外国人労働者受け入れの課題

本項の趣旨だけ先に書くと・・・

・自国のことを他国に任すべきではない
・なぜなら招くのは簡単だが、帰すのは困難だから
・しかし失敗事例を知ってなお移民を推進する勢力とは?


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まことに恐ろしい話だが、長寿が必ずしも祝福されてるわけではない。
医療の進歩は皮肉にも『不健康でも長生き』な高齢者をただ支えるための医療費を増大させた。

そして、苦労に見合わず誰も遣りたがらない介護医療現場の人手不足をおぎなうため、政府の
出した結論は、国内従事者の待遇改善ではなくて、その現場に外国人を、低賃金で働かそうと
いうことであった。今、その第一陣として、インドネシアの医療従事者が日本で研修中*である。

*
ただし、来て欲しかったのか来て欲しくなかったのか判らない厳しい条件で篩いにかけられている。

外国の、前途ある若者に、日本の老人のシモの世話をさせる。これって何か間違っていないか。
国家間協定で合意の上だからいいのか。低賃金で働いてくれ、向こうも外貨獲得の手段になる
ならいいのか。何より彼らは自ら望んで応募してきたのだから、それでいいのか。

この「同じ仕事を低賃金で」がウリの外国人労働者受け入れの波は、医療だけでなくモノ造りの
現場にも これまで以上に押し寄せている。

とりわけバブル経済崩壊後、メーカーは低賃金な国でコストを下げて利益を出せ、と海外進出を
加速した。自分の勤め先もその例外ではなかった。

私はそのプロジェクトの責任者でこそなかったが「彼ら海外進出に携わる人たちが『討ち死に』
することの無いよう」最大限の強力を要請されてもいた。

現地で採用され、研修のため来日したエンジニア達はおおむね礼儀正しく、人なつっこくもあり、
大学出身者なので普段はタガログ語でも英語がちゃんと通じた。来日当初、異国の地で休日の
過ごし方がわからず、寮で暇をもてあます彼らにレクリエーションを提供するのは私ら末端社員の
仕事(というかボランティア)だった。上層部が寮のゲストルームを見に来て、「研修生たちは
日本にTVゲームをしに来たのだろうか?」 と感じさせたのは私だ。

しかしその、外国人研修生と、上層部との意識には多分にズレがあった。彼ら外国人研修生は、
身につけた日本の技術を祖国の発展に活かしたいとエントリーしてきた(その意志は、面接の
時点で知ってたはずである)。

これに対し会社の上層部は、不幸な過去を塗り替えたいなど色々夢語りもしていたが、結局は
自分の在籍中、それまで国内で遣ってた作業を外国人労働者に置き換えることでローコスト・
オペレーションの実績を出す、程度にしか考えていなかった。これには思い当たる節がある。
ちょうど他社のモノマネ”成果主義”が採用され、目先の利益を出したか否かで近視眼的評価を
下されるようになった頃だ。言い出しっぺの富士通が、その弊害に気づき廃止してもそのまま。

外国人研修生を受け入れた部署も、彼らを預かったからと言って仕事量は今まで通りだ。すると
どういうことが起こるか。やはり言葉がネックになって、とりあえず誰でもできる単純作業から、
ということになり、やがてはそれが定着するのであった。

遣りたい仕事と実際の仕事にギャップがあれば、彼らはまだ若いのですぐ辞めていく。日本企業に
在籍していたステータスさえあれば、彼らは現地では引く手あまただからだ。彼らを引き留める
ため、国内社員は彼らに望み通り技術を提供する。自分や仕事の時間を削ってまでそうしていた。

さて、研修生が現地に戻り、業務委託が軌道に乗るまでには3年くらい費やした。向こうの言葉で
指示書を作ってメールを出す。これだけで半日仕事。作業中に海外から質問が入ってくる。それに
答えるタイムラグ。指示書書いてる間に自分でCADに向かった方が早い。だがそれはできなかった。
なぜなら海外での回転率を上げるため、海外の要員がヒマにならないようにするためという。一種
なぜそこまで? という目標が掲げられていたからだ。

その理由はこうだ。日本企業の海外進出を誘致した現地の元政府要人が、昔社外取締役だったこと
から経営者一族と家族ぐるみの付き合いで、何としても双方の顔を立てたい思惑が会社側にあった。
で不景気になったら向こうの雇用を守るため、その仕事の移管をして私らの部署は犠牲になったと。
今思えば、自分で自分の足元を削って差し出すようなことをしていた。本末転倒である。*

