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2007年5月24日(木)
Virtual Lesson 12 作品を聴く
レッスン上、どうしても好きな曲ばかり渡すわけにいかないのですが、興味のない曲だからでしょうか、旋律を理解出来ていない生徒が結構居ます。もっと曲を聴きこめば良いのに、と思います。せっかく新しい曲と巡り会える機会が与えられたのに残念です。

楽曲をただ譜面通りに弾くのでは、本を何も考えずに棒読みしているのと同じで、あまりに想像力が欠落しています。まず、知らない曲であれば、知る必要があります。近道は、良い演奏をたくさん聴く事です。CDやDVDなど音源には事欠かない時代に生きているのですから、それを利用しない手はありません。

通勤、通学時に聞くのもいいのですが、楽譜を眺めながら曲を聴く時間が取れればベストです。楽譜を目で追いながら曲を聴いていると、新しい発見もあって、とても驚かされます。

曲のイメージがつかめたら、もう音源は必要ありません。今度は想像力を広げていきましょう。自分はこの曲を、このフレーズをどんな風に演奏したいか。その為にはどう弾きこなせば良いか。そこで自分の個性が初めて出せるわけですし、自分の演奏の好みもはっきりして来ることでしょう。

曲には、作曲家の生い立ちや政治的な時代背景など、様々な要素が絡み合っています。それを知ることも、演奏スタイルを決める手助けになります。

曲を聴いて、理解して、演奏することによって更に深めていく。探究心を持って曲に臨んでください。
2007年5月15日(火)
音大、音高を受験するあなたへ
ヴァイオリンは小学校2年生から習い始めました。決して早いほうではありません。自分では忘れていますが、誰に勧められたわけでもなく、自分で「ヴァイオリンを習いたい」と両親にせがんだそうです。先生にも恵まれ、毎週のレッスンが待ち遠しくらい、本当にヴァイオリンを弾くことが嬉しかったです。

私が音大附属に進学を決めたのは、習っていた先生の影響と、その先生の推薦によるものが大きかったですね。
私の両親は音楽好きだったので、小さい頃からよく音楽会に連れて行ってくれましたが、両親共特に楽器が弾けるわけではありませんでした。
先生に乗せられて、本人も親もすっかりその気になって進学を決めてしまった感があります。

受験にはソルフェージュや聴音、楽典にピアノの試験もありましたので、両親は私の為にピアノを買ってくれて、中1になってから初めてピアノを習い始め、その先生にソルフェージュや聴音や楽典を学びました。また、受験するのだからと、高価なヴァイオリンを買い与えてくれました。音楽を学ぶ環境を作ってくれた両親には本当に心から感謝しています。

しかし、進学を決意してから、それまで楽しかったバイオリンのレッスンは一転してしまいました。国立を受験するなら国立で現役で教えている先生に師事したほうが良いと言う事で、先生を替えました。

それまで楽しく学んでいたバイオリンは、受験の為の厳しいレッスンに変わってしまいました。嫌になって逃げ出したい日もありましたが、あの頃のレッスンが今の私の血肉になっていると言えます。

運良く合格し、音高に通い始めてからも苦悩は続きました。何よりもショックだったのは、自分程度の実力の生徒はゴロゴロ居て、すっかり自分の存在意義を失ってしまった事です。弾けて当たり前の世界に飛び込んだのですから当然なのですが、当時の自分は本当に認識不足でした。

そんな中で実力をつけていくのは、自分の努力次第です。学校が技術を磨いてくれるわけではないですから。でも、例え学内でトップであっても、ソリストとして通用するかどうかは別問題であると言う事を、友人達を見ていてひしと感じました。

私は「ソリストになりたい」という漠然とした夢を抱いて音高に入ったものの、現実の厳しさと、自分の実力を認識してから、いかに音楽界に自分の居場所を見つけるか…私はそれに卒業してから何年もかかりましたし、今だに模索している最中です。

今まで綴った内容はネガティブな事ばかりで、音高、音大受験に迷いを感じた方もいらっしゃると思います。でも、それは当然です。とことん悩んで決めて下さい。

人生やり直しが効くとは言え、音高、音大を受験するという事はつぶしが利かない選択になります。音大を目指してから一般の大学に進路変更するのはかなりの回り道になると思われます。

