俺々架空鉄道探訪
俺々峰山電鉄一つ話 「隧道の黒色」
-ある春の日だった。良く晴れた空を騒がしい風が渡っていた。
浄発願寺の地獄絵図を拝観した帰り、山稜の細い道を辿って月橋に至った。
月橋駅の抄月庵に案内を乞い、中に通されると先客があった。丸顔で垂れ目、禿げ上がった額に三本の深い皺を刻んだ、何処となく愛嬌のある老人が、上手そうに菓子を口に運んでいる。
「暖かくなりましたね」
「全くです。時にあなた、この風の色が何色か判りますか?」
「風に色なんかありますか?」
「ああ、ありますともさ。春の風はねあなた、白いんですよ」
言われてみれば天地は見渡す限り白っぽく見える。春特有の水蒸気の影響なのだろう。そう言うと、
「いえ、そうじゃありません。春の風はね、白のエフェクトが掛かっているものなんです」
私はその説に興味を持った。
「では夏の風はどうなんです?」
「夏は緑のエフェクト、秋なら黄色のエフェクトが掛かっているんですよ」
「では、冬は? 木枯らしの色なんかあるものですか?」
「もちろんあります。冬の風の色は透明なんです」
「透明って・・・透明は色なんですか?」
「その通り。だから冬は物の本来の色が楽しめるのですよ。僕はね」
彼は目を細めて続けた。
「僕は昔、劇団の照明係を長くやっていたのですよ。そこで僕はある発明をした。舞台の役者に黒いスポットライトを浴びせるんです」
「黒い・・・?」
「そう。黒い光を投げかけるとね、役者は一瞬で舞台から消えてしまうのです。視覚的に消えるだけじゃなく、物理的にも消え失せてしまう」
「そんな事があるものですか」
「黒色と言う物は魔性の色でね、その役者は黒い光に招かれて、ここではない、どこか違う場所を彷徨ったのではないかなと思って・・・」
「その役者さんはどうしました?」
「別にどうもしません。芝居がハネた頃楽屋にひょいと戻って来て、ホルモンを口一杯頬張りながら仲間と演劇論か何かを戦わせていましたよ。そこで僕は彼に聞いてみたんです、舞台から消えて、何処へ行き、何を見たのか」
「・・・それで、彼は何と?」
その時、悠揚迫らぬ調子で、電車の到着を告げる声が掛かった。
「どれ、行かなければ。あ、どうもごちそうさまでした」
その事を聞こうとして聞きそびれたまま、彼は電車に乗ってしまった。
電車が鉄橋を渡り隧道に消えるまで、私は隧道の黒色を思っていた。