感じたこと いろいろ…2010

  シベリア鉄道2010

何と言っても今回の旅のハイライト、今回の旅はやはり鉄道に乗ることが主目的でしたので…
 出発までずっと不安に思っていたのは、やはり列車の中がどうなのか、ということでした。(以前は 設備が良くなかったという話も聞いていましたので)
 私達がウラジオストクから「ロシア号」に乗ったのは 7月4日の夜でした。
 夜10時 白、青、赤のロシア国旗と同じ色の車体の「ロシア号」がウラジオストク駅の4番ホームにすべり込んできました。ピカピカの最新型車両です。私達の車両は13号車、2等寝台車、4人用の個室です。
 入ってびっくり!室内も最新式…とても寝やすい硬さの真新しいベッド、上段に上がるためのはしごもついています。入口ドアの上部には薄型テレビも備えられていて、3つのプログラムを楽しめるようになっています。また コンセントも各部屋内にあり、携帯の充電の心配もありませんでした。

    
                 座席もとても快適…                                薄型テレビもありました

 22:20に列車が発車すると、室内は冷房が効いてきました。夏のシベリアは大変に蚊の多いところだと聞いていましたので、これだと暑くても窓を開けなくて済みますから良いですね。しかし 冷房が強すぎて寒くて眠れなかったので、途中で車掌室に行って弱くしてもらいました。翌日ふと窓を見ると、ガラスは3重になっています。改めてシベリアの冬の厳しさを思い知らされました…冬はマイナス50度のところを走る列車なのです。
 私以上に 同行したロシア初体験の両親と叔母は不安に思っていたようですが、「これなら快適だよね」とのこと。
 さて ロシアに行ったことのある人の間で必ず話題になるトイレの話…私もかつて何度も列車の中のすさまじいトイレに出会いましたが、この車両のトイレはとてもきれいで、ペーパータオルや便座シートまであります。ただ トイレットペーパーは相変わらず黒っぽい紙で、便器の中に捨てることは厳禁、となりの屑籠に捨てるようになっているのは以前と同じでした。

    
   トイレはいつもピカピカ…                                   便座シートあり、これにはびっくり…
    車掌のオジサン 命かけて掃除してましたからネ…

 また トイレの中にはタオルかけがあり、床には水を流せるようになっています。シャワーはないけれど 洗面所はお湯が出ますので、ここで体を洗っている人も多かったです。私もためしてみようと思いましたが、2日目の夜 各車両に2つずつあるトイレのうちの片方の鍵が故障するという事態になり、残る1つが大混雑となったため、とうとうあきらめました。
 ウラジオストクからイルクーツクまでの4000キロを3泊4日で走る旅…初めはもっと単調な景色がどこまでも続いていて 長く感じるのではないかと思ったのですが、意外にも景色は変化に富んでいて、全く飽きることはなく、とても短く感じました。とても快適で夜もぐっすり休めたため、目的地イルクーツクに着いたときはほとんど疲れはありませんでした。お風呂に入れなかったのが唯一つらいことでしたけど…イルクーツクのホテルで体と髪を洗ったときは これぞ極楽、と思ったのですが、それでも列車を降りてしまったあとはとても寂しくて、その後も時刻表を見ながら、私達の乗っていたロシア号はどこまで行ったかチェックしていました。



   車掌のオジサン

 今回の旅で一番お世話になった人…全員一致でこの人でした…ロシアの車掌は女性が多いのですが、私達の頭の中にはもう「車掌といえばこのオジサン(名前はアナトーリ)」が強烈にインプットされてしまいました。 何しろシベリア鉄道は初めての私達、列車に乗っても何をどう使うかわからないことだらけだったのです。
 「テーブルがたためないから、下段のベッドが作れないの」と半泣きで訴えた私に「まあ とにかく貸してごらん」と言って、脇のレバーを引いて寝台を降ろしてくれました。(結局 テーブルはたたまなくてもベッドは作れたのです…)
 「やったー」と歓声をあげたのは母…
 「このガイジン達は何をするかわからない…」多分彼はそう思ったと思います。その後も冷房が効きすぎて眠れない、テレビのつけ方はわからない…何かあるたびに私は車掌室に走っていましたが、そのたびにすぐ出てきてくれ、「もう大丈夫だから、何も心配することない」と言ってくれました。我が13号車の住人はロシア人ばかりだったので、車両唯一の外国人である私達のことを気遣ってくれて、何から何までお世話になりました。
 2日目の朝 ハバロフスクで食料を買いに駅近くのスーパーマーケットに行った私は発車時間スレスレに列車に戻ったのですが、発車してから叱られました。
 「もう少し早く戻って来なさい。でなければどこかで列車に遅れてしまう」
 多分私が戻って来ないのでハラハラして待っていたのでしょう。以後 長時間停車の駅で私達が降りる準備をしていると必ず来て「○分停車だから、早く戻って来なさい」と言っていました。慣れてくると乗務員専用の時刻表を見せてもらったりしました。鉄道マニアの私にとってはとても珍しく、楽しいものでした。

