読まないほうが良い裏設定ノートです





○マンフレート・ゼドウルマイヤー博士(Manfred Sedlmayr)

1900年、ニーダーザクセン州、ハノーヴァに生まれる。

その卓越した頭脳と抜群の行動力によって飛び級を重ね、第一次大戦中の1917年にはチュービンゲン大学において医学部助教授を勤める一方、細菌学の研究を重ね、戦中から戦後に掛けて前線や市民生活における防疫に多大な貢献をする。

1933年、ナチスが第一党となると家族を連れてアメリカへ亡命し、ブラウン大学の客員教授となって研究を重ね、防疫、免疫学の発展に寄与する。

1946年、西ドイツへ帰国し、国内の医療環境の整備や海外医療協力事業に尽力。その功績で1952年、アデナウアー首相から受勲される。

主な論文は「トーラス樹状菌の特質(1957)」で、ノーベル医学賞の候補に推挙された事がある。

酒癖は非常に悪く、誰彼構わず絡むので注意が必要である。



○ヨハン・キッペンベルガー博士(Johan Kippenberger)

1917年、バイエルン州、リンダウに生まれる。

色々あって医学を志す内に、1938年、決闘相手に重傷を負わせる事件を起したため、スウェーデン経由でカナダへ移住し、後にアメリカへ転じる。
ブラウン大学在学中にゼドウルマイヤーに師事し、以来ゼドウルマイヤーの右腕として手腕を発揮する。

主な著書に「粘菌の成長パターンとその応用(1970)」があり、高い評価を受けている。

その一方で家庭には恵まれず、妻は重度のアルコール依存症となり(1948)、長男はギャング団に(1956)、次男はアメリカへ戻ってヒッピーとなる(1970)。この事態を修復する為、博士は余暇の全てをタイムマシンの製造に充てている。



○ヨアヒム・メリング博士(Joachim Melling)

1940年、オハイオ州、コロンバスに生まれる。

彼の父親であるエドムンド・メリングがゼドウルマイヤーの級友である関係で1959年ゼドウルマイヤーに預けられ、以来彼に師事している。

若い為もあって行動力や洞察力に富み、近年ではゼドウルマイヤーに代わり海外医療協力事業に邁進しており、師の信頼は厚い。

その反面、アメリカ流の合理主義、結果主義が身に付いているせいで、プロセスの積み重ねを重んずるゼドウルマイヤーと対立する事も多く、これまで幾度も衝突している。ゼドウルマイヤーが吹く笛の音を聞くと行動不能に陥る為、これまでの対戦成績は128戦中38勝83敗7引き分け。



○日向山ポカ美(ひなたやま ぽかみ)

フリーランスのTVレポーター。

ここで言うフリーランスとは、事務所と契約を結んでいないと言う意味の他に、およそこの世のありとあらゆるしがらみから、かつてこれ程徹底的に自己を解放した人間はいない、と言う意味もある。

別名「雲不見のポカ」、「スポンサーキラー」、「ミスジェイソン」

北海道宗谷支庁の漁村、セイタカピラウンベツに生まれる。生年は不詳。

少女時代からカニ密漁船に乗り込み、更に1974年、乗り組んだ漁船が拿捕され、色丹島で抑留されるなどの豊富な経験を生かし、TVレポーターとなる。

栄光に包まれた怖い物知らず、彼女の歩いた後は100万年の荒野が残るだけ、等と業界人に評される。その豪放磊落な性格と、テレビのお約束を頭からスルーしてかかる大胆不敵な取材態度は多くの視聴者の支持を得る一方、降板させたスポンサーの数は無慮120社(スポンサーキラー)、担当ディレクターの首を斬る事無慮85人(ミスジェイソン)と言うレコードを保持している。



○隆羽軍司(たかは ぐんじ)

スィーツ評論家。元防衛庁戦史課勤務。

1941年、東京都下旗川町に生まれる。

制服組エリートであったが、1977年、元東ドイツのスパイを自称する男と交流があった事が発覚して戦史課に異動。以後は執筆を重ね、戦史は勿論、文明の興亡や交流、人文的な類似・相違性の研究に関する本を出版する。

養子の為、資産家の妻には頭が上がらない。

代表的な著作に、「モスクワ遠征、ネイとクツーゾフ(1981)」、「ローマ帝国とアメリカ帝国(1982)」、「顎から下が無くなっちまう甘~いスィーツ<1>青山・六本木篇(1986)」等がある。

最後の「甘~いスィーツ」シリーズはベストセラーとなり、現在は「甘~いスィーツ<92>新井薬師・竹ノ塚篇」を執筆中である。



○扶枝リーザ(ふえだ りーざ)

ドイツ語通訳。

将来の夢の実現に向けて健気に頑張るクオーターの美少女。

腰まで伸びた亜麻色の髪を太い三つ編みにして頭に巻き、長い睫毛に大きな瞳、高く通った鼻筋、そして強靭な意志と情け容赦ない何物かを感じさせる、硬く引き締まった口元。

両親の仕事の関係で幼少の頃より二子新地の団地に住む母方の祖父、パウル・フリードリッヒ・フォン・ザンカーハウゼンの元で育てられる。

多感な少女時代に祖父の薫陶を受け、そして祖父と死別した今、彼と共に見た夢を叶えるべく、ある時は通訳、ある時は語学学校の講師、そしてある時は酒屋の御用聞き、製糸工場の女工、時代劇のエキストラ、駅弁売り、杜氏、様々な職を転々としながら、知識と経験と財貨を蓄えている最中である。

彼女は若い。若いが故に彼女と彼女の希望の間には何の障害もないのだ。

彼女の夢。そう、それは、
①ロンドンに在住するマクシミリアン大公の子孫に連絡を取ってホーエンツォレルン家を再興し、
②次いで「プロイセン王国」の再建を果たす。
③つまりプロイセンのジャンヌダルクになる事なのだ。ジャーヌ、ジャーヌ、ジャーヌ! 神の娘よ、行け、オルレアンへ行け!