一生をかけて探求する学問に巡り会えた事、音楽を通して色々な経験や、たくさんの人との出会いが出来た事、そして何より、時に苦しみもあるものの、常に人生が音楽で満ちている事には大いなる喜びを感じますし、今となっては自分の選択した道に全く悔いはありません。

受験を希望している皆さんへ。将来を見据えるのは難しいかもしれませんが、長いようですが限りある人生です。悔いのない選択を。
2007年5月4日(金)
Red Violin

私が行くヴァイオリンのコンサートと言えばほとんどクラシックで、ごくたまにジャズを聴くくらいでしたが、縁があって、今回川井郁子さんのコンサートに足を運びました。

彼女の音楽はクラシックにポップスやあらゆる音楽の要素を融合させた新しいヴァイオリン音楽のジャンルとでもいいましょうか、クラシックほど襟を正して聴く必要はなく、それでいてジャズほど熱狂もしない、気持ちよく音楽に身を委ねていられるようなコンサートでした。

川井さんの他にピアノとギターが入っていましたが、ギターが入るスパニッシュやラテン系の曲はヴァイオリンの音にもよく絡み合って、素敵な演奏でした。

彼女のトークは物静かですが、ヴァイオリンを手にすると、まるで楽器に取り付かれた様に情熱的で、激しく、熱く、時にステップを踏み鳴らし、髪を乱しながらのパフォーマンスをします。

彼女は舞台監督であり、演出家であり、女優でもあります。演奏シーンによって様々に変化する照明や、ライトの色に美しく染まるドレス。彼女はどんな風に演奏すれば自分が最も美しく映るか計算しつくしていて、ステージ上でのオーバーアクションの演奏スタイルは「ヴァイオリンを演奏する美しい女性」を演じている女優そのものです。

難しいテクニックは必要ありません。美しい映像と説得力のある音表現で、十分に人を魅了することが出来るのだと改めて感じました。勿論、雄弁な演奏はテクニックに裏付けされたもので、自由奔放なチャルダッシュの演奏はとても参考になりましたし、かなり編曲されてはいましたが、サンサーンスの「序奏とアレグロ」の演奏はさすがだと思いました。

それにしても彼女の奏でる1715年製アントニオ・ストラディヴァリウスの音色は素敵でした。艶があって、力強くて繊細で・・・どんなシチュエーションも楽器がさっとサポートして、瞬時に美しい音色に変えてしまうと言った感じでした。これは、終盤で使用したサイレントヴァイオリンの音色と比較すれば一目瞭然です。(スポンサーとはいえ、この楽器をコンサートで使用するのは不本意だったのではないかと思います)

             
             
初のベストアルバム
              
The Violin muse

これからダンスとヴァイオリン演奏を融合させた舞台や、シルクロードをテーマにした作品の発表、更にはボランティア活動と、意欲的に活動の場を広めて、自分の可能性を追求していくという川井さん。線は細く見えるけれど、芯が強く、ヴァイタリティ溢れる姿勢は尊敬に値します。

今後の彼女にも注目していきたいですね。

2007年4月20日(金)
アフリカの風が吹いた

渡辺貞夫のライヴに行った。
彼のライヴを生で聴くのは実に20年ぶりくらいかもしれない。引き込まれる様な笑顔と、艶のあるサックスの音色は変わっていなかった。

編成はオーソドックスなQuartet+パーカッションだが、サックス以外はパーカッションといった感じのノリのいいライヴだった。

とても重たくて分厚いリズム!
パーカッショニスト、ンジャセ・ニャンの畳み掛けるようなコンガのリズムはアフリカの響そのもの。大地と強い生命力と神を感じるような音に圧倒された。

これだけの強烈なリズムに負けない渡辺のプレーも凄い!少なくとも人前でパフォーマンスしている渡辺には「老いる」という言葉は存在しない。御年74歳!いつまでも輝き続けていて欲しい。

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Symphony of Sorrowful Songs
2007年4月15日(日)
嘆きの歌のシンフォニー

