リストラで分断されてしまった企業城下町 グローバルID 67で始まる全てのM社社員へ問う

本項の主旨:震災のドサクサまぎれに行われたリストラへの異議申し立て。他項内容との重複有り。戻る

 



  東日本大震災では多くの被災地が津波の追い打ちを受けたが、その津波の被災の程度差により、震災から かなり経つのに近所付き合いがギクシャクしたままという痛ましいケースがある。

 その町は、海岸線沿いに走る道路の海側は津波で壊滅状態になった一方、道一本隔てた山側はギリギリ津波の到達を免れインフラ復旧と共に震災前と変わらぬ暮らしがスグ戻った。すると どんなことが起こったか?

 報道によると、被害を免れた山側の住民が、被災者に対する「遠慮もあって」徐々に被災地区の住人と距離を置くようになり、ついには たった一本の道路を隔てた あちら側とこちら側とで町の交流がすっかり断絶状態なのだという。

 被災者の心労・心痛は勿論のこと、もし自分を その町の、被災を免れた側に置き換えても、これは相当ツラい立場だ。なにしろ通り ひとつ隔てた同じ町内の被災者が、目の前で困っているのだ、見て見ぬフリをすることはできない。

かといって、災害の規模的に、ちょっとやそっとの『お手伝い』や『ご近所の底力』で済むレベルもない。さらに もし、本腰で隣人の生活再建に手を貸そうと思ったら、災害を免れた側にだって、同じ町内の住人として、相当の犠牲を払う覚悟が必要。あの地震さえ無かったら、予定していた催事や楽しみごとなども、被災隣人の手前 延期したり保留したり、または規模を縮小したり、諦めねばならないことだって あるだろう。

 ともすると「彼ら被災者は運が無かった。詮(せん)無きこと」「復興には協力したいが、かといって あまり依存されてしまっても困る」「あんな終わりの見えない長丁場に これ以上付き合っていたら、こっちの暮らしまで破壊されてしまう」「そもそも津波の来るような場所に住んでいた彼らが悪い」などと だんだん考えが変わっていき、しまいには あれやこれやと理由を付けて「シラネエオレ」、と被災者をパージしたくなる誘惑にも駆られかねない。

 同様に、海側の被災者も、助かった側の変わらぬ暮らしに水を差すような/犠牲を強いるような支援要請などは なかなか言い出せるモノじゃない。あるいは心配かけたくないので自ら交流を絶つ。かくして その町は、たった一本の道路を隔てて、貧富の格差だけでなく、かつてのコミュニティまでもが分断されてしまったのである。

 

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 東北の人は総じて我慢強い。ここ関東なら、それほど手間かからずスクスク育つ作物も、東北では工夫と改良を重ね、やっと同じ収量か それ以下だ。また この辺の日照時間は、真冬でも南向きの部屋なら暖房を まったく使わずとも室温57℃はキープされるが、東北の真冬は朝起きたら部屋の中でも氷点下。吐く息は白く、窓ガラスや金魚鉢が凍っているのも珍しくない。戊辰戦争の頃、新政府軍に敗れた会津藩が私の郷里へ島流しに遭ったそうだが、同じ東北でも あまりの作物の取れなさと、冬の厳しさに耐えきれず、気が狂ってしまった人たちも出たという。

 私にとっては そんな郷里の冬も、物心ついた時から日常だったので別段気は狂わなかったし、気候や風土は その地に住まう人々へ平等に降りかかるモノだから不満も出なかった。それでも ひとたび郷里を出てから振り返ると、「観光にはイイ所だが、わざわざ移住してまで住む所ではないネ」というのが私と同じ“脱北者”たちの一般認識だ。つまり我慢強くなければ生きていけない。

 しかし過酷な自然環境ゆえに培われた東北の我慢強さは しばしばアダにもなってきた。というのも、周囲が皆 我慢強く、愚痴一つこぼさず、不平不満もグッとこらえてばかりだと、自分だけネを上げるのは はばかられるモノだ。すると どうしても本音を押し殺し、本来なら公助として行政が動くべき事案まで自助で乗り越えようと無理して、自らを追い詰めてしまったり、共倒れするまで助け合えと受け取ってしまいがちだ。あげく「我々被災者に配慮しての自粛ムードなんてやめてくれ、そんなの気遣われるこっちが迷惑です」とまで言ってのける。『武士は食わねど高楊枝』? 当の被災地では、誰も いつぞやのワールドカップサッカー開催地みたく「今はスポーツイベント誘致の時なのか!? そんな予算あったら今困っている我々自国民に充てるのが先だろう!!」と庁舎前でクルマひっくり返して火を付けて騒いで抗議するようなこともしていない(ゆえに彼ら被災者の本音は どうにも推し量れない)。

 

 だが、その物言わぬ寡黙さ/我慢強さが 逆に中央へ「我々に何も言ってこないってことは、震災から10年が経ち、カネのかかる除染/復興/帰郷を諦めてくれた証拠なのかね? 楽ちん、楽ちん」などという誤ったメッセージを送りかねない。タダでさえ、本来なら復興に回すべき予算やマンパワー・資材が、東京での僅か16 日間のスポーツイベントへ優先的に充てられている事実は、いくら口では「復興を加速」とか、今年も3・11の前後一週間だけ“我々は被災地を決して忘れない”とか言ってても、上記の例みたく、自分たちの努力だけでは どうにもならない格差と分断に見舞われた人にとっては まったくガス抜きにもならぬ。昔英国で「ロンドン大火」が起きた時、英国政府は すべての公共事業をいったん凍結し、焼け出された被災者の救済に全力を挙げたので、僅か数年でロンドンは復興を遂げた。そこへ行くと、今の日本政府は順序が間違っていると言わざるを得ない。こともあろうにオリンピック誘致した面々は被災地の心の痛みが解らないのだ・・・と、ある人が やはりラジオで、被災者は我慢強く不満漏らさないけど私が代わりに言うぞと語っていたのを思い出す。

 

 放射能汚染で野菜を出荷できなくなった農家が首吊ったという痛ましい報道を聞くと、やはり さきのワールドカップ開催地みたく、皆で集まってクルマひっくり返して声を上げていた現地住民の方が、日本で黙って首を吊ったり電車に飛び込んだりするよりかは まだ人間らしいのではないか?

 いつぞや「保育園落ちた日本死ね」の投稿が待機児童問題を動かしたと言われるが、あんなのは、共働きでもなけりゃ食ってけない根本問題の解決からは ほど遠く、ツィートを政治利用した単なる選挙前の人気取りに過ぎぬ。声がデカくて目立つ人は顧みられても、真に助けの必要な人は 黙っていると放っとかれるのが この国の現状だからだ。

 

 さて、怒りをぶつける先のない自然災害でさえ こうなのだから、ましてや災害による経営危機に際し、閻魔大でもない人間が、同じ職場で働いてきた仲間に“優劣”付けて行なったリストラが、今日に至るまで遺恨を残しているのも また当然のことである。

 

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 私が新社会人として会社の門をくぐるとき、こんな決意をした。「自分は何か卒論や研究成果を携えてココに来たわけではない。その代わり、与えられる仕事が何であれ真面目に取り組み認められるようになろう」と。なぜなら新入社員研修時、配属先が決まった途端に辞めた人がいたからだ。彼は入社試験時に、泊まった寮のゴハン(タダ)も口に合わず、ほとんど手付かずで残してしまっていたので、「恵まれた家庭環境だったり、母親の料理が上手すぎたりしても、彼みたく巣立ちのプロセスで思わぬ落差に苦労するんだなぁ」と思った。 

 入社から 幾日も経たない金曜(残ゼロ日)の夜。私をはじめ新入寮生は、社員寮1階に まとまって住んでいたが、そこへ見知らぬ他部署の先輩2人が、酔った勢いで新入寮生の部屋を次々訪ねて講釈を垂れて回るという出来事があった。その時先輩は、私の顔を見て こう言った「君は みんなから『おとなしい』って言われないか?」。「まぁ、ハイ・・・」「だろ? でもねマズいよ この会社でね、それはマズいよ! 俺 多分ココ辞めると思うけど、君は その おとなしさを 会社に利用されないよう 気を付けたまえ」と諭された。

 今思えば、その一期一会な「先輩」の直観を、もっと心に とめておくべきだったと悔やまれる。私はテレビコマーシャル出してるような企業なら信用できる、と何の疑いも無く会社組織を買いかぶりすぎた。同じ部署に配属された同期の桜は「いい会社に就職できた。これで安泰だ」と、入社してすぐデートカーをローンで購入、社内のツテで連れ合いを探し早々に結婚。一年違いの後輩も「いい会社に就職できた。これで安泰だ」と高校時代の知り合いと結婚。他部署から移ってきた先輩も「黒字部署に異動できた。これで安泰だ」と元職場の女性と結婚。やはり安定・安心は次の命のリレーには欠かせない。

 対する私はストイック。フリーライドはできないと、まずは自分の持ち場で実績を上げ、しかる後、大いばりで先輩後輩が先んじて楽しんでいるクルマなりマイホームなりヨメ探しなり、マズローの欲求推移三段目四段目に目を向けようと仕事一筋だった。幸い自分は生涯賃金でも買えない高価な機材と設備に囲まれ、開発環境も整っていたから、他部署の赤字を補てんして なお余る利益を出していた。当時の部長らから「皆さんのチームは素晴らしい。もし独立したら超優良企業です」と常々評されたように、震災を除けば十数年間のうち赤字だったのは橋龍不況の時くらいだ。なにより若く、自信もあったものだから、己の可能性に線を引かないイイ意味での向こう見ずさも功を奏していただろう。私の部署はアナログ部門だったが、自動配線が主流のデジタル部門の人が見て「もはや人間技ではない」と舌を巻く程度には熟練工だった。

 そして下っ端なりに働きが認められ、アナログデジタル混在ICを手がけた実績から、赤字なデジタル部門の立て直しに抜擢された。しかしアナログ部門在籍時、ブラックボックスとして渡されていたデジタルIC というのは、アナログIC とは設計思想も使用ツールも全く異なる。デジタルIC のイロハの学び直しに最初の一年が費やされた。そこへ突如訪れた震災。デジタル部門の上層部は、自分が手塩に掛けて育ててきた部下と、アナログ部門からのヨソ者の どっちを斬るだろうか? 

