国鉄(インチキ)車両図鑑-3
相模鉄道ED15の足跡
まずは絵を見て頂く。
頃は昭和50年代中盤、所は相模鉄道かしわ台の留置線。
お馴染みの相鉄ED15がトフ1両だけを従えて出番を待っている。この頃には相模川の川砂利輸送は絶えて久しく、貨物輸送と言えば有名な厚木基地への燃料輸送の他には、僅かにセメント輸送が残るばかりであった。残るばかりであったとは言うが、それがあったが為に相鉄はその路線規模に比較して数多くの電気機関車を保有していたのである。他の4両は東洋電機の手になる戦後産であったが、昭和54年までこの風変わりな電気機関車も在籍していた。
このED15の来歴を知る為に、昭和30年代初頭の飯田線中部天竜に飛んでみようと思う。
瑞々しい山肌が迫る中部天竜の留置線。間もなく転線して豊橋へ向かう、元富士身延の買収国電モハ93型の前に鎮座しているのは、国鉄ED13(二代目)である。
1形式1両のみの小所帯で、どことなく半流のEF10を思わせる丸っこい車体に、ED18同様のA-1-A A-1-Aと言う賑やかな軸配置。全身で強烈な個性を主張している電気機関車である。軽い軸重を生かして飯田線におけるセメント列車の牽引に長く携わっていた。言うまでもなく佐久間ダム建設の資材運搬である。
ED13は昭和36年まで国鉄に在籍し、その後相鉄に売却され、同社のED15となったのだ。その際粘着重量の不足を解消する為、廃車となったED11の台車と振り替え軸配置を通常のB-Bに改造されたのである。
さて、そのED13とは何者であるかを知る為に、昭和20年代終盤の関西本線加太を訪れる必要がある。
ED13の遠縁のような顔つきをした奇妙な機関車が、数両の客車を牽引してかなりの速度で峠を駆け下りて来る。電気式ディーゼル機関車を使用した試験走行である。
関西本線の難所加太越えにディーゼル機関車がどれだけの効果を発揮するのかを見極める目的を持ったこの試験は昭和28年から29年一杯まで続いた。収集されたデータは後にDD50、DF50の設計に生かされる事となるが、この牽引機は試験後鷹取工場に戻され、そこで車体構造の強化と電装改造を受けて再び出場。豊橋機関区に配属されて飯田線の貨物列車に活躍した事は記述の通りである。
EEの手になる1030型(ED13)がED17に編入されて空番となっていたため、この改造電気機関車にED13を付与されたのである。
それではこの電気式ディーゼル機関車はどこから来たのか。またも時空を飛んで、昭和11年の両毛線佐野駅を訪れて見なければならない。
木枯らしの吹き抜ける佐野駅構内に真新しい茶塗りの電気機関車らしき物が長編成の貨物列車の先頭に立って尤もらしい顔をしている。
もうお分かりであろう。昭和11年、試作電気式ディーゼル機関車として1両のみ落成したDD10の牽引試験の姿である。
第一次世界大戦後ドイツから購入した入替用DC10、DC11を参考に、本線列車の牽引にも耐えられる国産ディーゼル機関車のテストベッドとして製造された1台限りの異形であった。
間も無く日中戦争が勃発し石油の入手が困難になるにつれて試験走行すらままならなくなり、戦時中は鷹取工場の片隅に木炭ガス発生装置を積んだトムと寄り添って、車籍を有したまま発電機代用として使われていた。
戦争が終わり鉄道輸送にも僅かな曙光が見え始めた昭和28年、国鉄は非電化区間の本線列車にディーゼル機関車を投入するに当って、既存のDD10を修理して様々な試験を行う事を決定した。エンジン・電気関係を入手出来る限り最新のものに交換し、戦前には入手困難であった純度の高い燃料を満載して試験に臨んだ結果、関係者の予想を上回る性能を発揮出来たと言う。それが後々DD50やDF50の成功に結び付くのである。
DD10、得意満面の一幕であった。