交響曲第3番「嘆きの歌のシンフォニー」は不思議な曲です。

50分に及ぶこの曲は3楽章からなり、各楽章はポーランド語による、子と別れる母の悲しみがソプラノによって歌われています。

どの楽章もテンポはLentに指定されていますが、大きな抑揚も、テンポの揺れも、アクセントも存在せず、弦楽器を中心に和声的な響が絶え間なく流れる中、悲しみの詩が歌われるのですが、ソプラノの歌声はヒステリックに嘆くのではなく、どちらかと言えば悲しみに沈んだ表情で、まるで天上からの声のように聞こえます。

宗教曲のようにも受け止められますが、哲学的な思想を感じることも出来ます。

ヒーリングミュージックに近いものなのかも知れません。不思議な異空間の世界が広るこの曲は、教会の大聖堂を連想させ、また、無限に広がる大宇宙を想像させたりもしますし、何のことはない、片田舎の田園風景を思わせたりもします。あるいは、荒涼とした摩天楼を眺めているようでもあります。

リスナーの気持ち次第でどんな風にも受け止められる不思議な曲です。

勉強中のBGMとして流してみるのも良いかも知れませんし、部屋を暗くして、この曲を聴きながら色々と瞑想にふけるのも良いでしょう。ほのかな香を漂わせてリラックスタイムに流してみるのもいいと思います。

作曲家は1933年生まれのポーランド人、グレツキ。興味のある方はどうぞ。

2007年4月8日(日)
オペラをどうぞ

オペラを一言で表すと「演劇と音楽によって構成される舞台芸術」と言えるかと思います。しかし、そこには色々な要素が絡み合っています。

華やかな衣装に身を包んだ歌姫が、美しい音楽にのって愛や絶望を歌い・・・豪華な舞台セットと、
時にはバレーや合唱団も加わり、夢のようなストーリーが展開していくオペラ。
そのスタイルの変遷の歴史についてお話します。

最初にお話したとおり、オペラは演劇と音楽によって構成されています。そして基本的には役を演じているのは歌手で、音楽はオーケストラ規模の楽団の生演奏。そして、オペラの総指揮は指揮者に委ねられます。このスタイルは古典でも現代でも変わりはありません。

オペラにはアリアが付物で、それが歌手の見せ場になります。古典の作品ですとモーツァルトの歌劇「魔笛」の「夜の女王のアリア」や同じくモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」のケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」などのアリアが有名です。

古典オペラではアリアや重唱、合唱は独立して作られ、歌曲間はレチタティーヴォ(朗唱)によってつなげられていました。特に古典時代の作品ではレチタティーヴォの伴奏にはチェンバロが用いられました。朗唱中の演技は継続されていますが、歌曲を歌っている間は演技は中断され、歌手が歌い終わると聴衆からは拍手喝采・・・が伝統的でした。

ロマン派に入ってもそのスタイル自体は変わらないのですが、レチタティーヴォの伴奏にチェンバロが用いられることはなくなり、レチタティーヴォを含め、伴奏は大規模に、舞台装置はより豪華になっていきました。

ロマン派の後期、ワーグナーによってオペラは楽劇へと革新的な進化を遂げていきます。

ワーグナーはそれまでのレチタティーヴォと歌曲の区別を改め、常にオーケストラによって音楽が演奏される中、演劇が進行していくというスタイルを確立しました。
また、アリアを歌っている際も演劇は継続されるようになり、これによってアリアを歌い終わった後に観客から拍手をもらうと言う習慣がなくなり、拍手による演劇の中断がなくなりました。
また、オーケストラピットを奈落に入れると言う発想もワーグナーが確立したものです。

ワーグナー以降、楽劇が中心に作曲されるようになり、より舞台上の演出が際立つ作品が次々と登場します。
楽器の編成も更に大規模になり、音楽は単に伴奏だけではなく、効果音や、登場人物の心理状態も音で表すようになっていきます。


  「楽劇」という新しいスタイルが確立してからの主なオペラ

ヴェルディ:椿姫・・・華やかなパリの社交界を舞台に繰り広げられる純愛とそれゆえの悲劇

リヒャルト・シュトラウス:バラの騎士・・・ウィンナーワルツが散りばめられた軽快なオペラ・ブッファ

プッチーニ:蝶々夫人・・・日本の長崎が舞台になった蝶々婦人の悲しい恋の物語


              ガラコンサート

4月28日太田美恵子ソプラノリサイタル with 川越フィルハーモニー管弦楽団
指揮:諸遊耕司
4月28日(土)18:00開場 18:30開演
彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール

プログラム
チャイコフスキー:組曲「胡桃割り人形」より“花のワルツ”
プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」より・・・「私の名はミミ」「あなたの愛の呼ぶ声に」
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」より・・・「ある晴れた日」「花の2重唱」「ハミング・コーラス」「かわいい坊や」
ヴェルディ:歌劇「椿姫」より・・・「前奏曲」「乾杯の歌」「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」「さようなら、過ぎ去った日よ」「パリを離れて」

音楽が支配する夢の世界に居るようです。私は2ndトップで演奏しています。チケット残り僅か!

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のだめカンタービレ
2007年4月2日(月)
「楽しい音楽の時間のはじまりです」

フジTV系深夜帯に放送されている「のだめカンタービレ」にはまっています。

私はコミックを読む習慣がないので、この話を知ったのは去年の秋に話題になったドラマ版の「のだめカンタービレ」からでした。


音大が舞台になったドラマと言うことで興味本位にドラマを見たところ、ストーリー展開の面白さと、ドラマの展開に不可欠であるクラシック音楽の選曲の良さに、すっかり虜になってしまいました。(W主役の上野樹里ちゃんはとってもキュートだったし、玉木宏君もなかなかのはまり役でしたね)

ドラマ版は3ヶ月で終了してしまいましたが、新年からアニメ版を放送しているので、そちらをしっかり録画予約して見ていますが、ドラマ版からのだめファンになった私は、ストーリー展開はほとんど変わっていないのですが、やはりアニメと言うことで、どうしても実写版と違った質感の違いに物足りなさを感じていました。

しかし、つい先週の回を見て、驚きました。
それは主人公の千秋君が学内演奏会でラフマニノフのピアノコンチェルトを演奏するシーンで、鍵盤上を動く指先が、きちんとその音を捉えているのです。

ピアノだけではありません。フルートも、クラリネットも、ホルンも、ティンパニも、弦楽器も、重要な旋律の部分でアップになると、ちゃんとその音に合ったパフォーマンスをしているのです。

たいていこんなシーンでは、同じ動画を繰り返し使って誤魔化す場合が多いですからね。CGを駆使しているのだとは思いますが、楽器にとても質感があって、演奏シーンにこれだけ拘ったアニメを他に知りません。制作スタッフの熱意を感じます。

マエストロが「楽しい音楽の時間の始まりです」と、千秋君ににっこり微笑んでステージへ導いていくシーンが印象的でした。

練習する姿勢は厳しくて辛くても、人前で披露するときは、こんな気持ちをいつまでも持ち続けていたいものです。

次回放送は4月12日だそうです。皆さん、お見逃しなく!

2007年3月24日(土)
「チェロを残忍に攻撃するベッドと二つのベッドサイド・テーブル」

音楽に直接は関係ありませんが、楽器つながりで・・・

サルバドール・ダリはシュールレアリズムを代表するスペインの画家です。


シュールレアリズムはそれまでの「論理による規定」に代わるものとして「夢や自由連想が新しい現実を発見する手段となる」という思想を探究する活動で、若くしてシュールレアリストの会員になった彼の作品は、写実的でありながら幻想的、独創的です。

衝撃的な作品も多く、強い哲学と思想も感じられますが、彼の解説なしでは、いったい何を意図して、何を訴えている作品なのを読み取るのは難しいのも事実です。

官能的な作品も多く、生前の数々の奇行も伝えられているので、ピカソのように「英雄色を好む」的な部分もあるのだろうと思っていましたが、ダリは年上の妻であるガラを生涯たった一人のパートナーとして、愛しんだのです。

ガラは良き伴侶であり、ダリのインスピレーションの源であり、有能なマネージャーでもありました。彼女の大きな支えがあったからこそ、ダリの名画の数々が生まれたのだと思いますし、次々に新しい試みにチャレンジすることも出来たのだと思います。