 

 結果私は震災による経営危機のドサクサに、営業職への“転換”と称する体のいい追い出しを食らった。週に一度の昼会でしか顔を合したことのない部門長から ある日 不躾なメールで呼び出され、行ってみたら部長の隣に座ってた軍曹みたいなコンサルが やおら立ち上がり「震災による営業力強化のため、あなたには営業職へ転換していただきます!」。震災による損失が甚大なことは当然私も聞いており、「ならば会社の危機に際し皆で顔を見合わせてるだけでは芸がない。その営業を遣ります」と大真面目に返したのが運の尽き。のちの組合支部員の話によると、介護なんて してないのに「私には近々要介護の親が〜」「私には近々受験を控えた子供が〜」「私には近々結婚を控えた恋人が〜」「私には買ったばかりのマイホームが〜」と、労組を通して転勤や配転の会社命令を渋った社員は結果的に合併先で今までの仕事に引き続き従事でき(あるいは最大6 年間の執行猶予と割増退職金が満額支給され)、一方 私みたく転勤や配転に応じた社員の多くは「営業には不適」と降格を受け、表向きは雇用の維持と称して親会社出資の派遣会社へ身売りに出され、資本関係にも無ければ誰も遣りたがらない3K仕事に従事させられてきた。私と同じ境遇に遭った社員の中には、慣れない仕事で身体を壊し、売り言葉に買い言葉で辞めていったものの、その後二度と まともな仕事に就けなかった社員も多い。

 

 営業研修は『半導体事業部からは○○○○人辞めさせる』『この部署からは○○人辞めさせる』という“割り当て”が決まっていた。営業研修の当初の予定は、他県の研修センターで一年間だったという。研修開始の8日前になって、前述の“上司”から「入寮予定だった寮は空きが無くなった」「実家に荷物送ったら」「貸倉庫にでも頼んだら」などと予定が狂っても異動はしろとか、自然災害であることをタテに まったくフザけた緊急対応だった。

 導入研修では、某インターネット掲示板で「スーパーバイザーはヤクザ」との噂が流れ、戦々恐々だった。講師のA崎殿も「私はインターネット上で書かれているようなヤクザではありません」と はじめに断りを入れてたほどだ。研修中少し親しくなってから、休憩時間中コーヒー飲みながら「本職は?」と尋ねると、彼は「お水系の商売に入る人への意識改革」や「ソープに沈めるお手伝い」が本職だったそうだ。それ以前は、若気の至りで人身売買も遣っていたとのことで、少なくとも私には紳士だったが、研修生たちからは「さすがは関西、ヤクザの本場」「やはり堅気(カタギ)じゃないようだ。もし事前に警戒の噂が広まって無かったらどんな目に遭っていたことやら」と皆疑念を持っていた。

 当時、本社の人事部門で、のちに系列の派遣会社に移籍した修羅の国出身・Y田氏は、リストラ面談の席上で元部署の人事に味方して「営業研修に、インターネット上で噂されていたようなヤクザ講師なんていなかったでしょ」とドヤ顔だった。が、それを言うなら反社会的組織だって、組長の罪を被って刑期を終えれば それなりの待遇が与えられるモノだ。さんざん元社員を3K 職場へ出稼ぎに送り出し利益を得ておきながらリストラに荷担するなんて、ヤクザよりヒドい。

 

 営業研修では、研修といいつつ評価が ついて回ったが、本職が営業職の人でさえ「これを売るのは難しい」という商材で、事実担当区域では一件も売れなかった。「この辺で携帯電話を使うような若い人は震災で皆新興住宅街へ移転してしまった。ココもワシの代で終わりや」と行く先々で言われた。私だけでなく、同じ研修を受けた面々は結局ただの一件も成約に漕ぎ着けられなかった。『鍋ブタのうた』は時代に合ってないと思う。

 

 営業研修中、外回りの交通費が あまりにもかかるので、仕方なく街と山との坂道をテクテク歩いて営業を続けるうちに、私は足首と膝を痛めてしまった。最寄りの医者に見て貰ったところ、半月板損傷でないかと言われ、症状や留意点を書かれたプリントを貰ったが、引っ越しの荷物に紛れてしまい、出てこない。

 営業研修中、「あなたに営業はムリ」と外部コンサルタントに散々ダメ出しを食らったが、中でもEC原とかいう、私の顔を営業向きでなく貧相だと散々ケチを付ける若造がおり、私は容姿に自信をなくし、すっかり引きこもりになってしまった。

 

 人にはみな得手・不得手がある。私は高校の時点で「自分は対人折衝には向かない」ことはハッキリ自認していたので、そういうのを避けるため、当初は自然を相手にする仕事を、そして反対されたら黙々と手を動かす系の製造業への道を志した。だから、その時も何とか一件は契約取ろうと精一杯努力し知恵も絞ったが、それでダメだったのだから仕方ない、営業の才能は無かったものと思い受け入れる。

だがそれで降格になって給料が下がった私のような社員と、会社命令を拒否して営業研修を免れ、降格無しで最大6 年間の執行猶予を得た社員、あるいは東京製作所(以下 東製)内に そのままスライド移動した社員との間で大きな金銭面・精神面・身体面・時間面・そして健康面での開きが出来てしまった格差と分断については、非常に不満と不公平感とで一杯だ。

 

 西神戸にあった自社ビル売却の際、本来なら引っ越し業者に頼むべき重量物まで社員に運ばせた時、私は そこで腰をひどく痛めてしまった。その腰が治らないまま、今度は「イヤ今会社こんなだから」と出稼ぎ出向先のピッキングで「走れ、走れ!」を強要された結果 腰痛が慢性化し、ソコソコの健康を武器にしてきた私は目の前が真っ暗になった。医者には「なおそうと思っても完治は難しい。生活に支障が出ぬよううまく付き合うしかない」と言われ、『慣性の法則に逆らわない』(急激なアクションを取らない)ことでギクッとなる機会を減らすよう努めている。それなのに、営業研修を免れ、今の出稼ぎ先で同じ仕事をしていたM田氏には、「チンタラやっているように見える(本人談)」と謂われのない評価や非難をされた。もっとも彼も、出稼ぎ先の上長とケンカし出向解除になる少し前、今の私と同じ20sの袋でギックリ腰を患ってしまったので、彼にも少しは私の今の怒りを理解していただけたのではないかと思う。

 

 本社の産業医に「これくらいでへこたれてどうする。私が子供の頃は戦時中で・・・」。私も さすがに「時代が違いますよ お爺ちゃん」などと言うわけにもいかず、「はい・・・はい」と何も言わず聴くしかなかった。

イラク戦争の時『人間の盾』というのがあったが、『弾除け』や『被害担当艦』というのは、盾になる人/される人本人の同意が必要だ。人をダマしてノウノウとしてる人が居れば/ダマされて弓矢がブスブス刺さった側は当然怒るのである。

 

 また これの前の前の出稼ぎにおいて、私より後に入社し、同じ部屋の隣の席で仕事をしていたT川氏が、有機溶剤による健康被害を訴えたほど、東製とは比べものにならない劣悪な労働環境で私も働いていた。当時は製造業への派遣解禁から日も浅く、出稼ぎ先も作業場のレイアウトを試行錯誤する中で起きた労災だった。長く働いている社員はそれを「職業病」と割り切っており、当時の上司のK島主任曰く「だんだんポワ〜っとしてきて気持ちええやん」と あまり問題にしていなかった。しかし頭脳労働で食ってきた身には たまったものではない。帰宅後嘔吐を何度か繰り返し、やはり岐阜事業所で木製スピーカーの塗装を遣っていたOB E上氏から有機溶剤の危険性を聞き、常備されていたが吸収缶の在庫が無く誰も使ってなかったガスマスクを再生し仕事に臨んだ。だが既に手遅れだったようだ。

 私は労災こそまぬかれたものの、T川氏ほどではないが 記憶力や判断力の点で製造応援時 K田班長からSABCDD 評価が下るなど、大きな痛手を負うことになった(通常“D”など、“S”と同じでよほどのことが無いと付けてはいけないことになっている)。ちなみに同じ仕事で6 年間何事も無かった女性社員は、自前のマスクに加え強力なスクラバー(有機溶剤を吸わないようにする吸引器)の前に陣取っていた。ワリを食ったのは、製造業への派遣解禁に職場環境が整わぬ まま派遣された人間である。

 さらに そこでは東製だったら厳重にエプロンとゴム手袋、バイザーを被らなければ決して作業させなかったような脱脂用アルカリ、塩酸、硝酸、濃硫酸、過酸化水素といった薬物も扱わねばならない。吸い込み、咳き込みながら作業をしていた。その結果、学校の先生から「あなたナヨッとしてて色白だから女形になれるよ」と冗談で言われていた顔も、そこでの仕事中浴びた薬品ですっかり斑模様になってしまった。

 

 そして色々あって群馬に戻ってきてみれば、こちらが営業研修とその後の出稼ぎ出向で心身ガタピシなのに比べ、私の部署が支えていた赤字部門の面々は、買収先で再び変わらぬ暮らしを再開していた。

 もちろん現在のIC は『デジタルで出来ることはアナログで遣らない』のが主流だから、「デジタルIC は伸びる」という予言自体は合っていた。しかしデジタルIC 部門は、もしアナログIC 部門の稼ぎの補填が無ければアッという間に運転資金が底を突き、事業継続もままならない万年赤字部署でもあった。向こうが大変だった時には「我ら 運命共同体」「一蓮托生」「死なば もろとも」などと言っときながら、いざ震災でアナログ部門が大変になると、私のような人間の給料下げるため、ワザワザ“魚のいない釣り堀”に転勤を伴う異動までさせて非難して、自殺者まで出した人たちは何のお咎めも無しだ。私は他人の生活水準を維持するための踏み台ではないので、そういう不公平な状況を目の当たりにすれば やはり怒るのである。

 

 こんなことを書くと、今の人事の人たちは「こいつは何と恩知らずなのだろう。出向者は、親会社から給料の平均八割を補填して雇用を維持しているというのに」と、きっと言うだろう。確かに、これがもし、半導体事業買収先の外資から「アナタハ必要ナ人材デスノデ来テクダサイ」と誘われたのを蹴って今 冷やメシを食っているのなら、それは自分で撒いた種なのだから、今の出稼ぎ先での不遇だって超温情措置、「アリガタヤ アリガタヤ」と思わねばなるまい。

また同じ出稼ぎ出向者でも、クルマ買って家買って、親に孫の顔見せ本懐遂げて有休MAX25 日を残らず取得、その時間で世間一般とは比べ物にならない自由時間まで手に入れて、遣る事遣って枯れた人なら やはり今の親会社と無関係な出稼ぎ先で3K 職場の処遇でも、やはり超恩情措置の「アリガタヤ アリガタヤ」であろう。