*ここの会社に限らず、手段の目的化は、陥りがちな罠の一つになる。

これを受けて、経営者が私情を会社に持ち込むべきではないと人事関係者は怒り、外国人研修生を、
あえてスキルと違う部署に配置するような指示まで出していた。あああ、社内コンセンサスなしで
色々走りだすと収拾がつかなくなるという例だ。

結局、経営者は、この件以外にも会社を私物化するなと追われたのだが、それで私の再雇用を含め
元通りに回復したわけではない。そこの海外事業所は規模縮小。研修や現地で育てた人材は流出。
リーダーも帰国した模様。コストを下げて利益を出せ、って、社内に失業者出したり開発スピード
下げてまで海外委託する意味はあったのか。

目先の安い労働力のために送り込まれた部隊やその支援者は、懸念通り『討ち死に』してしまった。

ところで、私が飛ばされた次の次の部署は転勤を伴ったが、そこでは外国人を、研修という名目で
低賃金で働かせたいだけの企業と、ブローカーの思惑が一致したどうしようもない土地柄であった。
外国人労働者から搾取的労働と訴えられた企業もここにある。氷山の一角で、普通は泣き寝入り。
こんなことがあると、帰った外国人も日本を良く思わなくなる。

労働者を外国から募っておいて、その外国人の福祉面は行政に投げっぱなしの企業も隣県にあった。
おかげで地方行政がその企業で雇っている外国人労働者の子供の世話をしている状態。つまり儲け
第一で社会的責任を果たしていない。犯罪の増加などそのしわ寄せは地域住民に来ている。正社員
をリストラする一方で外国人の派遣は入れている。リストラされた地域住民は外国人に職を取られ、
悪感情を持つ。これを共に栄えている状態とは言い難い。

今は距離を置いているが、そこは日本でも有数の外国人の多い町で、日本語解らなくても暮らせる。
職場の正門をくぐるたび、つくづくここはどこの国だと思う。中国と南米系が多い。彼らの中では
親しい人もいたのであまり悪くは書けないのだが、それでもしばしば文化の衝突がある。端的な例
では夏祭りか。若い担ぎ手がおらず、御輿をクルマで走らせるという ある意味今の日本を象徴する
イベントなのだが、日本の神事に外国人を起用すべきか否かで揉めた。かと思えば南米の外国人が
向こうのカーニバルよろしく慎みのカケラもない衣装で練り歩くので、遠方から写真撮影に来る
観光客? が進行を妨げたり「子供に見せられない」と苦情が来たりしてた(たぶん禁止になった)。

しかしいつまでも同じ仕事を低賃金でをアドバンテージにし続けらるハズもない。目下世界の所得
水準は、日本は全体的に下がる一方だったが、外国では逆にストなんか起こしてどんどん上がった。
母国の水準と大差なくなってくれば、外人を雇うメリットはなくなる。そして問題はこの後にある。

そうなったら帰りますか? また 帰せますか? という話だ。ましてや二世三世は母国語を話せない。
先週警察の広報車が巡回していたが、空き巣による犯罪がここ数年増えている*。中でも被害が深刻
なのは、組織的な外国人窃盗団によるものだ。さらに今も、そこの通りを珍走団どもがクソ蠅よろしく
噴かして廻っているが、彼らの顔は間違いなく日本人のそれじゃない。郷に入らば郷に従えという
日本の躾を学ばない、将来の犯罪予備軍である。

*南米の外国人を、片田舎に連れてくと驚かれる事の一つに、地元の野菜や果物の無人販売所が
ある。  「自分の国では決してこんなマネは出来ない」という。しかし都会の愛知では、自販機や
コインランドリーの両替機が破壊されたり、持って行かれるのは珍しくなくなってしまった。


さらに、ここに来て経団連(また おめーらか)が、自ら招いてしまった施策で疲弊した日本経済に、
さらにまた外国人労働者の受け入れを政府に提言している。彼らは言う、「外国人労働者は、日本の
消費活動に多大な貢献をしている」と。


身の丈に合わない消費行動は、その当事者だけでなく、コツコツ先憂後楽型で遣ってきた人まで
不幸にするという現状から、学ばないのか。

労働力”不足”から、移民を受け入れた結果、大変なことになった例ならドイツやオランダがある。
失敗と気づいた時には後戻りは出来なかったのだ。

私は偏狭な民族ナショナリストにはなりたくないが、もしその移民政策を実行したらお互いの身に
降りかかるであろう事象を一歩先に経験している。皆さんもよく考えた方がいい。もし黙ってたら
沈黙は同意と見なされてしまい、本当にそうなる。

(2008/10/21)

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