幸島新報1925年11月1日社会面。 世相的には2つの世界大戦にはさまれた「比較的」平和な時代を謳歌していた 時代と申せましょう。細かく見れば、中国で、極東ロシアで、バルカン半島で それぞれに小さな軋みはありましたが、この頃アメリカでは空前の株高による 好景気で沸き返り、欧州ではドイツが理想的な「ワイマール憲法」の下、必死 で繁栄を取り戻そうとしていました。そんな中、小さな日本の、更に小さな 地方で、小さな蒸気機関車とそれを取り巻く人々が、小さな善業を為しました。
それ自体は忘れてしまっても何の報いもない、取るに足らない事件だった かも知れません。しかし歴史の因果は、時としてこんないたずらもするもので あると気づかされる事があります。
出火した芝山作治の末の息子、英悟氏は後に幸島県知事になります。 そして乗客としてたまたま列車に乗っていた警察官、剣持尋策(けんもつ ひ ろさく)氏は、第一次芳田内閣の警察庁長官にまでなりました。
後の話ですが、知事となった芝山英悟氏は、既に亡くなっていた剣持氏の 墓地を訪れ、そのドラマじみた偶然さが新聞ダネになったりもしました。
しかし、この一件の主役は、消火作業に尽力した「羽根鉄道2号機関車」 であったとも考えられます。件の機関車は現在半田川婦人会館となった、元の 県立福祉会館の前庭に大事に展示されています。実はこの機関車の保存に一役 買ったのも、芝山元県知事の力によるものが大きかったと言われています。
(挿画は同型の1号機関車。1号は後にDB101に改造された。)