やせ我慢が日本の労働条件を悪化させる
 
本稿の趣旨:電車に 飛び込むほど追い詰められる前に周囲に助けを求むべし。
そしてそん時ゃ間違っても自分を “格好悪い”とか思っちゃーダメです。
(長 いバージョン、機会みて枝葉削ります。まとめきれない私が悪い)。

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 私がまだ子供の頃(1970年代)、近所の商店/雑貨屋は、日曜は普通にカーテ ン閉めて休んでいた。それが当時の普通であり、よほどのことでもない限り困ることも無かった。
  ところがその町に、外資系のコンビニエンスストアと郊外型の大型ショッピングセンターが進出してきて状況は一変する。従来の個人商店(街)は、24時間業営のコンビニと、大量仕入れで安値攻勢かけるショッピングセンターという、思わぬライバルが登場することになった。そして、その新たな商売ガタキに次第に 客を奪われ、苦境に立たされた。

  もちろん個人商店だって手をこまねいていたわけではない。バイトを雇って深夜営業してみたり、地域の商店街と協力し「○○商店街スタンプ」などを発行するなど販促を試みた。しかし元々深夜営業のノウハウを持つフランチャイズや、ショッピングセンターのような週末のまとめ買いで大抵のモノは揃ってしまうワンストップの利便性に太刀打ちできるわけもなく、続々廃業に追い込まれていった。昔の近所にあった加藤商店も工藤商店も、佐藤商店も成田書店も今はもう存在しない。

  そして地域というのは繋がっており、体力のない所から連鎖的に寂(さび)れていく。傾いたまま直す人もいない看板はみすぼらしく ますます客足が遠のく。町が寂れ、地域が寂れると、今度は勝者だったはずのコンビニが、限られたパイを奪い合い、高額なロイヤリティを払えないコンビニは 地の利の悪い所から潰れ「テナント募集」の貸店舗になった(フランチャイズ詐欺なる言葉ができたのもこの頃)。大型ショッピングセンターも、売り上げが落ちれば、地域と心中する義理など無いとばかりに サッサと引き払い、次なる焼き畑に狙いを定める。

 ひとたび廃業・壊滅した商店(街)は、その元凶が去っても二度と元には戻らなかった。かくして私が子供の 頃住んでた かの土地は、今や流通の空白地帯、「陸の孤島」と化してしまい、そこに住む日常品の入手すら困難になった買い物難民のため、移動販売など多額の税金を投入してメンドー見なければならなくなってしまった(震災前からそうだった)。ストリートビューを見るたびに何やら寂れていく、見覚えのある駅前の様子を見るに付け、「変化に付いていけなかったのだから仕方ないのかな」という気持ちと、「しかし流石にこれは寂れ過ぎ」という相半ばの思いが交錯する。 さすがに食い詰めて死人が出るようになってからは、「これも時代の趨勢だ」とか言って片付けようとする為政者の、まるで人ごとみたいな発言に同調できなくなった


 必要以上のカネの追求に「抜け駆け」する者が一人出ると、それに引っ張られるカタチで誰も得をしない「大ガマン大会」にみんなが巻き込まれてしまう。

  後出しジャンケンで言うのもナンだが、一体なぜ、彼ら個人商店(街)は、そんな勝ち目の無い消耗戦に、正面切って挑んでしまったのだろうか? つまり「行政に助けを求める」というテは無かったのだろうか?  ひょっとして、国語の教科書に載っていた「八百屋のオヤジが近所に出来たスーパーに対抗すべく、自分を偽り威勢が良くなって(うぜぇ・・・)奮闘中」、みたいなウソ臭いサクセスストーリーに黙らされてしまったのだろうか? それとも、助けを求めたが「そんなの甘え」「自己責任」と突き返されたのだろうか?

  じつはこれ、大ごとになるまで無理をして 、取り返しの付かない事態を招いた「過ぎたる我慢強さ」と、それに乗じた(もっと便利に、もっとキメ細かく、もっとマイノリティにも・・・etcの)「過ぎたる要求のエスカレート」が マズい感じに噛み合って、結局自分らの首絞める方向に作用した残念な一例と私は見ている。今ごろ、そんな誰も得をしない消耗戦を仕掛けたフランチャイズやホールディングスの胴元は、きっと嗤っているのだろう。

 しかし今、ただでさえ、外人コンプレックス(とその反動)が蔓延するこの国で 「欧米では~」というフレーズはあんまり使いたくないのだが、日本が今の窮地に陥った理由を反省するにあたり、何でもかんでも「外人にしてやられた! 俺ら悪くありません」という視点だけで状況分析することが、必ずしも日本の再生に繋がるのか? 果たして我々の方に非はなかったのか?  という点について考えたい。
 

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  この国で、一生懸命働くことは間違いなく美徳だった
。 製造業ならより良いモノを生み出す努力をし、日々改良を重ね、量産品に至るまで工芸品なみの品質にこだわる。就業後はQC活動に参加し、休日も連絡できる電話番号を交わし、サービス残業なる滅私奉公/忠誠心をいかんなく発揮、眠っても仕事が夢にでてくる。そんなガムシャラを推奨するかのように、某栄養ドリ ンクのバブル期のキャッチコピーは「24時間戦えますか」だった。富士通のコンピュータ技師の過労死さえ、プ口ジェクト×の手に掛かればアラ不思議、美談に脚色された。

