7月7日(水)

眠っている間にチタを発車してしまい(2:55)、駅舎を見ることができなかったのは残念でした。目が覚めるとちょうどヒロクに着いたところ…(7:10)残った食糧でシベリア鉄道最後の朝食、列車の中の生活も4日目になると皆 慣れてきます。そして何より嬉しいのは 快適なベッドでぐっすり休めているため 皆 あまり疲れていないこと…この日になると皆バテバテの図を想像していたので…
 外の景色は次第に針葉樹の林が増えてきました。ところどころ民家もあり、牧場のようなところも見えます。

           
                 ずいぶん家が増えてきました…

 ペトロフスキー ザヴォート(9:49発)を出たところで時計の針をまた1時間戻し、モスクワとの時差は5時間になりました。イルクーツクや日本と同じ時間です。
 前日 鍵が開かなくなったトイレはもちろんそのままです。さすがに1つだけでは待ち時間が長くてかないません。そこで母にロシア語の「ザーニャタ」(使用中)という言葉を教えて、トイレの前に立っていてもらい、左のトイレを使っていました。
 11:05 定刻より10分遅れでウラン ウデに到着。今まででこんなに遅れが出たのは初めてで、はたして25分停まるのか、それとも早めに発車するのか…車内放送などがないのでわからないのです。車掌のオジサンに聞こうとホームを探したら、何とキオスクでお買い物中…この駅にはかつて活躍した蒸気機関車が展示されているので、カメラを持って一目散に列車最前部まで走りました。

    
        ウラン ウデ駅のホーム              ホームに展示されていた往年の機関車

 無事写真を撮ってから、ここでヨーグルトを探しに行こうと戻ってきたオジサンにまだ時間があるか聞くと「もうダメ。遅れるよ」と言われ、またまたヨーグルトはあきらめることに…結局 ここで停車時間を縮めて定刻どおり発車しました。
 列車が発車するとオジサンが水を持って現れました。私が水を買い損ったと思ったようで、自分が買ったものを分けてくれるつもりだったようです。(ホントに細かいところまでよく気がつく人です)気持ちは大変有難かったのですが、水は充分あったので、お断りしました。これ以上荷物が増えたらイルクーツクで降ろせません。
 ウラン ウデを発車して約2時間後…見えてきました。そう…バイカル湖です…深い青…どこまでもどこまでも続いていて、今にも吸い込まれてしまいそうな存在感です。その青が湖岸の緑と見事な対比を見せていました。お天気が良かったのがラッキーでしたね。湖岸でキャンプや湖水浴をしている人の姿も見えます。

    
       バイカル湖が見えてきました!           湖岸でキャンプや湖水浴をする人もいます
 
 昼食で残り物をすべて整理し、4日間お世話になったアイスボックスをたたみました。
 午後からベッドを整理し、シーツを揃えて下車の準備。何だかとっても名残惜しいんですね。こんなに快適で楽しいならもっと乗っていたかったです。ほどなくオジサンがシーツを回収に来ました。
 15:49 スリュジャンカ着、これが最後の停車駅です。
 下車の1時間前になるとオジサンが知らせに来ました。その後 日本のお菓子を持って車掌室に行き、4日間お世話になったオジサンにお礼を言いました。「あなたには本当に感謝している」と言って渡すと、思いがけなかった様子で、とても喜んでくれました。
 17:57 イルクーツク着。いよいよロシア号ともお別れです。ホームにイルクーツクの運転手 パ−シャが待っていました。オジサンが大荷物を降ろすのを手伝ってくれました。大きなトランクを両手に1つずつ持ってスタスタと行ってしまうパーシャ(さすが…)について行かなくては、と思いながらも、私はもう一度オジサンの方を向いて「フセヴォー ドーブラヴァ」(丁寧なお別れの言葉)と叫んでいました。
 パーシャのロシア語は少々早口ですが、明瞭でとてもよくわかりました。5分ほどでこの日の宿 イルクーツクホテルへ。ここの前の通りはガガーリン通りというそうです。
 ここは旧インツーリストホテル、ソヴィエト時代 外国人はここにしか泊まれなかったそうです。私が初めてロシアに行ったときに泊まったモスクワのインツーリストホテルに作りがよく似ていて、いかにもロシアのホテルという感じです。両親と叔母はさぞかしカルチャーショックだったことでしょう。この日のイルクーツクは26度と暑く、部屋の中は西日がカンカンとさしていました。クーラーはなく、旧式の扇風機を使っても部屋は少しも冷えません…

    
         イルクーツクホテルの室内              これぞロシアのトイレ…

少し休んでから夕食に行こうということになって、ホテルのレストランに行くと、この日は貸切になっていて無理だとのこと…どうしようかと途方に暮れていると、ホテルの隣に「モネ」というカフェがあり、そこへ入りました。ここはクーラーがあったのでホッ…とても待たされたけど料理はとてもおいしくて満腹でホテルに戻りました。この時点ですでに10時を過ぎていたのですが、外はまだ明るく、スズメが遊んでいました。
 3日ぶりにシャワーを浴びて、ベッドの中へ…
 ロシア号は今どこを走っているのだろう、と枕元の時刻表を見ると、もうすぐジマに着くところ…無事に列車の旅が終わってホッとしたと同時に何だかとても寂しくなって涙が出てきました。枕を涙で濡らしながらいつの間にか夢の中へ…