 しかし私はというと、――歴史に もしもは無いけれど――人事が私を最初から営業研修送りにせず、そのまま放っておいてくれれば今頃は とっくに先輩後輩共々 私を買収先に なすりつけるカタチで決着していたハズだ(約1 名を除き、皆そうしたのだから、私もしぶしぶ買収先に転籍した可能性が高い)。それを マツダや富士通やリコーみたく、自己都合退職に追い込む手口によって、欲しかったクルマも、マイホームの夢も、未開人すら選択できているナショナルミニマムも、親に孫の顔見せることすら かなわなくなったとあれば、これも怒るのである。

 

 営業研修では、人事部だけ高みの見物では不公平ということで、人事部の若い子(お名前失念、岩手出身で趣味が観葉植物な人)もイケニエとして連れてこられた。彼も また私と同じくモノ造りを志して東製に来るも、人事部という仕事柄、貢献が実感できず、全然稼いでる気がしなかった、と営業研修を機に退職したと聞いている。私だって、もし半導体で実績を出せないでいたならば、彼と同じく後ろ姿も寂しく東製を去っていただろう。だが私は なまじ稼いでいただけに、以前不本意にも一時的に傘下だったグローバル金融の新入社員の賞与が800万円だったことが世間で物議をかもしたが、こっちは そんなことはタダの一度もなかったし、ちょうど年功序列と成果主義の切り替え時期で どちらの恩恵も受けられないまま まだ一つもイイ目を見られていないのを怒っている。また、彼には帰れる実家も田畑もあったが 私に そんなモノはない。

 

 私と同じ目に遭った社員の中には、営業研修でご一緒したS水氏みたく、震災のドサクサまぎれに行なわれたリストラに『泣き寝入り』し、会社を去った人も居た。だが私から見れば、早々に泣き寝入りできた人が羨ましい。なぜなら、そういう人たちは『まだ泣き寝入りできるだけの金銭的余裕が あった人』、もしくは『何らかのアテやツテを持っている人』だったからだ。それも無いのに目先の割増退職金に釣られ辞めた元社員は その後、他業界でも通用する仕事に就いていた人はいいが、そうでなく、つぶしの利かない尖ったスキルを振りかざしても納得いく再就職先も見つからないまま鬱病などで弱っていき、今や生産人口にカウントできない状態に陥り、早くも将来世代の足を引っ張る兆候を見せ始めている。

 

 震災において「自分たちだけ助かろう」/「自分たちだけは経営危機に際しても引き続きイイ思いし続けよう」とリストラ(私を排除)した側は、ワザと不適材不適所でリストラ候補を弱らせ辞めさせ自殺に追いやり一家離散させたことで“助かった”と思っているかもしれない。しかし世の中というのは目に見えないところで繋がっている。だから あくまでリストラ候補を「自分たちの視界からは、消した」「自分たちの雇用責任負わないところへ追いだすことには成功した」「犠牲の不可視化には成功した」だけの話で、地域トータルで見ると恨み つらみや遺恨・マッチング無視のツケは残り、地域やエリア、自分たちだけ助かることで守ったつもりの子や孫世代に増幅されて跳ね返ってくるだろう。

 

 もとより大阪本社は自分たちだけ助かろうとする口実に「会社の存続のため」「日本の技術温存のため」キーマン以外は辞めることで犠牲になってくれ、とのことだったが、あんなの全くの出鱈目だった。なぜなら、会社の消滅で困った庶民など居なかったから。

 かつて『安売り家電の雄』と目された勤務先も(PC売り場に そんなポップが立っていた)通産省の指針で新興国へ技術と製法を明け渡して以降は、存在意義が そちらにシフトしてしまい、オンリーワン製品など既に無くなっていたのだ。世界の人々に“無くなられては困る”と言われる存在を目指しつつ、そうだとばかり思っていたのは どうやら自分たちだけ助かろうと思っていた方々だけだったようだ。

 

 なぜいったん皆で小さくなって耐えましょうという選択肢が無かったのか。「お前はこの会社の、ブレーンじゃないから重要ではない」とリストラする側は言う。ではその延長線上で、もし飢餓状態にある人体が「膵臓は、心臓じゃないから重要ではない」「肝臓は、目ではないから重要ではない」「腎臓は、手足じゃないから重要ではない」「○○は肺じゃないから重要ではない」と切り落として省エネを図ったとしよう。そういうことをした組織は、5 年後10 年後に、果たして健常者として生きてられるだろうか? もし生き残ったとしても、業界の牽引役として活躍できるだろうか?

 

 「ぜい肉や、ムダな脂肪を落とし、筋肉質な会社へ」とリストラする側は言う。だが、ぜい肉や脂肪層にも血管が通っている。血が通っている。神経が通っている。昔、ある女優が、若かりし頃の体系維持のため、外科手術で脂肪の除去を遣ったことがあったが、私が中学生の頃その手術の映像を見たという女生徒によると、麻酔を打って足や腿や腹部を切り開き、執刀医が、ヘラのようなモノで脂肪を こそぎ落とすのだそうだ。だが前述のように脂肪にだって血管が通っているため除去された脂肪は血に染まり、あまりに行き過ぎた/不自然なダイエット方法に見ていて気分が悪くなったそうだ。確かに気違い沙汰である。そこまでしてアメリカナイズされた価値観の体型を維持したかったのだろうか? それと同じで、大阪本社の、超エリートの面々は、そこまでして自分たちだけ かつての変わらぬ暮らしを維持し続けたかったのか? 彼らにしてみれば、私の仕事など取るに足らないことに見えたろう。だが、彼らの言うところの ぜい肉や脂肪にだって血が通っている。痛いと感じる。摘出されて干からびかけた“ムダ脂肪”“ぜい肉”の有効利用がコレなのか。ノウノウと残った側は それでイイかも知れないが、それで「悔しい!悔しい!!」と涙を流して歯ぎしりする社員が一人出てしまったら、たとえ どんな大義があったって そのリストラは失敗である。

 

数年前、潰れた会社の社員の その後を たどったルポが本になり、かつての企業城下町の図書館にも『郷土資料』として一冊入って私も読んだが、大阪の方では『首斬り部長』の玄関前に猫の生首が置かれていたという。私は納得いかないことにはトコトンモノ申す方だと思っていたが、上には上がいるモノだ。ただあの本には ひとつ間違いがある。それは、斬られた社員残った社員どちらも逞しくナントカ遣っている、みたいなノリだったが、実際には『あきんどは損していつか蔵が建つ』のことわざ通り、震災のドサクサまぎれに追い出した側がトクをしてリストラされた側の格差が拡大しただけだ。

 

 関西の営業研修で一緒だったグループのU田氏は、研修時点で額面給与が・年齢×1 万円という非常に恵まれた時代に生きた人だった。同じくS里氏は「俺は上U田氏の世代については あんまり心配していない。会社の一番イイ時期に、自分たちの働き以上の給与を得てきた人たちだ」「私も彼ほどではないが結構イイ思いをさせてもらった」「心配なのは、もう若いわけでもなく、それでいてU田氏のようには逃げ切れもしない、君のような年齢層の人だ」。

 同じく西神戸の営業研修で一緒だった佐T氏は、リストラを機に「四国の実家の家業を継ぐ」と言い、M山氏は「うちはサラリーマン兼農家なので、そちらに当面軸足を移す」と言い、S水氏は「私の母は元公務員。派手な暮らしをしなければ、実は遺産で十分食っていける」のだと言い、Tハナ氏は「俺は実は困ってないんだー。あの山(赤城山か浅間山のこと)の麓の自衛隊演習場は、実は代々俺の土地で自衛隊に貸しているので会社を辞めても困らないだけの不労所得が入ってくる。だから俺は困ってないんだー」と言っていた。対する私は地方の寒村出身。生まれながらに家も畑も財産も工場も漁場も狩り場も無い。

 東製に入社できた人達は、わりと恵まれた境遇の人が多かったのだろうか?私みたく、全国で下から数えた方が早い貧乏県から這い上がろうとして来た人というのは、私の他には前述のM田氏くらいしか思いつかない。

 

 ここで提言だが、今後東京製作所で人を採用する時は、私のような悲劇を生むことの無いよう、「突然の解雇にも慌てない資産家の出自であること」を募集要領と労働契約に明記すべきであろう。それで希望の人材が集まるかどうかは不明だが。

 結局、私を営業研修に蹴り出した経営企画部の連中も、所詮は一介のサラリーマンに過ぎなかったということだ。もし同族経営だったなら、経営危機に際し一族の誇りにかけても立て直そうとしただろう。しかし実際打ち出された対策とは、彼らが定年まで逃げ切るまでの時間稼ぎでしかなかった。私みたく営業研修で行き止まりになる社員が出てしまっても、あとは野となれ山となれ、「ヤツはまだ若いから きっと どうにでもなるだろう。いや、どうにかしろ」というわけだ。

それによって、今の人事は、先人が造りだしてしまった私のような“負の遺産”の“処分”に さぞや頭を痛めていることだろう。だがソレを言ったら私だって、何も悪くないことの詰め腹を、こんにちに至るまで延々切らされ続けている。

 

 雇用が不安定ということは、家も買えず、財産も残せない負のスパイラルに陥ることをも意味する。それによって引き起こされる「同じ組織に所属しながら生じる格差」も酷いモノだ。かねてより労働組合には、営業職からこんな不満が来ていた、「私は転勤が多いので、せっかく家を買っても住むことが出来ない。or 買ったけど、家のローンと赴任先の賃貸もダブルで払わねばならない。これは不公平だ」と。

 これに対し、労組のE倉書記長(当時)は「会社というのは どうしても不公平が出てきてしまうものなんです」と押し切っていた。しかしそんな開き直りでは駄目だろう。その社内の不公平を埋め、諍いや不満を上手に調整するのが人事や労組の仕事ではないのか。

 

 『内ゲバや内乱に明け暮れている国はすべて荒廃に帰する』のが歴史のならいだが、会社組織においても 『成果の横取り』『悪くない社長に詰め腹を切らす』『大人しく、逆らわない社員に延々ババを押し付ける』『それに怒った社員との紛糾が絶えず、本来の仲裁役も会社側に買収され機能しない』。そんな様子を若い社員に見せてしまったら、会社というのは立ちゆかない。実は営業研修を、早い段階でリストラと知っていた期待のポープの後輩は、「なんで貴方がリストラされるのかわからない」と言っていた。そしてそれは単なるリップサービスではなかった。そういって彼は会社を去っていったからだ。それとも私は他の社員にリストラを促すための『見せしめ』だったのか?