  これに対し 欧米では、労働とは何とペナルティ、つまり「天罰」であると教えられる。すなわち『当初はグータラで良かったが、創造主たるカ ミ(?)に逆らい自治を求めた結果が今』(の惨状。近々、そのカミに事態の収拾を任された救世主が現れ「ハイ時間切れ、あなたがた残念でした!」を遣る予定)と、信じられている。

  日本でも知られている「パンドラの箱」や「失楽園」の訓話にも、この「労働=ペナルティ」の概念を見ることができる。もちろん欧米でもこれを「くだらねー」と思う人は居るし、皆が皆 嫌々働いてるワケでもない。しかし、そんな周囲の影響はやはり受けて育つ。

  だが彼ら、気分は常時牢獄か?  というと そんなことは無い。信じているかは別にして、開き直るトコは開き直り、都合の良いトコは受け入れた。その結果、大多数の欧米諸国は 次のような思想の結論に達した。「なんで俺ら、その見たこともない先祖の罪かぶってんねん! 納得がいかん!」 → 「とゆーわけで、労働が逃れぬ天罰いうのなら、みんなでキバらずホドホド仕事をいなしましょう」と。※

※ 望ましくない結論に達した例もある。前半の「なんで俺ら、先祖の罪をかぶってんねん!~」までは同じなのだが 後半が → 「だったら他人の倉(くら)狙えば良くない?」「先住者コロして土地を子孫に与えれば解決じゃない?」 「さらに他人を働かせれば左ウチワで暮らせない?」「じゃぁ呪われたハム族奴隷にするのが手頃じゃない?」・・・などと、ひ弱な私じゃ心の中にも上らんよ うな結論に達し、しかも思うだけでなく実行に移したというのだからまったくもって恐れ入る。スペ、ポル、英、そしてアメ・・・。しかしその報いは必ずや彼 らの子孫に跳ね返ってくるであろう、っつー話は長くなるので書かない。

  欧米人と仕事をしてて思ったが、彼らの多くは労働を「生活のため、仕方なく遣ってまーす」感をお互い隠そうともしないし、またその必要も無い(もし日本の就活で んなコト言ったら落とされる)。

  そして、この、労働=ペナルティ、という観念は、向こうで長い時間を経て、社会的なコンセンサス(合意)として、労働者にも、経営者にも共有されている※。  「人を使う経営者の側にも」だ。たとえばバカンスを採用してる国の休みは ひと月以上にも及ぶが、その直前に 自損事故を起こし、長期入院していた社員でも、バカンスが来ればそりゃもうキッチリ休む。これが日本なら、入院中の穴埋めをどうするか問われそうなものだが、彼ら大勢にとって「仕事」ってーのは あくまでそういう位置付けだ。

  別な国だと「シエスタ」なるお昼寝タイムが大人の社会に浸透してる(午後の効率が上がる)。そんな人達に言わせると、「もっと私たちの国みたくメリハリ付けた方がいい。どっちがメリでどっちがハリかわかんないけど」(答え:減り、張り)。日本は先進国? の中で労働時間の割に生産性が低いと言われるが、解決のヒントが意外にもコノ辺にあるのやも知れん。あと、日本人が有給休暇を捨ててしまうなんて「信じられない。バカの所行」だそうだ。まして しばしば過労死するまで働くなんて理解不能。実際、海外メディアで日本の過労死が報道された時、「彼らは何と、オーバーワークで命を落とす。我々の精神でなく、服装や外面だけ真似しようとした結果じゃないのか」などと驚き呆れ、以後欧米でもそのまま「KAROUSHI」で意味が通じるようになってしまった。

  あと、英国のチャーチルが、日本を評してこんな回想してる(大意)。「日本政府と利害絡む交渉する時、私は事前に7割程度を合意点と設定し、まず日本に大幅譲歩を吹っかけた。すると、他の国なら『またまたそんなご冗談を』となって場が和むところを、日本は反論らしい反論もなくこっちの要求丸呑みするので拍子抜け。交渉、我が国完全勝利(不戦勝)。それではと、別の交渉で思い切って完全譲歩 (10割)を要求したら、日本は何とそれも呑む。こりゃあ日本との交渉って何と張り合いのないことよ、そんなに国力に余裕があったのか、なんて調子に乗って次もその次も 10割要求していたら、日本はある日突然怒りだし、「かくなる上は貴国と一戦交えるしかない」といきなり殴りかかってきた」と。つまり当時の日本政府は白人に、不条理な我慢を何度も何度も強いられて 本音は怒り心頭だったのに、「武士は食わねど高楊枝」の やせ我慢が邪魔をして、向こうのいいようにされた恨みつらみが やがて大爆発したというわけだ。しかしそれで日本は民族滅亡の危機一歩手前まで行った。長年連れ添ってきたハズの奥さん が、ある日突然「私はずっと耐えてきた・・・」。と離縁状突きつけるようなモノだ。「イヤならイヤだとその場で言ってくれ!」。とは先輩の弁。笑いながら なのがせめてもの救いだけど。

 このように(?)、彼ら欧米人の多勢にとって、仕事とはあくまで「日々の糧を得るための手段、生活を楽しむための我慢」であり、これを我々日本人が善し悪しと言うことはできない(ソレ言い出したら内政干渉 or 環境“保護”を騙(かた)って金儲けするテロ集団の独善に同じ)。

