国鉄(インチキ)車両図鑑-7
形式モハ51他(塗色変更車)



昭和26年2月の沼津-浜松間、そして昭和28年7月には浜松-名古屋間と東海道本線の電化区間は西漸して行った。
それに伴い車両面でのサービス向上を図る目的で80系湘南電車は東京から遠路東海地方へ足を伸ばして行く予定であった。
しかし同系の増備は中々期待通りに進まず、沼津以西は相変わらずEF58、EF57がスハ32系を牽引する「湘南列車」が罷り通っているのが実情であった。
そこで一時凌ぎの対症療法ではあるが、首都圏に63系電車が大量投入された為当時ダブつき気味であった20メートル級2~3扉車を沼津・浜松に移動させ、80系電車が増備されるまでのピンチヒッターを勤めさせる案が浮上した。


7-1・モハ51027 静ヌマ


モハユニ61+クハ55+クモハ51+クハ47+サロハ56+クモハ51

これらの電車は主に中野、三鷹、大崎等から転属して来た。中央線、総武線、山手線等で11系、63系、41系等と手を組んでいた51系が充てられた。関西圏とは異なり、半流の51系は東京圏では少数派であった為、これ幸いと東海道に転出された一派である。
転属当初の塗装は従来のぶどう色であったが、徐々に湘南色に変更されて行った。転属に際しては一纏まりの車両群を一気に移動させるのではなく、代替車の手配がつき次第、五月雨式に動いて行ったので塗装変更が間に合わず湘南色に挟まってぶどう色やスカ色が混じる「チンドン屋編成」が青松白砂の由比ガ浜や「越すに越されぬ」大井川の大鉄橋を快走していたのである。
昭和30年頃から、東海道中線にも80系の姿が目立ち始め、これらの戦前型湘南電車は次第に運用の幅が狭まって行った。昭和31年度中にはほぼ全ての旧型車が80系に置き換えられ、豊橋・伊那松島・富士宮等のローカル線へと散って行った。尤も中には古巣に戻った物もあり、それらの一連の動きを全て追う事は非常に困難である。
余談だが、飯田線を走る快速が、それまでの大阪急電色、静鉄快速色から湘南色に変更になったのは、東海道から流れて来た51や47が湘南色のまま使用されたからである。