頃は昭和6年。全国的には東北地方を中心に襲った大凶作の年です。暗い世相でしたが、羽根鉄道はこの時期、新型のガソリンカー を投入し、不況による深刻な経営難を打開しようと図っていました。
不必要なまでに豪華なこの新式ガソリンカーを投入した理由を聞かれた当時の経営陣は、「衆人の仰天するような見目麗しいクルマ」を走らせる事で、ともすれば沈みがちだった農村の生活を少しでも明るくしたいと願ったのだと答えたそうです。



この時刻表に掲載されている列車の殆どが、このジハ1型で運転されていました。客貨混合列車は午前と午後に一往復していました。しかし、新しモノ好きな羽根の人々は古臭い汽車には見向きもせず、ガソリンカーがやってくるのをひたすら待っていたそうです。 それともう一つ。このガソリンカーが大好評を博した訳があります。当時の役員が東京を訪れた際に乗車した「東京エビバス」の女性車掌の案内に感激し、これを一つ真似してみようではないかと言う事で、「女子車掌」が乗務していたのです。
もっとも、その後激化する戦争で男手がなくなり、嫌でも何でも女性が列車を運行しなければならなくなる時代がやって来るのです。