  こういう「労働で、過ぎたる我慢強いてヒト潰しちゃったら世間から大目玉」の監視の目は、日本のそれを遙かにしのぐ。産業革命時代のヒトの扱い方で一悶着あった反省があるから、近代以降の欧州では、今の日本みたく「ただ一度の失業で、なし崩し的に下の下までストーンと落っこち社会的に(物理的にも)死んでしまう」状況に比べ、「困った時は皆で支える」意識がわりと高い。また、行政も、今の日本みたく「税収40兆のうち、たった8兆の使い道を決めるのに公務員人件費で32兆を費やす」ということも、まぁ無い。 「立場を活かして儲けたカネは地域に還元しなさい、でないと昔・・・」的な歴史もあるから極端なカネ持ちというのもいない。そこへいくと日本の行政は、自国民が苦しんでるのに敵性国家にバラまきやったり外交カードをみすみす捨てたりで、親日国からも「日本の寛大さに敬服する、欧米も見倣ったら(だけど それはちょっと違いません?)」、と、遠回しに馬鹿にされる始末だ。

  もちろん、向こうも多くは資本主義社会、不幸にして困窮する人というのは出てくる。が、アメのような行き過ぎた格差や、その猿マネして同じ格差社会に転落した日本と違い、本当に困った人を支える社会の仕組みがちゃんとある。それも、 施される側の自尊心を壊さない方法でだ。日本でも、「チャリティコンサート」や「チャリティーバザー」なる言葉がそのまま通じるようになったが、この、労働や死を「祖先の しでかした罪の報い」と この世の不条理を説く教会は、しかし同時にその師の精神に何度も躓きながらも倣い、弱者救済の手本を率先して示してもいるのだ。※

  死人からもカネ取る日本の坊主とは偉い違いで、この点「だけ」は、日本の檀家に拘る庶民も色々考え直す時期に来ているのかも知れない。「じゃあどう行動するのか」の部分で、私は彼らと袂を分かつけど。もっとも「隣の芝生は青い」とも言いまして、イイことずくめってワケでもない。行き過ぎた悪平等/博愛主義は、社会コストを払わぬ移民を続々呼び寄せて、郷に従わない移民のために治安は逆に悪化した。

※ 私は免罪符で商売してたバテレンの全てを肯定はしないが、そのメリットが、デメリットをわずか上回ってるという意味で言っている。というのはも日本もわり と34~6年くらい前までは「これこれ、そんなアコギなマネしてると閻魔(えんま)様が~」「お天道様が~」などと悪に進むのを茶化しつつもたしなめる空気が、社会の安寧や正直さに一種の功を奏していたモノだ。地動説が、人工衛星でも上げようとか考えなければ百姓として生きる分には特段支障も無かったよう に、閉じたコミュニティ内でお互い信頼し合うのに“閻魔様”の方便はアレで充分機能していた。たとえそれが虚構であってもだ。今それは監視カメラに取って 代わったが、ホントは「見られてるから」じゃなく、内面変えなきゃカメラも無くならないのだが。。



  さて、そんな「死ぬほど競わず ほどほど遣ろうぜ文明(欧米)」と、「モノ造りひとつ取ってもガムシャラに働く文明(日本)」とが、同じようなモノを造って互いに(または他の国々に)輸出しあって 一体なにが起こったか?

  欧米にとっては、今までフンフン♪ 鼻歌交じりで平常運転だった仕事に突如、なんだか無闇に命を削った強力なライバルが登場することになった。そしてその新たな商売ガタキに次第に客を奪われ、苦境に立たされた。なぜなら、日本は子供番組の時間帯まで「資源の無い国・日本」のトラウマCMを流し続け、子供までが省エネルギー語り出したり、 「大変だ、大人になるやいなや世界に売れる商品造らねば!」  と、そういう変な焦燥感や空気もどこかあったし、大人は大人で、先の大戦にて敵国の挑発とマスコミの開戦ムードに乗ってしまって絶対勝ち目のないチート国に戦い挑みボコボコにされ(by 戦中世代の産業医の弁)、敗戦で悔しい思いしたりひもじい思いした世代の仕事ぶりときたら、ある意味怨念にも近い、鬼気迫る感さえありましたね。こうして、時には死人が出るまで命懸けてモノ造り遣るもんだから、欧米の「無理なく続けられるペースの仕事」で日本と太刀打ちできるわけがなかった。

  ここに至り、欧米の鉄鋼業や半導体、自動車業界など向こうの基幹産業は日本製品を「これは最早ダンピング(不当廉売=ライバルを潰すため割に合わない安値で攻勢をかけること)の領域だ! ヤツら競合相手を抹殺しろ!」と、締め出しのロビー活動を展開、行政に助けを求めることになる(当時の新聞の風刺画には、日本製のあらゆる家電製品が大波のごとく押し寄せる日本画(神奈川沖浪裏)のパロディや、日本との価格競争に負け倒産した米製鉄所をバックに「あれ? 先の大戦の勝者はどっちだったっけ? 」的な見出しが載っている)。特にアメの反応は過激とも言える対処で、日本製の鉄鋼や自動車、家電製品や半導体に気違いじみたパーセンテージの関税を日本製品に課すことになった。デトロイトの労働者が日本車を叩き壊す光景が衝撃と怒りを以て報じられたのもこの頃。その理由は「日本の同業者が普通に遣ってたんじゃかなわないほどお求めやすい価格で売ったから」。この品質コスト「競争」を、その頃まだ外野で眺めてられたサッチャーは、「資源の無い国・日本がヨソより働くのは当然のこと」と日本の弁護にまわったが、アメはあらゆる制裁をちらつかせ、圧力を掛け、固定レートの廃止や米国製品を何パーセント買わねばならないなどの制裁を科した。しかし、その「ジャパン・バッシング」は、あまりにも効きすぎて、近代日本衰退の原因になってしまった。

