国鉄(インチキ)車両図鑑-2
形式D61 7~
D61 7~ は蒸気機関車乗務員の待遇改善と、急勾配線の輸送改善を目的として改造された。その要諦は大戦中に北米で開発され好成績を収めた「キャブフォワード」の採用である。
運転台を第一エンド側に持ってくる事で運転台への煤煙の侵入を防ぐ他、乗務員の視界の確保の根本的な解決となるこの改造は、当時国鉄内外から賛否両論、様々な意見が飛び交った。
D61 7(D51 1053 → D61 7 構改 1956 後藤工場)
昭和31年、試験的に1両を改造して様子を見る事とし、後藤工場で落成したのD61 7である。
図のような姿となったが、到底日本の蒸機には見えない。運転台重量を負担させる等、重量の配分上の都合で従台車を2軸化した結果、形式はバークシャーD61に編入された。
E10や2120等と同じく後進本位であるので台帳上の軸配置は「4-8-2」つまりマウンテン型となっている。
重油専燃機以外、その給炭作業は当然ながらメカニカルストーカーを装備しており、機関助士の作業量は大幅に減少した。
正面見付はデザインの段階で数々の案があり、その内の幾つかをご覧頂こう。
最終的には右端のデザインが採用された。同世代のEH10やDF41の影響が窺われるが、左端の面構えにご注目あれ。どことなく英国のディーゼル機関車を思わせる豪壮な顔つきではないか。
同車は昭和31年から33年に掛けて12両改造され、急勾配の連続する北陸本線敦賀地区や倶利伽羅峠越え、東北本線八戸、盛岡区に配置され、主として前補機に使用された。
敦賀のD61は後に重油専燃となって、珍しいヴァンダービルド型テンダーを牽いていたが、その為か却って煙管等の損傷が激しく、早期に廃車になったのが惜しい。昭和43年東北本線の電化に伴い、東北筋のD61は全て遠軽へ転出。同地のD51や9600と組んで常紋越えに活躍した後、昭和46年に全機廃車された。