 

 私は昔から秩序に逆らわず、おとなしかったので、随分トバッチリも受けた。中三の時だったろうか、教室の掃除の時間、いい年して箒でチャンバラ遊び遣ってるクラスメートをよそに真面目に掃除をしていたら、とっくに終わっていいハズの時間に担任が来て終わってなかったので、「こらーお前ら 何遊んでんだー」と私の頭を持ってたバインダーで思い切りパッコーンとひっぱたいた。私は悪いコトしてないので何とも思わなかったが、箒で遊んでたクラスメート達は「俺らのせいで無関係なアイツが叱られた」と、いうことになって、それ以降掃除の時間は皆真面目に遣ってくれるようになった。普通に叱っても効果は薄いと知っていた担任は流石に年の功だった。だが そういういのは あくまで実社会に出る前の予行演習である。実社会に出てからも こんな納得いかない懲罰や見せしめが まかり通っては困るのである。

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 熱力学第二法則によると、『ゲインを得る(何か手に入れる)』ということは、 その代わりに必ず『何かを失う』ことでもある。例えば、「テコの原理」を使えば、ある物体を一定の距離運ぶのに必要なエネルギーは少なくて済む。が、そのかわり、支点の反対側では移動距離と、その移動に費やす時間を損している、といった具合だ。

 ところが本来、法則に従い 失われたり損する自然の法則までも ねじ曲げ「オレ、利得は欲しいけど、代わりに失うカネ・エネルギー・時間は惜しいし〜」と立場を利用し合法的に誰か別の人に 払わせたり、担(にな)わせたり、付け替えたり、押し付けたりすれば、トクだけして損はしないが、ババを押し付けられた方は たまったものではない。それはやはり不自然な行為であり、目の前を掠っていって自分には何のトクも もたらさなかったモノの代金を、一瞬手に取っただけで取り上げられたモノ・コトの代金を月賦で延々と払っている気分。成果を出したにもかかわらず、活躍に応じた報酬が(カネだけではない)横取りされ、いつまで経っても順番が回ってこない。となれば人は怒るのである。

 

震災による損害は/経営を誤った損害は/あるいは半導体産業従事者からみた外交敗北の損害にしても、同じ社内や国で起きたことは、皆で被るものだ。私としても、先人達と同じようにではなく、欲しかったクルマやマイホームを あきらめねばならないのは仕方ないとしよう。しかし そんな中でも社会契約を結んだ労働者には、最小限の幸福(ナショナル・ミニマム)だけは実現されて然るべきと考える。震災の時点で もはや全ての社員をバブル期並みに満足させるリソースは既に消え去っていたのを上層部は解ってたハズなのに、こと“身内”への対処法については甚だ問題があったと言わざるを得ない。

 

 私の場合、震災のドサクサに行なわれた営業研修をきっかけに、それまで築き上げてきた人脈や人間関係にまでヒビが入った。

 今私の住む町は、石を投げれば東製社員に当たるような企業城下町だった。だが営業研修を境に、会社の人脈はもちろんのこと、寮生時代の人脈、社員教育施設の人脈、母親繋がりのボランティアサークル、趣味だった釣り同好会や料理・菓子作りのサークル、虫好きの同好会、ゲーム好きの面々で開催する実技会・・・など、リストラした側/された側の わだかまりが今日に至るまで残り、もはや何事も無かったかのようにはお互い振る舞えなくなってしまった。

 その中の一人、元東製勤務者のN村氏は会社に「滋賀県に行け」と言われ、そんなの無理と会社を辞めた。しかし つい最近まで職が見つからなかったので、その間の損失は計り知れないものとなった。サークル内で その手の話を聞けば、彼らに対する遠慮もあって、自然と足は遠のき、サークルには参加できなくなる。反対に、私が東製の西門で信号待ちをしてれば、買収先へ移籍した人や、親会社に平行移動した人と遭うこともある。ピュアハートな人は走って近づいてきて「あー○○さんだ!生きてましたか!元気だった? その後どう? 今どうしている? ××さんは どうなったか知らない?」と質問攻めに遭うけれど、私らをリストラすることで生き残った部署の面々は、私を見ると まるで「殺したはずなのに」と幽霊にでも遭遇したような顔をして、そそくさと目を合わせないように立ち去るのみだ!

 

 ただ一度の失業で なし崩しに貧困へと転落する、いわゆる『滑り台社会』や『無縁社会』などと言われる昨今の日本においては、会社や組織の人脈が役に立たなくなれば、これからは今まで築き上げた人脈/の横の繋がりこそがモノを言う。だが私みたく悪くないのにリストラされた人間は その点で のっけから非常に不利な状況に置かれてしまった。仕事のスキルだけでなく、人脈作りまで また一から やり直しである。

 前述の営業研修でご一緒したS水氏だが、私と同じく営業研修で失格となり、出稼ぎ先のピッキング業務の見学で退職を決めた際、私は氏にメールアドレスの交換をもちかけた。だが彼は、「辞める会社と仲間のその後を知ってもね・・・」と拒否された。S水氏にとって私は、後味の悪い辞めさせ研修の腐れ縁でしかないのだから、それでイイか・・・、と思っていたら、その後氏は、私だけでなく、長年一緒に働いてきた仲間たちとも完全に連絡を絶ってしまったと聞く。氏も営業研修によって、今まで培ってきた人脈を失う結果になった。会社命令に背いて営業研修を出来ない理由をでっちあげて拒否し、何事も無かった特に大阪の社員たちは、これをどう思うのか?

 

 また 私自身の暮らしの荒廃も ひどいものだ。寮生だった頃、後輩を部屋に上げると彼は「自分も学生寮や社員寮をずいぶん見てきたが、○○さんほど部屋を小綺麗にしている寮生は見たことが無い」と言っていた。それが今では足の踏み場のないほどの散らかり放題、いわゆる『汚部屋』状態だ。私は物心ついた時から転勤族だったので片付け/引っ越しは お手のものだった。前述の、営業“研修”の転勤まで残り8 日というところで「寮に空きがない」などとフザけた報告を受けた私が、残り8 日で物件探して保証人立て、関西の悪習である決して安くない敷金礼金も用意して、営業研修開始前日に引っ越し済ませ研修一日目に間に合わせたように。しかし どういうわけか、先回と先々回、さらに その前の引っ越しでは、時間に余裕はあったのに、なかなか荷物をまとめられずオロオロするばかり。引っ越しの日取りが どんどん近づいているのに まったく捗らず、大事なモノまで捨ててしまったりガラクタを引っ越しの段ボールに突っ込むなど判断までおかしくなっていた。最初に異変に気付いたのは岐阜での出稼ぎ出向時、週末のホームセンターでの買い出しで、レジが済んだら毎週同じものをリュックへ入れるだけなのに やたらと時間がかかりだし、モタモタしてる間に私より多く買い物した後続の人が会計済ませて あっという間にやって来てしまう。という状況が続いたため、私は会計が終わるたび、わざわざ休止中のレジの荷詰めスペースへ移動せねばならなくなっていた。

 

 寮売却に伴い一時入居していた団地は、不景気どこ吹く風のちょっとしたベビーブームで、社宅の端っこに住んでいても赤ちゃんの泣き声がサラウンドで聞こえていた。私にも 約束こそしなかったが、私によくなついてくれ、将来このコとなら! と思える女の子が当時居た。しかし そんな人としての ささやかな幸せ/ナショナル・ミニマムすらも、営業“研修”に伴う転勤に阻まれ結局実らなかった。当時彼女は、女性誌の影響か周囲にからかわれでもしたか、確かに ぽっちゃり気味ではあったが、そんなの全然問題無いのにダイエットし過ぎで拒食症になってしまい、ありのままの容姿を肯定してくれる人が必要だった。その大事な時期に、そばにいてあげられなかったのを残念に思う。その子のご両親ともリストラ前は良好な関係だったが、営業“研修”の実体がリストラだったと町内に知れるや手のひら返しだった。一体誰が不安定雇用な人間に自分の娘を託すだろうか? それゆえに私が会社に対して怒っているのが ここである。繰り返すが会社も会社で、リストラする側と、される側とに分けるのでなく、いったん皆で小さくなって再起を図るという選択肢は無かったのだろうか?

 かなり前、出稼ぎ先のG藤工場長から 私に お見合いの話もあったのだが、親会社の人事が「いまだ自分たちが置かれている状況をよく分かってない人がいる」と言ってる状況では丁寧にお断りするしかない。出向時、出稼ぎ者に配られた各種提出用フォーマットは、ただ「弔時連絡」とだけあった(これがまた「出稼ぎ出向者は福利厚生に負担な慶事起こすなってことか!」と非難轟々で、後日「慶弔時連絡」に改められが、今の人事の なんというデリカシーの無さであろうか!)。

 デリカシーが無いといえば、当時まだ系列企業だった派遣会社のY田氏だ。彼は年末、働かせている側よりも 早々お先に休む際、「娘に自分の実家を見せに行きたい」と言っていた。しかし彼も一枚かんでいた営業“研修”によってA森女史の結婚は10 年遅れた。彼女ほどでなくとも、同じくリストラでM田氏の結婚も10 年遅れた。我慢していたのだ。そういう人もいるところで何てことを言うのだ。M 氏じゃないが「ふざけるな!」である。誰かが悲しんでいるのに その横で、アハハーッと笑っていてはダメですヨと 彼らは習わなかったのか。

 

 話を戻すが『おかげさまで』、私も女の子に最接近したのは、高校の頃 学園祭だか体育祭のフォークダンスで お手々繋いだのが自己最高記録だ。だが今私と同じ出稼ぎ出向者であっても、営業研修行きは免れたため、降格も給与減額もなく生活に余裕のある先輩は、「そんなの関係ねぇ」と結婚に踏み切ることができた。対する私は 本来なら既婚者用団地なのに なぜか郵便受けに 婚活パーティーの案内が来ても、あの営業“研修”で容姿をさんざん けなされ引きこもり状態では その一歩も踏み出すことができない。ついに自治体が 重い腰を上げて配偶者のマッチング事業(実際は結婚紹介所とのタイアップ)に乗り出すも、対象年齢は45 歳までだから、あの不毛な営業研修とその後の出稼ぎ出向とに全く無駄なアクティブ・ノンワークに時間と労力を費やしている間に対象年齢を超えてしまった私は、今まで一円たがわず市町村税を払ってきたのに、いざ 僅かばかりの恩恵を受けようにも もう『カヤの外』である。そんな状況で、やれ「最近の日本人は育児がない」とか「日本の男どもの草食化が進んでいる」などと まるで我々世代に何か問題あるかのように“論評”されたって困るのである。

 

 

 また、会社命令に弁解を駆使して営業研修を免れた側や、東製内でスライド異動した側、そして出稼ぎ出向前の事前研修による降格、の“洗礼”をタイミング的に受けずに済んだ側は、“間引き”が順調に進むにつれて、以前と変わらぬ暮らしを再び取り戻しつつある。すると リストラした側/された側に分断された社員との間で どんなことが起こっているか?