  過ぎたるは及ばざるが如し。頑張りの世界標準を大きく逸した がむしゃらな努力(コストダウン)の結果、日本はまたしても恫喝外交国 アメの逆鱗に触れたのである。いわゆる「虎の尾を踏んでしまった」のだ。アメは自分たちが有利な時は市場競争原理を持ち出して売り込み掛けるが、いざそのルールが自分たちの逆ザヤになれば一方的にルールを変えてくる。その善し悪しは別にして、日本は一途にルールを守ってやせ我慢を続け、国際社会のいいカモにされてきた(京都議定書なんかがイイ例だ。いや、悪い例か。カナダの反応の方が世界的にはマトモ)。今、アメが他国の雇用を奪ってまで雇用創出を目論むTPPにしても、カモにするつもりの他国が打たれ強くなってうま味が無くなれば、また、自分たちの押しつけた ルールをひっくり返すことだろう。

 これは弱小メーカーと大手メーカーの間にも良くある話で、なまじ革新的な商 品を世に出したばっかり に、それまで安泰だった業界団体や同業他社に危機感持たれ、「そんなの効果無い」とか「文化の破壊だ」とか目を付けられたり、本気を出されたら生産能力・ 宣伝力共にかなわない大手メーカーに さらに上行く商品を開発されるキッカケを与えてしまい、結局開発費の回収もできず今まで築いてきた店頭シェアまで奪われてしまう、といった具合だ。

  最初は日本を支えていたはずの過ぎたる我慢や頑張りも、それが欧米の職を奪うほど度を超すと、コスト削減競争に突入するのを望まぬアメの制裁によって潰されてしまった。※ だから、こういうのは -出し惜しみをしろというのではない- こっそりやったほうがいいな。

※ 自身の身近な例では私のかつてのメシのタネだった半導体産業の衰退を早めた。CPUまで国内開発してたのに、あの現代の不平等条約を結ばされたばかりにアメの独占状態を許してしまう。当時から、政府はガイアツ(GAIATSU)に弱く、脅しつければ自国民を犠牲にしてまで譲歩するカモだと世界中の泥棒国家にナメられ、付け込まれるキッカケを与えてしまった。


  そして、日本はその痛手から未だ立ち直れないまま、今度は逆に新興工業国の安い人件費(向こうの物価水準)を武器にした価格攻勢に太刀打ちできず、加えて投機筋に仕掛けられた円高が追い打ちをかけ、 いかな堅実な経営でも加工貿易で身を立ててきた日本の製造業は総崩れである。そういや出向先の部長だか課長が怒ってました。 「人事にリストラ面談の時言われた、『トンガで人を雇えばあなたの20分の1の給料で済みます』と」。 しかし なにゆえにトンガ・・・? (社内スポーツチームの引き抜いた選手がトンガ出身で、それ繋がり)。これにしたって、元を正せば プラザ合意以降の異常な円高 →土地バブル →その崩壊 →大不況 →やっぱり日本特有の、殺人的リストラ という一連の流れの中で、本来なら、若手を育てる立場にあった年配技術者が、年功序列の高い人件費を理由に首切りに遭ったのも二次要因で、彼らは生活のため、捨てられた日本国内でなく、新興国に活路を見いだすなり引き抜かれるなりして向こうの若手を日本の若者のライ バルにまで育て上げてしまった。何とも皮肉な話だ。自分たちだけ助かろうと他人を蹴り落としたりなんかすると、巡り巡ってその因果が子々孫々に返って来る というのも これまた世の常 人の常である。

  ならば今、国際競争力をつけようと我慢(痛み)を強い続けた結果、却って弱体化し、満身創痍な日本に残された選択肢はあまり無い。ただ、アメやかつての列強と同じ手口を取るのは考えたくない。それとも もう色々全部諦めて、スナッチされるに任せるかい? 折衷案として、真っ先に思いつくのは、もう資源大国と全く同じ生活水準求めて皆で背伸びし て、年間3万人も死者を出すほどの競争・がむしゃら・やせ我慢はもうヤメること。世界標準/普通じゃない状態を長らく続けていたということは、必ずやそのぶんのシワ寄せがどっかに生じてて、恐らくそれは今、他人をしゃにむに働かせて安穏と食い逃げした人がいる一方で、そのツケを、中途半端ゆえに何の支援も得られない、最底辺からひとつかふたつだけマシなランクの人が今一 身に受けているはず。そこに朝三暮四でさらなる負担を押しつけようとさえする。実は自分もそのうちその一人に数えられるんじゃないかと思ってるんだけど、 実際のところはどーなんでしょう。それはともかく、国土に見合った無理なく回せる適切な規模というのがあって、そこをターゲットにみんなで一度小さくなること。これが、オールジャパンで今なすべきことではないかと思う。

