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自己紹介


私がこの仕事の事を知ったのは中学生の時、当時柔道部に入り日々の練習に汗を流していたときでした。当時の私は毎日の練習にも全力を尽くし、自らの心身をひたすら鍛え続けておりましたが、柔道の成績はいまいちちで、いつも一本負けで悔しい思いをしていたのを覚えています。また、その負けっぷりが素晴らしく、いつも1分以内で綺麗に投げ飛ばされての一本負けの連続でした。(ちなみに私の得意技は大外刈りで、黒帯はこの技で取りました)

練習が終わった後に新聞配達をしていました。いまでも、折込広告を挟んだり、新聞の束を揃えるのは得意です。新聞の配達区域は田浦2丁目〜昭和町で自転車に乗って雨の日も雪の日も休まず配っていました。この新聞配達を一日も休まず続けた事はものすごく自分に自信を与えてくれて、今の私のバックボーンになっています。

今でも私の趣味は自転車ですが、これは新聞配達のときに自転車をこいでいたことから始まってます。また、もうひとつの趣味は野球で、高校の時の部活は野球部でした。私が始めて新聞配達のアルバイトの給料で買ったものは野球のキャッチャーミットだった事を覚えています。足の遅い私が守れるポジションはこれくらいと思った事と、ホームベース上のクロスプレーがかっこ良くて憧れていた事もキャッチャーを選んだ理由のひとつです。野球は小学生のころから大好きで、そのころからキャッチャーマスクを付けていました。当時の一番の思い出は、相手チームのピッチャーで元プロテニスプレーヤーの福井烈さんと対戦した事です。この試合は見事に完封され、サヨナラ負けと言う苦いものになりました。しかし、その後すぐに雪辱のチャンスがやってきて、近隣の小学校のチームで争うポートボール大会の準決勝で再び福井さんと対戦し見事に大勝で打ち破ることが出来ました。このときに「やれば出来る」ということを初めて実感したことを覚えています。

高校は地元の大里高校(11期生)に進み、3年間野球に汗を流しました。今でも当時の友人や先輩・後輩、ご父兄の方々などが良く来院していただき、本当に有難くおもっております。高校生活最後の試合は夏の大会で小倉高校と対戦し、あっけなく完封負けを喫してしまいました。「あんなに練習したのに、あんなに頑張ったのに」と当時肩を壊して自分が思うような満足なプレーが出来ずに、高校最後の試合を終えてしまった自分が情けなくて、悔しくて、後悔しきりでした。

その後大学(西南学院大)に入り再び野球部に入部しましたが、肩を壊したままで2塁手への転向し、それでもやはり自分自身の思い描くプレーの出来ない自分に負けてしまい退部することになりました。

その後大阪の行岡柔道整復専門学校に入り、本格的に今の仕事への第一歩を踏みしめました。とにかく3年間下積みを続けながら必死に勉強し、国家試験を何とか合格し、晴れて整骨院の一員として大阪で住み込みをしながら技量と経験を積み、平成2年5月8日に北九州市門司区老松町10−12に老松中角整骨院を開き、現在に至っております。


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