 

 売りに出された社員寮や、私の現住所から徒歩1分のところに、東製にスライド移動した社員や、かつて東製社員に分譲した高級住宅街がある。

彼らは まだまだ乗れるクルマを買い替え、マイホームのローン完遂のため仲間を売渡し、スーパーやホームセンターに行けば私が口にしたこともない/いや手に取ったこともない高級食材をポンポンポンポンかごに入れ、国内旅行に海外旅行、社内報には子供の七五三の写真を投稿し、庭には倉ならぬ物置を建て、クリスマスシーズンには派手さを競うかのようなイルミネーションを点灯し、自分の趣味や子供のためにせっせと蓄財をし、あげくの果てには社内報で「3人目の子供に挑戦」とまで言っている。

 

 だが それは私や、リストラで自殺に追い込まれた同僚・先輩たちが本来受け取るはずだった取り分を、震災のドサクサ紛れに取り上げて、それで こさえたり建てたりしたモノである。次の画像を見ていただきたい。これは東製から親会社に移籍した社員の持家の駐車場の写真である。

私は、この頃のBW が歴代の中では一番端正でフォーマル、奇をてらわない格好良さがあると思っている。だから、同じクルマを二台持ちたいという気持ちも解らないでもない。だが、違うだろうそうじゃないだろう。こういうことは、「イヤ今会社こんなだから」「イヤ今会社こんなだから」と出稼ぎに出されている人たちが戻ってきて「イヤ今まで我慢のさせっ放しで何もしてやれず苦労を掛けた、済まなかった」「いや、あんなことになってしまって本当に苦労してきたのは むしろあなた方の方だ」という和解のやり取り、それが終わってからすべきことではないのか? ・・・と、書こうと思ったら直近では 数は減ったものの さらに最新鋭のイイクルマが並んでいる。リストラで体よく追い出した側の駐車場の一体どこにオンボロ車の一台でも停めてあるだろうか? 実用性皆無のオモチャ車やパイクカーが停まっているではないか。

 

人事は私ら出稼ぎ出向者に我慢や負担を強いる際、「イヤ今会社こんなだから」「イヤ今会社こんなだから」と言い続けてきた。しかし、直近の異動でこっちに戻って来てみれば どうせ こんなことだろうとは思っていたが、いざ実際に直面すると愕然とする。営業“研修”で ご一緒したS藤氏もS水氏もM山氏もU田氏もS里氏も、私が三年で三県を転々としている間に辞めたと聞くから、西神戸のチームで、 営業“研修”とは実はリストラのアリバイ作りだったことを目の当たりにしたのは私だけということになる。営業“研修”送りになった社員の払った犠牲と、もう二度と戻ってこない時間(Waste days)、そして私の支払った無駄な出費の数々は一体何だったのか。

 

 

こちらはリストラでクルマをあきらめマイホームをあきらめヨメさがしをあきらめ生きがいや趣味のアイテムを手放し老後不安から3食を2食に減らして節約している その時にである!

 

男なら誰だって乗り物の操縦には憧れるし、マイホームという「自分の城」にも憧れる。家族にも苦労かけたくないだろう。嫁さんには いつまでも綺麗でいて貰いたいだろうし、お子さんにも、色褪せた お下がりや貰い物ではなく、スグ着られなくなるの承知で新品の子供服を着せてやりたかろう。兄弟や親せきや隣人にも羽振り良くしたいし、自分の父親母親についても老後は至れり尽くせりの介護施設でカネの心配なく過ごしてもらいたいと きっと思うだろう。

 だが そのために経営危機が起こるたび、同じ組織に属する仲間の足を突っかけ転ばして退場を迫り、自分たちは合法的に残されたリソースをポケットに入れる ということで果たしてイイのだろうか? そんなことして本当に喜ぶアナタのお父さんお母さんに嫁さんと子供や兄弟なのか。そんな家族が本当に災害の多い日本の将来に必要とされるのだろうか? 否、それ以前の問題として、私はリストラによってマイホームどころか自分の家庭を持つという、ヒトとして最小限の幸福さえ叶わない。

 会社命令に従った人間が冷やメシを食わされ、拒否した人間がトクをする 。こんな状況で やれ「現代人の結婚離れ」とか「あの歳で独身だなんて気持ち悪い」とか「サッサと財産を国に寄付してゴクツブシは死ね!」とか、私はリストラ前だったなら、ああいうインターネット上の自分の会社のスレッドにおける心無い発言については、日本人同士を反目させる外野の工作員の仕業だと思って今までずっと耐え忍んできた。が、実際それらは かつて私が てっきり仲間とばかり信じてた側の本音だったことが、このたびのリストラや労組の対応によって明らかになってしまった。さらに、これを放置し/見て見ぬフリしてきた側への怒り、恨みつらみが日に日に醸成されつつある。

 出稼ぎ先で 見合いの話を断った際、G藤工場長やパートのおばさん方は「あなたが そういうならいいけれど、あなたの会社のリストラはどうにも終わりが見えない」「アナタと同じ会社からの出向者で、やっぱりここ居る○○さんは3人目のお子さんが生まれたそうだ」「彼みたく、既成事実作って権利の主張でもしないと あなたにお鉢は回ってこない。一生踏み台にされてしまうぞ?」とも述べていた。私自身は「イヤ今会社こんなだから」「イヤ今会社こんなだから」と、オデコを何度も手で跳ね返されつつ出稼ぎ先の劣悪な労働条件/労働環境にも耐えてきたのは、「東製の人々も場所こそ違え同じ苦労をしているに違いない」とばかり思っていたからだ。だが傍目八目、この町の住人からしてみれば、大阪の人事の思惑など 部外者には 結局体の良い間引きでしかなかったことがリストラ初期の段階で既にバレバレだったことになる。

 私の親や親戚は「マモルもタスクもシンゴもダイスケも皆ケッコンしたぞ」「お前はまだか」「俺がお前の頃くらいは既に云々」「早く親に孫の顔見せて安心させてやれ」と言っていたが、そんなコト言われてもケッコンは独りでは出来ない。で その肝心のヨメ候補はといえば、営業“研修”はリストラであるという話が町内に広まってしまった結果、お流れになってしまい、今では親戚一同も 私にそのテの話を意図的に避けている。

 

 ・・・と思ったら、つい先般も、身内から「 コイツには浮いた話はないのか」と(私の)父が なお諦めず探りを入れていた、との話を身内経由で知ることになった。私は身内を心配させまいと、あまり リストラのことは知らせないでいたが、ここにきて『震災のドサクサまぎれに群馬の職場は壊滅・接収。納得いかずに留まった人間や、お家再興を願い再集結した仲間も、雇用の維持を名目に「イヤ今会社こんなだから」「イヤ今会社こんなだから」と東製とは全く労働条件の異なる誰も遣りたがらない羊頭狗肉な3K職場へ出稼ぎ出されてイヤなら辞めろの一点張り』。この事情を知った両親や兄弟親戚の心労・心痛如何ばかりか?

 

 私の両親は、わが子が他人の変わらぬ暮らしの維持のため斬り捨てられ、心身共にガタガタになって、むなし手で泣いて帰ってくるのを尻拭いするため私を生んだのではないだろう。東京製作所の皆が皆、震災の損害被って今も皆で苦労しているというのなら、それは自分の選んだ道、それほど不満は言わなかったハズである。だが、私も もはや人事とも、組合とも、もはや言葉が通じないほどの格差拡大を目の当たりにし、しかも それを10年も放っておかれれば、その不条理さ加減/不公平さ加減に憤懣やるかたない。労組は「不公平」という言葉は「合ってないと思います」とか言ってるが、不公平に対し「不公平だ」とホントのことを言うな・言わすなと封じてくる こと自体 既に おかしい。この点、「六四天安門」とか「周主席の一極支配が鮮明に」などと当局に不都合な言葉が出たとたん、常時監視された電波が止められテレビ画面が真っ黒になるシナの報道を、果たして嗤えるだろうか?

 そして 次の写真は、社宅の団地からの、何てことない通学風景だが、見たところ、震災のドサクサまぎれに行われたリストラによって婚期を逃し、悔し涙を流しつつ「東製に残った人も苦労している」などとダマされ信じて出稼ぎ先で苦労していた まさにその頃 こさえた子たちである!! もちろん中には私と同じ思いをしながらの渾身の一粒種の可能性だってあるだろうが、私はストーカーではないので そこまでの判別はつかないのである。今やリストラした側とされた側との分断は こんなところにまで及んでいる。

 

 ここでグローバルID67で始まるすべての社員は下記記載(削除)のコマーシャル動画を ご覧いただきたい。

 これは、パソコン単体のCMとしては異例の好感度ナンバーワンを記録したのだそうで、もし醒めた人間が見れば、いかにも お涙頂戴の あざといCMと斬って捨てるところだが、なぜ それほど人々の共感を得たのだろうか? 

 それは、命のリレーというのは昔からのナショナル・ミニマム、子というのは次代の希望だからだ。なのに私ら 出稼ぎ出向組を震災のドサクサ紛れに体よく追い出した側の社員が、『三人目の子供に挑戦』とかナントカ言ってる一方で、営業“研修”によって、そんなナショナル・ミニマムさえも無残に潰されてしまった社員がいる。

 羽振りのいい競合他社を羨んだってしょうがない。なぜならそれは別組織だからだ。転じて、私はそういう他社の人間でもなければ、今の出稼ぎ出向先に属する人間でもない。今このレポートを提出した先と同じ組織内の人間だ。儲けていたのに震災被害の詰め腹を なぜか切らされ蹴り出され、コイツのせいで実入りが減ってるとまで非難されている人間だ。植物だったら剪定・摘果は遣るだろう。しかし私は畑に植わって摘果されるキュウリやナスビではない。種を実らす前に刈り取られ、畑に養分として すき込まれる菜の花でもない。まして私は釈迦やマホメット、キリストみたく「他人が良ければそれでイイ」などと割り切れる聖人君子でもないし、まして犬猫や使役動物とも異なり公平/不公平の概念を持つ。だから間引きに対しては文句も言うし、今の現状を不公平と声をあげる。労組に「不公平」という言葉を禁句にされてもだ。

 

 人事や派遣会社は言う、「もし これが中小企業だったら部署が無くなった時点で一発でクビですよ。その点あなたはまだマシ」と。だが私は言いたい。では試しに今、そういうことを仰ってるアナタが ご自分で、今の私の軌跡をトレースしてみてくださいな、と。そうですね10年くらい。震災のドサクサまぎれに足を突っかけ転んだ上をドカドカ土足で踏んづけられて、自分の皿の上に乗っかってたエビフライは食い逃げされシッポすら残ってない。欲しかったクルマやマイホームの夢は遠のき、老後のためにと取っておいたコレクションも引っ越しに次ぐ引っ越しで台無しに。おまけに人として最小限の幸せ、ナショナル・ミニマムまでも奪われ、あげく会社の外へ外へと排出するベルコンベアを逆走し、それでなお アナタが「ホ〜ラこの通り、俺は何ともなかったぜ。アンタ鍛えなさすぎ豆腐メンタル過ぎ」、・・・と、もし言ってのけられるようであれば、私も感服いたします。が そうする時間も その気も無いクセに、なんで私が、納得いかない罪状で東製を蹴り出されたうえ「S 社とM 社に一切貢献していない」と非難されねばならんのか!!

