遠海諸島解説集・諸説









設定1):

-我らは大いなるハバイキより来れり。遠きハバイキ、遥かなるハバイキより来れり。


我らの祖先は遥か南の海から刳り舟に乗ってやって来た。この島を見つけた時こここそ魂の故郷「ハバイキ」であるに違いないと彼らは思った。島の中央に聳える三つの偉大なる火の山、それこそは死せる魂を呼び、新たなる魂を産み出す聖なる峰「マウナ・ハグロロア」であると信じた。

彼らは島に定着し、村を造り、大王を選び出した。そしてそこが魂の島である事を証明するが如く平和に暮らした。


何世代か後、島の西の入り江にそれまで話に聞いた事も無い大きな船に乗って「白い人」が現れた。彼らは鮮やかな衣服を纏い、光り輝く武器を持っていた。

時の大王パマハイは「白い人」の許へ赴き、来訪の訳を聞こうとした。しかし話の食い違いから我々と「白い人」は闘いを始めた。闘いは一昼夜続き、我々の戦士も「白い人」の戦士も傷付き死んだ。

互いに闘いに倦んだ頃、大王パマハイは我らの掟に従い敵である「白い人」を招いて相手の勇敢さを褒め称える儀式を行った。そうしないと我らは「弱い敵」と闘っている事になり、死した後より良き魂となってこの世に戻り来る事が叶わなくなるからである。

浜に槍を立て、大王パマハイと我が戦士達、そして「白い人」の大王、神官、戦士達が向き合った。その時黒衣を着て金色に光る神像を捧げ持った「白い人」の神官がパマハイに向かい、彼の山は何と言う山かとマウナ・ハグロロアを指して尋ねた。

大王は、あれこそが神聖なる山、ハグロロアであると答えると、神官は神妙な顔つきになり、我らの聖山を伏し拝んだ。それを見た「白い人」の大王も戦士達も一様にマウナ・ハグロロアを拝むので、そこで闘いは終結した。何故ならば我らの掟では同じ神を崇める者は敵ではないからである。


それから三昼夜を掛けて「白い人」と手真似で話をし、彼らは遥か西の彼方の国の人々だと判った。カマクラドノと言う悪者に住処を追われて船で逃げて来た事、逃げて来る途中、彼らの賓客であるホーガンと言う若者を死なせてしまい、海に葬った事等を聞かされた。彼らに深く同情した大王パマハイは、住む所を世話し彼らに狩猟やキャッサバの作り方を教えた。すると彼らはお礼に海の水から塩を採る方法や、水稲の植え方、ワイアレアレの川の水から赤い砂を採って火で焼き、光る武器を作る方法を教えてくれた。

彼らを統べる大王ヤスヒラは真に善き人間で、良くパマハイと協力して島を治めた。その平和はヤスヒラが死ぬまで続いた。彼が死んだ後、悪しき心を持つ従兄弟のクニヒラが「白い人」の大王となると島は30年もの間乱れた。


(「トゥミ・ハバイキ神謡集節一」幅曳歴史資料館1965年刊)



設定2):

「(訳)先のお国替えで遠海島、幅曳島一帯は南部藩領となったと思うとすぐに支藩、陸中山田藩預かりとなった。この為島の政は混乱している。分けても島代官安藤兵庫輔様はご本領の事にのみ腐心し、島の実態を判ろうとされない。

確かにご本領では近来稀に見る凶作で、飢えを凌ぐ為の手段を色々と講じているのは良く理解出来るが、当諸島特産の笠葉芋の種芋を残らずご本領へ送るとの仰せに、我ら島民は大いに困惑している。ご存知のように笠葉芋は寒冷なる奥州で育つ道理が無く、その事は既に元禄年間に江戸の本草家によって実証されている筈である。

その上当諸島における中枢産業である刀鍛冶をご本領に移すとの話も聞かれたが、言語道断これに過ぐるは無い。遠海羽黒山にて産出する良質の砂鉄なくしては天下一品と呼び名も高い「島打物」を打つ事は出来ないのだ。

私は決してご政道に楯突く積もりは無いが、島民を代表する者として敢えて藩公に言上する次第である」


徳川幕府は由緒ある名流・名家の血筋を引く者を優遇した事は良く知られている。これを高家と言い、大身旗本並みの厚遇を以って召抱えた。しかし遠海諸島の代表者である藤原家については、これが本当に奥州藤原家の血筋を引く者であるかどうか確証が無く、やむを得ず名目だけの官位、正二位権中納言を贈与して諸役御免とし、その代わりに扶持は与えず政治的な発言も一切認めないとする例外的措置で臨んだ。島の行政権、司法権はあくまでも島を支配する遠海藩、後には南部藩、陸中山田藩が保持する事となった。

