国鉄(インチキ)車両図鑑-5
形式EF55 4→DF94 1




昭和11年に登場し、一世を風靡した流線形EF55一次型の内、最終番号の4号機のみは前頭部形状を変更して出場している。

EF55 4




設定された最高速度95km/hでは流線形の効用は少なく、1~3に遅れて設計が開始された4号では前面視界の確保と放熱器の集約による機器配置の合理化を目論んでいた。前頭部の通風カバーの内部に放熱器が集中している。
他のEF55と同様、当初は東海道本線沼津に、戦後に高二へ移動して異彩を放っていた。

信越本線横川にて、高崎行区間列車を逆向で牽引するEF554。側面の飾緒は戦時中に外され、何となく間延びした姿になっている。




昭和26年、EF554は大宮工場入りし、電気式ディーゼル機関車の試験に用いられる事となった。鉄道の無煙化は当時急務とまでは言わないまでも重要な研究対象であった事は間違いなく、殊に輸送が逼迫している重大幹線である北陸本線では早期のディーゼル化が望まれていた。白羽の矢が立った同機は昭和27年には改造を終えて出場し、形式をDF941と改め富山へ転出、様々な試験や時に営業列車の先頭に立ってデータ収集に活躍したのである。




昭和35年、徐々にDD50やDF50等が入線して来た頃、老朽化した車体をEF58新に類似したそれに乗せ換え面目を一新した。しかし落成当初からSGを搭載していなかった(出来なかった)為に、デザインを揃えた専用の暖房車(マヌ941)を新製して冬季の列車暖房に充てた。
DF941は最期まで富山を離れず、糸魚川電化の前年昭和39年に休車、昭和41年には廃車となった。