、安全や整備ということがどんなに疎かにされてくるのか。JAL、スカイマークといった身近な企業でそれが起きたことで、ようやく日本の人々にもそのことが分かってくるのではないかと思うのです』


寡占化の進行

  『日本で規制緩和が始まった九七年には、三社の航空会社が鼎立していましたが、競争の激化により、日本エアシステムは、日本航空と合併の道を選ぶことにな ります。
 現在の日本は、基本的に二社の航空会社しかない寡占状況ということになります。
 ヨーロッパでは、 今、航空の規制緩和をすべきか否かが大変な論争になっています。
 先日、「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」というパリで編集している新聞に、ヨーロッパ視点の論説が載っていました(二〇〇六年四月四日)。
 その取材グループは私たちと同じようにアメリカの航空規制緩和を実施したスタッフに実情を聞いて、「国内路線の寡占化が進んだ結果、アメリカ国内のどこかからコロラド州のある都市に行く飛行機運賃の方が、アメリカからパリに行く運賃よりもはるかに高くなってしまった」という実話を紹介して、「いかに社会的なコストが大きかったか。同じことをヨーロッパは絶対にやってはいけない」と主張していました。』


乗っ取り屋の横行

  アメリカの航空業界は、政府が、路線への参入・退出および運賃についての規制をおこなっていたが、一九七八年、路線の参入・退出が自由になり、運賃も自由に決められるようになった。その結果、怒濤のような新規参入と激しい競争が起き、四位と五位の航空会社がこの競争から脱落・倒産する。

  シャーロン・ハリスは、空を飛ぶ仕事を志望してイースタン航空に入社、二六年間ずっと同じ航空会社に勤務していた。規制緩和が始まるまで、彼女の生活は幸せだった。

 「イースタンが私の人生でした。イースタンが私の家族でした」
と彼女は述懐す る。「規制緩和の前は、生活も会社も安定していました。皆が互いに信頼しあっていました」と。
 アメリカでも規制緩和が始まるまで は、航空会社の経営も安定しており、一つの会社にずっと勤め続けるという、日本的な終身雇用に近い境遇が普通に見られた(誰だよ日本の雇用がおかしいとか いってたジャーナリスト連中は)。
 しかしシャーロンは、愛するイースタン航空の経営が刻々と悪化してゆく様を、まさにその現場で見ることになる。
  「カーターが規制緩和をすると言った時は、規制緩和という概念自体が私にとって新しく、まさか、ここまで酷くなるとは思ってもみませんでした。しかし、変化はすぐ現れました。アトランタから二〇〇ドルで飛んでいたイースタンは、同じ路線を八九ドルで飛ぶ新規参入航空会社と戦わねばならなくなったのです。
  『給料をカットしないかぎり、会社はやっていけない』と言われ、私たちは給料の三.五%を会社に返すことになりました。それが五パーセントになり、一〇パーセントになり、最終的には、後に紙屑になったイースタン航空の株券と引き替えに一八パーセントの賃下げを私たちはのみました。
  四人乗っていた、フライトアテンダントは三人に切り詰められ、機内食は不味くなり、一回乗ってサービスすると汗が体から滴っていました。
  それでも、会社は利益を上げられず、八五年に経営者は、悪名高い会社乗っ取り屋のフランク・ローレンゾーにイースタン航空を売り飛ばしてしまいました」

  イースタン航空を買収した乗っ取り屋のローレンゾーは、真剣に航空会社を経営する気は最初からなかった。彼は従業員の給料をさらに削り、休憩時間を半分以下に減らし、一万人の首を切り、コスト削減のために検査や修理を怠り、安全検査の数値を改竄した。その一方でイースタン航空の持つ資産を次々と切り売りし て自分の持つ別会社に移してゆき、最後にはイースタン航空を潰してしまう。九一年、イースタン航空倒産。
ニュースを機内で知った シャーロンは、その夜一晩中泣き明かした。
 シャーロンは失業者となり、家のローンを抱えたまま路頭に放り出される。その後、彼女は職を転々としたあげく、取材時点ではベビーシッターをしていた。
「年俸三万ドルの仕事から自給六ドル五〇セントの子守の仕事に落ち着いたわけです」
シャーロンは自嘲気味にそう語っている。

 イースタン航空が潰れたときには、倒産から六ヶ月の間に二六人もの元従業員が自殺したとされる。アトランタ郊外に住んでいた整備士は妻と子どもを射殺した後、自身もピストルで自殺を遂げた。
 その一方で、イースタン航空を潰した乗っ取り屋のフランク・ローレンゾーは、イースタン航空が倒産したその年にも、経営者としての報酬や株の売却で、三一〇〇万ドルもの収入を得ている。その他の航空会社でも、規制緩和による競争の激化を理由に多くの従業員を解雇し、残った従業員に対しても給与カットなどの賃金水準切り下げ、長時間労働など労働条件の悪化を強要しながら、経営者だけは一〇〇万ドル近いサラリーを得ている。