この書状は島民の窮状を見るに見かねた藤原矩衡が、陸中山田藩公に宛てて書いたものである。政治に容喙してはならないと言う島主としての立場を良く理解している矩衡は一個人の苦情と言う形を取り、万一の際に島民に塁が及ばないように配慮した、だからこのような歯に衣着せぬ物言いが目に立つのであろう。この書状が藩主の目に触れた結果安藤代官は罷免され種芋や刀工の本土移籍は沙汰止みとなった代りに、矩衡は二十歳の若さで隠居するよう藩主から請われている。

矩衡からこの書状を託された子平は前後6ヶ月にも及ぶ在島で頻々と出没する外国船を目にし、後に「海国兵談」の出版に及ぶのである。


(「私たちの島の歴史」幅曳出版社1981年刊)



設定3):

「…オイ何を言ってるんだ、しっかりしてくれ。…そうだ、マッカーサーは戦争の事を何も判っちゃいない。…あぁそうだとも。ヤツはただフィリピンに凱旋したいだけなんだ。大方フィリピンの王様にでもなる積もりなんだろうよ!…あぁ、…あぁ、判っちゃいないとも。大体…モシモシ、大体だな、ヤツが作戦に嘴を挟まなければ、今ごろは宮城で戦勝パレードをしている頃さ。…あぁ、やると言ったらやるさ。ガツンとね。ジャップを相手にする前にワシントンと戦争をしなければならんとはな! 一体大統領はアメリカを勝たせたいのかね?

…あぁ、そうだ。勿論予定通りやるさ。今年4月にはアイスバーグだ。…これだってあの年寄りが良い子にしてさえいてくれたらだな、今年2月には上陸出来たんだ。まぁ良い、オキナワを取ったら次はオリンピック作戦だ。そうだ、今年の10月だ。…あぁ、忙しくなる。それと並行してだな…モシモシ…あぁ、それと並行してグレーベル作戦もやる。

…やると言ったらやるんだ! トーミジマを取らないと、来年3月のコロネット作戦は何処を策源地にするんだ? それに、あぁ、それにだ、恐らく日本との戦争が長引けばソ連も北から攻めて来るだろうよ、ご苦労なこった、連中に睨みを利かせるにはトーミジマを取らなきゃならんだろう? 子供にだって判りそうなもんだ。…だから、イヤだから貴官が説得するんだ、一体何の為に海軍は今日まで貴官に高給を支払って来たんだ。良いかね、スターリンが何と言って来ようとだな、トーミジマには何が何でも星条旗が翻っていなければならんのだ。…良いかこれは命令だぞ。必ずワシントンを説得しろ。

…いや、大統領は後でも良い、先にトルーマンだ、トルーマンを陥とすんだ。良いな、判ったな!」


(GPU極秘資料、電話盗聴1945年1月5日発米海軍バーンズ補佐官宛米海軍ソームズ作戦課長)



設定4):

「私達の重要な足である遠海線を存続させよう!」


大正9年以来長く私達島民の足であった国鉄遠海線は、国鉄再建法により第二次廃止線にその名が挙がっています。思えば昭和52年の幅曳鉄鉱山の閉山、それに付随する新日鉄、東亜製鋼の撤退と、遠海島を巡る経済状況は悪化の一途を示しているのが現状です。

しかし鉄鉱石輸送が無くなったとは言え、遠海線の廃止を許せば、未だ県道の改良工事が進まない和井花以遠の和井蹴・真名垣内地区は孤立してしまいます。地方の過疎化問題が叫ばれる昨今、こうした不便さを地方に押し付け、過疎化を推進するようなやり方は如何なものでしょうか?

昨年岩手県議会で承認された遠海諸島観光開発計画は、新空港の開港、高級リゾート地の開発等盛りだくさんの内容ではありますが、我々は現在、その中に遠海線活性化の為の予算を盛り込むよう運動をしています。風光明媚な忍櫓々の断崖や筌麗の羊歯のトンネル等、その車窓風景の美しさを観光事業に活かさない法はありません。

そこで我々は島民の皆さんに遠海線存続の為の署名をお願いしています。「乗って残す」だけでは無く、根本的に島の鉄道の存在価値を高める事が出来るよう、皆さんのご協力をお願い致します。

-国鉄遠海線廃止反対期成同盟代表/元幅曳駅長・長原信作-


…既に知られている通り、岩手県が企図した遠海諸島観光化計画は、折からの円高ドル安の煽りで国内旅行需要が伸びず、またバブル崩壊の余波もあって失敗に終わった。本土から1100㎞と言う距離が半端であり、受け入れ体制が整わないまま過早な宣伝をしてしまった事もマイナス要因であったと言われている。

余談だが平成3年9月末日を以って遠海線は廃止され、日本最東端の駅は遠海線筌麗(うけれうえ)から根室本線東根室となった。


(エル・スルタン、2002年3月8日号「国内リゾート開発の問題と失敗事例」より)