(この文章は、今は亡き随筆の大家、内田百閘の著した「第七阿呆列車」に収録されていたもので、転載に当たっては出版元の岩並書店様の御裁可を得ております。また氏の文章の特徴である旧仮名遣いに関しましては、氏のご遺族の同意の下、原文の意味・風格を損なわない範囲に措いて現代仮名遣いに改めてあります。)
東奥阿呆列車(一九五三)

(前略)
何しろ東奥線も此の辺り迄落ちて来ると線路は歪み放題、車両は荒れ放題で、酒は零れるおちおち居眠りも出来ぬ、どうかするとうっかり便所でしゃがむ事すら侭成らぬでは、全く以て国鉄は怪しからん、なぁ相では無いか山系君等と因縁を附けようにも、例のヒマラヤ山系君はあの薄ら大きな体躯を微動だにするでも無く「うぅ」とか「あぁ」とか唸って計りであるので、幾ら絡んだ処で埒の開く物では無いのである。
斯様に退屈極まり無いのは、此の時乗った東奥線下り急行三〇一列車と謂う物が実に怪しからん列車であるからに他ならない。阿呆列車の旅の楽しみの筆頭である処の食堂車と全室二等車は私が乗車する予定の法津まで行かず、途中の幸島駅で切り離されて仕舞うからであった。前以って山系君から説明が有った訳では無いけれども、上野を発つ時点で私達一行が乗車したのは、例のセコハンの半室二等、オロハ三〇型であったので、何がなし引っ掛かりは有ったのである。此れが東海道線であるならば当然一等車に乗車出来たであろうし、食堂車は一流処であったろう。酒もふんだんに呑めた筈であるのだ。山系君の説明に依れば、幸島から先は1000分の20と謂う急坂が続くので、東奥線の列車は急行であろうと何であろうと、無駄な厄介物である食堂車などを切り離して仕舞う習わしなのだそうだ。ならば全室二等車は何故切り離すのかを問うた処が、又もや「あぁ」とか「すぅ」とか言って黙って仕舞うので、全く埒が開かない。兎に角此の侭では癪に障って仕方が無いので、山系君から車掌に捩子込んで貰い、せめては幸島までの間全室二等に乗せて貰える事と為ったのである。
全室二等は電灯も明るく椅子も清潔で、ボイも若くて気の利いた者がサアビスして居たので、私の機嫌は忽ち良く成った。オロ三六型と称する此の車は戦前は東海道の特急で盛んに使われて居たのだけれども、今ではうらぶれた田舎急行のスタア然として落ち着いて居るのを見ると、例えば神楽坂で売れっ娘であった芸妓が歳には勝てずに田舎の温泉で三味線を弾いている様を観る様で辛くも有り可笑しくもあった。
幸島駅で前の方に付いて居た二等車と食堂車、そして後ろに付いて居た三等車を切り離すので三五分も停まると言う。其うしておいて愈々以って妙に短く成った汽車に新たな機関車が連結されたので見に行くと、これがD五十型であった。貨物列車用の親玉が急行を牽いて走っては行けぬと謂う法は確かに何処にも無いけれども、何とは謂い得ぬちぐはぐさを感じながら、再び不機嫌に為って歩廊を歩き、山系君が待って居る半室二等車に向かう事とした。
果たして冒頭の如く山系君に絡む下りと成るのであったけれども、如何に彼が国鉄の人間であるとは申せ、言って仕舞って得する事と特別得をしない事とはっきりして居る事は明々白々である。然し乍ら今更長い付き合いの山系君に謝るのは尚更癪なので、黙って寝て仕舞う事にした。



何時の間にかすっかり眠って仕舞ったらしく、目が覚めてスチイムで曇った窓を眺めるでも無く眺めて居た。もうとっくに目的地に着いて居る物と計り思って居たけれども、見慣れぬ駅の薄暗い歩廊に停まって居る様であった。隣に居た筈の山系君の姿も見えず、ハテどうした物かと考えて居ると、果たして山系君が歩廊を走ってやって来たのでどうしたのか尋ねると、この先で大層な土砂崩れがあったらしく、駅員の話では列車はどうやら運転を取止めて仕舞う物らしい。駅名を確かめようにも間近に駅名板が見当たらないので車室から歩廊に出て確かめて見たら「はんだがは」と書かれて居た。