   7月8日(木)

 ホテルの部屋は朝になっても暑く、ほとんど掛け毛布をはね飛ばして寝ていました。8時に朝食のため1階のレストランに降りて行くと、受付の人が誰もいません。結局 部屋カード(朝食のときは必ず見せて下さい、と書いてあるのに)も見せずに勝手に座って食べ始めてしまいました。これぞロシアのホテルです。今まで列車の中で車掌のオジサンに何もかも頼っていたので、ここからは自分でやらないといけないなあ、と思いました。ここでやっと念願のヨーグルトにありつけました。おいしくて2杯も飲んでしまった…
 10時にパーシャとガイドのナターシャ到着。やはり日本語を話せる人が来てくれるとほっとします。この日はいよいよバイカル湖へのエクスカーション。バイカル湖まで70キロ、パーシャは100キロを超す猛スピードでアンガラ河沿いの道路を飛ばして行きます。
 バイカル湖へ行く前に途中の「木造建築博物館タリツィ」へ。ここでかつてのコサックやブリヤート人の住居や学校、教会などを見学。コサックの住居は開拓時代の北海道の住居に通じるものがあります。また ここは大変寒さが厳しいところなので、ペチカの大きさが目を引きました。それでも寒さに弱い私は 近代的な暖房に比べたら寒かったのだろうな、と思ってしまいます。

    
     木造の建物は見ていてとても落ち着きます               コサックの家の内部  

 再び車に乗ってリストビャンカへ。やがてアンガラ河の河口の向こうにバイカル湖が見えてきました。前日よりはお天気が悪く、気温は18度くらい。ホテルの部屋に前日の暑さが残っていたので、(冬はマイナス40度になるイルクーツクです。熱を逃がさない建物の構造なのでしょう)ちょっと薄着をして来てしまった私は、この旅行で初めて寒い思いをしました。「涼しくて良くなった」と言っていたのはパーシャだけです。
 湖はもやがかかっていて前日列車の中から見えたようによくは見えなかったのですが、それがかえって神秘的…特にアンガラ河の河口の河と湖の境目のところの色の美しさが印象に残りました。
 
    
         アンガラ河の河口のところ                向こうが見えないほど広い…

 水温は8度。手をつけていると寒くて歯の根が合わなくなります。無理もありません。この湖は1年のうち8か月は凍っていて、先月溶けたばかりなのです。
 「病気はこの湖に捨てて行きなさい」と母に言われました。そうですね。どこまでも続いていて向こう岸の見えないこの湖なら病気を全部吸い取ってくれるような気がしました。以来 帰国してからこの原稿を書いている8月中旬まで体調は極めて良いです。
 昼食はバイカル湖畔のナターシャおすすめのロシア料理店「プローシルィ ヴェーク」で。この日は私の誕生日だったので、ナターシャとパーシャも一緒に誕生日を祝ってくれました。ここで初めて名物のオームリのフライを注文、コケモモのソースがちょっと日本にはない味でとてもおいしかった。その他 ウハー(魚のスープ)、サラダ、松の実のかかったアイスクリーム(今回食べたロシアのアイスクリームはこれが一番)、モルス(コケモモのジュース)。最高の誕生日になりました。

         
        一番右が私、隣がナターシャ、その隣がパーシャ、左は母と叔母 

 午後はバイカル博物館を見学。ここはバイカル湖に関するあらゆる資料が集められています。湖の歴史、年間の水温の推移、ここに住んでいる生物(オームリや海綿、チョウザメなど)の標本、そして水族館もあり、バイカルアザラシもいました。ヒレをヒュッと折りたたんで狭いところをすり抜ける様子が何とも愛らしい…
 この博物館の前で自分で作った白樺のマトリョーシカを売っている女性がいて、そこで自分用に一つ購入しました。バイカル湖に古くから伝わる伝説をあらわしたものです。
 その後また車を走らせて、ニコリスカヤ教会へ。この旅行で教会に入ったのはここが初めてでした。小さな教会がまわりの自然によくマッチしていました。
 イルクーツクに戻る車の中で思わず熟睡…ロシア語を使っていると神経が立っていてどうしても不眠に陥りがちでした。気持ちよく眠って目が覚めたらイルクーツクに着いていました。
 「プローシルィ ヴェーク」で食べ過ぎたため 誰も夕食を食べる気にならず、また乾燥おにぎりを出してきて食べ、早々と就寝。翌日の深夜に飛行機で移動するので、しっかり体を休めておかなければなりません。日の入りは10時半過ぎ。ベッドに入ったときはまだうっすら明るい状態でした。


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