7月9日(金)

 ゆっくり起きて朝食、ブリヌィ(ロシアのクレープ)がおいしくて3枚も食べてしまった…
 この日の午前中は予定がないので、ホテルの2階のビジネスセンターへ行ってPCを借り、メールやブログのチェック。初めてロシア語版ウィンドウズを使ったのですが、とても簡単でした。ここのPCは1分6ルーブル(約18円)。ネットカフェのように前払いではなく、終わってから使った時間を申請して料金を払う仕組みです。いろいろな国の人が来ていました。
 昼食はホテルのロビーの隣のカフェでピロシキ、ピザなどを買って済ませました。
 1時にナターシャとパーシャが再び到着。イルクーツク市内の観光に出かけました。まずスパスカヤ教会とバガヤヴレーニエ寺院、どちらもロシア正教の教会で壁、天井すべてにイコンが飾られています。ここで思わず目に留まったのが「教会の修理のために寄付をお願いします」の一文。シベリア鉄道の旅が無事に終わったことが心から有難く思えて、思わず寄付をしてしまいました…どこへ行ってもお寺の維持は信者さんの寄付に頼っているようです。
 そのあと アンガラ河の河岸を散策。このあたりは平らに見えるのに、アンガラ河の流れは物凄く速いのです。バイカル湖の水量がいかに豊富か、ということなのでしょう。しかも とても深そう…

    
  
        悠然と流れるアンガラ河                        アンガラ河のそばのキーロフ広場

今度はウシャコフカ河(アンガラ河の支流)を渡って、ズナメンスキー修道院へ。庭には立派は墓がたくさん並んでいました。デカブリストの乱で流刑になり、故郷を想いながらこの地で生涯を終えた人はこんなにもたくさんいたのです。

    
  スナメンスキー修道院の聖堂の入口、レモント(修理)中でした              いろいろなかたちのお墓があります

再び市内中心部に戻って、アンガラ河のほとりのレーニン広場へ。ここにアレクサンドル3世の銅像が立っています。お天気が少し怪しくなってきましたが、ここからの眺めは最高。
 観光を終えてナターシャとパーシャが帰ったあとまだ時間があったので、ホテルで一休みしてまた散歩にでかけました。アンガラ河の岸部をずっと歩いて先ほどのレーニン広場へ出て、そこからカール マルクス通りをのんびり歩きました。このあたりは古い木造の建物がとても多いのです。モスクワともウラジオストクとも違う風景が広がっています。

    
       レーニン広場に立つアレクサンドル3世像                    アンガラ河の岸辺の散歩道

途中 スヴェルドロフ通りにあるレストラン「ルーシ」で夕食。私はアクローシカ(クヴァスの中に具が入っている冷たいスープ)をためしてみたくて注文したのですが、これは口に合いませんでした。クヴァスは嫌いではないのだけど具が入るとダメみたい…今までロシア料理で口に合わなかったのはこれだけです。他に頼んだ塩漬けオームリなどは本当においしかったので残念でしたが、夏の名物と言われるこのスープは二度と注文する気にはなれませんでした。
 歩いてホテルに戻り、かわりばんこにシャワーを浴びたあと皆でお休みタイム。この日は深夜便でハバロフスクへ移動します。でも私は眠れませんでした。今までロシアの国内線は必ず何かしらのハプニングに悩まされてきました。何かあってもちゃんと対処できるように覚悟しておかなければならないのです。
 10時半にパーシャが来て、空港へ向かいました。20分ほどで無事到着。私の緊張は頂点に達していました。私の顔に緊張の色がありありと浮かんでいるのを見たパーシャは私に言いました。
 「ハバロフスク 398便、と書いてあるチェックイン カウンターに並ぶんだよ。あとはすべてうまくいくから…」
 このときパーシャが言ったチェックイン カウンター(ロシア語でレギストラーツィヤ)という単語は単数形でした。窓口は1つしか開かないということなのだ、と私は納得しました。だからチェックインの時間が来て(11:30)窓口が2つ開いたときは「やった!」と思ったのです。
 しかし…

   

   7月10日(土)