愈々雪も降って来て寒くて仕方が無いので、山系君に勧められる侭に駅長室へ這入って此れからどうするかを決しようとした。何分にも日が暮れる頃合いであったので、一先ず今夜の雨露を凌ぐ場所を見付ねばならない。予定して居た法津の宿へは、国鉄の方で電話を一本入れて置いて呉れると謂う。それにしても困ったのは、半田川の駅前には旅館と言える物が何一つ無いと謂う事であった。
「そんな馬鹿な話が有る物か。卑しくも国鉄の駅前に旅館が無い筈が無いだろう。見落としたのかも知れないから今一度聞いてご覧」
再度山系君に聞いて貰ったら、木賃の商人宿なら有ると謂う。
「木賃に泊ってどうしようと言うのだ。それでは近くの別の駅に電話して聞いて見給え」
山系君がのそのそと何処かへ電話を掛けて居る間に、助役が煎れて呉れた熱い茶を啜った。酔い醒めには丁度良い濃さであったので、態々助役を呼んで礼を言って居ると、急に手許が暗くなった。山系君が何時もの様に何の断りも無く私の傍にぬっと立って言うには、
「あります」
「何があったのだ」
「此所から三里計り車で走りますけれども」
「三里車で走ってどうなると言うのだ」
「南の方ですが」
「南へ三里は良く判った。だから南へ三里車で走って行くと何があるのだ」
「あ、宿です」
万事が此の調子であるから山系君には拍子抜けさせられる。大体この男は本来国鉄広報室にデスクを持って居る人間であると謂うのだけれども、未だに私は其れを疑って居る。若し本当だとすれば、国鉄は余程人手が足らぬのであろう。
国鉄差し回しの自動車に乗り込んで言われた宿へ向かう道すがら、山系君は半田川駅前に宿が無い理由を鏤々述べ立てて居た。半ば閉口しながら聞いて居ると、成る程其れなりに筋の通った話ではあると思った。何でも今の東奥線が未だ民鉄の奥州鉄道と称した頃には機関車も大層小さく、又馬力も出なかったから坂道は成る丈緩く造らなければ成らなかった物らしい。そして本来であれば物資の集まる商人町、羽根に鉄道を通せば何の事は無かったのだけれども、相すると勢い峠の坂道が急になって仕舞うから、万止むを得ず羽根を諦めて村も何も無かった半田川を通ったと言う事であるらしいのだ。
「では奥州鉄道が此処まで線路を引っ張ったのは明治の何年なのだ」
「え、確か明治十九年の事です、確か」
「今は昭和の二十八年だから、差し当たり六十年は経って居る訳だね」
「えぇと、明治は四十五年で十九を引いて、大正が十五年ですから…」
「ならば六十年もの間駅前が何も栄えなかったと謂う事が有ろうか。一体羽根とはどのような町なのだ」
「あの、あれです。あの豆炭」
「そうか、豆炭が名産なのか」
「あ、豆炭じゃ無いです」
「何なのだ」
「薪です」
「薪と豆炭じゃ豪い違いでは無いか」
「薪と」
「まだ有るのか」
「炭です。燃やす」
「燃やさない炭など有る物か」
「あと」
「まだ有るのか」
「先生着きました」
何か逸らかされた様で多少癇癪に触ったけれども、一先ず国鉄の紹介で案内された羽根の宿屋の筆頭格、田幡屋に落ち着いた。
(中略)
宿の主人と筝曲の事で大いに語り明かしたので、すっかり良い気分での寝覚めであった。起き出して気が付いたのだけれども、昨夜飲み食いして居る間に大層な雪が積もったと見えて、窓の障子が大変に明るかった。其れも気分が良い。山系君はとっくに起き出して、何処ぞへ電話を掛けて居る様子であった。構わず先に朝飯を頂き終えて寛いで居ると山系君が悠揚迫らぬ様子で近づいて来て、こんな事を言う。
