国鉄(インチキ)車両図鑑-4
形式コハ4700(コハ01)




戦後落ち着きを取り戻した頃、旅客列車の質の向上の為、老朽化した木造客車(12000系、及び22000系)の台車、台枠を再利用してオハ60系、61系が製造された。
その際余剰となった車体の内、程度の良い部品を取り集め、更に戦時型貨車、トキ900の走行装置と組み合わせて作り上げられたのが、3軸客車コハ4700系である。
昭和25年から2年に亘って、国鉄各工場で総勢80輌余りが落成した。


形式コハ4900(コハ02)+コハ4700(コハ01)+ ホハフ4850(ホハフ02)(1950 土崎工場他)




外見はオハ60系、61系の短縮版とも言える近代的な感じを与えているが、落成当初は継ぎはぎだらけの、およそ人が乗る車とも思えないバラック客車であった。60系の生産が一段落した昭和27年頃から、ようやくコハ4700も一般車並に改装を受け、図のような姿となった。

名称は大改番以前の4~5桁を使用しているが、これは当時の国鉄客車形式名称に3軸客車の番号が無かった為、一時的に旧名称法(1~4999:2~3軸客車)を踏襲したからである。昭和28年の改番で、カッコ内のように「01系」を名乗る事となった。






製造当初は、主に北九州や中国、北海道の各ローカル線に配置され、滅多に本線上で姿を見る事は無かった。
元が元であるだけに乗り心地は非常に悪く、常に酷い車両が横行していた当時とは言え、乗客の評判は散々であった。加えて速度は45キロに制限されていたせいもあって、使用される範囲は自ずと狭まって行った。
表舞台では151系「こだま」が麗々しく運転を開始する頃には、01系客車はその数を大いに減らし、全国で僅かに15両を数えるに留まった。
その僅かなコハ01系も、この時点で全て荷物車、郵便・荷物車に改造されており、ホニ01、ホユニ01等を名乗って末端区間にその姿を見せていた。
中には台枠と走り装置を再々利用して、信越本線の碓氷峠専用暖房車に再改造された仲間もあって(ホハフ0214→ホヌ4901、ホハフ0220→ホヌ4902、コハ022→ホヌ4903)、その行く末は様々であった。これらの短尺暖房車は仲間の内で最も長命であり、昭和46年まで暖房用蒸気発生装置を持たないDLと組んで、関東各線で使用された。




同系最後の活躍場所は西九州地区一帯のローカル線である。下図に見るように、61系客車等と手を組んで、短距離の輸送に使用せられた。





臼ノ浦線511レ C11301+オハフ61109+ホユニ012

この様な編成が、キハ02の合間を縫って走っていたのである。