 日付が変わっても 長蛇の列は一向に進みません。そうこうしているうちに2つのカウンターのうちの1つのパソコンが故障し、隣の窓口に移ることに…もうここに並んで1時間半…ずっと立っていると腰が痛くて床にうずくまっていました。するとそこのパソコンもまた故障…また移動…飛行機の出発は1:40です。いくらロシアでもまさかチェックイン待ちの客を積み残したまま出発はしないだろうと思いながら、私は次第に不安になってきました…
 ようやくチェックインが終了したのは1:15、手荷物を持って2階の検査場まで一目散。そこで2回パスポート検査、そのあとの手荷物検査とボディーチェックも厳重を極めました。上着、靴、ベルトも取られ、そこでまた時間がかかるのです。ボディーチェックのところで父が何か言われている…行って訳さなければ、と思った私はロシア人のオジサンに声をかけられました。
 「中国のパスポート、あんたのじゃないのか?」(この旅行ではよく中国人かと言われました)
 傍らの椅子の上に航空券をはさんだ中国のパスポートが置き忘れられていました。持ち主はさぞかし焦っていることでしょう。しかし他人のことを気にしている余裕はありません。飛行機の出発まであと20分を切っているのです。
 「ニェット、エータ ニェ モイ(違う、私のじゃない)」思わず怒鳴り返してあわてて父のところに行くと、父は英語とジェスチャーで何とか切り抜けていました。
 全員ヘトヘトになって搭乗バスの乗り場にたどり着くと、またしても待つように言われました。もうダメ…早く座らせて…ロシア語もだんだん聞き取れなくなってきました。
 古いバスに揺られて搭乗機に着いたのは何と出発の5分前。結局 ほぼ定刻に飛行機はイルクーツク空港を出発したのです…
 この究極 非能率的なところ…やっぱり「ロシアの国内線」でした。
 フライトは3時間25分、列車で3日間かけて走ったところをわずかな時間で飛び越えてしまうのです…
 3時頃 機内食が出てきましたが、手をつけずに眠っていました。両親も叔母も食べていたようですが、(さぞかし疲れただろうと思っていたので少し安心しました)私は頭が痺れるように痛く、水を飲むのがやっとでした。
 機内でまた2時間時計を進めて、ハバロフスク時間7:05、飛行機はハバロフスク空港に到着。機外風景がウラジオストク空港によく似ていました。
 私達を出迎えてくれたのは 運転手のヴァロージャ。かなり年配の方でどうも入れ歯らしく、ロシア語がちょっと聞き取りづらくて焦ったのですが、すぐに慣れました。
 「シートベルト締めて。警察が厳しいから」と言われてびっくり…ロシアでもシートベルトをすることになったのでしょうか…
 20分ほどでこの日の宿 インツーリストホテルに到着。「夕べ寝てないだろう?ゆっくりお休み」何気ないヴァロージャの一言が心にしみました。
 この日は徹夜明けなので、何も予定を入れていませんでした。少しだけ朝食を食べてすぐにベッドの中へ…
 3時間程寝るとすっきり…フロントに預けてあったパスポートを取りに行き、お腹もすいたので食事も兼ねて散歩に出かけることに。まずムラヴィヨフ アムールスキー通りにあるカフェで昼食。いつものようにボルシチ、サラダ、魚料理、飲み物などを注文して、料金は4人で500ルーブル(約1500円)。今はやりの500円ランチより安い…しかもなかなか味も良かった。その後 ムラヴィヨフ アムールスキー通りを散歩。ここがハバロフスクで一番の繁華街のようです。この日のハバロフスクは33度の暑さ、しかもかんかん照り…私がこんがり焼けてしまったのは多分この日と次の日だったと思います。

    
   一番の繁華街 ムラヴィヨフ アムールスキー通り         コムソモール広場に立つウスペンスキー聖堂

 ホテルに戻って一休み。このホテルはアムール河の岸部にあり、すぐ下の水浴場には 暑かったせいもあり、多くの人がつめかけていました。「インツーリストホテル」という名前から連想されるような古めかしい作りではなく、きれいに改装されていて、いかにも日本人向けという感じです。(日本語のパンフレットや地図もありました)

         

           インツーリストホテルの室内 きれいに改装されていました

 夕食はホテルの最上階にある「ユニハブ」という日本料理店で久しぶりの本格的な和食。写真つきの日本語メニューもあり、私はとても楽でしたが、(どこへ行ってもメニューを読むのに時間がかかる)この旅行で一番ハズレだったのがここでした。私が注文したトビコのお寿司もおいしくなかったし、両親も叔母も満足していなかったようです。しかも悔しいことに値段はここがダントツ高かった…
 夜 ベッドに入るとまたロシア号の時刻表に手がのびました。イルクーツクで降りてからもう3日も過ぎたのに、あのロシア号はまだ走っているのです…そして ハバロフスク時間のこの日の深夜、あのロシア号はモスクワ ヤロスラヴリ駅に到着します…ウラジオストクを出てから一週間、その距離は9300キロ…筆致に尽くしがたいスケールの大きさです。車掌のオジサンはどうしているかな…きっと変わらず黙々と仕事をしているのでしょう…


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