  働く人々の生活水準は劇的に低下し、経営者と株主、投機家という一握りの強者が莫大な富を手にする。それが、規制緩和によってアメリカで起きた現実だった。

 日本における村上ファンドの企業買収のしかたも、同じ文脈で理解できる。
 標的とな る企業の株を買い集め、一定水準以上に達すると「経営陣を送り込む」。さもなければ「企業価値」を上げろと、資産の売却を含む大胆なリストラ案を提示する。その結果、上昇した株価で売り、その利ざやを得て、一〇〇パーセントをこえる運用実績をほこっていた。

 買収された企業からすれば「乗っ取り」と批判される行為によって得た利益はどこにいったのか。それは、村上ファンドに運用を委託していた日銀総裁の福井俊彦氏であり、一九九〇年代半ば以降、「規制改革会議」などで金融などあらゆる分野の規制緩和を推進してきた宮内義彦氏(またオメーかよ)がCEOをつとめるオリックスのグループ企業に流れていった。

 まさに『AMERICA:WHAT WENT WRONG? 』のスティールとバーレットが喝破したように、日本でも、規制緩和で「得をしたのは、権力の中枢にいて、ルールブックが変わることをよく自覚していた一握りの人々」だった。



  そのメリットを台無しにするほどのデメリットが、先に規制緩和をおこなったアメ国内で明らかになっている。しかしそのことを知りながら、まるで良いことずくめのように偽装して、「我々は専門家だ。すべて我々の要望通りにせよ。でなければ制裁だ。これは日本の益にもなる」などと硬軟織り交ぜ規制緩和を迫るアメ。そして、その手先となったオリックスの宮内とは一体何なのだろうか?  私はこれ知って、オリックスの預金をすべて引き上げた。私一人の預金でどーなるものでもないが、ハガキにその旨書いて抗議の意思表示をした。これが大事だ。しかし悪銭身に付かず。国内の同業者を食い荒らした彼らは、それだけでは飽き足らず、今度は日本を同じ混乱に陥ることを百も承知で進出の、いや、経済侵略の根回しをする。何と欲の皮が突っ張っているのだろうか。しかしこれが、アメ国内の雇用を破壊した規制緩和を、日本に上陸させようとしている連中の思惑である。

  なお前掲書では、そうして貧しくなった村の若者を狙い、他国の石油欲しさに言いがかりで始めたイラク戦争要員の募集をかけるという、自らは労さず利を得ようとする石油メジャー・軍産複合体に毒されたアメの病理も見えてくる。日本をそういう社会にしたくない方はご一読を勧めたい(ただし、私は内橋氏と違い、防衛のための武装は『是』である)。

  かつて西洋で文明の栄えたところは多くが廃墟と化した。彼らは食糧にせよ資材にせよ取れるだけ取り尽くし、回復不能なほど破壊してしまったからだ。すると今度は新天地を目指して“開拓”と称しては先住民を虐げ、移住先でまた同じことを繰り返す。そして今度は黒船のような目に見える武器は使わずに、表向きは『日本のため』とか言いながら、まず小泉・竹中・そして政商オリックスの宮内のような国賊に法をねじ曲げさせてから “合法的に”やって来る。

  何も今度が初めてではない。アメリカ一国主義に対する怒りが中南米やヨーロッパで高まっていた時、アメのプロパガンダ機関・ハリウッドは、「アメが世界を救う」映画を連発し、映画評論家の失笑を買っていた。そのひとつ、宇宙人来襲モノのパニック映画「インディペンデンス・ディ(ID4)」の中で、米大統領が、星を食い荒らして移動する侵略者を 「イナゴ」になぞらえる場面がある。実はあれ、エメリッヒ監督の、フランスから見た アメに対する批判が込められている。すなわち他国から見た「アメリカの方こそ迷惑なイナゴ、映画の侵略者そのもの」だという皮肉だ。

 それにしても、規制緩和にせよ移民にせよ 「遣ってみたら大失敗」の前例は既にあるというのに、どうしてこう日本の政治は、同じ轍を踏みたがるのか、まったく不思議でしょうがない。勉強不足なのだ ろうか? それともどこか日本に恨みでもある輩から日本の破壊指令でも出ているのだろうか? そうこうしている間にも、急ぐ必要など全然無いTPPになんか前向きなんですけど? やはり歴史は繰り返すのだろうか? イナゴは草が無くなれば共食いを始めるが、アメは共食い相手がいなくなったら海を渡ってやってくる。今こそアメは段階的に世界から手を引き、「大草原の小さな家」の頃に戻れと言いたい。

(2011.3.13 2020.8.19 誤字修正)
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