 もっとも、政府とて  このことはかなり前から認識している。だけど、まさか政府自らが『殖えすぎた。お前ら 減れ』だなんて直接言ったら非難囂々(ごうごう)なので、そうは言わないかわりに政策で、真綿で首を絞めるようにジワジワと遣ってきただろう(失政が明らかになる度『あっれーおかしいな~何で~? 』とか国民には白々しくトボけているだけで。自分らと二世三世の待避先だけはしっかと確保して。小学校高学年でも解る失政ぶりを、人口調整のためワザとやってるだろという視点で見 れば、失政の点と点とはかなりこの線で繋がる。

 ちょっと脱線した。

 ある経済評論家が最近、外人からこう言われたという、「日本には失望した」と。「かつてあなたの国は、ガチガチの資本主義ではなく、さりとて社会主義で もない独自の道を歩み、白人どもの植民地支配で疲弊した我が国に進むべき道を示していてくれていたではないか? 」。護送船団には護送船団の良さがあった。アメのゼネコンが日本に入り込めないと文句言ってただけで。それが何で 今、「彼ら」一部のどん欲な者が仕掛けた「バビロン・システム」 ※ を拍手喝采で受け入れ、自ら苦しむことになったのか?  さらに最近では、シナ共のような農村部を搾取して中央が肥え太る一国二制度のシステムに媚び売って増長させ、日本のみならず周辺国の安全保障まで脅かすようなマネをしているのか? と(ついでに「あの恫喝外交といい盗掘といい、一体なにが戦略的“互恵”関係なんですか?!」とも。日本人より日本人らしいわ。日本が平和ボケしてるのか)。かように我が国は今や、かつての友好国からも軽蔑と憐れみの目で見られている。この現実を我々はもっと直視せねばなるまい。

* これは調べると、『一握りの富裕層のために弱者同士が潰し合いをする社会構造』を指すらしい。

 昔ながらの方法が、今よりダメとは限らない。自然のありようが決めたカタチやサイズを超えて成長し続けるのはガン細胞などがあるが、あんな不自然な“成長”をしてるのに、局所肥大の痛みを放っといたり、我慢し続けなければならない理由は何? そして患部を手厚く保護しておきながら、正常な組織にさらなる過負荷をかけねばならない理由もどこに? 人の足元を見るヤツや、抜け駆けする輩が出るから ズルズルここまで来てしまった。それを正すことこそ政治の領分なのだが今の政府にはそのビジョンがない(どころか震災雇用円高そっちのけで外国人参政権な どの売国! 売国! また売国! に血道を上げている)。

 それなのに、失政続きで要らなく長引く不況の中、こんな状態に陥った労働者の足元を見たり、組織に対する忠誠心を喰いモノにする経営者が増えた。もちろん、旧国鉄みたく、要求をエスカレートさせ、利用者に迷惑かけた強すぎる労組も問題だが、かといって経営側に懐柔され、無理な要求に反対するどころか丸呑みし、組合の職場討議が単なる一方的な職場“報告会”になってしまっているような活動しかしない労組はかえってその存在自体が害悪だ。お前ら今ボーナスどころの騒ぎじゃないでしょっちゅうに。そのカネで、何人かでもリストラ回避するのがスジというモノでしょう。だいたいですね、嵐の船で積み荷を投げて軽くして、『私たち助かりたんで、それまでアナタは (日本経済がまた力強く回復するその日まで)海にでも沈んで頑張って下さいネ』と組合に人事の片棒担ぐような発言されて、『ハイそうですか、ぢゃぁ海に沈んで待ってます』、なんて言う人がどれだけいますか? その海に沈んでる間に息続かなくなったら、アンタ残された家族に補償でもしてくれるんですか、責任取ってくれるんですかって話だ。いや、わかってるわかってる、労組の給与は社員の平均給与連動だから、社員の給与を減らすより、維持したまま首斬りを後押しした方が自分たちの実入りはいいからだ。実務の現場を離れて長い彼らがひとたび会社を離れれば、社会では使い物にならないのをよく判っているから、社員を犠牲にしてでも自分たちの生活レベルを守るために必死 ですわ、彼らも。

 こんなモラルハザードが常態化した結果、テレビでは、新興企業の人を人とも思わぬ研修が自慢げに紹介され、「成長の陰(かげ)にはこのような厳しい舞台裏があるんですねぇ」などと肯定的な結びで終わる。しかしその実、視聴者はドン引きで、「社員が可哀想だからもう利用しねーわ」の声多数だったのを、そこの社長は知っているのだろうか・・・。さらにビジネス誌に目を向ければ、5mを3.6秒以内に歩かねばブザーが鳴る工場の廊下も自慢げに紹介される。が、これまた大多数の意見は「まるで現代の奴隷工場だ」と逆宣伝になってしまって いる。