           
      これは乗務員用ではなく廊下の壁に張ってある客用の時刻表。よく説明してくれました…
 
 私だけではなく 母や叔母もジェスチャーでコミュニケーションができるようになってきました。

 初日の晩 車掌室に行くとサモワール(湯沸かし器のこと 24時間熱いお湯が使えます)の前にお菓子を乗せたお盆がありました。「お菓子はいらないの?」と聞かれて、そのときは「もう夜遅いから今日はいらない」と断ると、「じゃ 明日ね」と言われました。翌日から一日に何回もお菓子を売りに来るので、みんなでたくさん買ってしまいました。私は 出発前NHKの「テレビでロシア語」に出ていたシベリア鉄道の中のカップラーメンがおいしそうだったので、(以前にモスクワで買ったのはとってもおいしくなかったのですが)カップラーメンに再挑戦…「どれがお勧め?」と聞いて、勧めてくれたものはなかなかおいしかった。よかった、これでロシアのカップラーメンの悪印象は拭い去れました。
 さて 列車の旅の楽しみの一つが食堂車…ロシア人は食堂車に行かず 日数分の食糧を持ち込むか 途中駅で買いますので、彼はよく私に「食堂車に行ってごらん」と言っていました。(私達のような客でないと食堂車は売れませんものね) 皆で食堂車に行くときは 荷物を置き引きされないように外から鍵をかけてくれました。部屋に戻ると「食堂車ではすべてうまくいったか」と聞かれました。なかなか心配性です。
 いつも笑顔を絶やさなかった彼が(ロシア人には珍しい)何度かとても緊張した顔をしていたのを見ました。それは 途中駅に停車中 警官と話をしているとき。「すべて順調か?」と警官に聞かれていました。このところロシアでは列車のテロ事件が頻発、警官も乗務員も神経をすり減らしている様子が見て取れました。
 「シベリア鉄道2010」でも書いたとおり トイレはとてもきれいで快適だったのですが、体を洗う人もいるためすぐ汚れてしまいます。一日に3回くらい掃除をしていましたが、それはそれは丁寧…鏡までピカピカに磨き上げるので、掃除の直後は手を洗って水をはねかすのもはばかられるほどきれい…本当に生真面目に自分の職務をこなす人です。
 最終日 イルクーツクが近づくと「あと1時間」「あと30分」と知らせに来てくれました。送迎が来ているかどうか心配な私はさすがに緊張…(駅で送迎が来なかったというトラブルの話をよく聞いていましたし、もしそうなったら駅で自分でタクシーを頼まなければならないので)それに気づいていたのでしょう。イルクーツクで下車するとき、彼は 乗降口のところで待っていたパーシャ(イルクーツクの運転手)の持っていたプラカードの名前をきちんと確かめてから私達を降ろしてくれました。
 彼の写真が一枚もないのは寂しいですね。ロシア語を話すことに夢中だったので写真を撮るところまでアタマが回らなかったのです…


ロシア語

 今まで行った中では今回が一番楽でした。レヴェルの高いメンバーの中で特訓したかいがありました。(ほとんど落ちこぼれそうなときもあったのですが…)
 ロシアに行くのは4年ぶりなので、大丈夫かという不安はありました。正直 ウラジオストク航空に乗って機内アナウンスを聞いたときはちょっとオタオタしたし、2日目のウラジオストクの市内観光のときは、買い物のときに60ルーブルと600ルーブルを聞き間違えるという失敗もしました。
 言葉に慣れてきたな、と思ったのは列車に乗ってからです。例の車掌のオジサンは私がロシア語が話せるとわかると初日からいろいろ話をしてきました。車内は快適か、お腹はすいていないか、水は足りているか、から始まっていろいろなことを根ほり葉ほり聞いてくるのです。それに必死に答えようとしているうちに、列車に乗って2日目の午前中 ツキモノが落ちたように隣の部屋の人の会話が聞こえるようになりました。(今回の旅行で一番たくさんロシア語で話をしたのは何と言ってもこの人だったのです)
 列車に慣れてくると 廊下に立って景色を見たりしている人と何となく話をするようになりました。今回は商用の人がとても多く、列車の中でパソコンで書類を作ったりしていて、あまり暇を持て余している人はいなかったのですが、それでも 途中駅で下車したとき一緒に買い物に行って、ホームで売っている食料品などをどれが良いか選んでもらったりしました。外国人である私が見てもどれが良いかわからないものが多かったので、これはとても心強いことでした。
 家族以外は日本語が使えない列車の中で4日間鍛えられたおかげでしょう。イルクーツクに着いたときにはパーシャ(運転手)の早口のロシア語が聞き取れるようになっていました。人間追いつめられると普段は出ない力を発揮するものです…
 結果は日本に帰国してからはっきり現れました。NHK−BSで放送しているロシア語ニュースの聞こえ方が全く違っていたのです。
 車掌のオジサン、パーシャ、ヴァロージャ(ハバロフスクの運転手)…私のロシア語力を高めてくれた人たちに感謝…です。



