野球はドラマだ!
野球をしていた。
野球場は上から見ると正円で、円の中心にバッターボックスがあり、そこで私はバットを構えている。
野球場を時計盤に例えると、12時の方角に一人、8時の方角に一人、合計二人の投手がいて私の方を無表情に見詰めている。バッターボックスと投手の間は目と鼻の先で、5メートルとは離れていない。
私は悪い汗をかいていた。打者は必ず12時の方角を向いていないといけないルールがある為で、右打ちの私には8時の方角は死角になっているからだ。
二人の投手は同時に投球出来ないが、どちらが先に投げても良いので、打者は一時たりとも気が抜けないのだ。
私はバットを正眼に構えながら左斜め後ろに意識を集中させ、無心になって8時方向の投手の気配を捉えようとした。
と、突然8時方向で物凄い気配がしたと思うと、球は後ろからではなく正面、それまで一切気配を感じさせなかった12時方向の投手から豪速球が繰り出されて来た。
すんでの所で正面からの速球を避けたかと思うや、右八双の構えから左後ろへ飛び退きつつ、振り向きざま裂帛の気合と共に持ったバットを右上段から左下へ振り下ろす。そこには今しも8時方向の投手から放たれた速球が迫る。間一髪、バットで叩き落とされた打球は大きく弾んで中空へ舞い上がり再び散り来る、その様恰も落花の如し。
球に命中すれば、後は球場の周囲の壁面に手を着けば得点となる、となれば後は三十六計、忽ち闇雲な方角に走り出す。その時「待て」と大音を発する者がある。はっとその方を眺むれば、容貌魁異なる雲を突かんばかりの僧形の大男。赤銅色の鉄槌かと見紛うばかりの大得物を弓手に持ち、大目玉をひン剥いて睥睨する様子はさながら怒れる赤鬼のよう。
「小賢しい奴輩め。むざと点を入れさせる訳には参らぬ。いでや我が得物に掛け、挽肉にしてくれんづ。いざ、いざ」
何しろ球を打ったら「野手」と称する殺戮者を倒すか逃げるかして壁に手を付けないといけないのが「野球のルール」なので、一計を案じて咄嗟に右斜め後ろへ走り出すと見せ掛け、大男の左脇を潜り抜けて一気に壁に突進しようとした。その時私の目に、マウンド近くを一匹で散歩している「柴犬カットのポメラニアンの子犬」が写った。
私を取り逃がした怒りで顔が紫色になった「野手」の大男は、その子犬の方へ横っ飛びに飛んで、こちらに背を向けて座り込んだ。―拙い、あの子犬を人質にする積もりなのか?
子犬が心配で慌てて大男の前に出ると、彼は顔をクチャクチャにしながら子犬を撫で回していた。
「あのさ、犬、どうすんの?」
「飼うに決まってるだろ。飼うよ、俺。おおよちよち」
彼は子犬を懐に仕舞うと、すっかりだらしなくなった顔で、
「俺が犬拾った事、誰にも言うなよ」
と囁くと、上機嫌で球場を出て行った。
何となく取り残された私は、ピッチャー達と世間話でもしようかとマウンドの方へ行って見たら、彼らは蓑笠を着てその場にしゃがみ込み、田植えをしていた。
野球はドラマだ!