 ラジオやテレビ番組の討論会で人は言う、「格差拡大は けしからん、是正されるべき」と。だが、その格差の是正には、自分たちが今まで 与えられてきたリソースを減らされてしまう側であることを知るや、途端に「自己責任!自己責任!」「格差論は甘えです」などと手のひらを返すとこまで同じだ。

 しかしその結果、そんな遣り方を先行してきた宗主国・アメの大統領選で、トランプに敗北したクリントン女史は、敗因を分析し こう述べた、「我々が思っていた以上に この国は分断されていた」と。

 それと同じである。思うに大阪人事の人々もまた、かつての企業城下町だった ここ○泉町が、震災だったことをエクスキューズに身内の社員に対し失礼千万無礼千万、かつ無茶苦茶なリストラを遣った結果、この町が、リストラした側と、された側とに分断されている状況をご存じないのだ。大阪は、こちらより地価が高く、社員が一カ所に集まって住まうというようなことは(寮以外)無いから、ココ○泉地区みたく、石を投げれば東製社員に当たる密度の町で、リストラした側された側がお互い常時顔を突き合わせる機会なんてまず無かろう。

 

 私のリストラは失敗である。リストラというのはスパッと遣らねばならない。ヒトには皆限られた時間の他に「旬」もある。その二度と来ない大事な時期に、人の首を、自分たちが定年まで逃げ切るための時間稼ぎにノコギリで、あギコギコギコギコギコギコギコギコと呑気に遣っていてはダメなのである。まずこのことを人事/労組は認めるべき。もはや この国の“公僕”が目指す社会は、産業育成の努力をし その利息を貰う「菊作り経営」などではなく、今やすっかり自分たちだけ逃げ切れればそれでイイ、後は野となれ山となれと思っているヤツばらによる持続不能な社会、「焼き畑農業」同然だ。

 経営側の支持政党たる自民党の当時の首相とブレーンによる小泉竹中構造“改革”は、カイカクとい名のリストラばっかり ずっと遣ってきた。だが食えないニンジンぶら下げて、馬車馬がいつまでも走り続けられると思うのか。先の大戦で日本兵の死因の6 割は餓死だった。私は あの戦争で、日本は負け戦だったが絶対悪もはなく、別の正義だったと思いたいが、それでも「補給」の概念を蔑ろにして多くを犬死にさせてしまったとあっては擁護のしようがない。

 小泉竹中、そして安倍あたりの連中は『インパール作戦』の苦い戦訓から学ばなかった。それが証拠に今も同じく根性論を振りかざし、弾薬が無くなったら投石で戦えと射程外から一億総活躍社会などと ノタマっているではないか。時を経て、同じことを まだ遣っていたのでは、あなた方、自分たちは仲間を弾除けに使ってきて「助かった」と思ってるかも知れないが、今度はあなた方のお子さんお孫さんが社会人/学生になる頃、日本は 再び卑劣な敵性国家の頭脳戦により惨めな敗北を喫するだろう。そして その時 吠え面を かくことになるのは あなた方の お子さん お孫さんだ。

 

 人の足元を見て、不遇な条件で従事させる。もしくは「外貨は稼いでいる、これは栄誉なことだ」と やりがい搾取する。その結果としての国や会社の疲弊だったのだから、必需品ではないモノ売ることで食ってる産業は早晩また経営危機が やって来る。労組はすっかり諦めてるようだが、私は消費税再増税については最後まで政府に廃止の意見陳述を続ける(こんな自分たちの収入源を足元から崩されるも同然の愚策を目の前に、労組は国が「死ね」と言えば死ぬのか。あるいは国内インフラをさんざん利用しながらタックスヘイブンで合法脱税してきた側を咎めないのか)。しかし このままでは恐らく、来年秋の消費税増税10%の駆け込み需要終了を機に、もしくは’20年のオリンピック終了後に、日本は今まで経験したことのない未曽有の反動を経験する(もしそうならなかったら、それは単なる感情論で増税反対してただけで、実際には全く困らない人たちが反対反対言ってただけってことになる)。ではその時 今度は どうしますかまたイジメ殺しますか? という話だ。本社の方々にしてみれば、他県事業所の顔の見えない社員が先回みたく一人か二人自殺したところで 痛くも痒くもないだろう。だがそれでイイのか? もちろん私は死にたくないから 危機感ゼロの労組を こうして牽制しているが、次控えている反動は、家電メーカーだけでなく、必需品ではないモノを売って食っている全ての人間に及ぶ。

 

 または 端的に こう言う。皆さんは、たとえば「私はアナタ方に何もあげるものを持ってないけれど、せめて幸多かれと祈る」と祝福されるのと、「私はアナタ方から何ひとつ取り返すことができないけれど、せめて自殺した先輩の呪いでも受けて子々孫々苦しんで死んでまれ」と呪詛の言葉吐かれるのと、どっちがイイですか? と。

 

 かつて元勤務先や親会社も製造していたMSXパソコンのゲーム『グラディウス2』(コナミ1987 年)には、知らなくてもゲーム進行に何の影響もない舞台設定がある。

 前作の戦役で荒廃した惑星の復興に際し、北の連邦政府は人種偏見から南の部族が住む地域の復興を ないがしろにしたため、棄民された南の部族は長期にわたって冷やメシを食わされ、死亡者まで出す。その後 連邦政府は、数を減らした南の部族に利用価値を見出し保護政策に乗り出すも、自分たちが戦いの矢面に立たないようにするため『人間のタテ』として利用されている真相を知った南部族の反発は、とうとう内乱にまで発展してしまう。この混乱に乗じてライバル企業、もとい外界からの侵略者は南のリーダー格と手を組み、南部族は自分たちを犠牲にしてイイ暮らししている連邦政府への恨みつらみから真に倒すべき 敵を見誤ってしまう。そして南部族の反乱鎮圧に乗り出すプレイヤーもまた、前作に引き続き南部族の出身者・・・という悲劇のストーリーであった。

 

 私は最初、これを当時社会科の資料にも載っていた国際問題(南北問題)を念頭に書かれたモノと思っていた。が、今社会人になって こういう目に遭ってみると、あれは当時の開発元の社内状況を念頭においていたのではないかと思えてくる。

 このように、本来持ち回りのババを延々ワザと引かせる状態は、真の敵が何処、また何であるかの判断を狂わせる。

さらに、私は“死後の霊魂”のような概念など信じてないが、『怨念』というのは実在し、影響を及ぼすと考えている。なぜなら『悪事千里を走る』「あいつらは○○の時××した」という恨みつらみは残留し、拡散するからだ。私の住まう分断されたかつての企業城下町を今覆っている空気が まさにそれである。

 新しい親会社への転籍前から私は「イヤ今会社こんなだから」「イヤ今会社こんなだから」と出稼ぎ出向に出され現在に至るが、その直前に面接してダメだった出稼ぎ先は、ホチキスの針を入れる紙箱を作るところだった。面接官(M○X)には大層恐縮されてしまい「あなたはウチの会社にオーバースペック、確かに求人票は出したけど、同じ製造業でも あなた方は家電、私どもはホチキスの紙箱です、我が社には勿体ない」と、私を含めた二人が面接受け、私は面接で落ち、もう一人も一週間経たずに不適とされて出戻った。すると大阪の人事は二人に「我が社の体面を著しく傷つけた」と私らに始末書を書けと言ってきた。

 

 ちょっと待て。その私が問題とされた 『派遣社員への事前面接』は法律で禁止である(事前面接しなきゃならないような仕事は非正規で済ませようとせずに ちゃんと雇えと言うこと)。禁止されてる面接に落ちたら何で始末書なんですカ? と私は大阪の人事に抗議した。「たとえば二人の求人枠に二人受けて、二人とも落ちた、もしくは一人は受かって私が落ちた、っていうんなら何があったんだ? と本社が いぶかるのは解る。だけれども、ウチ以外からも他に何人か受けて、それで落とされたんなら、面接先だって採りたい人を選ぶ権利があり、それを行使したまでのこと。私に何の非があるというのか」と。それに対する人事の答えは「大阪では、出向したくないからとワザと面接落ちるようなことを言うヤツがいたからだ」「あなたもそういう不良社員と一緒じゃないのか。現に営業研修とその後の出向で足腰を痛めた旨 そこの面接の席で言っていたと仲介の派遣会社が証言している」と。

 イヤハヤ、『そうするヤツはそう思う』といいまして、外れてるどころか 「始末書書け」は もはや完全なイヤガラセである。私は何で人事に そんな邪推をされねばならんのか。とあくまで言い張ったが、人事は「だって仕方ないでしょう! 私(群馬の人事のこと)じゃなくて、大阪の人事が、コイツに始末書を書かせろって言ってきたんだから」と。

 

 『負の世界遺産』というのがある。中でも「人道に対する罪」として、ことある毎に槍玉に挙げられるナチスドイツだが、ドイツの負けが込んできて、敗戦色が濃厚になってくると「内部粛正」(攻撃が内側に向くこと)が大流行したという。

まったく同じである。ついでに その「人道に対する罪」のカドで処刑されたナチスのアドルフ アイヒマンは、処刑される最後の最後まで「俺のせいじゃない」「俺は上に『遣れ』と言われて遣っただけだ」と抗議していた所まで同じである。人は一体どこまで御身かわいさのために仲間を売り渡すことができるのか? 