  もうちょい身近な例では、さらなるコストダウンのため、終業後にパートのおばさんにグループミーティングさせ、「始業15分前に到着しラインが動く準備をする」結論に、自らでの意志で達するよう誘導する(自発的なタダ働きなら労基も違反を問えないので)。そんな我慢に自ら応じるのを見て要求はさらにエスカ レートし、商売道具はみな自腹、休み時間にも空段ボールを解体・ゴミ捨て場に運ぶ仕事を派遣にさせる(ワールド□ジ)、 休憩時間終了のチャイムと同時に、みんなそろったか、準備オッケーかなどの確認も何もナシに動き出す製造ライン(○ニー)。貧すれば鈍ずると言いまして、コマーシャルではいくらカッコつけの、 世界に名だたるメーカーの工場も、末端にいくとこんなヒビだらけ状態なのが今のこの国の実態なのだ。私は卒業と同時にモノ造りに従事してきたから今までを普通と思っていた。しかし、このたびの震災で、ウチの会社も東北の被災者雇用に応じたのだが、その農林水産業から工業に転身してきた人たちも怒ってました、「製造業とは何と人をコキ使う業種なのか」と。

  またある大手家電メーカーが、リストラのため、コンサルを雇って自己都合退職に追い込む手口が糾弾された時、まだ学生の人が「社会に出るのが今から憂鬱だ」とこぼしてた。悪事千里を走るとも言いまして、そりゃ社会ってのは甘くない。甘くないんだが、しかし決して厳しいだけでもないのだ。なのに本来 社会の範となるべき企業が、自分らの生活レベルを維持するあまりにエゲツナいリストラやって、これから社会に出るべき人たちを今から萎縮させるような言動は慎んでもらいたい。

  なんつーかこの国の経営者って、揃いもそろってバブル絶頂期にディスコ会場借り切って、新入社員に一億円触らせて「キミもこれを手にすることができる!」 とカネで遣る気を出させる×イテックの下品さ加減が話題になったあの頃から既に腐敗は始まっていたような気がします。「ナンバーワンになるには違法行為も 辞さない」などと公言するのを、この欺瞞に満ちた社会をよく見ている今の若者たちが、同調することなく「モラルハザード推奨かw」「嘆かわしい」と言ってくれるのがまだ救いだ。このように 多くの日本人は総じて善良だ。もっと大切に扱え。

  あるいはゴーンやストリンガー見てみろよ 大赤字なのにお手盛りの巨額な報酬。日本人は支配層をまだ性善説で語れた頃の病的な忠誠心を今逆に利用されてるんだよ外人経営者や外国人投資家に。そしてそのメーカーの日本人はリストラされる一方で、敵性国家に雇用とカネが流出している。だけど日本の経営陣は彼らを超えるビジョンがないから黙ってる。 まぁこれはソニーや日産内部の人たちが自分たちで立ち上がるべき問題で、外野がとやかく言うべきことではないのかも知れん。しかし彼ら内部の日本人がいく ら彼らの下でやせ我慢して働いたところで、そりゃ幾ばくかのおこぼれは来るだろうが、トータルでは日本のカネを海外に流出させる片棒をかついていることに なる。頑張れば頑張るほどに。外資の傘下に入るってのは結局-穿った見方だが-そういうことだ。どん欲な者が、あなたとあなたの仲間の取り分を、足元見て合法的に奪ってきたと知れたなら、もう焦土作戦でも何でも使ってON出しなさいよ。そして言ってやりな さいよ、「これが日本の遣り方だ。我々はこれで行く」と。でも、それは誰も遣りたがらないのでしょう? 

  それともナニ? 私は「経済回すのに不要」と判断され斬り捨てられようとしている人の擁護と引き換えに、日本の国力を下げ、負担を上げる提言でもしているのか? だが命と経済どっちが大事? 誰の為の法? その法のために誰かが苦しんでんなら それは撤廃モノだろう。

  我慢は何のためにする? 「おしん」みたく、ただただじっと耐える我慢のための我慢なんて意味無い。「そう、この状況もじきに良くなる」と楽観できる根拠があってこその忍耐だ。この国が今のハンデを負ったのは、身の丈に合わない暮らしを望んでムリした結果と反省した上で、日本には日本独自の風土や国民性に基づいた知恵や良さがある。もうやせ我慢はヤメ。日本こんな状態なのに、このうえまだ日本からカネ引き出そうと勝ち目のない競争を強いる国や人々にはNOを突きつけ、 「これが日本の遣り方だ、我々はこれで行く」と、もういちど世界に胸張って言えるような、そんな国にしていきませんか? この国が三たび 世界の笑いものになるのを望まないなら-。

 冒頭の、私の田舎の個人商店で、やせ我慢大会の競争に敢えて参加しないことで生き残った店があったことも付け加えておこう。その見てくれは、私が子供の頃とまったく変わらずボロいけど。










あ れ?

