国鉄(インチキ)車両図鑑-7
形式オハ69・オハフ69




大正10年から製造が開始された優等列車用大型三軸ボギー客車オハ28400系は、後継車の登場によって昭和10年頃までに格下げされ、戦後しばらくの間普通列車に用いられていた。
昭和24年から、安全性の増大を目的とした木造客車の鋼体化は、旧来の17m級12000系、22000系を対象として行われたが、それらの改造工事が一段落した昭和29年度より、20m級の大型木造客車の鋼体化工事が開始された。但し三等座席車への改造は昭和31年度一杯で終了し、以降は台枠のみ再利用して特別二等車(オロ57)や三等寝台車(スハネ16)等への改造にシフトして行く。

形式オハ69



左オハ69・右オハ28400

台枠、台車を再利用する方針であった為、古臭い弓型イコライザーを備えたTR71を履いている。種車となったオハ28400系の登場時期は、平台枠にキングポスト、クイーンポストから魚腹台枠に変更されつつあった為、落成したオハ69もポスト付き無しの差異がある。
オハ69は所謂戦災復旧車では無いため、70番台は付与されなかった。あくまでもオハ61系の仲間である。登場後は、輸送の逼迫している亜幹線に分散配置され、他形式と手を組んで運用された。品川客車区にも配属はあったが、東海道本線には滅多に姿を見せなかった。これは鋼体化客車が地方線の体質改善を目的としている為であると説明されている。確かに新しい改造形式ではあるが、座席間は狭く背ずりにクッションも入っていない。当時東海道の普通列車は32系客車で運用されており、サービス的に見劣りすると判断されたのであろう。
尾久、飯田町、新潟、金沢、宮原、早岐等に多く割り当てられ、後に35系や43系が普及して来ると水戸や両国に集中して来る。総武本線等では昭和40年代前半まで運用に就いていた。



これらのオハ69は海水浴臨等に多用され、ふた昔も前の東海道本線の優等列車を思わせる三軸ボギーの軽快なリズムを刻みながら最後の勤めに就いていた。

昭和43年までに全車運用を離脱し、その後は救援車、配給車、更に変わった所ではお座敷客車オハ89に再改造された物もいた。
もう一つ変わった行く末を歩んだ物がいた。オハフ6912がそれで、昭和41年に廃車後、荷物室を増設する改造を道内の民間工場で施され、三菱石炭鉱業大夕張鉄道スハニ6型として再度の勤めに就いたのである。同車は昭和62年の同線廃止まで現役で活躍し、その後は産業遺産として保存されている幸運な客車なのである。