井上君
スピードカッターの使い方を間違えて床に飛び散った野菜屑を拾い集めていると、唐突に逮捕され、投獄された。
程無く接見にやって来たのは、かつての同僚で「どっからどう見てもテノール歌手にしか見えない風貌」の井上君だった。
彼は恐らく私の罪状を調査し、早めに釈放されるように骨を折ってくれるに違いない。面会所に連れて行かれると、彼は猛然と汗を拭きながら、
「あの、俺、再就職決まったんです。正社員ですよ」
「おぉー、そりゃ良かったじゃん。頑張りなよ。じゃ、故郷へ帰るんだ」
「えぇ。彼女を親に合わせたいですし」
「あぁ、あのデブ専の彼女?」
「デブ専は酷いなぁ(笑)。まぁ否定はしませんけどね」
帰って行く井上君を眼で追いながら、すっかり心が温かくなった私はこんな事を考えていた。
あぁ、こう言うヤツってたまにいるよなぁ。自分の幸せを知らず知らずの内に周囲に配って歩いているような、誰からも妬みを買わないキャラのヤツ。あやかりたいもんだなあ。
って、あれ、あいつ結局何しに来たんだ?