俺々架空鉄道探訪

俺々東海電鉄一つ話  「豊実金蔵」







昭和26年の師走。未明の猛烈な寒気の中、大勢の市民が手に手に猪口や椀を持って、冷たい馬入川に入って行く。


「やい、シゲ! 手前ぇ何をモタモタしてやがんだ! 火をもっと熾さねえかい。皆さん寒い思いをしてなさるだろう!」

「へえ、すいやせん、金蔵さん」


怒鳴っている男は暖かそうな米軍のコートを羽織った他は、一重のズボンに法被、雪駄を履いている。大手を組んで川に入る人々を観察している様子だ。

彼は豊実金蔵と言う。愚連隊の頭であった。


「金蔵さん、例の浜松の鰻萬の親爺ですが」

「何だトシ、また何か愚図愚図言ってやがるのか?」

「へえ、これまで通りドラム缶一本10万円は出せない、今度から8万円にしてくれって」

「ふざけやがってあの爺い。おい、お前浜松行ったらな、『文句言う前に元金だけでも詰めろ』ってドスを利かしとけい。『浜名湖で泳ぐのは鰻ばかりじゃねぇぞ』ってな」


そうこうする内、水から上がって来る人が出始める。金蔵は子分を督励してドラム缶の前に並ばせる。


「おお、一杯取れやしたね。ハイじゃあ100円ね、ご苦労さん、火に中って行ってよ、風邪ひくからね」


寒さに震えている人々に労いの言葉を掛け、猪口の中身をドラム缶に明けさせる。猪口一杯100円であった。年の瀬、貴重な現金収入なのである。

彼らが採っているのは「のうめんこ」だ。鰻の稚魚である。

この季節、鰻の稚魚が河口に押し寄せるので人々に取らせ、それを買い上げてトラックで浜松の養鰻業者に売るのである。

例えどこの河口で採れた稚魚でも、浜名湖で養殖すればそれは立派な浜名湖産の鰻になるのである。業者にも後ろ暗い所があるので、こちらの言い値で買ってくれる。


「おうおう、シゲ。今のは50円って事は無ぇだろう」

「だって金蔵さん、半分しか入って無かったんで」

「馬鹿野郎! 俺が一杯だっつったら一杯なんだよ、気が利かねえ野郎だぜ。おおい爺さん、待って下せえな。ウチの若いのは見る目が無え。もう50円持って行って下せえ」


その内ドラム缶が一杯になる。トラックに積み込む頃には夜が明けてくる。金蔵は子分たちに金を渡して、トラックを送り出す。


「気を付けて行けよ。今日あたり沼津かどっかでガサがありそうだって事だ。俺は電車で行くからな、お前達浜松で待ってろ」

「へい。金蔵さんもお気をつけて。でも何時だって金蔵さんは電車で来ますよね。何があるんですか?」

「馬鹿、シゲ。金蔵さんだって大の男だぜ、コレに決まってるじゃねぇか」

「あは、そうスか。金蔵さんも隅に置けねぇな」

「このクソ馬鹿野郎共、さっさと行けってんだ!」


一人になった金蔵は、馴染の鶏肉屋に向かい、大層な量の鶏肉と卵を買った。その足で東海電鉄の平塚駅へ向かう。緑色の大柄な電車にようやく乗り込むと、ドア近くに陣取った。

電車は冬枯れの海岸を飛ばし、やがて山岳に分け入った。

金蔵が降りたのは山中の小駅、矢倉沢であった。

電車のトンネルから湧き出す霧が、枯れた木立に纏わり着く。金蔵は洋風の駅舎の脇から踏切を渡って林の中を登って行く道を採った。

急坂を登り切ると、そこには「清雲病院療養所」の白い建物が建っていた。所謂結核病院である。

閉じられた門から中に声を掛けると、やがて小使が出て来て取次ぎを頼んだ。

暫くすると白衣を着た中年の女性が現れた。この療養所の責任者の妻、いや、責任者は亡くなったので、今は彼女が実質上の責任者だった。


「奥さん、また参りました。つまらないモンですが、これで皆さんに精を付けてやって下さいまし」

「金蔵さん、本当に助かります。でももう宜しいんですのよ。亡くなった主人も、きっとそう思っている筈ですわ」

「いえ、その、俺の御恩返しはまだまだ終わっちゃおりませんので。・・・また近い内に寄らせて頂きます。じゃ」

「朝ご飯召し上がって行かれたら?」

「いえ、ちっと急ぐ用がありますんで、ここで」


別れの挨拶をして、門が閉まった。金蔵は濡れた落ち葉の上に両膝を突いて、療養所に向かって土下座をした。何度も何度も頭を下げ、何時か頭は上がらなくなり、肩が震え出した。


「奥さん、本当に済まねえ、俺ぁまた言えなかった。俺ぁ臆病モンだ。清川中尉殿は俺の不始末であらぬ疑いを掛けられて、そんで刑死する破目になっちまったんだ」


嗚咽が漏れ出した。


「今度来る時は本当の事を言いますぜ、言ったら俺ぁお詫びに死んじまうんだ。それまで奥さん、どうか元気でいて下せえよ」


しっとりした明るい疎林の坂道を、金蔵は肩を落として駅へ降りて行った。行ってしまうともう人の姿は無く、もう何の物音もしなかった。