こんな大脱線な駄文を最後まで読んで下さってありがとうございます。もちろん今私の持てる総力で臨みましたが。


付録 下記はこれドコに挿入しようかマヨった挙げ句 投げっぱ

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  「外国人研修制度」も、あれは策定当時の趣旨はともかく今となっては商売ガタキに塩を送りまくって日本の若者の職を奪う制度になってしまった。おまけに海外からは「これでは奴隷労働じゃないか」と評判が悪い。しかし少なくとも後者は、表層しか見ていない外野の意見で、相対的には日本人の方がよっぽど労働条件は悪い。たとえば、今の職場で雇われている外国人研修生を例に取ると、確かに12時間交代制勤務5勤2休で時給は600円。日本じゃよほどの足元見られてないと求人すらこない労働条件だろう(し、外人研修制度でなけりゃ県の最低賃金に抵触する)。しかし彼ら、奴隷労働と重々承知の上で日本へ来た。 「ワレワレダテ、バカジャナイ」と彼らは言う。なぜなら、そんな労働条件であっても3年間、そう、3年も我慢すれば、向こうではかなりいい暮らしができる。たとえば、私と同じ並びで仕事されてるフィリピン人のメリーさん(仮称)は、日本だったら何だもんだの上記の労働条件で働き、日本での労働で初年度一年目に稼いだカネで、故郷に立派な家建てた。彼女が26~7歳の時だ(とはいっても、英語の堪能な、良い教育を受けられる恵まれた立場の人だけが、日本に来られるのだが。フィリピンの格差は、日本のそれなんか目じゃないくらいヒドいから)。で、後の二年は何のために働くかというと、「まずベースキャンプ(家)は確保しました。日本で3年働けば、フィリピンではこのように家が建つだけでなくビジネスを始めることさえ可能です(東京を歩いていれば、日本であればもう入り 込める余地の無い/飽和したビジネスであっても、現地でなら競合相手なしに儲かる商売ネタがいくらでも思い浮かぶらしい)。それに比べて日本人は、20年間必死に働いてもウサギ小屋のような家か集合マンションがやっとかな、特に人口密集地は。と返すと、あなた方日本人は可哀想だ、と同情されちゃったよ研修生に。このような、3年間の奴隷労働でも頑張れる根拠のある人たちを前に、日本の若者はスタートラインで既に負けている。資本家の息の掛かった政治が推し進めたグローバリゼーションとは、これからもますますこういう人たちとガチで競争(しかし実質には勝ち目のない我慢大会)しろということなのだ。しかし私はまだマシな方だ。というのも私んちは既得権など一切あずかれなかった貧しい生まれで、弟と妹のためにもとっとと食い扶持減らしたく、大学行かずすぐ就職した。しかし、 同年代の、大学在学中にバブルの弾けた元祖氷河期世代は、私よりよっぽど日本を背負って立てるだけのポテンシャルを持ちながら、新卒カードが使えなかったというだけの理由で社会の底辺に沈んでいって、その多くは二度と浮上できないまま身体や精神を殺られて今鬼籍、という人も多い。なんてことを書くと、お前は排外主義者かと勘違いされるかも知れないが、現実は逆で、私には、別な職場で彼らフィリピン人に仕事を取られた過去こそあれ、そんなことなどつゆ知らない彼らを恨むにまでは至らない甘さもある。一度だけ、弁当忘れて会社に来たことがあったのだが、それたまたま知った研修生たちが、昼休みなのに研修寮でジャパニーズおにぎり作って持ってきてくれるわカップケーキみたいなの持ってきてくれるわ果ては普段知らない研修生まで名を伏せてお菓子を人づてで渡してくれるわで、リストラで来てる私にそんなことしてくれたって何の見返りもないこと知っててそうしてくれる。今の「競争社会」とやらで、他人を蹴落とすこと しか考えなくなってしまい、今の日本社会が忘れてしまった「困った時は皆で支える」精神を、彼らまだ純朴に維持できている気がするのだ。

  労働力のダンピングについて補足:「究極に安い人件費」を追求すると、一番儲かるのは囚人を使うこと。だから/しかし、囚人が造ったモノの輸出は国際法で禁じられ ている。これは別に差別ではなく、安さでそっちの方が売れると、囚人プロダクトの価格を目指した値下げ競争が起こっていくら売っても儲からない「価格破壊」が起こってしまうのを恐れてのこと。
 であるならば、向こうの物価水準を武器にした安い人件費のせいで、日本の学生が、社会勉強の場としてのコンビニバイトすら入り込む余地のない現状に規制をかけるのはしごく真っ当なコトであるはずなのだが、だが左翼政権に言わせると それは外国人“差別”なんだそうだ。
  この、区別と差別の違いが分からない馬鹿 or こんなことまで即“差別”と脊髄反射しちゃう人の方こそ実は差別主義者でないかと思うけど。アメでは民間刑務所が、さらなる利益を追求すべく、囚人使って もっと儲かるような(=まるで貧困や犯罪を利用するかのような)誘導や法改正まで遣ろうとしてるがこれでいいのか? と糾弾するドキュメンタリー映画があった気がする。しかし囚人/患者が増えるのを望むだけでなく、自分たちの利益最大化のため政治圧力を掛けるべくロビー活動を実行に移してしまうのだから、ヤツらホントに狂ってる。つくづくアメってのは反面教師で、彼らは上もすごいけど、下の馬鹿さ加減も世界に有害なレヴェル。そ してガイジン・コンプレックスに促されるまま、前者でなく、後者の方のオタメゴカシにただただ盲従するだけの日本の政治屋ってのも何なのか。