 ちなみに私が始末書を書かされそうになった話は、誓って私が言いふらしたワケじゃない。当時20 人くらい いた出稼ぎ出向待機組というか外資転籍拒否組の詰め所で、「あなた何で さっき人事に呼ばれたの? 険しい顔してたけど」と皆に訊かれたから答えたまでである。しかし悪事千里を走る、「自分たちが助かるなら・・・」と 私らが冷やメシ食わされてることに見て見ぬフリをしてきたハズの東製社員は、しかし我々が当時東製の正門斜向かいの保健センターに隔離されていたことをウワサで聞いて知っていた。また、「あなた達は これから転籍拒否しても本社に受け入れるトコ無いから雇用維持のため社外に出稼ぎに出されるワケですが、一体どうやってS社とM社に貢献できるとでも思ってるんですカァ?www」みたいな、かつてのア○ワが遣ってたような嫌がらせ研修でプライドズダボロにされてたことも含め、全部興味津々で知っていたのである! だから、私の体験談も その週のウチに、東製内に またたくまに広まって「無茶苦茶な理由で転籍拒否組に始末書書かせたりの弾圧やってる東製のY田部長は大阪本社の犬!」という話までが○泉町内に電光石火の如く広まったことも、当時の関係者なら知っていることだろう。 

 

 「派遣雇うのに事前面談は禁止」。サラリーマンのくせに法律を持ち出して来た私に人事も始末書書かすのは引っ込めたが、報復人事で評価を下げられた。そして出戻り喰らって意気消沈した もう一人は、人事に言われるまま始末書を書かされたことが よほど堪えたのか退職。

 当時の経営企画部人事は、『この部署からは何人営業研修に行かす』という自分のノルマ達成のためなら他人にババを引かせて涼しい顔してられる危険人物であった。さらに、そのことを知らなかったのならいざ知らず、知ってなお異常事態を放置して何も声も上げない側も一体何なのか。

 

社会保障にも差が付く。今、年金は逃げ水のように支給開始年齢が上がり続け、それでいて“破綻していない”と政府は強弁しているが、年金というのは、生産年齢時代に稼ぎ出した金額によって上下する。経営危機に際し、震災のドサクサ紛れに自分たち助かろう、自分たちだけ引き続きイイ思いし続けようとした側に儲かっていた仕事を取り上げられて蹴り出され、心身ガタガタになって辞めた元社員は、年齢的に もうまともな仕事には ありつけなかった。こうして意図的に作り出された年収格差は一生涯、それこそ死ぬまで続くことになる。

 「殴った側」、もしくは「足を突っかけ転ばして、その上をドヤドヤ踏んづけてった側」はコロッと忘れ、再び以前と変わらぬ暮らしを取り戻しつつある。が、それで3K職場へ蹴り出され、放って置かれている不満や怨嗟が消えるわけではない。

 

そしてまた、かつての企業城下町だったココ○泉で、リストラにより分断された町が再び結束し、あの時は大変だったねと再び笑い会える日は もう来ないのだ。

 

 私の親父も55か6で肩たたきに遭った。インフラ系の仕事と聞けば、まるで 準公務員のように思われてるが、実際は違う。プラザ合意に端を発した平成不況・消費税増税による橋龍不況が誰の目にも明らかになった頃、生活者はインフラといえども節約に走るようになり、会社の利益は大きく下がった。さりとて電気料金を上げるわけにもいかず、もはや かつての高度経済成長期の延長のような生活水準の約束はできなかったのである。

 親父の会社の人事部は、リストラ候補の情けに訴えた。曰く、「若い社員が安心して親に孫の顔を見せられるよう、あなたの仕事を彼らに譲って遣ってはくれないか? そのかわり、定年まで勤め上げた場合よりかは少なくなるけど十分な額の退職金を上積みします」と。今まで会社に守られて十分イイ思いをしてきた側のこと、世代交代を持ち出されては強いことは言えない。プライドや生活をズタズタにしないリストラ手法に さしもの親父は「先輩も同僚も後輩もみんな辞めていく、寂しいよ」と、しぶしぶ退職に応じたのである。

 

 もっとも、利益が減っただけの会社と会社存続も危うい状態では参考にならない。「じゃあ どうすれば良かったのか」と潰れた会社から移籍してなお私を同じ状況にとどめている人事は言うだろう。

 答えはズバリ、営業研修とか小ざかしいリストラなどせず廃業か解散していれば良かったのである。会社という船が、震災という荒波で浸水し、傾いた船上で「総員退艦」と皆が海に放り出されバチャバチャやってる中においては もう上司も部下もない。仮に倒産した会社のメンバーが、“他の船”に拾われるとしても、どうせ私のようなぺーぺーにそんな声など かかりっこなく、ゆえに知りようもなかったろうから気にならない。

 

 そこへいくと、震災という荒波で浸水し、傾いた船上で「自分たちだけ助かろう」と沈み行く船の上で醜い「押しくらまんじゅう」遣ってる場合だったろうか? 他の人間を、空気吸わせない“浮き袋”にしてまで逃れる価値ある人間だったのか? そして本来なら最期まで艦橋の上に居てるべき人間が真っ先に救命艇にお宝積んで脱出というのは後々まで後ろ指さされる失態ではなかったか。仕えるべき相手を間違ったといえばそれまでだが。町なかで、元社員同士が道で出会ってもお互い遺恨を残して声もかけない、そんな町にしてしまわない、もっと上手なリストラの方法が、親父の会社のリストラ手法を見るに あったのではないか?

 

 あの頃東製に居た社員は こう言っていた。「日本の国際競争力のためには俺らが生き残り、お前らを切り捨てるのは仕方なかった」と。だが それは何という自惚れであったろうか。なぜなら、元勤務先が倒産したところで新興国に幾らでも代わりの製品はあったからだ。それほどまでに技術移転は元勤務先の存在を薄いものに変えてしまっていた。

 「じゃあ、どうすれば良かったのさ!?」のもう一つの答えとして、戦国武将・蒲生氏郷にちなんだ「蒲生風呂」という言葉がある。当時の氏郷の治世中は、戦で獲得できる領地が無かったので、功労者に所領を与えることができなかった。そこで大将は、せめてものねぎらいにと自分のウチに呼んで くつろいでもらおうと主客転倒のもてなしをしたという逸話だ。

 

 私と同じく社外出稼ぎ出向の待機室に、お爺ちゃん達の一団が居た。彼らは「せっかく身を粉にして会社に尽くしてきたのに最後がこの仕打ちかよ」と憤懣やるかたない様子だった。しかし半導体事業部だって無い袖は振れない。そこで当時の半導体の人事だったS藤部長は、出稼ぎ中にデザイン変わって彼らが持ってなかった新しい社服を、彼らお爺ちゃん方に支給した。すると お爺ちゃん社員たちは さっそく社服に袖を通して「最期に俺たちを社員として扱ってくれた」と涙ぐんでる人もいた。その一件で、お爺ちゃん達の人事に対する頑なな態度は軟化して退職勧告に応じたのである。このように、当時の人事には、大変な中にあってもカネでなく、部下の人心を掌握できるサムライが、まだ少しは残っていたのである。それに引き換え今の体たらく ときたら別の意味で涙ぐむ。

 

 郷土史によると、私の出身地は江戸時代不作が続いても武力を盾に年貢を取り立てられて多くの餓死者を出したという。飢餓への耐性や、飢餓食保存食の知恵が無ければ生きていけなかった。だから私は親にも会社にも贅沢を要求する人間ではなかった。ヒトは持てば持つほど欲しくなるというから、巣林一枝をモットーに、O 池主任のような豪邸なんて要らなかったし、数年おきに最新のクルマに乗り換えることにも興味は無い。社会人になってから最初の89 年で、少なくとも郷里の中規模農家の生涯輸出額を はるかに上回る外貨を稼いだのだから、あとは 大いばりで気の合う連れ合いでも見つけ、貧しくとも小さな幸せを感じられる家庭を築くつもりでいた。そして もし隣近所で不幸があれば、恥ずかしくない額をポンと出せる程度の貯金があれば、そしてまた、一生一度くらい夏季休暇中の保養所の抽選にでも当たる程度の幸せがあれば、本当に その程度で良かったのだ。

 

 また この辺はクルマが無ければ生活できない などと皆言うけれど、そんなの私に言わせればラクしたいだけの大ウソだ。ココに来たばかりの外人なんてクルマなんか使えないが暮らしているし、関東平野なんて桐生あたりまでフラット。営業研修で汗をかきかきテクテク歩いて足首とヒザを故障したような神戸や六甲の様なアップダウンも無いのだから、自転車でも健康で文化的な最小限度の暮らしは十分可能だ。クルマが無ければ生活できないという彼らの言い分は贅沢である。

 

 それを震災に際して、自分たちだけ助かろうと 従順な社員を騙し討ちの営業研修で これまでの半生を滅茶苦茶にしてくれた側が、そしてまた営業研修で将来を悲観して自殺した先輩の命を奪ったヤカラが、社会的に罰せられることも、なんら社会的な制裁を受けることも無くノウノウとしているのを目の当たりにし、気も狂わんばかりだ。

 

 またリストラによって、こちらは結婚や家庭を築くために貯めてた資金がそのまま老後資金に化けてしまいかねない状況だ。いつぞや親会社の事務局から「絶対受講しなきゃダメ」と言われてライフ・デザイン・セミナーというのを受けた。その中で「定年までに○千万円用意する必要アリ」と言う結論に、親会社の社員は皆「あ そうなんだ、へぇー」という反応だったが私は顔に縦線が入ってしまった。私に限らず年功序列と成果主義どちらの恩恵も受けられなかった立ち位置の元社員は皆そうだったろう。それほどまでに震災のドサクサ紛れに会社ぐるみで行なわれた、ワザとスキル活かせない所へ送りこまれての降格に次ぐ降格による低収入は、転籍時もリセットではなくそのまま引き継がれている。これでは爪に火を灯す暮らしをしたってセミナーで提示された水準には全く達しない。まだ子がいれば、子によほどの反感持たれる育て方でもしない限りは老後保障にも幾ばくかのプラスを見込めようが、私はそれすら営業研修で御破算になってしまった。

 

 まだある。20 年不況によって、経済の縮小していった地方では、今まで ずっと守ってきた実家の固定資産税も払い続けることが難しくなり、家が国有資産になっていたり、土地が国有地になっていたりしている。私の実家も営業研修以降のリストラによって固定資産税を払い続けるアテが無くなり、実家を泣く泣く手放すことになった。すると今まで急な失業や倒産の時に「クッション」の役割を果たしていた実家が無くなってしまったものだから、叔父や私の弟は、一時退避の比ゆ的避難所を失ってしまい、別な仕事に就くとき吟味の時間のないままに不本意/合わない仕事に就かざるを得なくなり、それによって心身を病んでいく負のスパイラルに陥った。そして その金銭的フォローやケアをせねばならないのも私や姉である。

 

 このように、自分たちだけ助かろうと団塊世代や その背中見て育った役職によって作り出され、また そのことにも「自分たちが助かるのなら・・・」と見て見ぬフリする者たちにより 営業研修からの出稼ぎ出向組は延々ババを引かされ続けている。作り出された格差、それは私だけでなく私の身内にも降りかかり、一生ついて回るのだ。では、このババを引かして助かった側は、私らの様な者の生活再建に際し、処遇でどうバランスをどう取るのか。それともバランスとろうなんて考え自体これっぽっちも無いのか。

