国鉄(インチキ)車両図鑑-9
形式クイ97




クイ97形式は80系電車を基礎とした貴賓車で、一般運用車とは異なる運用に就ける目的で昭和25年に2両製造された。

クイ97(1、2)



これは所謂、駐留軍専用車(白帯車)と異なり、吉田茂首相(当時)が私邸最寄駅の大磯から東京へ通勤する為の車両であった。勿論実務上の要請があり米軍高官が乗車した記録も残っている。

見て判る通り、屋根中央部に開口部があってガラス張りのドームカーを模した造りになっている。強度を保つ上で巧くない構造で、車内幕板部に太い補強材が通っていた。それを隠す為に室内の天井はダブルルーフ車であるように見える。終戦後間もない時期であったので板ガラスは貴重で、ドーム上には小天井が乗っている。アメリカに対して負けん気が横溢していた吉田は、この「みっともない」構造を見て地団太を踏んだと言われているが、その割には毎日の登下庁に喜んで乗っていたようである。

左側から便・洗面所、給仕室、個室(吉田の専用と化していた。他にこの部屋で移動した者はただ一人、マッカーサー元帥だけである)、喫煙室、階上:展望室、階下:サービスルーム、そして客室最前部が定員6のサロンルームである。展望室とサロンの椅子は回転式で、ちょっとした会談に使用出来るよう、タイプライターや電話機が備えられていた。

クイ97は品川に配置され、首相の登下庁に合わせた時刻に運転された。一般の80系電車の小田原回転の付属編成大阪よりに連結されたが、保安上貫通路の締切を実施していたようである。



昭和28年の通常国会の席上で社会党の片山哲は、「一個人の為の通勤電車など怪しからん、僕が首相だった頃は毎日満員の電車で通ったものだ」と述べ、吉田首相を糾弾した。これに対して吉田は「僕はそれだけの事をしとるんだ、外野が何を言っとるか」と一括し、議会は紛糾する一場面があった。
確かに皇室以外で個人の為の鉄道車両など前例がある筈もなく、次第に国会内外の空気は「クイ号車は税金を食い、吉田は怪しからん」等と言う論調に変わりつつあった。クイ97は尚も連結されていたが、そこに吉田の姿は見られなくなった。特例として特別料金を取り一般人が利用する事はあったもののようである。

さて、しょげ返っている吉田ではなかった。明けて昭和29年、今度は二代目ワンマン専用車クイ97(3、4)が落成した。

クイ97(3、4)



それは吉田の執念が結実したフルドーム式展望車両であった。国会での糾弾を躱す為か「専用室」の設備はなく、サロンルームに展望室だけのやや簡素な構成であった。政府要人の他、外国からの来賓の移動にも用いられた記録がある所を見ると、「専用車」と言うよりもやや一般営業車にシフトした存在を意識したのかも知れない。でありながらドーム式展望室には、満面の笑みを湛えた吉田の姿が何時もあったに違いない。

クイ97形式は昭和33年まで在籍し、その後は保留車として新前橋に配置されていた。3は昭和38年に長岡第二機関区へ移動し、残余は廃車解体された。