国鉄(インチキ)車両図鑑-8
形式名未詳(通勤型新幹線)



「ビルとビルとの谷間から 音もなく滑り出す 街を後ろに海に沿い たちまち時速200キロ…(夢の超特急ひかり号/ビクターレコード、以下同 )」

昭和39年、東京オリンピックに合せて開業した「新幹線」は、鉄道輸送の新境地を拓く物として世界中に名を轟かせた。

「あっと言う間に飛んで行く コバルトとアイボリー 夢をはらんでひたむきに はるばる結ぶ500キロ…」

戦後間も無くより開始された新幹線計画では様々な案が浮かんでは消え浮かんでは消えした。東京―大阪を速達する超特急(ひかり)、主要都市を連絡する特急(こだま)、逼迫する大都市近郊の通勤輸送(本稿・未実現)、コンテナ形式の超高速度貨物列車(たから・未実現)がそれで、いずれも目的は、いずれパンクする東海道本線の救済に向けられたものであった。

「ATCに導かれ 日本を切って行く 世界に誇るこの技術 軽々運ぶ1千人…」


8-1・0系



さて、実現はしなかったが東京近辺における通勤輸送に新幹線をバイパスさせる案であるが、開通間近の昭和38年頃まで研究を重ねていた形跡がある。
東京/新横浜/倉見(仮称)/新大磯(仮称)/小田原が想定区間となっており、超特急、特急の間を縫うように専用の通勤電車を走らせる予定であったらしい。

8-2・形式未詳



要目は未詳である。内部資料として遺されていた一枚の青写真を元にイラストを起こしたが、基本的には上図に見るように両開3扉、0系と同様の高運転台で正面には非常用通路が設けられている。恐らくは当時の新形式、新スカ型111系を範に取った物と思われる。

8-3・形式未詳



室内レイアウトはセミクロスシートが採用されているが、流石に大陸規格を踏襲している所為か、ドア間の一部は3列+3列である。かなりの詰め込みが期待出来たのではないだろうか。

8-4・形式未詳



青写真は先頭車のみであったのでこれは想像であるが、恐らく中央に1等車を配した8~10両編成位を想定していたのではないだろうか。
上図にある1等/ビュフェ合造車は著者の勇み足である。想定区間である東京―小田原間は、途中駅での退避を含めても1時間はかからない筈であり、供食設備は当時の常識で考えても不要である。しかしながら未だに「しんかんせん」に非日常への夢を持ち続ける著者としては、コーヒーとサンドイッチだけを提供するものであっても、供食設備はあって欲しいと(例え架空の車両であれ)願うのである。
余談が過ぎた。塗装は新幹線と同様の配色をして見たが、もしかしたら伝統の湘南色を想定していたかも知れない。

8-5・形式未詳



最後に私の師匠の言葉を添えて、本稿を終わる。

―新幹線は趣味の対象外ではあるが、
すべからく夢の対象であり続ける― 岩美銀山