日本語ガイド

 皆さん 本当に卓越した日本語力の持ち主でした。人間 鍛えればここまでできるのか、という感じですね。彼らを見ていると自分もロシア語を頑張ろうという気持ちになります。
 特にハバロフスクのゴーシャは敬語も完璧に使いこなす実力の持ち主。他の2人は 話を聞いていて彼らが頭の中で日本語に変換しているもとのロシア語がだいたいわかったのですが、この人は流暢すぎて無理でした。ご両親が共にハバロフスク教育大学の教授という学者一家に生まれた彼は、お母さんがかつて日本人抑留者と交流があったことで日本語を志したそうです。ガイドの他に会議通訳や翻訳もしているそうで、そのボキャブラリーの広さもさることながら、日本について社会情勢その他いろいろなことを知っており、両親や叔母とも一番話がはずんでいました。
 ゴーシャは秋に日本に短期留学の予定。「敬語と専門用語を勉強するため」だそうです。語学の勉強には終わりがないんですよね。彼の日本語への底知れぬ意欲は大いに刺激になりました。
 イルクーツクのナターシャはイルクーツク言語大学の日本語科卒。彼女は10代のときイルクーツクで展示会があった日本の浮世絵を見て魅かれ、日本語を専攻する決心をしたそうです。彼女の説明は細かいところまで準備が行き届いていて、頭の良さが際立っていました。日本にはまだ行ったことがないそうですが、ずっと一緒に勉強した友達は日本人と結婚し、今 東京に住んでいるそうです。
 そして ウラジオストクのアレクサンドル、この人はロシア人なのになぜか雰囲気が日本人のようなのです。彼はちょっとシャイな感じで、あまり自分自身のことを語ってくれなかったのですが、その立ち居振る舞いを見ただけで彼がどうして日本語を志したのかわかるような気がしました。日本に強い憧れを持ってあのレヴェルになるまで日本語を勉強し続けているわけですから、やっぱり日本人に似てくるのかも知れません。(私自身も雰囲気がロシア人のようだと言われたことがあります。この旅行ではもっぱら中国人かと言われていたのですが…)
 いずれもとても良いガイドに当たって私達は幸運でした。ロシア語を学ぶ私と日本語を志したロシア人である彼らとはお互い外国語を学ぶ苦労話などで話がはずみ、大いに盛り上がりました。この旅の大事な思い出の1つです。


シベリア車事情

 ウラジオストクとハバロフスクでまず目についたのが逆ハンドル(右ハンドル)の車が多かったこと。ロシアでは道路はすべて右側通行ですから、左ハンドルが普通です。以前行ったモスクワでは圧倒的に左ハンドルが多かったのですが、ここでは すれ違う車を見ていると逆ハンドルの方が多いのです。これはいかに日本から輸入された中古車が多いかということでしょう。アレクサンドル(ウラジオストク)とヴァロージャ(ハバロフスク)の車も右ハンドルのちょっと古めの型の日本車でした。現地で買った道路地図をながめていると「日本からの中古車多数あります」などという広告が出ています。
 また 話に聞いてはいましたが、「○○商店」とか「××建設」などと書いた車もペイントし直さずにそのまま街の中を走っています。その数の多いこと…ロシアでは 自国の車産業を保護するために中古車の輸入を制限する(もうすでに制限されているのだろうか…)という話を聞いたことがありましたが、まだまだ日本の中古車は極東ロシアの車の主要な部分を占めているようです。
 イルクーツクのパーシャの車は日本車でしたが、左ハンドルで新しい型のものでした。こちらはちょっと事情が違っていて左ハンドルの方が多かったです。
 シベリア鉄道の沿線では車を見ることの方が珍しかったのですが、ロシアでも都市部はどこも車が多く、渋滞も頻繁に発生するそうです。
 ところで 今回出会った3人の車の車内にはいずれもイコン(ロシア正教の聖像画)が飾ってありました。日本でもよく「交通安全御守」などを見かけますが(私も自分の車に御守を置いています)、多分そのたぐいのものなのでしょう。どこへ行っても車の運転には危険がつきもの、そしていくら自分だけが気をつけていても事故を100パーセント防ぐことはできませんものね…