 

 贅を尽くしたクルマを2 3 台と所有したいがために/マイホームのローンを予定通り完遂するためには、他人をあさっての方向に行かせて梯子ハズしても、他人の取り分を自分に付け替えても かまわない・・・と、私は親に教わらなかった。教師からもである。そして悔しさに歯ぎしりしながら むなし手で去るために私は生まれてきたのでないし、親だって そのつもりで私を生んだわけじゃない。

 今、人事も、親会社へのスライド移動を果たした労組も、営業研修からの出稼ぎ出向者のことなど すっかり小康状態のような気になって“ミソギはスンだ”などと もし思っていたら 上記のとおり それは大間違いである。営業研修からの出稼ぎ出向者の生活再建は一体どうなっているのか? それとも「いやぁ俺たち〜エリートで〜経営危機に際しても〜日本のモノ造りの遺伝子を絶やさぬよう〜下っ端を突き落としてでも技術の継承を受けとる資格が、あり〜」と言わんばかりの対応を続けるのか。 

 

 戦後初の本格的ノンフィクション小説『戦艦大和ノ最期』の中で、大和沈没後、駆逐艦へ乗り移ろうとした兵士たち対し、船上の将兵は 自分たちだけ助かろうと、手を伸ばした濡れ鼠の兵士たちの腕を日本刀で叩いて回ったという描写がある。

 この記述の真偽については、長らく議論されてきた。だいいち くだんの駆逐艦は大和から距離を取っており、近くにいたのは別の艦だったという証言もあるし、日本刀だってそんなに甲板上から人を斬れるほど長くも鋭利でもない、と(児童向けは該当部分がカットされている)。肝心の著者は その時 後頭部が抉れるほどの重症で気絶しており、同じく海に放り出された名も無い誰かが米軍の機銃掃射の中(国際法違反である)意識の無い著者を他の船に押し揚げたため、ノンフィクションと言えど、ここだけ著者が後日伝え聞いた話となっている。

 しかし これは本当にあったことなのか? それとも悪意のある誰か、何が何でも日本を貶めたいだけの左翼やリベラル、反戦派が流布した根も葉もないウソ話だったのか? 私は長らく後者の方だろうと思っていた。が ここ10年、震災のドサクサまぎれに私の身に降りかかったことを考え、ひょっとして、そういう非人道的な行為を平然と遣ってのける、『他者に対する想像力が欠如しており苦痛や幸福といったものへの配慮が非常に乏しい』ヤカラが確かに存在し、くだんの箇所の記述は 本当にあったとしても おかしくない気がしてきたのである。

 

 おりしも日本は再び地震の活動期に入ったといわれる。では震災のたび また同じようなリストラを遣るのか? 下っ端を騙し討ちしたり、『お前は心臓じゃないから重要ではない』『お前は目じゃないから重要ではない』と組織の手を切り足を切ったりし、何でもかんでもアウトソーシングやAI 化、ついには頭と胴体だけになるまで続けるつもりなのか。

 さらに最近、夏の水害や地震、台風などによる罹災見舞いの申請用紙が配られたが、10年以上前の私の罹災は まだ終わっていないのに放っておかれている。不遡及の原則というのがあるから要求こそしないが、グローバルID67で始まる移籍組の社員は、よっぽどヒドイ被災でもない限りは今回は辞退し、少し こっちに回してほしいくらいだ。

 また、今、親会社では組織内議員を擁立しようとしているが、いくら他社からの不本意な流入とはいえ、まず自分たちの社内の格差を放置した状態で、一体どのツラ下げて民衆に格差解消少子高齢化を訴えるのか。そりゃ「自分たちの会社から日本を変える!」「自分たちの会社から世界を変える!」という高い志(こころざし)それ自体は尊(たっと)いと思う。だけれども、自社で燻っている問題すら解決できていないのに、日本の/世界の諸問題を解決できると思うのか。

 

それとも志なんて無く、ただ現代の奴隷派遣会社の会長よろしく我田引水や あからさまな利益誘導・政商行為・レントシーキングが目的なのか? だったら彼が後代に散々言われることが決定しているように、擁立なんて よした方がいい。

 もし「わが社では(不本意ながら子会社の放漫経営の尻拭いではあったけど)コレコレこうして広がる格差を解消し、内ゲバや会社への非難を未然に防ぐことができました。その時の貴重な体験を、国政に活かせればと思い立候補いたしました!」と、いうのなら まだ その話も分かる。だが、政治より先に組織内の心配をせよ。確かに企業の力だけではどうにもならないことが世の中にはある。あるけれど、いつぞや あのどこまでも言葉の軽い世襲のお坊ちゃんが「政治とは税そのもの」とかイカれたことを言ってたが、

 

政治とは一言でいえば再分配だ。社内の格差を知ってて放置し世直しゴッコに興じようとは、それは隣人の目の中に見つけたチリを取ってあげましょうと言ってる側の目の中に材木が入ってるようなモノだ。まだそんな状態であるのに、それでどうやって自分たちのことを棚に上げ、世の中の問題に口を挟めるというのか。順番が間違っている。

 だいたい転籍前の職場の評価制度は色々と おかしかった。前任者は「元職場は昔から成果主義です」と仰っていたが、彼の所属していた研究職はそうだったかも知れないが、実際には次のようなことが多く見られた。

 営業研修は売れた実績で能力を問われ、成約ゼロは失格、なハズだったが、実際にはまだ一件も成約してない人が一抜けするというダブルスタンダード、そうして何人か営業に行ったことをアリバイにする「出来レース」だった。

 元職場は一時期、半導体のクリーンルームのノウハウを農業分野に活かそうと進出し、結局、土とオテント様に勝る水栽培ナシとの結論に達したが、撤退後そこで働いてた社員の処遇、一人は寮に二台ベンツをはべらせていた御曹司は商品企画に、もう一人は保健センターという花形/安泰部署への異動で、設備の設置/解体に携わった業者や、解雇されたパートのおばさん方も皆 おかしな話よねーと言っていた。

 100mを2秒で走れる選手が居ないように、生産目標や開発目標も その時点での機材やツール、マンパワーのボトルネックが存在する。なのに その飽和に達してグラフが上を向かなくなれば評価が下がる現場知らずの謎評価。「前年比110%を達成しました」→「よし、次は120%だ」→「120%を達成しました」→「よし、次は130%だ」→「130%に及びませんでした」→「なんだと今年のお前の査定はマイナスだ」 こんな調子だった。

 成果主義は、目標を高く設定した人ほどバカを見た。客観的な二重チェックをするから大丈夫と言いながら、まったく機能しておらず、結局体のいい賃下げ制度でしかなかった。大手電機メーカーで最初に成果主義を導入した富士通は、同じ理由で失敗を恐れ、誰も新たなことに踏み出さないので業績は低迷、成果主義の人事制度をのちに撤回したにもかかわらず、元職場は目先の賃下げに効果があるので成果主義を最後(らへん)まで ありがたがっていた。

 

 少し脱線したが、このように営業研修からの出稼ぎ組は、東製へスライド異動した人々に比べ、色々不利な状況を強いられている。この報告書を以てなお労組は「有利/不利という事は無いと思います」と言い切るのだろうか?

 そして最後に貴殿に問いたい、我々の敵とは一体どこ また何か? なんでも今日本は『一億総活躍社会』だとかで、NHK ラジオによると、日本は今総力戦で臨まねばならないのだという。だが、そんな月月火水木金金みたいなことを遣らすなら、まず そうしなければならなくなった経緯や理由を説明してもらわねばならぬ。先の大戦敗戦間際に真面目に国に協力し、金目のものを差し出し、将来の安全保障にするはずの子らまで兵隊として国に差し出したのに、無駄に沈められたり犬死させられりで人々は疲れ果て、「こんな我慢ばかりを強いられた先に一体何があるというのか」「だったら もう負けでイイから戦争など終わってほしい」と願う人も多かったという。

 我々の敵とは同業他社だろうか? それとも煽ってグローバリゼーションを招来し落差で儲けている連中か? せっかく血と汗を自分の時間を代償に稼ぎ出した外貨を「地球儀を俯瞰する外交」とかいって気前よくバラ巻く政権か? それとも現代に かつてのエタ・非人制度を復刻し、事後収賄よろしく奴隷派遣会社の重役に居座っているレントシーカーか? 実際には あるかどうかもわからないオンライン上の数字を“貸し”、利息を どっかから もぎ取ってくるためには仲間を平気で売り飛ばすような社会を招来した連中か? はたまた「人類の適正人口は5億まで!」と喧伝し、手前と手前らの子孫にだけは逃げ道用意しておきながら有色人種の削減を画策しているNWO か?

 そして この報告書にしたがって、叩くべき相手は何処だ? 異常事態が もう7年を、中越地震から数えたら13年続け、社員の旬を台無しにしつつある会社か? それとも私か?

 私はかつて うつ病を発症したM田氏(現さ○らクレパス出向)に随分悪意に満ちた妨害をされたが、それを人事面談の時に訴えるとK田部長に「今同じ社員同士で いがみ合っている場合だろうか?」と諭された。それ自体は全く以て正しい。だが、より強大な敵と対峙せねばならないのに、「自分たちだけ助かろう」と「自分たちだけは経営危機に際しても引き続きイイ思いし続けよう」と、工場施設に対物保険も掛けられないほどチューチューチューチュー吸い取って、その恩恵を受けてきた側が、未開の部族さえ選べるナショナル・ミニマムまで取り上げておきながら、「オメーの席ねぇから」「イヤなら辞めろ」「誰もアンタに残って欲しいなんて思ってないし自由に退職できます」と遣ってる側とナアナアであれば、私もまた日本の敵より先に、いったん そっちに向き直って対峙せねばならない。この3年間、異常事態を何も是正できず何の成果を出せなかった労組は降格は無いだろう が、こっちはたまったものではなく、重く受け止めていただきたい。このまま何の是正もないまま分断と格差が広がれば、私は親会社の社服着て東製に向かう社員までもが だんだん敵に見えてくる。

 なお、これらを以て、「他人の不幸は蜜の味」、とばかりに自分たちはまだマシと話のサカナにされるのは甚だ不本意であるし、「なにを〜俺なんか もっとヒドい目に遭っているんだぞ〜」などと“奴隷の鎖自慢”を始める人は、真に撃つべき相手を間違っているし、また人事/組合が「このように もっと大変な人も居るんだから」、と、社員に更なる労働条件悪化を呑ませるダシに悪用されることがあってもならないと釘を刺しておく。(了)

2021/3/6

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