「出ないです」
「そうか。君は若いんだから、朝の通じは良い筈なんだが、呑み過ぎたのか」
「国鉄の都合だそうで」
「確かに君は国鉄の人間だから当局の指令で出してはいかんと言われる事もあろうに、然し如何な国鉄とは言え部下に朝便所にしゃがむな等と命令する物か知ら」
「あぁ、其れは出ました」
「では一体何が出ないのだ」
「昨夜の車が出ないそうです」
「ではどうするのだ。雪中行軍でもしろと言うのか」
「寒いですね」
「当たり前じゃ無いか。雪が積もって居る位なのだから」
「車は出ないですが」
「たった今君から聞いた」
「汽車は出るそうです」
「汽車に乗るのか」
「駅から汽車が出ています」
「汽車は押し入れから発車しない物だ」
「いえ、羽根の駅と言うのが有る相なんです」
「有る相なんですって、では無いかも知れないじゃ無いか」
「羽根の駅から昨日の半田川の駅まで汽車が走っています」
「最初から相言えば宜しいのだ」



宿の主人に礼を言い、山系君に案内される侭に羽根の駅へと向かう事にした。何しろ今日中に法津に辿り着けば宜しいので、随分と気は楽である。
宿を出た所の道路は可也な雪薮で、かんじきでも履いて居ない限り歩き難くて仕方が無かった。此れで何町も雪中行軍をさせられた日にはどうなる物か判った物では無い。山系君は山系君で駅への道筋が判って居るのか判って居ないのか、矢鱈ときょろきょろして居る。
「山系君、その格好できょろきょろして歩くのは止め給え。丸で泥棒の下見に見える」
「先生、着きました」
見ると田幡屋の道路向かいが既に駅であった。
「では君は一体何できょろきょろとして居たのだ」
「車が来やしないかと思いまして」
「こんな田舎の大雪で走って居る車なんぞ有る物か」
「でも何時かは来ます」
彼と論争を止める事にして羽根本町と大書された薄暗い駅に這入って行った。洋風の瀟洒な造作では有るのだけれども屋根が薄ら大きかったり窓が妙に小さかったり、何処と無く間が抜けて居る感じがする。国鉄の駅舎であれば何処其処で何某と謂う高名な建築家が設計したり普請したりする物であろうけれども、これが田舎を走る私鉄道とも成ると中々相は行かぬのかも知れぬ。恐らく地元の宮大工が写真を参考に建てた物なのであろう。一体に田舎へ行く程斯うした擬洋風建築にお目に掛かる物であるが、実際都会地に棲んでいる者の目には、矢張りどう見ても泥臭さが抜けない様に見えるのである。此れは仕方の無い事であろう。
ラチは閉じた侭で、歩廊へ出る改札口の木の扉も開く気配が無い。全体次の列車は何時頃であるのか、暗くて時刻表も読めぬので往生した。待合室のベンチの前には銅壷が置いてあり、盛んに炭を熾して居る。何より暖かいのが一番の御馳走である。
その内に山系君が出札から戻って来て、
「四十分程掛かる相です」
「何、次の汽車までそんなに待つのか」
「いえ、この駅から半田川まで四十分なのだそうです」
「其れは判ったけれども、次の汽車は一体全体何時に来るのだ」
「午後の二時二十一分だそうです」
「何だって、とすると四時間も待ち惚けを喰らわされるのか」
「田舎なんですねぇ」
「感心して居る場合じゃ無い。一体そんな時間に此処を出て、今日中に法津に着けるのかね」
「着けませんね」
「落ち着いて居られちゃ困るよ。では一体どうするのだ」
「電話があったそうです」
「何処から」
「国鉄から。有名な先生ですからって」
