国鉄(インチキ)誌上展-3
美形の異端児・ED1619
昭和39年8月、中央本線の電化は一気に上諏訪まで進み、それに応じて機関車の転配も派手に行われた。
その渦中にあって一両だけSG搭載改造を受けたED16のラストナンバー、19号機はそのまま残置され、昭和41年に甲府を去るまで、EF52やEF13に立ち混じって立派に旅客列車の牽引を果たした。
EF58のショーティの如き外観を呈している19号機は、旧型電機ファンからも、また世に無数に居る所謂「ゴッパチスト」からも支持を集め、トランジスタグラマーなその短躯が鉄道誌のグラビアを賑わす事は一再ならずあったのである。
因みに19号機はその最後までぶどう色2号の旧塗装のままであった。
図は昭和40年、八ヶ岳山麓を快走する中央線下り421レである。
真夏の事とて窓もドアも全開の涼しげな客車を牽引し、軽快に緩勾配を登って来る。汽笛は旧車体のものを流用しているものらしく、旧型電機特有の柔らかな音色が夏の木立の梢を渡って涼風と共に尾を引いて消える。
このような詩情とは全く縁のない現場サイドでは、意外にも19号機は不評であったそうである。他日、小淵沢駅で対向待ちの機関士に尋ねた所、彼はこんな理由を挙げて不満を鳴らしていた。
即ち、狭い車体に大きなSGを積み込んだのは結構だが、夏季は全くの死重。冬季は背中に巨大な湯たんぽを背負っているようなもので、それで体が温まるのは良いけれど、その為に機関士も助士も眠気を誘われる、それが一番応える…。
同機は昭和41年に阪和線へ移り荷物列車の牽引に当たった後、昭和54年に兄貴分のEF58に道を譲って、去った。
中央本線小淵沢-信濃境間・昭和40年7月14日