  目下国論を二分するTPPについても補足:そんな売国政策のひとつがTPP参加問題。経済水準の高い国と低い国とが連携すれば、キャリアとしてのカネの流 れは一方的に低い国の方に流れて行ってしまい、しかも国内と違いなかなか戻って来ない。
  この辺を、ちょっと当てこすった例えで説明しましょうか。モノ造りに携わる人なら、工場内で台車やキャスター使いますよね? で、その台車やキャスターを、製品出荷口へモノ運ぶのに使った後、誰も回収しないで放置してるとどうなるか。その構内では、キャリアとしての台車やキャスターが戻ってこないというだけで もう仕事が進まないワケです、他がいくら頑張っても。社員が優秀で、遣る気があっても。ちゃんとキャリア(TPPでいうと、国外に流失したカネ)を回収する仕組み作りが必要です。 
  あるいは電気を扱う業者の方ならば、大規模な配線のつなぎ替え工事を行う際は、安全のため、必ず大元の電源をいったん切りますよね? そして影響の及ぶ周辺住民に十分な説明と工事の目的なり時間帯なりを十分周知徹底しますよね? さらにどうしても活線挿抜しなきゃならない時は、万が一感電して動 けなくなった人をドツいて配線から引き離す要員を必ず同行させますよね? 覚悟と対処を指示し、教育した上で。
 また土木建築に携わる人なら、上から「ダムの放水しろ」と言われて「ハイそうですか」とそのままジャーとは流したりはしません。その下流の住民や財産を間違って一緒に流してしまわぬよう、事前にサイレン鳴らしたり村内放送流しません? また、土砂崩れを防ぐためのネットや衝立(ついたて)を取り除けと言われた時だって、まず住民を避難させ、逃げ遅れた人が居ないかどうか一軒一軒回って声かけて、避難所と密接に連携を取って、全員避難した、大丈夫と確認したうえで行ないます。そして一気にドシャっとなって近くの民家を巻き込んだりしないよう、段階を経て、徐々に徐々に、ゆっくりと、様子を見ながら、そのネットなり衝立なりを、外すなり取り除くなりするわけです。
 さらに医療に携わる人ならば、バイパス変える大手術を行う際は、患者の体力消耗を最小限にとどめる処置を スタッフや患者と十分検討した上で行います。ホントは心臓止められればラクなんでしょうけど、あいにく社会を止めるわけには行きませんので。そしてもし、 患者の体力が心配な時には中断、延期して十分なインターバルを取ることだってありましょう。先の小泉改革の失敗は、成果急ぐあまり弱った患者の体力回復待たず手術断行したようなもので、議員年金の出るご本人は なんの自覚も無いようだが、あの時、日本のまだ大丈夫だった部分までヘタに上書きされ、二度とリカバリーできなくなった。私は、日本のモノ造りの現場が奴 隷労働の解禁で急速に弱っていくさまを、それこリアルタイムで体験した。
 しかし、あまりに当たり前すぎて書くことさえはばかられるが、政府はその仕組み作りも、影響受ける人への執行猶予も説明も、覚悟も、責任も検討も、そしてもしシミューレーション通り行かなかった時のダメージコントロールも考えないまま革新を急ごうとしている。何でもそうだがその時の流れとしては正しかったハズの革新も、ソレがあまりに急すぎれば 往々にして民衆を不幸にする(その急ハンドルに振り落とされてしまう人が必ず出てしまうため)。おまけに、この期に及んで「日本の付加価値高い食料輸出で大儲け」 とか「新興国より付加価値の高い製品造りで大儲け」とか、肥と油にまみれて働いたこともないお抱えの識者と一緒になって「産業構造の転換を~」とかずいぶん簡単に寝言を言ってくれるが、しかし高付加価値なぞ  そうそう付けられるもんじゃなし。だいいち 未だに“除染”さえすれば日本が元通りにでもなるかのごとく本気で勘違いしてる。あんなね、脳内がお花畑な連中を いちど、政界から叩き出さないか? 手遅れかも知れないが。今新生児の八割が健康でないプリチャピからの避難者も、最初の2~3年は平和だったというし、まぁきっとそのうちDeath。
 TPP賛成派は言う、「反対派は、日本を国際社会から孤立させるつもりか?」 と。しかし んなこたぁ言ってない。「その順番を間違うな(今急ぐな)」というだけの話だ。即ち、終わりの見えないやせ我慢(つまり賃下げ競争の流れ)に背を向けて、鎖国に近い保護貿易主義を遣るか、あるいは全く正反対に、カネの流れをツーツーにして、日本を出て行ったカネを海外だろうと宇宙だろうと出て行くやいなや素早く回収(循環)できる仕組み作りの方が大事で、TPPが一番国益を損なうカタチで中途半場なのが問題なのだ。ちょっと被るがタダでさえ今各国は、ジリ貧になった 自国の経済を建て直すため、とにかく輸出を増やして通貨高や輸入超過の国にババ引かせてでも自分たちの儲けを最大化するための圧力を、自分たちより弱い国に仕掛けてきている。しかしそんなのを政府は唯々諾々と受け入れて、国民にさらなるやせ我慢を強いようとしているのだ。

 日本のお札の顔にもなってる野口英世は、もし周囲の助力と結果が出せなければ危うくタダの飲んべぇで終わってた人だが、そんな彼も良いことを言っている。「家族の和楽に勝るモノはない」と。
  これがホントなら、その家族を思うがゆえにやせ我慢して働いて働いて家族と過ごす時間無くし、オマケにソレをデフォルトにされて労働条件も悪化させ、 イライラして家に帰らなければならないような状態にもし なっているとしたら。それは例えれば、 トラクター欲しさに田んぼを売るようなモノで、基本線から逸脱して台無しにせぬよう軌道修正行うべき時。まして子供の首閉めるとか衝動的に電車飛び込むな どもってのほか。つい最近も、都内から電車通勤してる先輩が「(飛び込みを)見ちゃったよぉぉ」と4日間ほどヘコんでて、私も仕事にならなかった。


(2011.11.23)

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