国鉄(インチキ)誌上展-2
巨竜の競演・D53とE50



この文章は、幻の蒸機として知られたD53を模型で再現した記事(MTS昭和48年4月号)の導入部を転用したものである。


(前記略)…昭和30年代のある春の日、山陽線の小駅の構内の外れに、私は三脚を立てていた。もう随分前から「イゴマル」「モンテキ」の愛称で親しまれているE50牽引の貨物列車が、手前の下り側線に入って来ている。
当時糸崎には八両のデゴサンがいて、シロク二と共通で使用されていた。それらの内比較的原型を保っている12号機に人気が集まっていた。

やがて。
入場信号機がガタリと言って矢羽根を下げると、遥か遠方から、空きっ腹に響く重厚な七音室の汽笛、しめた! デゴサンだ!
思わずレリーズを握った右手に力が入る。
絞りは…良し。
シャッタースピードは1/500秒。
頼む、12号機であってくれ!
程なく、E50の背後に物凄い気配と熱気。
一瞬、それはほんの一瞬であったが、シュルシュルッと言うパンタの擦音のような音響。
そして突如弾かれたかのようにE50の背後から飛び出す黒い巨体。夢中でシャッターを切る。
ロケットの発射音としか例え様がないブラスト、そして地響き。
矢の様に駈け抜けるぶどう色の車列。

暫し呆然。そしてその巨体に全く似合わない三音室の甲高いE50の汽笛にようやく我に返った。(後段略)


日本最大級の蒸気機関車、E50を母体として計画されていた急行旅客用ノーザン・D53を16番ゲージで再現されたのは、昆田養父氏である。
幼少の頃、実家にあったMTSの記事を、判らないまでも読み漁り、そして今でも記憶に残っている。
因みに最後のE50がカマの火を落としたのは、昭和37年9月。長町機関区であった。



MTS昭和48年4月号記事より