「私が有名かどうかこの際関係無かろう」
「二十分もすると貨物が走る相です」
「其れがどうしたのだ」
「あ、貨物とは貨車を連結した列車でして」
「多分相なんだろう。然しまさか貨物と相席とは言いやしまいね」
「ですから電話なんです」
「電話がどうしたのだ」
「その貨物に特別に客車を附ける相です。自動車を廻せないお詫びだそうで」
「相か、其れは親切痛み入る」
相であろう。こっちは何が目的であると言う旅では無い。何しろ阿呆列車なのであるから只汽車に乗ってさえ居れば良いのだ。昨日の土砂崩れにしても国鉄に責めは無いのだけれども、今此うして宣伝に一役買って居るのであるから矢張り賓客なのであろう。昨夜の宿と謂い今日の手配りと謂い、こりゃ帰京したら手紙の一本も書かねばなるまい。
そうこうして居る内に歩廊に田舎じみた汽車が来て停まった。確かに炭俵を満載した無蓋車を幾つと無く連結して居る。駅員から歩廊に案内されると、丁度貨車の最後に駅員総出で押されて来た薄汚れた客車が繋がれた所であった。年取った男が扉を開けて恭しく招じて居る。此れに乗れと言う事なので有ろうから否やは無いけれども、もう少し増しな車は用意出来なかった物かと思う。中に入ると矢張り銅壷の中に炭が熾って居て、不思議な位暖かい。椅子は外見の酷さにそぐわず、真新しく立派であった。年取った男は其の侭車内に残り、この客車の来歴を説明して呉れたけれども、どうやら戦前に使って居た瓦斯倫車である物らしかった。戦争で油が無くなり走らせられなく為って来たので止む無く汽車に牽かせて居るのだ相である。東京なぞ何処へ行っても相なのであるから格別不思議な感じはしなかったけれども、余り一所懸命説明するので却って話の詳細が判らなく為って仕舞った。
段々と聞いて見ると、鏤々説明をして居るこの男は車掌かと思って居たけれども、此の鉄道の社長だと謂うので驚いた。未だに兵隊服で関東軍の兵隊が着て居た様な外套を着込んで手拭いを首から提げて居る格好は、どう贔屓目に見ても大陸からの引揚者にしか見え無い。蓋し田舎は未だに貧しいのであろう。
途中々々の駅で貨車を附けたり放したりするので、汽車は一向に前に進まなかった。丸で駅で停まって居る次いでに走って居る様である。希に走って居る時は松や杉が雪化粧をして奇麗に見えたりするのであるけれども、亦駅に着くと例の田舎じみた汽車が幾らかの貨車を繋いで右往左往する姿しか見られない。
「山系君、退屈かね」
「いえいえ、中々面白いですね」
「何が面白いのだ」
「汽車が貨車を摘んであっちへ行きます」
「ふむ」
「相しておいて今度は空身に為った汽車がこっちへ行きます」
「あぁ」
「今度は俵を積んだ貨車を摘んで向こうの線路を走って行きましたね」
「そうだね」
「又空身の汽車が走って来て駅舎の前で停まりましたね」
「そうだ」
「で、走って行って仕舞いましたね」
「うん」
「ですから」
「どうだと言うのだ」
「面白いじゃ無いですか」
「面白いかね」
「先生は面白くありませんか」
又しても山系君と無益な議論をする事を打ち切ると私は暫く眠る事にした。



暫くして目が覚めると、まだ汽車は走って居た。もう相当時間が経って居る筈なのでとっくに半田川に着いて居る物と計り思って居たのでこの汽車は一体全体何時頃終点に着くのであろうと考えた。
「おい、山系君、一体」
「先生、着きました。乗り換えましょう」
全く以て山系君とは勘が鋭いのか鈍いのか一寸測り兼ねる処が有るので扱いに困ってしまう。
国鉄の歩廊に廻ると、其処に停まって居たのは紛れも無く昨日の列車であった。
(以下略)