食い倒れ電車
東海道線の電車が全て食堂車になっていた。
1両毎にテナントが違っていて、例えば「東海道線の大スポンサー」である崎陽軒は3~4両をブチ抜いて、飲茶食堂車にしつらえていた。席につくと「カリッカリに炒めたベーコンの細切れ」を浮かせた塩粥とザーサイが出され、後はチャイナドレスを着た小姐が出来たて蒸かしたての飲茶をワゴンに乗せて売りに来るので、欲しい物を現金払いで買って皆で分け取りする方法だった。
他にも「藪」と「更科」が隣り合った車両に店を出していたり、寿司にしても握りの店と押し寿司の店が違っていたりと、中々良く出来た内容だった。
一つの車両にいつまでも留まっているのは野暮のする事で、一寸食べて満足したらすぐに腰を上げて他の車両でまたつまみ食いをするのが通とされているらしく、だからそんな通が通る路なので「通路」と言う言葉が出来たと、誰かが小声で喋っているのが聞こえて来た。
中ほどに全く客のいない車両があったので覗いて見ると、そこは天ぷら屋だった。板前が2人、カウンターの中の厨房で暇そうにしているので聞いてみると、
「沼津で上がったばかりのネタを仕入れます。営業はそれからです」
それは楽しみと、私は海を向いたカウンター席に座って丹那トンネルの闇を眺めながら、何を注文しようか思案に暮れた。