   最新ロシアトイレ事情

 今回ロシアで一番変わったと思ったものが何とトイレだったのです…
 今までロシアのトイレと言えばすさまじいものの代名詞、というイメージがありました。ロシアに行ったことのある人同志が話をすると必ず物凄いトイレの話が出てきたもので、出発前 両親や叔母にもトイレに入ってショックを受けないようによく話をしていました。(人一倍キレイ好きな母は大いに悩んだようです…)
 ところが 意外や意外…ロシアのトイレは大いに進化したようで、今回入るのがためらわれるようなトイレには出会いませんでした。外で入ったトイレの中で便座がなかったのはウラジオストク空港とハバロフスクのデパートだけ、レストランなどではペーパータオルなどを備えているところもあって、本当にどこもきれいになったことに驚きました。列車の中のトイレは 一番覚悟していたのですが、前述のように車掌のオジサンが命かけて掃除していましたから、いつもピカピカ…(このページの中の「シベリア鉄道2010」のところにある写真をごらん下さい)
 新潟空港を出発するときウォシュレットの箱を担いで飛行機に乗っていたロシア人がいました。日本のトイレは世界一快適だと言われているそうですが、きっと自分の家にもウォシュレットをつけたくなったのですね。(ロシアでは全く売られていません)思わず「わかる…」と思ってしまいました。
 いやー文明開化だ、と思っていたら、列車の中で思わぬ落とし穴が…トイレの鍵が故障して出られなくなるというハプニングが…やっぱり油断は禁物かも…



鉄道を支える人々

 シベリア鉄道に乗って2日目の夜 ベロゴルスクで途中下車したときのことです。ここは30分停車だったので、外に出てホームを散歩していました。
 機関車交換の様子を撮影したことは7月5日の日記に書きましたが、ちょうど機関車の交換中バールのような器具を持ったオジサンがやってきて車両の一つ一つの車輪を叩き始めました。これはNHKで放送された「シベリア鉄道2008」の中にも出てきましたが、車輪を叩いたときに出る音によって車輪に割れがないかどうかみるためだそうです。
 私はじっと立ってその様子を見ていました。
 夜になっても暑い中 彼は20両ある車両のすべての車輪を真剣な表情で調べていました。その背中には 自分が鉄道の安全を支えているという思いがにじんでいました。
 この人も、機関車を交換していた人も、この旅行記に何度も登場した車掌のオジサンも皆 自分の仕事に誇りをもっている様子が伝わってきました。
 彼らの地道な仕事によって私たちの快適な旅は支えられていたのです。



     携帯電話

 今や世界中どこへいっても使えると言われる携帯ですが、シベリア鉄道沿線でも3分の2くらいのところは使えました。ハバロフスクを出てしばらくしてからチタまではときどき圏外になっていたのですが、その後はほとんど大丈夫でした。母は携帯メールでコンサートの出演依頼を受けていましたし、私の携帯もしょっちゅう鳴っていました。ウラジオストク、イルクーツク、ハバロフスクの3都市はトラブルもなく、まったく日本国内と同じように使えます。
 さて 気になる料金の方ですが、まずメールは普通の文字だけのものであれば1通100円(受信にも費用がかかります)、電話はかけなかったのでわかりませんが、高かったのは携帯ウェブ…PCメールのチェックや日本のニュースを見たり、最終日ハバロフスク空港で日本の国内線の予約をキャンセルしたりで、結局 この旅行中の分は全部で8000円くらいでした。定額制の枠外になるので、やはり高かったですね…イルクーツクに着いてからはホテルのビジネスセンターでPCを借りていましたが、この方がよほど安上がりでした。
 ロシア人にとっても今や携帯電話はなくてはならないものになっているようです。シベリア鉄道のコンパートメントの中には1つずつコンセントがありましたが、充電が間に合わず、廊下にあったコンセントは常に誰かが使っていました。当然 車内のあちこちで携帯が鳴っていました。モスクワまで行くつもりで列車の乗ったのに、途中で仕事の電話が入ってイルクーツクで降りなければならなくなった人も…
 一見 世の中から隔絶されたように見えるシベリアでも携帯は確実に人々の生活に入り込んでいるのです…




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