「ダリ回顧展」に足を運ぶまで、私はこの絵の存在を知りませんでしたが「チェロを残忍に攻撃するベッドと二つのベッドサイド・テーブル」に強い衝撃を受けました。

晩年のダリは自分をチェロに模した作品(ピンと張ったお髭はチェロによく似ていますね)が何点か見受けられますが、こんなに痛々しく、悲しい作品を他に知りません。

ガラが亡くなった後のダリは、創作意欲がまるで失せてしまったようで、ほとんど作品を残していませんが「チェロを残忍に攻撃するベッドと二つのベッドサイド・テーブル」はガラを失った後に描かれた数少ない作品の一つです。

ガラと共に過ごしたであろうと想像出来る寝室はめちゃくちゃに散らかり、ベッドもサイドテーブルも破壊されていて、チェロもぼろぼろに傷ついています。

ダリのガラを失った悲しみと、遣る瀬無さと、絶望と、憤怒と、不安と・・・あらゆる負のイメージが詰め込まれた作品を前にして言葉を失い、涙さえ溢れてきます。

ガラが亡くなって7年の後、ダリも84歳でこの世を去り、彼の遺言によって遺体は今もフィゲラスのダリ美術館の中庭に埋葬されています。

2007年3月19日(月)
音楽に彩られた卒業式

編集中にWEB日記のタグが削除されてしまい、更新するのに随分と時間がかかってしまいました。

このHPはソフトに頼って編集していますので、トラブルが生じたときに対応できず、こんな時に知識が足りない自分の非力さを感じます。

結局のところ復旧は諦めて、新たにページを立ち上げました(と言っても今までとデザインは同じなので分からないとは思いますが・・・)

今までのエッセイは後日公開する予定ですのでお待ち下さい。

卒業式・・・誰しも人生で何度かは経験する通過儀礼ですし、それぞれに思い入れがあり、思い出のあるセレモニーだと思います。

先日は中3の息子の卒業式でした。息子の卒業式に参加して自分の時の事を思うと、音楽が有効に使われていて、とても感動的でした。

卒業式は、吹奏楽部の奏でるエルガーの「威風堂々」が体育館に響き渡る中、卒業生の静かな入場から始まりました。

そして、参加者全員が席に着いたところで「この地球のどこかで」が全員で合唱され、その綺麗な歌声が雰囲気を盛り上げます。

国歌斉唱の後、卒業証書を授与する間中、秋に行われた合唱祭でのクラス毎の歌声が、低く流れているのです。卒業生は、弥が上にも合唱祭の為に一致団結した自分達の姿を思い出さざるを得ないでしょう。

息子の中学校では校長先生も今年度限りで退官されるという事もあり、学校長の祝辞の際には校長先生自身が言葉を詰まらせる場面もあり、それに触発されて先生方も涙を流し始めるなど、式の序盤から悲しい雰囲気に流されていました。

「卒業生の言葉」の最中は、BGMとして卒業生がピアノを弾いて雰囲気を盛り立てます。言葉は20分近くに及ぶ立派なものでした。「いつも一緒に居て当たり前だと思っていた友達・・・でも、それは明日から日常ではなくなり・・・少しずつ思い出へと変わっていくのです・・・」こんな言葉に、会場では嗚咽が聞こえるほど。

読み上げている生徒も、途中何度も涙で声が出なくなりそうな場面を何とか持ち直して、最後まで読みきりましたが、彼女が話している間、ずっと涙をこらえて淡々とピアノを演奏していた卒業生にはとても感心しました。

そして、卒業生による合唱「旅立ちの日に」。
この澄んだ歌声をもう聴けないのかと思うと、とても切なくなりました。

ここで、サプライズがありました。
起立して合唱をしていた卒業生が突然校長先生のほうに向き直り、「仰げば尊し」の歌のプレゼントをしたのです。
これは本当に卒業生だけの周知の事で、担任の先生も驚きを隠せません。

思いがけない贈り物に、校長先生は男泣きに泣いていらっしゃいました。

全体合唱「大地賛頌」。力強い歌声が体育館に響き渡り、そして、学校で歌う機会はきっと最後になるであろう「校歌」斉唱。

吹奏楽部の奏でる「蛍の光」に乗って退場する卒業生たちは、涙で顔がぐしゃぐしゃです。

羨ましいくらい、とても素敵な卒業式でした。ここで過ごした日々を糧に、それぞれに新しい道を力強く歩いていって欲しいと願います。