O病院は3日間入院し、結果を持って、3月7日にk病院の内科へ入院した。この内科が検査、検査で、治療方針がすぐ決定しなかったため、精神的に辛く、この時後3ヶ月が心にのしかかってきた。ようやく、外科となり、3月17日に退院して、k病院の外科へ3月18日に再び入院した。外科のH先生の第一声は「元気で体力もありそうだな手術をしましょう」だった。
本当にこの話を聞いてホットした。手術を本当に待ちどうしく思った。しかし、手術日は3月28日で、随分日があるので、外泊で家に帰り、身辺の整理をした。もしもに備え遺言も書いたが、少し切ない感じがした。 手術の一週間前にH先生から肝機能はまずまずなので、手術に備え体力、肝機能などを補強しするとのことで、薬とインパクトなる栄養剤を飲みなさいとの指示が出た。



1.ある日突然
2004年11月の会社の健康診断の結果、胃に異常があるので、12月末に胃カメラによる再検査をして下さいと、担当の看護師さんより電話があり、その時、γ−GTPも少し高いので、念のため1から2ヶ月程度後に再検査をしてみたらとのことだった。再度血液検査をすると、γ−GTPが117になり、GOTも56と少し高くなっているので、エコーを取ることとなり、2月22日に会社の近所の診療所で行った。検査の途中から先生の顔が非常に真剣になり、以前経験した時と異なったので、悪い予感が走った。案の定「腫瘍がありますので紹介状を書きます」とのことだったので、家に連絡した。
先生に紹介状を書いてもらったが、家に帰ると、すでに紹介状とは違うO病院が翌日の検査で予約されていた。翌日CT、腫瘍マーカの検査を受け、O病院のK先生もびっくりするほど大きい、直径約12cmもある巨大ながんがあることが分かった。これで、今年は昨年より、マラソンなどの記録が良いと喜んでいた、健康体のはずが、突然肝臓がん患者になった。本当に寒いと感じた2月だった。何度か人間ドックへ行ったらとの勧めを、健康だからと断ったつけが一度に来た感じだ。
2.入院
診断してもらったO病院では手術ができないため、k先生の紹介で、K病院に入院することとした。最初に血管造影(アンギョ)をすることとなったが、K病院では、3月末となるため、O病院にもどり、N医大の先生に実施してもらうことになった。この連携を段取りしてくれたO病院のK先生には、この時を含め随分世話になり、感謝感謝だ。
生まれて初めての入院で、ストレッチャに乗って「アンギョ」の部屋へ行った。アンギョの時先生にこのがんの大きさなら治療しないと、通常後どのくらい持ちますかと質問すると、3ヶ月かなとの返事だったが、他人事のような感じでその時はあまり何も感じなかった。アンギョはあまり痛みもなく終わったが、その後太ももに砂袋を乗せられ、足も動かせない状態で、一晩ベットに固定されたような状態でおかれたのは辛かった.。しかし、孫の写真をみていると心が和み頑張る気が出てきた。

大手術と2度の再発治療を経験した、嵐のような一年が過ぎ、昨年と同じように、桜の咲く季節が近づきました。この3月末に4度目の入院することとなりましたので、57歳の今、健康を過信した懺悔をこめて、簡単にですが、肝臓がん発覚からの一年をまとめてみました。(2006年3月22日))